第八節17項「帰還」
黒い軌跡は即ちアロロ・リガーレへと至る道。
先行しているミリィの跳躍術の痕跡を探るまでもなく、ティムズとパシズは緑が霞む程の速度で、死が横たわる道を疾走する。
「間も無く峡谷地帯に入る!絶対に谷を下らせるな!」
パシズが叫ぶが、前方を駆けるティムズからの返事がない。その戦衣は赤く滲み、溢れた血が跳躍の跡に点々と散っていた。
「……待て!お前、傷が開いているんじゃないのか」
「平気です!!」
立ち止まって治療する数十秒すら惜しい。駆け続けるティムズは背中で応え、更に加速しようと全身に力を込める。
が。
『――ロロロァロロロロッ!』「!?」「!」
刺すような冬風が吹きすさぶ音の狭間に、嫌でも聞き慣れてしまった咆哮が響き、もう見たくもなかった複数の影が、流れる樹々の向こう側から挟み込む様に飛び迫ってきていた。
「……まだこんなに隠れてやがったのか!」
周囲の影に目を走らせたティムズは、此の期に及んでまた現れた仇敵への嫌悪と、胸の激痛に表情を歪め。
「いいや微妙に形態が違う。こいつらは新種だ!」
目探ったパシズはその体躯と体色が、見知った龍とは異なるものだと悟った。
「何で今になって!」「知るかッ!」
しかし、ロロ・アロロの生き残りたちはティムズとパシズの存在にそれ程興味を示してない様子で、二人と同じ方角に向かって飛んでいる。
アロロ・リガーレの出現に呼応した『リガーレに成れなかった』ロロ・アロロの生き残りたちは、自ら進んでアロロ・リガーレに喰われる為の存在に成り果てていた。
それは邪龍の一部になる事を至上の喜びとする『狂信者』アロロ・ファナト。
崇拝する祖龍の復活を目指す彼等は、光に惹き付けられる羽虫の如く、アロロ・リガーレへと吸い寄せられていく。
だが、その内の何体かがティムズの血の臭いを嗅ぎ付け。本来持つもう一つの衝動を抑えきれずに身を翻すと、次々とティムズへ襲い掛かって来た。
「……ティム――」
「判ってます!足は止めない。このまま突破する!!」
呼びかけたパシズの意図と意思を完全に引き継いで叫んだティムズは、あらゆる方向から急襲を仕掛けるアロロ・ファナトの輪の中を、迷い無く駆け抜けて。
それぞれが術弩を抜き放ち、接近してくる者だけを迎撃しつつ、二人は前へ前へとひたすら突き進んで行った。
―――――――――――――
そんなミリィを歯牙にも掛けず、まるで無視して走駆しているように見えたアロロ・リガーレの複眼の一つがぐりぐりと動き、側面で跳ね駆けつつアロロ・ファナトを斬り伏せたミリィへ視線が止まり。
口角を吊り上げ、また笑う。
「……ッ!!」
胴体から非対称に生えている多脚をざわめかせ、更に加速するアロロ・リガーレ。
谷はもう目と鼻の先だ。その多脚を用いれば斜面に茂る
――間に合わない……!
