第八節15項「全てが一つへ追い迫り」
流れる雲に見え隠れする二つ目の満月の光が、第四龍礁レベルCの広大な広葉樹の森海を照らし、時折吹く冬風に樹枝がざわめく。
嘲笑うかのように囃し立てる樹々の間を、一人の男が必死に跳ね駆けていた。片腕で何かを抱え、今にも倒れそうになりながら、何度も後ろを振り返りつつ駆ける彼の革製の戦衣の至る所に、痛々しい傷が刻まれている。
――逃げ切ったか? 畜生、七人も居て手も足も出なかった。あんな化け物染みた奴等が居るだなんて、話が違うじゃねえか。あっと言う間に全員やられた。しかしそのおかげで、これは全て俺のものになった。決して大漁とは言えないが、それでも数年は遊んで暮らせるだけの龍族素材が、俺だけのものに……。
革袋を抱える腕に力が籠もった瞬間、両脚に鋭い痛みが走り、そのままの勢いで倒れて転がる。
「ぐあ……ッ!?」
そしてその痛みに呻く余裕もなく、足元に近付いてくる影に向かって叫んだ。
「や、やめろ……!なあ、あんた達も密猟者なんだろ。こんな真似をしなくても協力して龍を狩れば良いじゃないか……!」
「ざーんねん。不正解」
「やめ――」
仰向けに倒れたまま必死に訴えかける男の胸に、軽鋼の
「オレたちは密猟者じゃありませんでした」
剣の
「どうだい?今回は」
「当たりだ。やっとまともな素材を持ってる連中に出会えたな」
革袋から龍爪や鱗を取り出して吟味している、若いバンダナの男が応えた。
「さっすがリノセイル。わざわざ龍を相手にしなくても、こうやって素材を集めた密猟者から奪えば良い。やっぱ頭いいわ」
「だけどよ、期待していた量には程遠い。密猟兵団だなんて大層な名を名乗っちゃいるが、所詮は街のチンピラに毛が生えた程度の素人だなやっぱり」
バンダナの男は革袋をひっくり返して何度か振り、『戦利品』の少なさを嘆いた。
たった今『密猟者を狩った』この男達は、本来は賞金首や要人の暗殺を担う武装集団に属する者達だった。かねてから未知の能力を駆使する龍と戦うよりも、それを狙って素材を得た密猟者たちから強奪することを企てており、『密猟兵団』の活動が活発化した事を受けて実行に移していた。
「――
二人のやりとりを話半分に聞きながら密猟者の遺体を探っていた、長い金髪を後ろで束ねた男が独り言ちる。
この男の名はリノセイル=ファーガーデンと云う。歳は二十七。端正な顔立ちだががっしりとした体躯とまばらに生えた無精髭のおかげで弱々しい印象は全くなく、何より様々な『仕事』を冷静に、正確にこなすその手腕への、部下からの信服は厚かった。
「なあリノセイルぅ。こんな調子ならさあ、やっぱ直接龍を狩った方が早いんじゃないの?」
口を尖らせて文句を言う、ぼさぼさの青髪の男はアドニー=アーソン。齢二十六。しかしその振る舞いは少年のそれそのもので、服装にも人相にも精神性に相応した幼さを反映している。
「お前の悪い癖だぞアドニー。少しは辛抱ってもんを覚えろよ。リノセイルの旦那の計画が上手く行かなかった事があったか?安全且つ確実。俺達は大人しく従っとけば良い……っ何だこりゃ。こんな飯でよく何日も過ごしてきたなこいつら」
バンダナを巻いた赤髪の男、エジノフォン=ベノが、アドニーを窘めつつ密猟者の鞄から失敬した乾燥肉を、べっ、と吐き出した。アドニーと同じく二十六で、燃える様な赤髪を大きなバンダナで包んでおり、粗野な口調と風貌に相応した粗雑な振る舞いを見せるが、アドニー共々リノセイルへの信服は厚い。
亡骸の傍にしゃがみ込んだままのリノセイルはぶつぶつと呟き、この状況における自分たちの能力と選択肢を計り始めた。部下二人は「まーた始まった」という顔をしながらも邪魔しないように黙り込み、その結論を待つ。
「……奥部に住む高位の龍はあらゆる法術を駆使する。それにこれ以上深入りすれば龍礁衛護隊に動きを悟られるリスクもある。しかし……危惧していた程の相手ではないのかもしれない。密猟者どもから奪った対龍装備や術符もあるし、慎重に相手を選べば成功の可能性は高い」
「でしょ?こんな連中にでも狩れる龍なんて大した奴じゃないし、そんなのに手こずってる衛護隊ってのもどうせ無能の集まりですって」
「ボスはアンタだ。言う事は聞く。何でもな」
待ってましたと言わんばかりにそれぞれの反応を見せる部下へ、リノセイルはくすりととも笑わずに付け加えた。
