最終節6項「アマネセル」

 怪しく輝く螺旋の光跡を描いて飛ぶ、白銀の双子龍の庇護の下、決着を付けんとする者たちをその背に乗せたまま、楊空艇マリウレーダは何処とも知れぬ時の嵐の中を進み続けている。

 それは飛ぶ、と言うよりも何処かに導かれる様でもあり、ただ嵐に流されているだけの様でもあり。


 音もなく暗天を縫う千雷の空をゆっくりと巡る龍の、紅と蒼の瞳には慈悲も憐憫もなく。ただ在るがままの流れを見届け、見送り、見納める為に在った。


 それは言わば、人が蟻の群れを見下ろすさまに等しい。



 ティムズとミリィの手の内を知り尽くした『ヒト』は二人を始終子供扱いし、その刃と言葉で心身を抉り、削っていった。従来の戦法では到底敵わないと判断したティムズたちはやがて、龍礁監視隊レンジャーの規範では決して許されなかった手段をも用いていく。


 幻剣を囮にして肉薄したミリィが、工作用の短剣を抜き放ってタファールの首筋を狙うも、そもそもが殺傷目的の武装ではなく、その為の扱い方も不慣れ。あっさりと見切ったタファールはその腕を捕まえて捻り、短剣を取り上げると、華奢な胸の中心へと蹴撃を撃ち込んだ。


「がグっ……!」

「こんな野蛮な真似、以前のお前じゃ絶対にやらなかったよな」

 蹴り飛ばされ、甲板上を転がり倒れて呻くミリィへ、奪った短剣をくるくると弄びながら、タファールは言い放つ。

「俺を殺してもパシズは生き返りはしないのに」


「うる、さい……!」

 胸を押さえ、憎悪に澱んだ紫の眼光を返すミリィ。

「あんたのその口で、パシズの名を騙るな……っ!」

 その低い唸り声は震え、掠れていた。


 

 心を繋ぎ留めていたはずのものは、今はもうずたずたに引き千切られていて。今のミリィを駆り立てるのは純粋で単純な殺意と憎悪だけ。師父の喪失、仲間の裏切り――様々なものを立て続けに失い、揺らぐ彼女の刃は、本性と実力をあらわにしたタファールには届くはずもなかった。


 タファールはそんな小娘の、見え透いた怯えと焦りを嘲笑わずには居られない。

「……今のお前みたいな目をした女は何人も見て来た。ここ最近ずっと様子がおかしかったのは気付いてたさ。密猟者狩りの連中と何があった?言ってみろよ。なんなら俺が当ててやろうか?」

「……!」



 ―――――――――――――――――――――――


(……お前は、どこまで)


 蔑む様な、憐れむ様な笑みを浮かべたタファールの背後へ音も無く滑り寄っていく影。


 ティムズは激情とも冷静とも言えない、ぼやけた感情の狭間にあった。


 一般的な低級の龍を制圧する為に用いるワイヤーを携えて、ミリィを嘲るタファールの背へとまっすぐに突っ込む。「!」鋭く反応したタファールが振り向きざまに叩き浴びせた紅刃を術盾で受け散らすと、ワイヤーをその腕と身体に絡みつかせた。


 タファールが弄んでいた短剣が落ち、冷たく乾いた音が二回。


「動きを止めようってか?無駄だよ!」

 紅剣一閃。タファールはそれらを難なく寸断するが、術具での追撃を警戒した一瞬の裏をかき、敢えてそのまま踏み込んだティムズの拳が、そのにやついた顔面を打つ。


「ッ……!ッの野郎!」

 ぐらついたタファールの選択肢を削ごうと、戦闘用の術や術具だけではなく、甲板上に散らばっていた単なる備品や破壊された木柵の破片なども使って、とにかく攻撃の手を緩めずに攻め立てる。

 その雑多とも言える搦手からめての数々は、やがて幻剣を維持出来なくなったタファールを遂に捉え、そして。


 そのまま最も原始的な殴打による争い――殴り合いにもつれこんだ。



 ――――――――――――――――



(……今だ、今なら……!今、行くんだ……!)