後方からティムズとパシズが追ってきていることは確信している。彼等の為にも、あと二十秒。いや十秒だけでもなんとかこの場に留めたい――。
しかし今のミリィにそれを可能とする手段は無かった。そしてその数舜の思索が、突如方向転換をして、こちらに迫ってきている巨体への反応を鈍らせてしまった。
「!しまっ……」
ミリィは跳ね逃れようとするが、アロロ・リガーレの腹から素早く伸びた『人の腕』に後髪を掴まれてバランスを崩し、更に腕、足と絡み取られ。「……ッ!」歪な黒体から発せられる瘴気と術式が、触れた箇所を焼く様に
そして遂に岸際に辿り着いたアロロ・リガーレは足掻くミリィの身体を捕えたまま全速力で、岸壁を埋め尽くす『縦の森』へ飛び込んだ。
縦樹を蹴散らし、谷底へと真っ逆さまに駆け落ちて行く。
「でやぁあぁッ!」
宙吊りの恰好にされたミリィは雄叫びを上げ、全力で展開した幻剣で脚を掴んでいた人椀を断ち斬ると、自由になった身体を捩って姿勢を立て直しかけるも。然しそれは間に合わず。
次々と迫る樹々の幹や枝に強かに身体を打ち、枝葉にまみれながら。
垂直の森を全速で駆け降りてゆく邪龍の後を追うように、霧に閉ざされた峡谷の奥底へと転がり落ちていった。
―――――――――――――
時を同じくして、飛翔型の複翼アロロ・リガーレと壮絶な格闘戦にもつれ込んでいた楊空艇マリウレーダも、地上から黒い火の粉の様に舞い昇ってきたアロロ・ファナトの参戦に苦しめられていた。
「キリがねえ!せめてティムズの馬鹿一人でも残していればまだ足しになったってのに!」
火器管制を手操るタファールが渾身の愚痴を放つ。
小型のアロロ・ファナトの波状攻撃に圧され、動きが鈍ったところにアロロ・リガーレが食らい付いてくる。その度に
件の『術音』を攻撃手段として転用した響撃術は、音に敏感なアロロ系にはかなりの効果があった。術式光によって可視化された音の輪が撃ち広がると、群がるアロロ・ファナトが音の壁に打たれたように弾き飛ばされる。
だがそれも致命的な打撃は与えられず。数多の
何度目かの攻防で、至近距離で炸裂した光術砲が歪な翼の一枚を打ち破った。会心の一撃を受けたアロロ・リガーレはよろめいて高度を落としながらも、追撃から逃れようと背を向ける。
これを機と見たピアスンが叫ぶ。
「雑魚に構うなッ!!アロロ・リガーレへ全門集中!」
狙うは邪龍の化身のみ。
だが、アロロ・ファナトの群れが示し合わせたように一斉にその間に割り込んだ。
光術砲の光筋は彼等に阻まれ、そして、アロロ・リガーレは周囲を守護する様に飛ぶアロロ・ファナトを次々と喰らいだした。失われた翼の基部から術式光が立ち上がると、見る間の内に再構成がなされていく。
「護衛兼食糧ってこと?ほんっと趣味の悪い龍ね……!」
その様子を横目で睨んだレッタが吐き捨てた。
「レッタ、これを見ろ!様子がおかしい――」
タファールが、アロロ・リガーレの出現で歪んだ龍脈の観測を続けていた索龍機構の中に、また新たな変化の兆候を捉えていた。
しかしそれは何処かで見た事のあるパターン。
『補給』を終えた複翼アロロ・リガーレの翼が嫌な音を立てながら変形し、まるでマリウレーダと同じ可変翼の形状になる。折り重なった翼からは膨大な術式光が迸り、翼よりも遥かに巨大な飛翔術式が展開した。
そして、バギン!!という途轍もない術式音と、空気の壁を破る衝撃波。黒い飛翔跡を残し、複翼アロロ・リガーレは音の壁を破り、遥か彼方へと飛び去った。
「音速!?あれは……」
「……
「……………」
「……逃げられた……!!」
クルー達は、アロロ・リガーレが既にF/III龍を餌食にしていたことを知り、そして、成す術なく、呆気なく。取り逃がしてしまった事に、呆然とした。
それは、次なる犠牲を避けられないという事実が確定した瞬間だった。
