第八節18項「いくさびのほむら」

 龍礁衛護隊グラウンドフォース総隊長、ガートリー=ヘブロイがリノセイル=ファーガーデン以下二名の『密猟者狩り』と出会ってしまったのは、偶然とも必然とも言えない巡り合わせによる。


 アロロ・リガーレの出現に伴い戒厳令が敷かれた第四龍礁において、密猟者の捕縛はもはや優先事項ではなくなった。しかしそれでも、その生命と安全を守ることも龍礁衛護隊グラウンドフォースの責務であり、遭遇した以上は見過ごす訳にも行かなかった。

 


 第四龍礁全域に展開していた各部隊の合流と陣地構築を指揮する為、レベルC東部方面へ馬を進めていたガートリー隊がとある川を渡ろうとした際、上流から人間の真新しい死体が流れてきた。その傷は明らかに人の手によるもの。手勢を率いて上流に向かったガートリーは、そこでリノセイルらの露営を発見したのである。


 しかし彼等は、逆にリノセイルたちに包囲されている事を見抜けなかった。


 一人一人、音もなく倒され。

 ガートリーが異変に気付いた時にはもう、手遅れだった。


――――――

 

 エジノフォンが、最期まで抵抗した男の腕章を剥ぎ取ってせせら笑う。

「これが隊長?やっぱ大した事ないな、龍礁衛護隊グラウンドフォースってのも」


「妙な事を言ってたよね。リガーレなんちゃらとか、強力な邪龍だとか」

 アドニーが短剣についた血を、倒れた男の戦衣で拭きながら言う。


「……面白くなってきた。それほどの龍を討ち取れば、如何なる素材が手に入るのか……さぞ強力な武具に流用出来るだろう」

 顔に返り血を浴びたリノセイルが言葉とは裏腹の、全くの無表情で呟いた。


「あーあ、旦那の好奇心に火がついちゃったよお……」

 数年来の付き合い。彼の性格はようく知っている。

 ぼやいてみせたアドニーもまた可笑しそうに顔を綻ばさせていた。


――――――――――――――――――


 

 アロロ・ヤオナとアロロ・ファナトの襲撃によって航行装置の殆どを破壊された楊空艇マリウレーはが万死一生の末に、第四龍礁本部への帰還を果たす。


 離発着場に滑りこむ形で着陸するなり、大勢の龍礁局員たちが大慌てでわっと群がり、煙を上げる機体の応急処置を始めた。

 バケツで水を駆けたり、火花が散っている部品を取り外したり。

 放っておくと爆発する可能性もある。というか以前、実際に爆発事故もあった。


「……技士長!」


 楊空艇の昇降階段が降り切るのも待たずに飛び降りたレッタが、腕を組んで待ち構えていた楊空艇技士団の長へ駆け寄る。

 髭面、角刈り、技士エプロン姿の壮年の技士長は、ほぼ全ての外殻装甲をずたずたに破断された楊空艇の姿と、憔悴しているレッタを見比べて笑った。


「今までで一番酷いやられっぷりだな。ええ?話は聞いているぞ。アロロ・リガーレとやらと、その手下どもが――」

「ゆっくり話をしている時間はありません。すぐに技士団の皆を集めてください」

「焦るのは判るが、これを修復するにはいくら人手があってもだな……」

「お願いしますっ……!皆の助けが、要るんです!」


 我儘で気難しく、理屈屋で合理性の塊。唯我独尊を押し通し、本来の所属である技士団の中で浮いて疎まれ、同僚たちとの交流を避けがちだったレッタの助けを求める真剣で切実な表情は、彼女が初めて第四龍礁を訪れたその日から知る壮年の技士長が、初めて目にした心からの訴えだった。



――――――――――――



「ビアード!戻ったか。無事……ではないが、とりあえずは良かった」

「!キブ。これからイアレース管理官の元に向かう」

「判っている。私も同行しよう」


 ピアスンはロビーで待ち構えていた副局長キブ=デユーズと合流し、上階の執務室へ向かいながら、伝信では伝えきれなかったお互いの詳細を交わし合う。


 南方港湾基地も巨大なアロロ・リガーレの襲撃を受けたが、楊空艇ラムタリュト隊が退けた様だ。ただ現在も海側からのアロロ・ファナトの襲撃が続いていて、釘付けにされており、そしてアダーカ隊は現在アロロ・セノンを追っている――。



