第八節13項「Run for it !」

 不穏な地響きで跳ね起きて、急ぎ戦衣を着込んだティムズが楊空艇マリウレーダのブリッジに駆け込むと、アダーカの調整から戻って来ていたクルー達がマリウレーダの発進準備を進めているところだった。


「船長、一体今度は何があったんですか、まさかまた禁識龍……?」

「いや、例の巨大な……雲遊龍うんゆうりゅうとでも呼ぶか。その龍同士が衝突している。今パシズとミリィが動向を探っているが、万が一の場合はすぐに出発する。お前も準備を手伝え」

「は、はい」



 第四龍礁において、龍同士の戦いは『稀によくある』。龍種や状況によって判断基準は異なるのだが、基本的に龍礁監視隊員レンジャーが介入することはない。

 しかし、これ程の巨躯を持つ龍同士が争った前例はなく、手が出せる状況だとも思えなかった。



 そしてまた地響き。段々大きくなってる気がする。


「衝突って……龍同士が交戦してるって事ですよね」


 天井からぱらぱらと埃が落ち、その轟きに尋常でないものを感じたティムズが不安そうに外を見ていると、億劫そうなタファールの声がした。


「パシズが言うには喧嘩だってさ」

「喧嘩?それってつまり……どういう事だよ」

「知らねえよそんなの。当事者同士でやりあうだけならいいけど、巻き込まれる身にもなってほしいよなあ」


「タフィ!」「はいはい」

 手が止まったタファールへ、レッタがいつもの様に釘を刺す。



 この二日間アダーカ側の復旧に専念しており、片手間になっていたマリウレーダの突然の発進準備にはそれなりの手間が掛かりそうだ。

 レッタはタファールを振り返ったついでに、ティムズにもその一部を任せようと思いつく。


「あー、ティムズ。外殻可動翼を見て来てくれる?妙に動きが鈍いから」

「判った。壊れてたら番号を報告すれば良いかな」

「ええ」


 レッタの要請に素早く応えたティムズは上部甲板へと駆け出していった。



 ――――――――――――――



 二体の雲遊龍うんゆうりゅうがその巨大な身体をぶつけ合うたびに、噴火の様な空震が大空を揺るがし、体表結界の干渉によって発生した雷流が迸る。

 そしてその数ルムもある尾が掠めるだけでも台山は削られ、抉られ、易々と崩れ去っていく。あまりにも巨大なためゆっくりに見えるが、その衝撃のエネルギーは膨大だった。


 その様子を呆然と見上げるパシズとミリィの口はずっと半開きだ。


「……敵性の龍でなくて良かった。楊空艇でも相手できるかどうか分からんな……」

「うん……」

「しかし一体何があったのだろうか。ついさっきまでは何事もなく共に寄り添って飛んでいたんだろう?」

「うん」

「……まあ、龍の思考をいくら探ろうとも、我々には計り知れないことか」

「うん……」


 気もそぞろに応えるミリィだったが、その理由は朧気に感じ取っていた。



 ずっと一緒に居る相手でも、何気ない切っ掛けで喧嘩をしたりすることだってある。それは人であっても龍であっても同じ。たぶん、それだけなのだ。


 その理由自体は他者から見れば些細な事。他者にとって大事なのは、その余波が周囲に及んで迷惑を掛けるか掛けないかだ。

 そしてその迷惑の規模は、身体の大きさにも比例する。



「……ミリィ」

「……」

「ミリィ!」

「えっ、な、何?」


 ぼうっとしていたミリィに、パシズが切羽詰まった声を掛ける。


「どう思う?私にはあの龍達がこちらに向かってきているように見えるのだが」

「………来てる。来てる来てる来てる!来てるって!!」


 もつれあった雲遊龍たちはバランスを崩し、その巨体が両方とも、パシズ達の立つ場所へと一直線に落ち迫ってきていた。