―――――――――――――――――
「ミリィ!!何処だ!?」
崖際ぎりぎりにまで生い茂る樹々の中で、ティムズはアロロ・リガーレを追っていた筈の仲間の名を叫ぶが、返ってくるのは梢のざわめきだけ。
「アロロ・リガーレの走行痕はここで途切れている。谷底へと下っていったのだろう……恐らく、ミリィも」
動揺したパシズは僅かに声を震わせている。
「……手遅れだった」
「何言ってんだ!俺達も降りよう、まだ間に合う――」
諦めを
「――ちくしょう……!」身構えた。
そしてこの
――――――――――――
それは谷底へと落ちたミリィも同様だった。
「う、わっ……!」
崖の途中で途切れた縦樹の森から飛び出したミリィは空中に放り出されたも同然で。何度も宙を蹴り、濃い霧の中に紫の光を瞬かせながら、なんとか谷底に広がる河原へと着地する。
その上から、アロロ・リガーレによって薙ぎ倒された樹々と、それを掻い潜って飛ぶ複数アロロ・ファナトが雨あられと降り注いできた。
「………!……ッ!」
心中でかなりの悪態をついて、ミリィがその場から跳ね逃れる。縦樹の頑強な幹が次々と石の河原に突き刺さる間を必死で駆け抜け、姿を眩ませたアロロ・リガーレの行方を探るどころではなかった。
森の雨から逃れて一安心……でもない。谷底を満たす霧はまさに白い闇。その中から突如襲い来るロロ・ファナトの散発的な襲撃に、ミリィは一瞬たりとも警戒を緩められず。
微かな谷川のせせらぎと、白一色の世界。墨を滲ませたように浮かび上がる黒影が迫る度に、ミリィは幻剣を以て迎え撃った。周囲をどれ程の数に囲まれているのか見当もつかないが、ただ、根城に転がり込んできた獲物を虎視眈々と狙う者たちの気配の数が、刻一刻と増しているのは確かだった。
――救出も援護も期待できない。落下のダメージを最小限に抑えようとしてかなり消耗した。全方向からの攻撃に晒され続けるのはまずい。この場から地上に戻るのは、無理。とにかく視界を確保できる場所まで――!
即断したミリィは、白闇を抜ける為に走り出した。
――――――――――――――――
アロロ・ファナトの追撃を振り切り、少し開けた草地に飛び込んだティムズとパシズは、とりあえずの窮地を脱した事を確かめる。
「大丈夫か?」
「……そう言いたいところだけど、流石に、キツいです」
「ひとまず、ここで手当をしよう」
身体中に傷を負い、顔面蒼白のティムズへ落ち着いた声を掛けるパシズもかなりの負傷を受け、顔には脂汗が浮かんでいた。肩を落として息を荒げるティムズは横目を投げ、息も絶え絶えに言葉を振り絞る。
「……ミリィを、助けなきゃ」
「……………」
パシズは苦しそうに目を瞑り、思索を巡らせているようだった。
パチッ―—。
『パシズ。聴こえるか?応答しろ』
「ビアード!?すまない、こちらはヤツを見失ってしまった!」
開いた伝信術からのピアスンの声に即応する。
『そうか。こちらも逃げられた。被害は甚大、悪いがお前達を回収する余裕はない。我々はこのまま本部へ帰投する』
「……待ってください!ミリィが行方不明なんだ、そっちで
ぱっと顔を上げたティムズが割り込んで叫ぶ。しかしピアスンからは至極冷静な、冷たいとも言える返答が。
『それは不可能だ。アロロ・リガーレの出現であらゆる術式に歪みが生じている。楊空艇の死守が今の最優先事項だ。そちらは自己判断で対応しろ』
しかし一言、歯を食いしばっているかの様な声で付け加えた。
『アダーカ隊との通信圏に入ったら救援を要請する。それまで凌いでくれ……』
「船長!駄目です。合流が先だ!また個別に襲われたら今度こそやられます!!」
『――――――』
尚もティムズは叫ぶが、伝信は
「船長!?船長!レッタ?タファール!!……馬鹿野郎、そんな悠長なことを言ってる場合じゃねえだろ!!」