「――その援護の為に龍礁衛護隊グラウンドフォースが各地で陣地を構築中……だったのだが」

「何があった?」言い淀んだキブを、訝しむピアスン。


 キブは少し口籠りつつ答える。

「……幾つかの隊が行方不明になっている。その上、ガートリー隊長が『密猟者狩り』に、殺害された」


「……何だと」ピアスンの足が止まった。


「移動中に偶然遭遇したらしい。同行していた学術部の者がなんとか逃げ出して、部隊の元に辿り着いたのだが……手傷が深く、彼も亡くなってしまった」

「……その者の名は」

「オルテッド=レンディレター」


「……………」

 握り締めた拳が、激怒の余りに震え。

「……この様な状況下で、更に愚か者どもを相手にしなければならないのか!!」


 凄烈な咆哮が、二人の他に誰も居ない長廊下に轟き。

 キブは、激昂を鎮めようと深く息づくピアスンを静かに諫めた。


「……ビアード。行こう。怒りでは何も解決せんぞ。お前の悪い癖だ。昔の様にまた部下を失いたくないなら、気をしっかり保て」

 


 この時点で戦線の全体像を、朧げにでも理解出来ている者は誰一人として居ない。あらゆる目的を秘めた者たちが、あらゆる目標を目指して、第四龍礁の地を駆け巡っている。そしてそれは、第四龍礁の外に広がる世界アラウスベリアにおいても同様だった。



 ピアスンとキブが執務室を訪れると、無精髭をそのままにして死人の様に青褪めたジャフレアム=イアレースが、机の上の黒封筒を呆然と見つめて座っていた。


 その切れ長の深緑の瞳が微かに動き、ピアスンたちの姿を認めると。

 まるで悪夢にうなされる子供の様に怯えながら、掠れた声を上げた。


「……第三龍礁が、デトラニアに、滅ぼされた」


―――――――――――――――


 

 錯綜する情報と情勢を収拾する為に会議室に集められた、全ての部署の幹部級の局員たちは、駄目押しとばかりにもたらされた狂報に震撼した。


 

 ――デトラニア共和国、遂に動く。


 それはアラウスベリア大陸の北部、山岳地帯に位置する第三龍礁へ共和国の軍勢が侵攻し、その地に生きる龍族を殲滅した、との報だった。


 同国は同時にリドリア条約の完全破棄、及びアラウスベリア龍礁管理局が関わる全ての龍族素材の占有を宣言。これを受けて周辺の各国も相次いで挙兵、戦時体制への移行が続いている。


 そして第四龍礁にも当事国の省庁から出向している者が大勢おり、自国からの帰還要請がそれぞれの元に続々と届いていた。



「――第三龍礁はデトラニアから数か国を隔てた遠地に在るんだぞ。多くはないとは言えF/III級の龍や、それを守る守備隊も常駐している。周辺の国々が、それらを討ち滅ぼす程の戦力を素通りさせたとは考えにくい……」


 会議室は紛糾していた。その動向を注視していたはずの各国の警戒を掻い潜り、更には第三龍礁を瞬く間に蹂躙したという共和国の侵攻の詳細な経緯はおろか、その動機や目的も計り知れず。


 そして第三龍礁にも一基の楊空艇と、それを駆る龍礁監視隊レンジャーを含む守備隊が組織されている。例え大国の正規軍であろうとも、対空能力を持たない地上戦力に対してはほぼ無敵、数千の兵をも駆逐する事すら可能な楊空艇を擁する防衛戦力を破る事は容易ではないはずだった。



「……連中、楊空艇を独力で復活させたんじゃないですかね」

 会議室の隅で壁に寄りかかり、成り行きを見守っていたタファールが徐に声を上げ、それらを全て紐づける。


「……まさか!」

 どよめく一同。楊空艇の稼働には高位の龍族の生体素材が不可欠のはず――。


 タファールは口元に拳を押し付け、真剣な眼差しで会議室の面々に目を走らせた。


「不可能な話じゃない。通常の素材でも時間さえ掛ければ」

「これまでの動きが鈍かったのは、楊空艇の稼働に必要な霊基素材の集積を待っていたから……」

 独り言の様にぶつぶつと呟き続ける。


「……それなら辻褄が合う。何もかも。あの国は三百年前に使われた楊空艇の生き残りを何基も保持していた。兵員輸送に使えば頭越しの行軍が可能だし、迅速。複数あればF/IIIクラスだって容易に仕留められる」