 二人は跳ね駆け出し、とにかくその場を離れる。めくれ上がる地面を蹴り、崩落する遺跡を躱し、そしてそれを引き起こしている雲遊龍の巨体から必死に逃れようと。


「もっと!早く!言ってよ!」

「言ったつもりだ!何を呆けていた!!」

「ああっ!また来る!」


 二人は口論しながら、何もかもが崩壊する台山の頂上を駆け抜ける。


 すると二体目の雲遊龍が、まるで巨大な塔が倒れるように二人の頭上に迫ってきていた。ちょっとした天変地異と言った有様である。口喧嘩をしている場合ではない。


 台山に直撃し、のたうちながら、尚ももつれ合って争う二つの巨体が、台山に致命的な破壊をもたらし始めたのだ。



 ―――――――――――――



「なななんだ何がどうした、一体何が起きやがった!」

 激しい震動に見舞われたブリッジで、タファールの声も揺れていた。


『雲遊龍が台山に突っ込んだ!崩落する恐れが……いや確実に崩れる、すぐに発進出来るようにしてくれ!』

 パシズからの伝信が、大音声だいおんじょうのあまり音割れを起こす。


「発進って……まだ術式の再構成中よ!?すぐには……ええい、判ってます、やります!やりますから!」


 狼狽したレッタはピアスンを振り返るが、どっちにしろ「それでもやれ」と言われるのが目に見えたのですぐにまた術式盤に目を戻す。


 そのピアスンは、共に待機中の楊空艇アダーカへの伝信を入れていた。

「アダーカ、聴こえていたな?こちらはパシズ達を待つ。そちらは先に――」

『もう発進したよ!アンタらも急ぎな!』


 確かに彼等は既に飛び立っていた。マリウレーダを置き去りにして。


 その判断は正しかった。すたこらさっさと飛び去ってゆくアダーカの姿に一瞬呆然としていたクルー達は、これまでで最大の激震に襲われる。



 破壊が進む台山は限界を超え、ついに破滅的な崩落を起こしていた。直下まで走って来た地割れが一気に破断し、マリウレーダが大きく傾き始めた。

 何もかもが前につんのめり、様々なものが前方に転がっていく。これ以上機体の体勢が悪くなると通常の浮上は不可能になるかもしれない。



「早く起きんかこの寝ぼすけ!!」

 レッタのがなり声と共に、全ての航行術式が作動し、ブリッジ内に術式と光が展開した。


 だが、まだ発進する訳にはいかない。船外にはまだパシズ達が……

『到着した!!出せ、今すぐ!』

 間に合っ「発進!!」ピアスンが間髪に入れずに叫んだ。


 台山の山体とその上に広がる都市。あらゆるものと一緒に滑り落ちていくマリウレーダの機体基部と主機関から飛翔術式光が迸る。パシズとミリィはもう殆ど自由落下に近い速度と態勢のまま、開きっぱなしになっていた機体下部の格納庫へと突入して。

 様々な物資や装備を納めた木箱を薙ぎ倒し、二人は思いっきり壁にぶつかった。




「あいたたた……」

「また間一髪か。しかしこれでもう安心――」


 起き上がって同じ仕草で頭をさする二人。しかし落ち着く間もない。機体は徐々に水平状態に戻りつつあったが、一緒に落下していた山体の一部が土塊と岩の雹となって降り注ぎ、マリウレーダの防護結界がまるでハンマーで滅多打ちにされている様な音が響いていた。


 そこに、レッタが甲板で作業中のはずのティムズへ呼び掛ける伝信。 

『ティムズ!まだ甲板うえに居るの?返事しなさい!』


「……!」

 ミリィが素早く、そして続けてパシズも駆け出し、危機に見舞われてるかもしれないティムズの元へと向かった。


 格納庫から飛び出して、斜めになった通路を駆け昇り、甲板へ至る階段を梯子の様によじ昇り。




「ティムズ……っ!?」

 甲板上にティムズの姿は無かっ……たと思いきや、彼は外殻装甲、稼働翼に程近い通路の柵に必死にしがみ付いていた。以前ミリィと共に『花火』を眺めていたまさにその場所である。



