最終節5項「 F/IV」

 且つて対峙したリビスメットやリガーレ・セノンなどのF/III級、それも高位種が使用する、腕を模倣した法術式の塊—―術椀。パシズは幾度も目にした龍たちの奥義を独自に分析し、自らの『奥の手』とすべく影で修練を重ねていた。


 龍のものより一回り小さく、その密度も低いものの、それでもパシズの屈強な身体の二倍近くある光椀は、取り囲む軍嵐龍たちに打撃を与えるには充分な威力を発揮する。


 ある者へは術風撃を打ち破った上で殴りつけたり、ある者へは首根っこを掴んでその身体を機外へぶん投げたり、ヤヌメットたちと同等、或いはそれ以上に巧みに操るパシズの姿は正に無双。


『ギィィィィッ!!』

「でやあぁあァッ!!」

 パシズが甲板上に残っていた最後の軍嵐龍を放り投げた。突然の『新手』を警戒したらしい龍たちは一旦攻撃を止め、マリウレーダの周辺を遠巻きに飛び回っている。


「マジすかそれ……」

「男たるもの、切り札の一つは常に用意おくものだ」

 仰天していたティムズに少し笑って応えたパシズだったが、その使用は相当に身体に負担が掛かるらしく、がくりと膝をつき、開いた術腕もちりちりと明滅して消えかけていた。


「パシズ!」

「……俺の事は良い、ミリィを」


 ティムズは甲板の後方でへたり込んだままのミリィを振り返った。彼女もパシズの暴れっぷりに呆然としていたようだが、今は空の一点を見上げ、見つめ続けている。その視線の先には、マリウレーダと同じく軍嵐龍の群れに囲まれて応戦中の楊空艇アダーカの姿があった。ちかちかと閃く光はゼェフやアルハも龍たちと戦っている証だろう。



 しかし、F/III軍嵐龍たちの攻撃は唐突に止んだ。何かを感じた様に空を見上げ、一斉に咆哮を上げたかと思うと、次々と二基の楊空艇から離れて、散り散りに去ってゆく。


「何だ……?」

 当惑しつつもミリィの元へ駆け寄ったティムズだったが、ミリィは空を見つめたままで固まっていた。様子がおかしい。軍嵐龍たちと同様に、近付いてくる何か、高まる何かに呼応して、焦点の合わない虚ろな眼でぶつぶつと呟き、震えていた。


「……来る。来る、来る。来る、来る、来る………」



――――――――――――――――――



 マリウレーダの後方で付かず離れず、なんとか食いついていた楊空艇アダーカのブリッジでも、その異変を感知していた。無数の龍の出現警報が一斉に立ち上がり、一体この場に何種の、何体の龍が存在するのかも把握できなくなっている。


 尋常ならざる気配に、アダーカの船長リタエラは万が一の、離脱の用意を命じる。これ以上龍たちと交戦しつつの航行は危険だと、あらゆる観測データが示していた。


「このままじゃ道連れだ。最悪あたしたちだけでも……脱出経路の計算をしておくよ。現在地は?」

「それが……判りません」

「は?」


 今までの調査や任務で、龍礁の各地に散々設置してきた座標符の応答が無かった。その意味はただ一つ。ネフトは恐怖に慄きながら、それでも淡々と答えを返す。


「ここはもう、現実の空間じゃない」


「龍脈の中だ。全ての情報が反転する虚数領域」

「何かが中心に居る。近付いてきている……!」


―――――――


 そしてそれは現れる。


 前触れもなく、マリウレーダの操舵式が暴走して制御不能になり、タファールは混乱する。必死に操舵式を手繰るが、術式の洪水はそれを受け付けなかった。

「何だ……?おい、どうしたってんだよマリウレーダ!」


―――――――


「ミリィ……?おい!」

 ティムズは放心して震えているミリィへ駆け寄って、その肩を揺さ振るが、目の光を失った彼女はただ放心し、迫るものへの畏怖を唱え続けていた。


「来る、来る……来た。きた。きた きた きた きた きた きた」

 