 加勢に加われば確実に仕留められる。ミリィは立ち上がろうとしたが、しかし、先程の蹴りを受けた肋骨の痛みがそれを許さなかった。へたり込んだまま胸に掌を押し付けて回復を図るも、集中を欠いた療術の青光は朧気で弱々しく、焦れながら、昨日までは兄と弟の様に想っていた二人の”男”の闘いを見つめる。


 技術と経験で勝るタファールに対し、ティムズの疲弊した身体と魂を突き動かしているのは、パシズから散々叩き込まれ、受け継いだ『根性』と呼ぶしかない執念。そしてそれはパシズが最も得意としていた、合気を軸とした体術の幾許かを、ティムズが学び取った瞬間でもあった。


「七面倒な戦い方を覚えやがったな、パシズが見たらさぞ喜んだろうよ!」

 尚も余裕ぶるタファールの顔から、この時初めて薄ら笑いが消えていた。


 後の先を取る事に特化した反撃主体の立ち回りは、デトラニアで用いられる攻撃的な剣術とは相性が悪い。しかしそれも完全なものとは程遠く。一時は互角以上に渡り合ったティムズだったが、お互いに手を出し尽くした死闘は、まだ僅かにタファールが上を行く。


 一瞬の隙を突かれて、薙ぎ払う様な『蹴り』を身体の側面に受けたティムズは、甲板壁に強かに身体を打ち、崩れ落ちる様に倒れ。

「ぐっ……!」

 痛打を何度も浴び、それでも尚起き上がろうとするティムズへ、まるで軽い散歩の様に歩み寄ったタファールが、強靭な龍革のブーツでその頭を踏んだ。


「……手こずらせやがって。お前は最初から最期まで鬱陶しい奴だったよ」

「お前ほどじゃねえ……っ!」

「…………」

 タファールが無言で足に力を籠める。このまま跳躍術を発現すればティムズの頭は粉々に弾け飛ぶだろう。ミリィは青褪め、まだ胸に走る激痛を跳ね除けて飛び出そうとして。

「ティムズ……!」

「動くな!」タファールの鋭い声が制した。


「これ以上続けると言うなら、こいつの頭を踏み砕く」

 身じろいだミリィを振り返りもせず、タファールは声色を和らげたが、その足には跳躍術の発現式が走っていた。


「なあ、俺だって好き好んでお前等とやり合うつもりはないんだよ。このまま黙って消えさせてくれ。そうすればもう、二度とお前等に出逢う事もない」

「今更、そんな言葉信じられると思ってんのか……!」

「吼えんな。そんな不様な体勢で」

「ッ……!」


 圧し掛かる頭痛に顔を歪めるティムズを見下ろすタファールだったが、その息は上がり始めてもいた。拘禁室からの脱出以降の連戦で疲弊し、体力も霊力も限界に近かったのだ。




 一瞬、ティムズとミリィの目線が合う。


「……」

「……!」


 刹那、ミリィの眼の光が消え、また次の瞬間、彼女は獣染みた前傾姿勢で、タファールの背を狙って飛び込んでいた。

「……ちっ……!」

 ティムズの頭から足が離れ。身を翻したタファールは無策で直進してくるミリィをいなすと、すれ違い様に、その背へ渾身の肘撃を撃ち下ろす。


 背骨への一撃は、痛みを振り切って辛うじて動けていたミリィへの止めとなった。再び倒れ、完全に行動不能になったミリィは最早、呻き声の一つすら上げる事も出来ず、ただうつ伏せのまま、激痛と、無力感に震えている。


「ミリィっ……」


 痛む頭と、眩む意識をねじ伏せて、ゆっくりと立ち上がるティムズの背後から、心底可笑しそうに笑うタファールの声がした。


「可哀想なティムズくん。ミリィにとってお前の価値は所詮この程度のもんなんだってよ。お前はレッタの為に立ち止まったってのにな。俺を殺せるなら、お前が死んでも構わないってこった」

「……」


 この期に及んでまだ嗤わずには居られない様子のタファールを無視して、ティムズはミリィの傍らにしゃがみ込む。せめて痛撃を浴びたミリィの痛みを和らげてあげたかったが、その前に決着をつけなければと思った。