「……良いだろう。だが俺が危険だと判断したらすぐに撤退する。良いな?」
「りょーかい!さっさと済ませちゃいましょ。正直言うとオレねぇ、野営に飽きてきちゃったの」
「我慢しろよ。もうひと稼ぎして、大勢の女を侍らせて盛大にぱぁっとやろうぜ」
「いいねえ!」
アドニーとエジノフォンはハイタッチを交わし、背を向けて歩いていくリノセイルの後を追っていった。
――――――――――――
「――つまり、行方不明になった密猟者の何名かは、人の手に掛かったと?」
「そうだ。現場検証と検視はまだ終えていないが、剣での殺傷であることは疑い様がない」
早朝の第四龍礁管理局本部。
「仲間割れか、或いは……」
「"密猟者狩り"かもしれない。どうする?アダーカ隊からの報告によると、龍礁の何処かにアロロ・エリーテの更なる強化種が潜んでいる可能性があるらしいじゃないか」
「今はまだ動けない。楊空艇無しでは広域の捜索に限界がある。部隊を今以上に散開させては不測の事態に対応できない」
「では、現状維持か?」
口早に交わされた言葉の後で、ジャフレアムは眉をひそめた。
「……出来れば、全ての部隊を呼び戻したいところではある。楊空艇の帰還を待って、出来得る限り万全の態勢で臨むのが理想ではあるが……」
次々と発生する事態に、第四龍礁の対応能力は限界を超えつつある。
それぞれがそれぞれの使命を果たそうと足掻いても、意思も力も及ばない、不可避の夜明けはすぐそこに迫っていた。
やがて朝日が昇る時。彼ら全員が同時に、ロロ・アロロ最上位原種、且つての邪龍の屍より出で、且つての姿を取り戻そうとする『ロロ・アロロ・リガーレ』の目覚めを知る事になる。
―――――――――――――――――
東の地平線が薄っすらと青みを帯びている。夜明けは間も無くだ。
無事に皇樹の都から離陸し、中央断絶線の領域から脱出したマリウレーダは先行したアダーカの後を追って第四龍礁管理局本部への帰路に付いていた。
クルー達が自動航行に操舵を任せ仮眠を取る中、タファールだけは物憂げな表情で、いつもながらのだらしない姿勢で操舵席に座り、操舵術式を適当に開いて弄んでいる。
「……ッ!」
人の気配を感じて、弄っていた術式を閉じ、鋭く振り返って身構える。
「……ミリィか」
防寒用の外套を纏い、少し顔を青褪めさせたミリィがブリッジに姿を現していた。
「どうした?見張り中のはずだろ」
「うん……」
彼女は彼女でタファールの突然の身のこなしに少し驚いた様子だったが、ティムズからネウスペジーでの一件を聞いていたし、それよりも重要な用事があった。
「タファール。何か……変な事は起きてない?」
「いいや?別に」
「そう……」
「……まさかまた妙な予感がするだなんて言うんじゃないだろうな。お前らの勘は大体当たるからさあ……」
「そのまさかなの。だからマリウレーダが何か感知していないか気になって」
そう言うとミリィはレッタの席に座り、ちんぷんかんぷんの術式光を見渡す。あらゆる霊葉と図形が立体的に交錯し、蠢く術式を見つめていると頭痛がしてくるが、異状を示すような式は全く見当たらなかった。
「……震えてんじゃねえか。待ってろ。珈琲でも淹れてきてやるよ」
操舵式を食い入るように見つめているミリィの背姿をちらと見たタファールが立ち上がった。
「え?ううん。大丈夫、自分でやるわ」
「良いから良いから。タファールさんのお手前をご覧じろ」
「じゃあ、お願いしようかな……」
程なく戻ってきたタファールからカップを受け取って、ミリィは可笑しそうに笑う。この数日のこいつは明らかにおかしい。機嫌が良いと言うか、達観していると言うか。それほど『妹』の快復が嬉しいのだろうか。
「ありがと。……いただきます」
「どーぞ」
「!……美味しい」
一口飲むなり目を丸くして。
「……あれ?美味しい……こんなに珈琲って深い味がしたっけ……?」
そしてまた一口。
戸惑っているミリィに、タファールが苦笑する。
「レッタは濃度の事しか考えてねえし、お前は量の事だけ。こういうのはな、バランスなんだよ。きっちり時間を掛けて適切な手順を踏む。旨味を最大限引き出すには手間をかけてやらなきゃな。豆に限らず、何でもそういうもんさ」
