第八節16項「Carne Vale」

 マリウレーダ隊は正体不明の反応の捕捉に全力を傾けていた。且つてない程に歪んでいる索龍機構レーダーはもはや当てにならず、発見には龍礁監視隊員レンジャーたちの直感だけが頼りかと思われたが、出現の兆しは誰の目にも明らかな形で現れた。


 低速で飛翔を続ける楊空艇マリウレーダの遥か前方で、森が爆発した。森そのものが膨れ上がった様に、噴き上がった樹々と土砂が周辺の森へと降り注いでいく。


 そして聞き覚えのある、しかし明らかな変容を遂げたロロ・アロロの濁った咆哮が轟いた。


「……戦ってる……ロロ・アロロ同士が」

「…………!」

 監視小窓から森の破裂を見たミリィが呟き、ティムズはただ、まき散らされる緑と茶の噴水を睨みつけていた。


「行くぞ。総員、交戦備え」

 

 先日の墜落でダメージを負った機体での戦闘には懸念が残っている。しかしこの機を見逃す訳にはいかない。ピアスンが言葉少なに指示を下し、マリウレーダは降りしきる葉枝の雨を潜り抜けて爆心地の上空へと進み出ると、地上で蠢く巨大な影を捉える。


 それは一体のものではなく、通常の個体とは全く形態の異なるロロ・アロロが、もう一体の同族を喰らっている最中の姿だった。先程の爆発は勝敗を決した瞬間だったのだろう。敗者の身体にかぶりつく勝者の口元からは涎の様に黒い光が溢れ出し、牙のような術式を形作っていた。



「……共喰いか」

「……!」「あれは……」

 眼下の凄惨な光景に顔をしかめたパシズが苦々しく呟き、ティムズとミリィも息を呑む。


 それは対龍槍の穂と同種の黒い術式光ひかりで形成された術牙。肉体を噛み千切り、噛み砕き。術式へと分解して吸収する捕食形態。


 その対象は有機物、無機物を問わない。襲われた密猟者たちが遺留品すら残せなかったのは、この龍が取り戻した本来の捕食のすべの餌食となっていたからだった。


 喰らい合い、生き残った者が本来の邪龍へ成りゆく道を辿る。その為の儀式。式典。言うなればそれは、ロロ・アロロたちによる屍龍の祭りカーネ・ベール


 既に獲物の半身を平らげたアロロ・リガーレの姿は、もはや龍とは呼べない異形の怪物けものと化している。ただれた表皮はそのままに、体長十数エルタ程の蟻と獣を混ぜた様な体躯に複数の腕、複数の脚、複数の眼。ロロ・アロロの最大の特徴である蝙蝠の様な翼も腕の様に変形しており、抑え付けた獲物を貪るのに夢中で、頭上を旋回している楊空艇マリウレーダにも気付いていない。


 クルー達が言葉を失っている間にも、その肉体は蠕動しながら膨れ上がり、新たな形態と特性を獲得しつつあった。捕食する全てを再構成した歪な姿が、更に生物としての法則やバランスを棄てたものへと変貌していく――