 そしてそれは現れた。


――――――――



  ひとよ なぜあらそう

  ひとは なぜあらそう


  いのちをもやし いきてゆくものは

  たましいをとぎ いきたえるすえに



 その声は、嵐の中を彷徨う全員の頭に直接響いた。



  われら うつしよのことわりなれど

  なんじ うつしよのことにえならば


「………ッ!?」


 透き通った湖に落ちる滴のような、山を撫でるそよ風のような、沸き上がる泉のような、轟く大地の胎動の様な、高く、低く、美しく、柔らかく。それでいて鋭く、重く、熱く、冷たく。


 聞くだけで頭の奥を突き刺し、魂を圧し潰し、心をかき乱す絶対的な威圧と、まごうこと無き真の畏怖に悲鳴を上げた本能が、この場に居てはならないと告げているのに、震える身体は立ち続ける事もままならない。まるで高所で足が竦み、何かに縋りつかずには居られないような感覚にも似ている。


「パシズ!これは、これが……!?」

 身を竦めたティムズが叫ぶ。

 

 パシズもうずくまり、口走る。

 本当は最初から覚えていたのかもしれない。

 ずっと以前に聞いた事があったのかもしれない。

 それが何故自分だけに聞こえていたのかは判らない。

 

 それは、彼が幾度となく聞いたという声の主。


「アルガンリージと、ダリアルベーツ……!!」


 それは、あまねく自然と龍を統べる、 F/IV龍が現れた瞬間だった。

 

―――――――――――――――――――――



 全ての者が、絶対的な気配に震えた。


 暴風と雷鳴と氷雪、黒雲の闇の中から、白銀に輝く二体の龍が浮上し、マリウレーダを挟み込む。それは、たなびく絹のように美しく、長く細い流線形の体長は楊空艇とほぼ同じで、それぞれ深紅と深蒼の眼を持つ双子。


 人々が文明を興すずっと以前から存在し、数多の神話に名を残す正真正銘の、現世に唯一存在する、龍の中の龍。 F/IV級の名を冠し、龍礁、デトラニア、リガーレ・ヴィーヴ。全ての者が目指し、追い求めていたもの。


「………!」

 アダーカの甲板上で軍嵐龍たちに応戦していたアルハとゼェフも、マリウレーダの左右で共に飛ぶ純白の龍の出現で、身動きが取れなくなっていた。


 アルハはどうしようもなく震える自らの身体を抱きながら、どことなくオーケスト・ロアの咆哮を聴いた時と似た感覚に襲われていた。


「……レベルAは、場所じゃないんだ。この龍の存在が周囲を歪めている。その領域こそが……!」



 その畏怖は楊空艇の操舵までもかき乱す。

「このデータは中央断絶線で観測していたものと一致してます!」

「駄目だっ……、一旦離脱する!とにかく出来るだけあの龍から離れるよっ!」

「了解……!」

 畏れに耐え切れなくなった所為でもあり、楊空艇アダーカの操舵を失う恐れもあった。リタエラは手遅れになる前に退避の指示を下す。


 しかし、マリウレーダの周囲で螺旋を描いて巡り飛ぶアルガンリージとダリアルベーツは何をするでもなく、優雅に泳ぎ続けているだけのようでもあった。


「……何しに来たんだ、こいつら……!」

 闇の中を舞う双子の白龍を見上げるティムズは、傍で同じく放心したままのミリィを支えている。彼女は立ち上がる気力も失せていたが、虚ろに見開いた眼だけが、限りなく美しく飛ぶ白龍たちの軌跡を追い続けていた。



――――――――



「……畜生!よりにもよって一番ヤバい奴のお出ましか……!」


 恐怖に駆られたタファールもこの龍から逃れようと、操舵式を操る。

 