「ティムズ」
肩に、パシズの手が置かれた。
「落ち着け。こんな場合だからこそ次にやるべき事へ意識を切り替えなけば」
「けど、パシズ……!」
「これより我々も徒歩で本部への帰還を目指す……勿論、ミリィを捜索しながらな」
睨み返したティムズを宥めつつ、冷静そのものの態度で語る。
「そしてミリィも同じく本部へ戻ろうとするはずだ。こうやって連絡が途絶した状況を想定した教えも叩き込んである」
「あいつは強い。独りでも切り抜けられる。お前も身に染みているだろう」
「…………」
その口調は普段通りに静か。しかし、ティムズの肩を掴む左手は微かに震え、力が籠もっていて。それが、頭に血が昇っていたティムズを鎮めた。
「……了解。でもここからじゃ二日は掛かりますよ。万が一の為に跳躍術は温存しなきゃいけないでしょう」
「そうだな」
「それに、野営用の装備なんて一つも持って来てない」
「短剣が一本あればなんとでもなるさ。訓練を忘れたのか?」
「……忘れたくなるほどキツかったんですよ、アレ」
ティムズは思わず苦笑した。短剣一本で野山に放り出されて数日を生き延びるという訓練の、過酷な思い出が蘇ってきたのだ。
しかしそれも、今はまた現実に。
アロロ・リガーレの出現によって状況が激変しつつある第四龍礁の中央真っ只中で、孤立した
―――――――――――――――
――結論を先に述べる。
第四龍礁の各地で次々と目覚めたアロロ・リガーレの総数は七体。
うち二体は既に討伐。そして二体が『共喰い』で一つとなり、残りは四体。
マリウレーダ、アダーカの両楊空艇隊が邂逅したモノ以外にも、
誤認を防ぐために個体識別名が名付けれる事となったが、最初に遭遇したマリウレーダ隊隊長、ビアード=ピアスンの「あの様な忌まわしき者どもに名を付ける必要など、ない」という発言を受け、結局、部隊の識別等に用いられている汎用のフォネティックコードを、末尾からそのまま割り振る事となった。
ジーズ(Z)、ヤオナ(Y)、セノン(X)、ウィロス(W)。
これが現時点で第四龍礁が追い討つべき、アロロ・リガーレの全てである。
リガーレ・ジーズ。
マリウレーダ隊が遭遇し、追跡を試みた多腕多脚の獣蟲型。
飛翔能力こそ有していないものの、多脚を駆使して恐るべき速度で地を駆けるこの龍は多くの密猟者、
リガーレ・ヤオナ。
同じくマリウレーダ隊を襲った複翼の高速飛翔型。
孔雀龍を始めとした二項
リガーレ・セノン。
帰還中のアダーカ隊が目撃したという、地上近接格闘に特化した人獣型の龍。
F/III賢狒龍、ヤヌメットを餌食にしたと思われるこの龍は人獣型の体躯を形成し、その戦闘様式もヤヌメットをほぼ踏襲したものとなっている。二体のヤヌメットと交戦していたが、楊空艇の接近を察知して逃走し、その後の経過と所在は現在不明のまま。アダーカ隊が目下捜索中。
そして、リガーレ・ウィロス。
"第四種"。『主な活動領域が、陸水空、どの領域にも属さないもの』
恐らくは龍脈を利用した空間移動能力を有するものと見られる。
物理的な距離や制約に囚われることなく、『自在に龍脈を潜り』あらゆる場所に突如として浮上する、最も警戒を必要とする龍。
神出鬼没を体現するこの龍は捕捉どころか、まともにその姿を目にした者すらいない。だが、確実に存在し、人知れず人や龍を餌食にし続けている。
アロロ・リガーレ同士もお互いを狙い合っている。
そして勝ち抜いて生き延びた者が、レベルA深奥部を目指して F/IV龍を喰らう。
それを阻止するべく、ヒトとりゅうも、第四龍礁の全域に展開する。
この戦いは、後に龍礁事変と呼ばれる一連の戦乱へ至る、一つの契機だった。
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