「――……!何を呆けている!砲撃だ!!」

 はっとしたピアスンの鋭い檄が飛ぶ。

「あれ以上の変異を起こす前に斃す!ここで逃せばまたF/III級の龍を喰らい、更に強力になっていくぞ!」


「……了解、光術砲展開!」「砲撃待機、目標座標算出!」

 我に返ったレッタが応答するが。

「……いや、もうちょっと様子を見ましょうよ。どういう風に進化するのか見届ければ貴重なデータを回収できる」

 タファールは、見開いた黒眼を爛々と輝かせていた。


「何を言っているの!早くしろッ!!」

「……判った。砲撃待機、目標座標算出!」

 しかしレッタの怒号を受けて、光術砲の射撃用意に入る。


 それを察知したアロロ・リガーレは空を見上げ、まるで醜悪に笑うかの様に裂けた口を全開にし、凶兆を孕んだ咆哮を上げた。


『ァア゛ロ゛ロ゛ロ゛ロ゛ロ゛ロロロロッ―—』


「――以前はまだ愛嬌のある鳴き声だったのに、すっかり立派になっちゃってまあ……!」

「砲撃開始ッ!!」

 耳を塞ぎたくなる程のいびつな凶鳴を撥ねつけようとするタファールの苦し紛れの皮肉は、ピアスンの叫びと光術砲の音に掻き消された。


 ガラスと金属版が同時に貫かれた様な響きと共に、直下のアロロ・リガーレへ次々と光筋が落ち、爆柱が立ち昇る。捕食変態の途中にあったアロロ・リガーレの身体や術式はまだ不安定だったようで、身を護る体表結界の構築は間に合わず。


 斉射される光術砲が着弾した身体中のあらゆる部位が弾け飛び、数本の腕と脚が吹き飛んでゆく。

 だが、アロロ・リガーレはどこか恍惚とした様子で、光の雨を浴び続けていた。


「なんだよその表情は。バケモノな上にド変態かっ……!」

 見下ろすティムズが口走ったのはそれ以上ない適切な表現。苦痛すらも糧とするアロロ・リガーレの『表情かお』は、全ての者の怖気と嫌悪を掻き立てるものだった。


 しかし飽和射撃は確かな打撃も与えていたようだ。アロロ・リガーレは悶えて苦しむような咆哮を上げたかと思うと、その波打つ巨躯を翻して多脚を駆り、森の中へ逃げ込もうと走り出した。


のがすな!」「逃すかッ……!」「がすか!!」

 複数名が同じ怒号を同時に放ち、楊空艇マリウレーダはは産声を上げたばかりのF/III屍祭龍、アロロ・リガーレを追い始めた。



 ――――――――――――


 朝日にさざめく森の海、樹々を薙ぎ倒しながら疾駆するアロロ・リガーレの多脚機動は異様なまでに速く、傷付いて本来の最高速度を発揮出来ずにいるマリウレーダを凌ぐ程だった。


 アロロ・リガーレが走駆した跡には黒い軌跡が引かれている。身体から滲み出る瘴気と破滅の術式が樹々を腐り枯らせていた。マリウレーダはなんとか斜め後方から追随するが、このままでは遅かれ早かれ引き離されてしまうだろう。



「……不整地をあの速度で走れるなんて。頑張りなさいよねあんたも……!」

 操舵式を操り、マリウレーダに鞭打つレッタ。一方でタファールは冷静に彼我の速度差を分析していた。

「船長。いつもならともかく今のマリウレーダでは追い付けませんよ。それに……」


 高速航行中では光術砲の威力は激減するし、移動中の標的への精度は見込めない。そして彼等が向かう先には、レベルBを縦断する大峡谷地帯が広がっている。

 

「峡谷地帯に逃げ込もうってハラですよこいつは」

「……そうなると楊空艇では追えなくなる。見失う前に追跡用の手投矢トラッキングダートを撃ち込もう。せめて追跡が可能な状態を維持しなければ」

 

 戦況を量っていたパシズの呟きにレッタが反応した。


「あれは F/ II以下の調査用よ。F/IIIクラスの体表結界は通せない――」

「体表結界が不完全な今ならまだ可能なはずだ。やるしかない」

「絶対に無理。術式が弱すぎて霊力負けする。あいつの術式を見たでしょう。強力な霊基でコーティングすればいけるかもしれないけど、そんな時間はないわ」

「だが、他に手はないぞ!」

「不可能なものは不可能なの!!」


 声を荒げたパシズとレッタが睨み合っていると、唐突に何かを思いついた様子のミリィが、少し調子っ外れの声を上げた。


「じゃあ、航路座標ウェイポイント用の術杭ならどう?」


「何言ってんの、そんな――」

「アホか?あんなのに接近して直接ブチ込むなんて、それこそ無理も良いとこだ」

 また無茶を言い出したミリィに言葉を返そうとしたレッタを、タファールが遮る。


「船長、止めた方がいいすよ」


「…………」

 だが、ピアスンは既に決意を固めている男の灰色の眼を読み、即断する。

「……その手で行こう。パシズ、お前に任せる」


「ああ」

 頷いたパシズは、部下二人に目配せをした。ああだこうだと話し合っている時間はない。普段であれば自分一人でやる、と言うところだが、相手が相手である以上、とにかく使える手は全て使い、素早く動き始めなければ――。