 如何に乱れる術式であっても、やはり優れた能力を持つ彼はその制御を一瞬取り戻し、急旋回をかけた。



――――――――――――



「!」

 機体が大きく傾き、甲板を滑り落ちかけたミリィの身体を抱き留めるティムズ。


「あ」ミリィが声を漏らした。


 二人の視線の先で、皆と同様に身動きを封じられていたパシズが体勢を崩し、甲板を転がり落ちると、その身体が柵にぶつかって、機体の側面へ投げ出される。


 一瞬の事だった。


 パシズの身体は、マリウレーダの機体側面後部の、剥き出しになった飛翔機関の中へと落ちて行った。


「ぱ………――――」






――――――――――――――――





 


 まだ、パシズである者は目を開ける。

 いつか見た丘からの景色が広がっていた。

 懐かしい花の香りが、鼻をくすぐる。


 やがて、パシズではなくなる者の目に、涙が溢れた。

「……あ、ああ……あああ……!」


 この花の香りは。

 思い出さない日は一日だって無かった。

 いつか過ごした最良の日の記憶。


 反射的に振り返り、背後に立っていた人物を観る。

 彼女はただ優しく微笑んで、こくりと頷いた。


  

 あと僅かの間、パシズでいられる者も頷いた。

「……俺は……きみが居なくなってから、俺自身を許せなかった。それを誤魔化す様に、多くの龍を殺してきた。だけどきみは、ずっと前から、最初から、そんな俺を赦してくれていたんだな」


 パシズは、パシズである最後の瞬間に、本当の願いがとうに叶っていた事を知る。

 

 辺りが光に包まれ始めて、景色も、彼女の姿も、自分自身も、全てが光の中に溶けてゆく。


 そして、もうパシズではなくなったもの、は、それでも、さいごに、わらって、最愛の妻の、名前を呼んだ。




 マリウレーダの火に呑み込まれ、一瞬で蒸発した肉体は、術式の光粒となって第四龍礁の空に散った。



―――――――――――――――――――――



「ぱ」


「パシズ――――――――っ!!」


 絶叫したミリィがティムズを振り解き、柵の向こうへ消えた師父を追って、木柵に身を乗り出す。しかしもう既にその姿は無く、機関の軌跡に輝く光粒の軌跡だけが跡を引いているだけだった。


「ミリィ!よせ!やめるんだ!!」

 自らも機体の外へ身を投げ出しかねないミリィを、ティムズが背後から羽交い絞めにして甲板の内側へと引き倒す。

「パシズが、パシズがぁっ!」

 尚も取り乱して、ティムズから逃れようとミリィは足掻く。


「放して、放してよっ……!放せえぇッ!!」

「落ち着くんだ、落ち着け……!」


 ティムズ自身、たった今起きたことを信じられず、その事実を拒みたい一心で、自分に言い聞かせるように、震える程の力でミリィを抱き抑えていた。


「やめて、はなして、やめてよ、やめてっ……」

 身体を抑え付けられたミリィは、うわ言を繰り返して声を震わせていたが、やがて全てを諦めたかのように、その全身から力が抜ける。


 機体の揺れが収まり、吹く風も機関音も和らいで、静かになっていった。


 ティムズに解放されたミリィは甲板に横たわり、丸まって、怯えていた。


 脱力して俯くミリィを見下ろしていたティムズは、ふと、未だにアルガンリージとダリアルベーツがその白い身体をくねらせて、マリウレーダの周囲をゆっくりと巡り飛び続けていることに気付く。


 双子の白龍はただ、見届ける為にこの場に現れたのだ。そう思った。


 最初に感じた畏怖はいつしか薄れている。たったいま一人の師父を失った衝撃が拭い去ったからでもあるし、『彼等』に敵意……この龍が宿す概念が、もはや意思という言葉で推し量れるものですらない事を理解したからでもあった。