「……ミリィ、少しだけ、我慢してくれ。俺が君の代わりに、終わらせてくる」

「…………」


 ミリィは僅かに身体を浮かし、肩越しにティムズを見上げる。

 ティムズは、彼女が身体の下から差し出した短刀に気付いた。


 タファールに攻撃されて倒れた際、甲板に落ちていた短刀を、咄嗟に拾い上げていたのだ。


「……判った」


 ティムズは低く呟き、背後の敵から見えない様に、その短剣を受け取り。

 奥の手を託して気を失ったミリィの元を離れた。 



 ――――――――――――――――



 血混じりの唾を吐き棄てて、三度みたびタファールと対峙する。

 お互いに満身創痍で、法術を発動する余力も無い。


「どうしてもか?」

「どうしてもだ」


 呆れた様にやれやれ、という仕草をするタファールに、一歩一歩近付いていく。


「同じ部屋でずうっと寝泊まりしてた仲だろ?」

「だからこそ許せないんだよ。……誰よりも、俺が気付かなくちゃいけなかった」

「お前ごときにバレるような仕事はしてねえよ」


 そう応えたタファールだったが、ふと、何かに思い当たったようで、くつくつと笑いを噛み殺した。


「……いいや、そうでもないか。なあ、覚えてるか?以前お前にエロ本を捨てられたことがあっただろ?あれには第四龍礁ここに関する膨大な機密を封述してあったんだぜ?お前に処分された時は本当に焦ったよ。おかげでほぼ一からやり直す羽目になった」

「……」

「俺の唯一の失態。危うく首を飛ばされるところだった。結局、俺を一番追い詰めたのはお前だったよ。ティムズ=イーストオウル」


 ティムズは軽く目を瞑り、あの平凡な茶番に過ぎなかったやりとりを思い出し、そして、彼が最後に見せた漆黒の眼を思い浮かべた。光を宿さない、全てを吸い込む穴の様な瞳……あの時の違和感を信じるべきだった。


 首を振って目を開けると、あの時と全く同じの男の姿がある。


「……もう、喋ることはないよな」

「ああ。どうせ俺達の思い出なんて上っ面に過ぎなかったのさ」


 二人はお互いに、最後の力を振り絞って、それぞれの幻剣を開いた。


 ―――――――――――――――――――――



 霊基も尽き、決め手を失った二人。

 振り抜く拳も、互いを倒しきる程の力はなく。


 しかし結末は、あっさりと訪れた。


「悪く思うなよ、俺は、こうやって生きていくしかなかったんだ……」


 何度目かの拳を喰らい、よろよろと前のめりに倒れかけたティムズの首に両手を掛け、首を締め上げるタファールが、無機質に呟いた。


「…………っ」

 その指は正確に頸動脈を捉えている。すぐにティムズの視界が黒く靄がかり始めたが、タファールも長い戦いを経て体力の限界にあった故か、即失神する程でもない。


 ティムズは薄れゆく意識で、ミリィに託され、隠し持っていた短剣を引き抜くと、首を絞める事に集中している相手の左胸へと、突き立てた。



「……ッ!?」

 ティムズの首を捉えていた腕の力が緩み、目を見開いたタファールが胸を見下ろし、そしてまた、ティムズの顔を見る。


 ティムズはまた力を籠めて、刃を胸の奥へと差し込む。肉がぶちぶちと千切れる感触と、到達した心臓の鼓動が直接、短剣を持つ右手に伝わってきた。


 タファールは、震える手でティムズの右手を握るが、もう、それを押し戻す力もなく、ただ、包む様に掌を沿えるだけで。


 ティムズは、最後に大きく捻じり込むように、もう一度だけ力を籠めた。


「…………」

 ティムズが短剣から手を離すとタファールはふらふらと後ずさり、口から大量の血を噴き出して、甲板端の木柵へと寄りかかる。


「……俺より、痛そうな……顔、してんじゃねえよ。刺した方が」

「タファール……」


 意識がはっきりしたティムズ自身、無意識の内の行為に驚いていた。

 ――やるなら、自分の意志で、はっきりとやるべきだった。

 一瞬だけ、祖父の顔がちらついた。


「……色々と、くっちゃべったりは、しねえ」

 タファールは苦痛を押し殺すように歪んだ笑みを浮かべ、朦朧とする意識で、しかし、はっきりと呟いた。


「俺を許すなよ。一生な」

 そして、まるで自らの意思でそうした様に、背中から木柵を乗り越えて落ち、マリウレーダの機体に何度か身体を打ち付け、そして、見渡す限りの広大な龍礁の森の中へと消えて行った。



