幕間5:人物来歴及び評価報告「タファール=ネルハッド」

 これは、デトラニア戦略情報局に保管されている諜報工作員に関する機密文書から断片的に得られた情報を再構築したものである。


 尚、保安上の観点からその多くにフェイクが仕掛けられているため、外部へ公開する際には留意されたし。



 デトラニア共和国戦略情報局・人物略歴及び評価資料

 正名、タファール=ネルハッド。

 現在二十七歳。

 聖アトリア歴一一八九年、六月五日生。



 デトラニア共和国の東の小国、トルデアルシカ出身。

 

 国内では指折りの豪商である父親と、大勢の妾の中一人の母親の間に産まれる。


 タファールを身籠ったと知った父親は母にあっさりと興味を失い、タファール自身は父親と会ったことは片手で数えられる程でしかなかったが、経済的な援助は並以上にあったため、比較的裕福な生活を送る事は出来たようだ。


 だが奔放な性格の母親は幼いタファールを気にも掛けず、邸宅の一室に押し込めると、夜ごとに男を家に誘う様になり、タファールは毛布にくるまって耳を塞ぐ日々を過ごす。


 饒舌で社交的な母親は口も上手く、大勢の男を虜にする術に長けていたのに対して、幼い息子は至って寡黙だった。娯楽らしい娯楽を与えられなかった彼は、家に入れ替わり立ち替わり現れる男達をドアの隙間からこっそりと観察し、その会話やから人格を観察したり分析することだけが唯一の楽しみとしていた。


 ある夜、家にやってきたある男の財布から金を盗む。激怒した母親から折檻を受けるタファールを庇ったのは、意外にも盗みを受けた男本人。怒ることもなく、むしろタファールを外へ連れ出して様々なことを教えたという。たったひと月の間ではあるが、彼がタファールの父親とも言える存在になったのだった。


 やがてタファールは厄介払いの形で寄宿学校に放り込まれる事となり、そこで学業の才能を開花させ、同時にある種の特質も発揮する。目的の為にはあらゆる手段を取る事をいち早く覚えた彼は、たった八歳の時、成績が振るわず体罰を受けていた友人の為に、深夜の教員室に忍び込んで学業評価の結果を改竄、偽造するという真似をやってのけたという。


 そして声変わりを起こす頃には、アトリア神学の解釈における論戦で司祭の資格を持つ老教師を言い負かすまでになっていた。


 自らの能力に自信を持つようになったタファールはトルデアルシカの最高学府への推薦を蹴り、アラウスベリア最大の版図を誇る隣国デトラニアの学府へと進む。


 稀有な才覚を見せるタファールがデトラニア諜報員の養成機関の眼に留まったのは自然な流れだった。表向きは一般的な商工学の教室に籍を置きつつ、デトラニアの暗部を担う諜報工作員としての訓練と教育を受ける事になる。


 徹底的な教育は最早洗脳とも言える過酷さを極め、大抵の若者は自我を消耗し、従順な操り人形と成り下がるが、それでもタファールは自分自身を保ち続けた。それは裏を返せば、母親からまるで居ないものとして存在を無視され続け、自分という存在を認知できなかった幼少期の体験があったからなのだろう。


 二年間の教育を受けたあとは、アラウスベリアの各地を渡り歩き、重要人物の拉致、暗殺、企業スパイ、潜入など、あらゆる活動に従事する。


 現在は第四龍礁における龍族の調査を主に行っている。来たるべき聖戦の為に不可欠な楊空艇を建造する為に必要な情報の収集だ。更には防衛機構や戦力の把握など、龍礁侵攻に関しての情報の蓄積も委ねられている。



 ―――――――――――――――――――――



「……ねえ……ねえぞ……!」


 俺は珍しく顔を真っ青にして、居室のあちこちを手当たり次第にひっくり返しながら何度も呟いていた。カロテーネに渡すはずの『ブツ』が、無い。


 外縁結界の配置や強度、第四龍礁の戦力評価、龍族の生態や分布など、デトラニアからの指令で集めていた情報の一切合切を封述していた『エロ本』が無いのだ。


 何故わざわざエロ本なのか?それはちょっとした悪戯心って奴だ。


「ふわぁ……何?どうしたんだよ、朝っぱらから」間の抜けた声がする。


 俺は振り返り、たった今起きたらしいティムズを睨みつけた。

 そしてすぐに気付く。このガキ、やりやがったな。


「……おい、ティムズ。俺の本を何処へやった?」

(思わず真顔になってしまった。中身を確認されたのなら素性がバレた恐れもある。その時は……死んで貰う他無い。俺は背腰に隠した短刀に手を掛けた)