 呆気なく起きてしまった死に呆然としていると、聞き慣れた声がする。

「操舵が完全に効かなくなった。こいつらの所為か」


 何時の間にかタファールが甲板に現れ、双子の白竜を見上げていた。遂に完全な操舵不能に陥ったブリッジを離れた彼も、その原因の正体を見届けに来たのだ。


 ティムズはただ、彼の顔を見つめ返す。言葉も声も感情も失ってしまったような気がする。先程まで抱いていたはず殺意も溶け、タファールの顔を見ても何の衝動も湧かなかった。


「……お前ら二人だけか?あのおっさんは……」

 無表情のティムズ、横たわるミリィ、そして甲板に目を巡らせながら訝しんだタファールは一旦息を継いで、それからぽつりと呟く。


「……そうか、残念だ」


「……」

 タファールの声に気付いたミリィがぴくりと反応して、ゆっくりと身を起こす。ティムズとは対照的に、その表情には怒りと憎悪が滲んでいった。


「……お前のせいだ。殺してやる。殺してやる。殺してやる」

「ミリィ」

「止めるなイーストオウル。あいつは私がやる あいつのように あいつみたいに」  


「……冷静になれ。やるなら二人で、だ」


 パシズの口癖を引き継ぎ、改めて幻剣を抜き放ったティムズ、そしてミリィは、もう逃げ場も策も残されていないであろうタファールと、それぞれの想いを乗せて対峙する。


 しかしタファールはそれでもまだ薄笑いを浮かべながら、ティムズの傍らで低く構えるミリィの様子を一瞥し、ティムズを鼻で笑った。

「……お前のちゃちい殺意なんかよりよっぽど完成されてる。俺も知らない内に誰を殺ったんだ?教えてくれよミリィ」

「……」


「耳を貸すな」

「寂しいなあ。散々一緒になって馬鹿をやってきた仲じゃないか」


 三名はそれぞれ間合いを計り、じりじりと互いの初手を見定めていた。


 最初に仕掛けたのはティムズ。タファールも紅刃を開いて受ける。

 続けて死角を取ったミリィの一閃。しかし「馬鹿の一つ覚えみたいなありきたりな連携しかできねえよなお前ら!」一息の侮辱と共にタファールは術盾で弾き返す。


「お前らの戦いはずっと見てきた。その甘さもな!」

 体勢が揺らいだミリィに追撃すると見せかけて、身を翻し、ティムズへ横薙ぎ。


「せっかく何度も教えてやろうとしたのに」

 ティムズも術盾で受けて跳ね下がるが、タファールはそのまま距離を詰めて。


「甘い理想だけじゃ生きてけねえってことをさ」

 眼の前で呟く。その背後から斬り掛かろうとしたミリィは、肉薄したティムズを巻き込むことを躊躇い、立ち止まった。


「ほらそうやってすぐ止まる。ティムズごと斬ってしまえば終わってた。パシズ相手にはそうやって勝ったんだろ?」


 そう言うとタファールは、ティムズの腹にを入れた。「ッ……!?」予想外の攻撃と威力にティムズは弾き飛ばされ、甲板を転がり倒れた。


「跳躍術を援用した蹴撃。お前が F/II龍を蹴っ飛ばしたアレだよ。ちゃんと修行しておけばお前もこれくらいは出来ただろうに、勿体なかったよな」


「ぐッ……」

 鳩尾に的確な一撃を貰ってうずくまったティムズを無視して、タファールは不気味な程、滑らかにミリィへと振り返る。


「そしてお前も、ただ身軽で素早いだけ。確かに初見では翻弄される連中ばかりだったろうが、動きを読まれる相手には勝てやしない」

「……っ!」


 言葉もまた刃の一つ。手の内を知るティムズとミリィの二人を相手に饒舌を振るうタファール。それは余裕の表れではなく、あくまでも言葉を武器として駆使して生き抜いてきた彼の『戦い方』を反映するものだった。



 依然周囲を飛翔する F/IV龍が見守り、見届ける夜空のもとで三人は戦い続ける。

 

 吹き荒れていた嵐は止みつつあった。

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