「そしてそれがアロロたちの活性化を誘発したんだ。だからこのタイミングだった。龍脈に溢れた龍たちの断末魔に呼応して、アロロ・リガーレも動き出した」

「龍達から得た素材と『燃料』で楊空艇を更に増産するつもりなのかもしれない。そうすればアラウスベリア全土を一気に掌握できる」


「…………」

 無言の静寂しじまが満ちる。会議室の誰もが、言を持たなかった。各国が実際に動き出している以上、その真偽を疑う余地はない。しかし今更その事実を解き明かしたとてどうなる?遠国の動乱を止める手立てなど無いし、たった今第四龍礁が直面している事態を何一つ、解決する糸口になるものでもない。


 

「……その問題は、今の私たちが遂げるべき事を遂げた時に考えましょう」


 静寂を破ったのは、一番奥のテーブルで俯いていたハイネ=ゲリング。今にも泣きだしそうな顔で、彼女は、第四龍礁の局員たちを見回した。


「展開中の全部隊へ撤退命令を下します。速やかに戦線から離脱、本部の防衛に全戦力を集中させ、守りを固めるのです」


「……!」

 同じテーブルの隅に座っていたジャフレアムが顔を上げる。

「いけない。ここで追撃を緩めては更に事態は悪化する!如何なる犠牲を払ってでも、アロロ・リガーレは阻止しなければ!」


「私はもう、皆が死んでいくのに耐えられない。ごめんなさい、ジャフちゃん。密猟者を追う事ばかりに囚われていた私のせい。あなたの言うことは正しい。だけど私には、もう無理」

「苦しいのは判る。だがここで引き下がっては全てが無駄になるんだ、ハイネ!!」


 ジャフレアムが絶叫し、また会議室は静まり返った。


 真相の一端がマリウレーダ隊からアダーカ隊、そして第四龍礁本部へと伝えられた今、この場に居る全員がアロロ・リガーレの正体と危険性を認識している。


「…………」


 今在る命を守るのか、或いは命を賭して邪龍の化身の再臨を挫くのか。その選択は局長であるハイネに委ねられ、そして決せられる。


 撤退は、命じられた。



――――――――――――


 

 会議が一時解散し、談話室に戻って来たピアスン、タファール、ジャフレアムの三名は、マリウレーダ隊の今後の方策を求めて話し合いを続けていた。パシズたちの安否は勿論のこと、アロロ・リガーレへの対抗策も一から組み立て直さなければならない。


「……確かに苦しい状況だが、それだけに少し休んだ方がいいのではないか」

 ふと、ジャフレアムの髭面に目を留めたピアスンの口調が僅かに震える。元々が細身の優男の無精髭は、余計にやつれて見えるだけ……と言うよりも単純に似合ってない、と髭の先輩であるピアスンは思ったのだ。


「平気だ。そういう貴方こそ休息が必要だろう。だがそれも先ずは、成すべき事を定めてから……」

 その目線に気付いたジャフレアムは苦笑で返した。



「ふあぁ……やべぇ、やっぱりこのソファは落ち着く……」

 中央の長テーブルを挟むソファの、眠気を誘う抜群の柔らかさに身を沈めたタファールは大欠伸をするが、すぐに真面目な顔を取り繕った。


 ジャフレアムも前屈の、祈る様な恰好で暫く黙り込んでいたが、やがて静かに口を開く。

「……デトラニアの件だが、あながち無関係とも言えない」


「例の内通者は出入りの馬車乗り、ペンス=ザネリだ。外部の委託業者故に、正名を用いた偽証判定を受けておらず、ネウスペジーと第四龍礁を自由に行き来する者の中で条件に合致したのは彼だけ……そして彼の出身も、デトラニア」

「このような形で繋がるとは思わなかったが、恐らく、第四龍礁から盗んでいたのは対龍戦闘や楊空艇に関する知識や情報データだったのだろう。それを元に、デトラニアは龍礁侵攻を画策し、実行に移した……」


 そう言うとジャフレアムは額を抑えて、暫く黙り込む。大国の深謀遠慮に踊らされていた事実はもう覆せないし、立ち向かう相手は別にいる。

「……ともかく現在、裏付けの為にエフェルト=ハインをネウスペジーへ送り込んである。この件については彼が証拠を掴んだ後で対応しよう」


「……へえ。随分と思い切った手を使ったんだな」

 眠そうに目を細めていたタファールが目を丸くする。


「内々に進めるつもりだったが、もうそうも言っていられない……そう言えばタファール、お前もデトラニアの学府に通っていたんだったな。彼の国の情勢について知っている事があれば――」