「……え、何が?」

(ティムズがベッドから起き上がり、制服に着替えながら、気もそぞろに応える。気付いていない様子だ。しかしとぼけているだけかもしれない)


「ああ、あの……アレの本だろ?床に落ちてたからまとめてゴミに出した」

(極めて低いリスクだと高を括っていた事が、現実に起きてしまった。あれは今回の任務で最も重要なもの。上の連中に知れたら俺の首が危うい)


「マジか……?マジか!……お前なあ!」

(思わず声を荒げてしまった。演技なのか本心なのか、混乱している)


「お前がいつも散らかしているのが悪いんだよ。自業自得」

「……中身を確認したか?」

「してねえよ!」


(ティムズ、俺を相手にせず、部屋を出て行く。口ではああ言ってるが、こっそりパクりやがった可能性はまだある。探りを入れなければ。俺はあの間抜けの後を追った)



 ――――――――――――――――――




「……お前なあ!あれはこの世に一冊しかねえレア本なんだぞ!どうしてくれるんだよ!」


(今回の任務で最も重要な機密だ。簡単にこいつの言う事を鵜呑みにして諦められるか)


「知らないよ!そんなに大切ならその辺に放っておいたら駄目でしょ!」

「そんな事言いつつ、お前がパクったんだろ!言え!ほら!」

「んな事するか!」


「朝っぱらから何騒いでんのよ、今度は何?」

 

(はっとする。聞かれてしまった。まあそれも当然だ。騒ぎ過ぎた……いつもの様に振る舞うしかなさそうだ)


「聞いてくれよレッタ、こいつがさあ、俺の宝物の……本、を捨てやがったんだ」

「だから、宝物なら宝物らしく、ちゃんと閉まっておけば……!」


 まどろっこしい説明はしない。

 ティムズが俺の諜報活動の集大成を捨ててしまったのだ。

             

 レッタはすぐに察したようで、もう呆れて物も言わなかったが、ミリィは知ってか知らずか、本、という言葉に興味を抱いた様だ。

「へえ、どんな本だったの?」


「それは……」

(この女は勘が鋭い。俺は冷や汗をかき、答えに詰まる。言い訳を考える必要があった。ティムズを使って時間稼ぎを図る)

「……ティムズ、教えてやれ」


「ええっ!?」

「ええと……」

「それは……だから……つまり、一種の、芸術……の本、です」


「……そう、究極の美の粋を集めた完璧な芸術だったんだよあれは!」

(……そう、究極の情報は美しくすらある。完璧な芸術だったんだ!)


「くそお、困った。どうすっかな……」

(くそ……困った。焼却施設から回収するのは不可能に近い)


「あの……もしかしたらまだ焼却されてないだろうし、なんとか探して来ようか」


 ―――――――――――――――


 ……ここまでタファールが執着を見せる「お気に入り」の芸術とは一体どれほどの物なのか、ティムズは少し、いや大いに興味を持ち始めていた。


 しかし、そう思った途端、タファールが両手の指の隙間から、鋭くティムズを見つめる眼をまともに見てしまう。普段のタファールとは全く違う、開いた瞳孔、光の無い深淵の様な瞳。まるでこの世の闇という闇の全てを吸い込んだような、本物の黒。


 タファールの本性の片鱗だった。


 ティムズはその時初めて、彼にビビってしまっていた。すっかり忘れていたが、こんなんでも一応は年上で先輩だった事を思い出す。「いや……すいません」思わず敬語に戻る。


「……それはいい、やめとけ」


 怯んだティムズに対し、タファールが静かに呟いて、顔を伏せた。

 そんなに人に知られてはまずいことになる特殊な趣味があるのだろうか、こいつは。






 ――そうだよ。人に知られてはまずい。

 ただ、まずいことになるのは知ってしまった奴の方だ。


 ……ここまで呆気なく上手く行きすぎて油断していた。

 仕方ない。またやり直せば良いだけさ。

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