 ミリィとパシズが安堵したのも束の間、今度はまた別種の震動がマリウレーダの機体を揺さぶり始めた。既に地表近くまで高度が落ちていたマリウレーダは、台山の麓に広がる都市を覆う、皇樹の森を掠めて飛んでいた。

 

 そして台山の崩壊と楊空艇の乱入で、この森都市に潜むF/III級の龍たちも驚いたのなんの。一斉に飛び立ち、バサバサバキバキと樹冠を蹴散らしながら飛ぶマリウレーダからから逃げ惑っていた。


「あああ、ごめんなさい、ごめんっ、ごめんねっ……!」

 ミリィはパニックになって散り散りに逃げていく龍たちへ、とにかく謝り倒す。


 マリウレーダはたぶん、というか実際に何体かの龍を撥ねていた。ただまあ、流石にF/III級の龍たちではあるのでちょっとやそっとの衝突ではどうにかなる事はないのだが、それは安心して良い材料ではなく、結果的に、棲み処を荒らされて憤慨した龍たちに追われる状況を作ることになってしまったのである。

 


 まさに急転直下の大騒ぎは、まだ続く。


 最後のトドメは、前方の地面からせり上がった巨大な龍……F/III級『パーダリバー』だった。禁識龍フラウテアから逃がれていたこの龍は、いつの間にかこの地へと戻って来ていたのだ。


「スラストリバーサー全開!急制動!あと……避けろぉっ!」

 最早、命令の体裁をかなぐり捨てたピアスンの怒号が轟いた。


 推進機関から尾を引いていた飛翔術式光が一気に前面へ反転し、その反動が機体内のあらゆるものを前方に吹っ飛ばした。勿論甲板上でてんてこまいになっている龍礁監視隊員レンジャーたちもである。


 先ずはパシズが木製の壁にぶつかり。「ぐっ……!」

 そこに続けてティムズが。「うぐッ!」「ぐふっ!」

 そして最後にミリィが重なっている二人へ突っ込んだ。

「うっ」「うっ」「きゃっ……!」



「ま、が、れぇぇッ……!」

「まずいぞレッタ!傾斜バンクが限界だ。すぐに戻さないと墜落ちるって!」


 流石のタファールも顔を青くするが、そうしなければパーダリバーにまともに突っ込む事になる。なんとか直撃を避け、パーダリバーの鼻先を掠めたマリレウーダは機体を大きく傾けたまま、急激に高度を落とし始めた。

 

「……ッ!」

 ピアスンはその長年の経験から、地上への落着が最早避けられないと悟り、それでも被害を最小限に止めようと、緊急時の指示を飛ばし続ける。


「仰角十五度!前面の防護結界の出力最大!対衝撃体勢!」


 そして、楊空艇マリウレーダは樹々を薙ぎ倒しながら、中央断絶線の台山の麓に広がる都市を包む、数多のF/III龍が跋扈する森の中へと沈んでいき。


 墜落ふじちゃくした。



 ――――――――――――――――


「……う……?」

 甲板上に吹き荒れた枝と葉っぱの嵐が止み、ミリィが眼を開けると、墜落の衝撃から彼女を守ろうとしたティムズに強く抱き締められている事に気付き。


「………!」

 ティムズもミリィを無意識の内に抱き締めていたことに気付く。


 目が合い、心臓が一瞬跳ねた二人だったが、パシズの太い右腕が自分たちをまとめて抱擁している事にも気付いた。



「く、くくく……」

 そのパシズは肩を震わせていたかと思うと、盛大に笑い始める。 

「くく、く……ははは、ははははは!」


「これで墜落は三回目だ。ははははっ。二度あることは、とは良く言ったもの……はははははっ!」


「…………」

 余りにもパシズが笑うので、再び顔を見合わせたティムズもミリィも、釣られて可笑しくなり、笑い出す。


「……今回は絶対に死んだと思った……!」

「わ、私も……!」

「いたた、腹いてえ。駄目だ、こないだの傷も治りきってないのに」


 ティムズが腹を抑え、ミリィの笑みが引っ込む。

「だ、大丈夫?」

「平気平気、くっくく……ああでもやっぱり痛てぇや、あははははは」


 しかし、苦悶しながら尚も爆笑を続けるティムズの様子に、ミリィもまた笑ってしまった。



『……こちら、ピアスン……そっちはどうなった……?』

 