 長らく共に活動してきた師父の意図をすぐに察したミリィが、代弁する。

「――私とティムズが援護。少しでも動きを止めてみせる。そこにパシズが座標杭を撃ち込む。良い?」

「判った」「頼む」

 

 今回の旅索で設置を繰り返して来た座標杭の残りは僅か一本だけ。


 高位龍との白兵戦においては誰よりも経験豊富なパシズが適役。速度のあるミリィをティムズがフォローし、肉薄したパシズが航路座標ウェイポイントの座標符を撃ち込んで起動する。例え今は取り逃がしたとしても、位置情報さえ明らかになっていればアダーカ隊や龍礁衛護隊グラウンドフォースと協力して追い詰める事が出来る。それが現時点において考え得る限りの作戦だった。





 ――――――――――――――――


「対龍槍が無事だったらまだ打つ手はあったのだがな」

「それは、ホントすいません……」

「冗談だ。どんな武器があってもまともに勝てる相手ではないだろう」


 ワイヤーでの降下準備を進めるパシズが、くつくつと笑う。髪を降ろしている彼はどうも普段と性格が違う……というよりも、本来はこういう性格なのだろう。これまでの相手の中でも最悪の龍との戦いを前にして、緊張を和らげようとしているのだ、とティムズは思った。



「二人とも、万全じゃないんだから無理はしちゃ駄目だからね」

「判ってるさ。そういうきみこそ必要以上の無茶はするなよ」


 心配そうな顔をしたミリィへ、ティムズは真顔で返す。

 普段通りのやりとり。これもまた、いつしかお互いがお互いを落ち着かせる為に交わされる約束ごとになっていた。



『準備は良い?降下可能な速度に落とすからね』

「いや、このまま全速で行け!」

『……死んでも文句は言わないで頂戴!』


 レッタのアナウンスにパシズが叫び返し、マリウレーダは森上ぎりぎりにまで一気に高度を落として加速する。龍礁監視隊員レンジャーたちが身構える機体下部格納庫のすぐ下を、ぼやけた緑と、驀進を続ける黒影が走っていく。


 追い抜きざまにティムズ、ミリィ、パシズがそれぞれワイヤーを伝ってアロロ・リガーレの周辺へ『飛び降りた』。接地の衝撃を全開にした跳躍術で散らし、青い閃光が瞬く。マリウレーダそのものの速度と急降下の勢いを上乗せした龍礁監視隊員レンジャーたちの速度は普段の倍近く。ジグザグに移動して樹々への衝突を避けつつ、三人は中心に居るアロロ・リガーレへと素早く迫っていった。



「つッ……!」

 ティムズが胸の痛みに呻く。全力の疾走で、ミリィから受けた斬撃の傷がまた開きかけていた。しかし今は正念場。側方を走駆するアロロ・リガーレの姿を横目に戦意を奮わせようとするが、しかし、戦慄する。


 昆虫染みた体躯と多脚を用いて、のたうつように走るさまは、まさに『おぞましい』以外の何者でもない。しかしティムズを震わせたのはそれだけではなかった。上空からでは見えなかった下腹部と胸に、複数の『人の腕』が生えているのが見えたのだ。それらは全て助けを求める様に藻掻き、何かを掴もうと宙へ伸ばされている。


 『喰ったものを術式に変換して、吸収して、再構築する』アロロ・リガーレの餌食となった密猟者たちの、憐れな残滓だった。


 ――こいつは何が何でも始末しなきゃいけない。全ての生命の為に。


 使命感や任務の類ではなく、生物としての本能で感じたティムズだったが、ランス・リオとの戦いで主力の術符はほぼ消費し、その後の負傷もまだ癒えてはいない。あくまでもパシズとミリィの援護に徹する事が、今の自分の責務だと思い直した。