タファールらしい理屈に、ミリィはまた笑った。やっぱりタファールはタファールだ。
しかし本当に美味しい。レッタに言ったら絶対に拗ねるか反論するだろうけど。
少し不安が薄れて、いっとき、純粋に珈琲を楽しんでいたミリィだったが。
「なあ。ティムズとはどこまでやったんだよ」
前触れもなくぶっこんできたタファールの言葉で、珈琲が気管に行った。
「けほっ!げほけほ!……っ!……!!」
噴き出しこそしなかったものの、激しく咳込んで暫く悶絶するミリィ。
やっぱりタファールはタファールでしかなかった。まともな声が出せるようになるのも待たずに、切れ切れに返した。
「あんたにけほっ、関係ないっ、でしょ!ていうか、何もないし!」
「半分嘘。半分ホントだな」
にやついたタファールが鋭く言い当てる。
「関係大ありさ。大切な後輩の心身のケアも先輩の務めだもの」
「……やっぱり私、甲板に戻る!」
「待て。逃げんな!いつも肝心な場面になると逃げやがって」
「……っ」
低く凄む声に、立ち上がりかけたミリィは留まった。
「…………」
再び座り、もう残り僅かになった珈琲を少しずつ口にするミリィへ、タファールがまた少し寂し気に笑った。
「……悪かったよ。からかいが過ぎた。なんだろうな。お前には妹のぶんまで存分に恋愛を楽しんでもらおうと思って、調子に乗ってたのかもしれない。自分勝手に」
「…………」
その素直な表情と物言いに、ミリィもまた少し笑ってしまう。
何度見ても本当に似合わないし、不気味で、おかしい。
「一体どうしちゃったっていうの?この数日のあんたは本当に変。おかしなものでも拾って食べた?」
「…………」
タファールは前方窓から見える、薄っすらと明け始めた空、そして緑を得つつある森を見つめて感傷に浸っている様だった。
ミリィが不思議そうにそのキノコ型の後頭部を見つめていると、やがてそのキノコが
「なんだか、来るとこまで来てしまったって感じがしてさ。禁識龍が実在する事を知り、そしてロロ・アロロの正体も知った。龍礁や龍脈の秘密も解き明かしつつある」
「そんな伝説みたいな話に巻き込まれるとは夢にも思わなかった。孫に話す昔話としてはちょっと難解でややこしすぎるけどな」
「あんたに孫が出来たらそれこそ伝説として語り継いであげるわ」
「うるせえな、例えだよ」
ミリィが思わず口を挟み、タファールも思わず日頃の口調になる。
お互いに少し笑い、気を取り直したタファールは再び語り出す。
「……
「そんな戦いもいよいよ大詰め。そんな毎日が終わってしまったら、またつまんねえ仕事に明け暮れる日々が戻って来る。そう思ったら……なんか寂しくなってきたんだよな」
偽りのない本心を語り続けるタファールに、ミリィは少し声を険しくする。
「やめてよ。そんなのはまだ言うべき時じゃない。まだ……終わった訳じゃない。アロロ・リガーレを討って、それから……この地を。龍たちを。皆を守り続けるのが私たち
俯いて言葉を返したミリィは、あの森で出逢った老龍の姿を思い浮かべていた。
実を言えば、タファールの感傷は少し理解も出来ていた。
幼少から願って来た『りゅう』との出逢いは、人生最大の目的を達してしまったような、不思議な喪失感を沸き起こすものでもあった。あの龍に出会う為に
しかし、自ら語った様に、まだ終わってはいない。人と龍が共に倒すべき真の邪龍を追う旅は始まったばかり……—―
――それが真の意味で始まったのは、まさにたった今、この瞬間だった。
ミリィの言葉を聞いていたはずのタファールが
「ミリィ。やっぱりお前の勘は凄えな。当たりも当たり。大当たりだ」
タファールの声は面白そうでもあり、しかし微かに震えてもいた。
あらゆる霊葉が見た事もない変容を起こし、ブリッジ内部に広がっていた式が歪んでいく。タファールが言うところの『決して世の中に存在してはいけないおぞましいもの』が、まさに目の前で展開していったのだ。
タファールは素早く船内伝信を開き、叫ぶ。
「総員とっとと起きろ!!等級不明の強力な龍を検知!こいつは……」
「間違いなく、例のヤツだ!!」
ミリィも弾かれる様に立ち上がり、哨戒窓へと走っていた。
その拍子に手から離れたカップが落ちて、割れた。
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