 ―――――――――――――――――



 ティムズは、震える右手を見つめながら暫く呆然としていた。こうやって直接人を殺めたのは初めての事で、しかも良く知って――いたと思って――いたはずの仲間だった。ただ、想像していたような恐怖や実感は無かった。


 ――ミリィ。


 ティムズははっとして振り返る。何時の間にか意識を取り戻していたらしいミリィは胸を掌で抑えて座り込んだまま、ぼんやりと空を見上げていた。その視線の先にはもつれ合うように飛ぶ白銀の双子龍の姿がある。ティムズがタファールを刺した瞬間を、彼女は見届けたのだろうか。


 戦いの最中はそれどころではなかったが、ティムズは改めてF/ IV級の畏怖に震える。理屈ではない直感で、この龍は人の如何なる手も及ぶものではないという、圧倒的な事実として圧しかかって来る感覚が戻ってきていた。


 ミリィはそんな龍を見上げ、声を出さずに口を動かしている。様子がおかしい。


「……?……ミリィ!」

 ティムズは半ば這うようにしてミリィの元ににじりより、その肩を揺さ振る。


「駄目だ、行くんじゃない!行くな!」


 何故そう口走ったかはティムズ自身、良く判らない。しかしこの瞬間、彼女を留めなければ決定的な変容が起きてしまうような気がしただけだ。後戻りの出来ない何かが、彼女に起きようとしている。


 すると、それまで遠巻きに周囲を飛んでいた双子龍が、複翼を大きく広げ、まるでマリウレーダを包み込む様に飛び始めた。


「…………!」ティムズの背筋に冷たいものが駆け上がり、全身に鳥肌が湧く。 


 ――こいつら……。



 ――こいつら、



 誰を?何を?どうして?幾つもの疑問が湧いては消え。しかしティムズは無我夢中でミリィに呼びかける。そうしなければならなかった。


「ミリィ!こっちを見ろ……ミリィ!!」

「……!?ティムズ……」


 ミリィは一度、びくっ、と反応して、まるでそこにティムズが居る事の方がおかしい、とでも言いたげな顔を向ける。


 それと同時に、マリウレーダを囲んでいた双子龍がゆっくりと離れていく。ティムズは怖気に震えながら、ミリィを『何か』から守ろうと肩を抱いて、現れた時と同様に優雅に去っていく龍達を見上げ。


 やがて二体の龍は、それぞれの紅と蒼のまなこでティムズ達を一瞥すると、静かに雲壁の中へと消えていった。


 そして龍たちの姿が失せ。

「行かないで、お願い、パシズ……」

 そう呟いたミリィは、力尽きるように目を閉ざした。



 依然として風は強く、払われてゆく雲の隙間から白光が差し込み始めている。夜は明けていたようだ。嵐に護られたF/ IV級『アルガンリージとダリアルベーツ』の制空領域『レベルA』から脱したマリウレーダは、恐らくは龍礁中央部の大森林地帯の上空を漂っていると思われる。


 徐々に晴れゆく青空と共に、落ち着きを取り戻したティムズは、くらい眠りに落ちたミリィの、これ程までに弱々しく、儚い存在の様に思える身体を強く抱き締める。それは自らの恐怖や喪失感を紛らわす為でもあった。




 出来ることなら、永遠にこうしていたい。

 拠り所を失った者同士、共に安らぎを分かち合っていたい。

 そう思わずには居られなかったが。




 ――ガクンッ!

 嫌な震動がして、ティムズは我に返った。



  F/IV龍の影響下で一時的な制御不能に陥っていたマリウレーダの操舵術式が復活し、強風に煽られて傾き始めたのだ。勿論、操舵士は、もう居ない。


「……やべえ」


 ティムズは腕の中で寝息を立てるミリィと周囲を何度も見比べて、苦渋の決断の末に、一応は丁寧に横にしたミリィをほったからしにして、ブリッジへと駆け出す。


 なんとか自力で操舵しなければ、風に煽られて落っこちる。割とすぐに。

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