 ――――――――――――――


「パシズ達は無事降りたか。こちらはこのまま全速を維持。機があれば光術砲を叩き込んで、この場で決着を付ける」

 ピアスンが状況の行く末を模索する。


 龍礁監視隊レンジャーを投下した楊空艇マリウレーダは地上の援護を続ける為、下限高度ぎりぎりを飛び続けた。東の地平線から完全に姿を現した朝日が、その背後から照らして――……


 その太陽の中に、ぽつりと影が浮いた。



「……後ろ!?」アロロ・リガーレに迫りつつあったミリィが突然立ち止まって振り返り。「!!」「どうした!?」ティムズとパシズも異変を察知した。



 楊空艇マリウレーダの背後から、朝陽を背負った影が急速に迫っていた。


 マリウレーダが突然がくりとバランスを崩し、大きく傾斜する。

「うわっ!?」「………ッ!」

 タファールとピアスンはいきなりの緊急回避機動を踏ん張り耐えて。


「何してんだレッタ!また堕とす気かよ!」

「違う!今のは私じゃない―――」

 叫び返そうとしたレッタは息を呑んだ。


 ざああっ、という砂嵐の様な響きと共に、黒い風の塊が楊空艇を掠めた。



「……ロロ・アロロ!?いや、あれは……あれも……!」

 楊空艇を襲った影を見上げた龍礁監視隊員レンジャーたちが凍り付く。それは複数の巨大な翼を広げて旋回する別個体のアロロ・リガーレの姿だった。


 マリウレーダ隊が新手の参戦に驚く暇も与えず、再び楊空艇の背後へと回り込んだ複翼のアロロ・リガーレは機体へ突進して太い脚で取り着くと、くわっと開いた口に黒い術牙を展開する。


「……っ!」衝撃で激しく揺さぶられるブリッジ。そして外殻装甲が砕け、千切れる不気味な音が船内に響く。


「……こいつ、マリウレーダを喰う気か!!」レッタが絶叫する。

 その捕食の対象は、有機物、無機物を問わない。

「ちッ……!」

 タファールがいち早く反応した。

 

 攪乱光術フレア放出。激しく散る光粒に怯んだ複翼のアロロ・リガーレは機体から吹き飛ばされ地表へ落ちかけるが、翼から禍々しい飛翔術式を展開すると、獰猛な速度で、再びマリウレーダを狙って追う。


 ――――――――――――――


「くそっ!予想すべきだった……!」

 空を見上げるパシズが歯を食いしばってわなわなと震える。新手の乱入という状況はこれまでに何度も経験していたはずなのに、考えすらしなかった。


「パシズ!どうする!?地上のヤツは多分から逃げようとしていたんだ!」

 空を見上げたまま固まっているパシズの傍らにティムズが駆け寄った。



 楊空艇マリウレーダは横滑りしながら船首を向け直しつつ背進して、接近する複翼のアロロ・リガーレに向けて光術砲の斉射を始めていた。

 空一杯に爆発と爆音が広がる。直撃を浴びながらも複翼の邪龍は距離を詰めていくが、マリウレーダは全出力で展開した防護結界と弾幕でそれを阻止する。


「俺達は地上をのヤツを追うしかない。仲間を信じるんだ……!」

「何かしたくでも何も出来ませんしね!」

 パシズが決然と呟いて身を翻し、ティムズもそれを追って駆け出す。


 そしてミリィはもう既に、複脚のアロロ・リガーレの追跡を再開していた。『足止め』にするにはあまりに多すぎる脚が相手。その走破速度に追い縋るには全ての技術と力を尽くさねばならない。そしてそれが可能なのは、今は自分だけだ。


 この先は大峡谷。霧深く、高低差の激しい地形に逃がしてしまうと再発見の可能性は著しく低くなる。その前に刻印を撃つ。今は、それだけに集中するのだ。



 分断された龍礁監視隊員レンジャーと楊空艇は、それぞれ地上と空での戦いを強いられることになった。

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