「たった二年だけどな。俺が知ってる限りの事は全て話すよ。でも今はそれどころじゃないだろ」

「……ああ、楊空艇無しでアロロ・リガーレを追う……いや、その前にパシズ達を救出する手段を……」


 ジャフレアムはまた塞ぎ込む。彼自身、そんな夢の様な手が考え付くとはとても思えなかった。奇跡でも起きない限り――。

 

 ピアスンが、思索に入ろうとした若き管理官の苦悩を遮る。

「――いいや、マリウレーダは出撃す」「……!」


 ジャフレアムはばらついた前髪の奥から覗く深緑の瞳を鋭く、船長へと向けた。

「……それは許さない。あの損傷でまともに戦えるとでも?」


「傷ついたのは人造の駆動部品のみ。操舵術式を機体基部、及び機関の制御に集中し、本来の飛翔能力を解放する」


「本来、人には御する事の出来ない力だからこそ、補助装置と術式で制限しているんだ。それは貴方が一番よく理解しているはず!」


「我々になら出来る。そう信じているし、そうしなければならない」

「……パシズたちの事が気掛かりなのは私も一緒だ。しかし」


 冷静に、決然と応えたピアスンは突然立ち上がり、ポケットに手を突っ込むや否や、二つの賽子ダイスをテーブルに放り転がした。


「……出目は一・一。ピンゾロの丁。吉兆だ。運命が『やれ』と言っている」


 ピアスンの穏やかな結言と同時に。

 ばあん!と談話室の扉が弾み、汗と油にまみれたレッタが飛び込んで来て、窓がびりびりと震える程の大音声だいおんじょうを轟かせた。


「船長、いけます!!皆がやってくれました!!」


 レッタの要請を受けた楊空艇技士団が総力を挙げて、破損した駆動装置を『取っ払い』、最低限の航行装置だけで飛べるようにほぼ全て術式を機体基部の制御に直結する作業を完遂していた。


 最早まともな修復は不可能、そんな時間も無いと判断したピアスンたちは、本来は『龍』の化身である楊空艇の本当の飛翔能力を――例えそれがどんなに難しくあろうとも――三人掛かりの操舵で操り、この状況を打破せんとする事を、決意していたのだった。


 レッタの乱入で呆然とするジャフレアム。

 タファールは『最高のタイミング』が可笑しくて堪らずにやついている。


 だが、それは局長命令に背く事になる。

 しかし、ピアスンはにやりとして言い放った。


「ゲリング局長が下したのは、あくまでも『現時点で展開している部隊』への撤収命令だ。我々が飛び出したところでなんら問題はあるまい」


――――――――――――



 各種航行装置の殆どを取り除き、最低限の補強装備だけを纏った楊空艇マリウレーダのシルエットは、元になった飛龍の似姿。剥き出しになった機体基部と主機関からは仄かな術式光を帯び、まるでマリウレーダ自身が、飛翔への意思を滾らせているようにも見えた。


「流石に丸裸で戦地に放り出す訳にもいかないからな。ただ外殻装甲版の予備はもうこれだけしかなかった。すまん」

「これで充分だ。有難う、ブラウト」



 エプロン姿の技士長に礼を告げ、マリウレーダの操舵室に乗り込んだピアスンは、ブリッジ全体に広がり、並の人間の目では捉えきれない程に高速且つ複雑に蠢く術式を手繰っていた部下二人に、静かに告げる。


「ジャフレアムにはああ言ったものの、命令違反ゆえに援護は一切無い。先ずはパシズたちを見つけ出して救出し、アロロ・リガーレを追って、斃す。具体的な方策はその都度考える。それで良いな?」


「はい」「ええ」操舵式を操る二人が言葉少なに答え。

「では、発進」ピアスンも自らの手元に広がる式に目を落とした。



 船長席の前にも膨大な操舵術式が開き、原性の飛翔光を展開した楊空艇マリウレーダは、再び戦線へ向けて飛び立つ。


――――――――――――


「……マリウレーダ!?」

「なんの冗談だ。あんな無防備な状態で」


「局長、あれは……」

「……良いんです。彼等はきっと、私たちに……いえ、第四龍礁この地に生きる者たち全てにとって必要なことを成す為に、往くのですから」


 その飛翔の後ろ姿を、防衛戦の準備を進める第四龍礁の局員たちは驚きつつも、一縷の僅かな希望を賭けて、見送った。

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