 伝信術符が開き、痛みに呻く船長の声がした。

 まるで船長席から放り出されて何処かに身体を強く打ち付けたような声だ。


「い、行くぞ……」

「はい……」「ええ」


 笑っていた三人は我に返り、枝葉に埋もれた身体を起こすと、なんとか最悪の事態から楊空艇を救いつつも負傷したと思われるクルー達を救助すべく、階下のブリッジへと駆け降りていった。



 ―――――――――――――――――


 墜落と言うよりはかなり乱暴な不時着。奇跡的に致命的な衝突を避けた楊空艇マリウレーダは深く暗い森の底に埋もれていた。激しい衝撃を受けたにしては機体の損傷はそれ程でもなく、すぐにでも飛び立つことはできそうだったが、クルー達は念のために各機構の点検を行う事にする。



『――ホントに良いんだね?何かあっても責任は取れないよ』

「ああ。すぐに後を追う。もう行った方が良い。下手に飛び回っていると龍たちを刺激する」


 先行して中央断絶線の領域から離脱したアダーカとの通信を終えたピアスンが、身体のあちこちをアザだらけにしたクルー達へ声を掛ける。


「今のところ例の術音は効いているようだな。タファール、よくこんな手を思いついた」

「ああ……はい。どうも」


 問題だったのはこの付近に多数生息するF/III龍たち。しかし先日の戦いで撃ち鳴らされた防龍鐘の音波と術式を記録していたタファールはそれを解析し、逆構築する事で、拡声術を応用した、龍を遠ざける効果のある『音』を生成する術式を見出していた。


「凄いじゃない、これ。ちゃんと仕上げれば対龍戦で凄く有利になるわよ。何で黙ってたの」

「それは……まあ、こんなに上手くいくもんだとは思ってなかったからだよ」

「なあに?あんたらしくないな。いつも何かを思い付いたら何でもべらべら喋らずには居られないのに」

「何にせよ、完成にはまだ程遠い。いつまでも効果があるとも思えないし、急いで出発出来るようにしよう」

「ええ……」


 いつになく真面目で、謙遜という最も似合わない態度を見せるタファールを、レッタは少し不思議に思いつつも、再発進に向けての作業を再開した。



 ――――――――――――――――



「背腰尾翼はちょっと痛んでそうかなあ……。ティムズ、そっちはどう?」

「ぱっと見大丈夫っぽいけど……あ、駄目だ。フラップがいかれてる」


 ティムズとミリィは、共にマリウレーダの損傷の程度を確かめて回っていた。

 例の出来事で特にどぎまぎすることもなく。


 結局のところ、ついさっき墜落で死にかけた事に比べれば、取るに足らない小さな事の様な気がしていた。


 龍礁監視隊員レンジャーである以上は、常に危険と隣り合わせ。色々な想いが巡ったとしても、やはりこうして、するべき仕事をこなしていくのを優先していかなければならない。二人ともが、そんな風に割り切っていた。



 ティムズが甲板の柵から機体を覗き込んでいると、不意に、機体の上の方から、金槌を振る澄んだ金属音が響く。


 振り返って見上げると、何時の間にか、工具鞄を下げたミリィが、機体の最上部に掛けたワイヤーに吊り下がり、背腰部の尾翼の金具部分を叩き、応急的な修理を始めていた。


(ああ、だからあの時、油臭かったのか)


 納得したティムズは心の中で笑い、ますますレッタ化していくミリィの姿でまた可笑しさが込み上げてきた。


 懸命に、でもどこか嬉しそうにマリウレーダの修理に勤しむミリィの頬が、また脂と煤で汚れていく。

 

 ――でもやっぱり、ミリィにはそんな姿が似合う。


 ティムズは、生粋の龍礁監視隊員レンジャーがその仕事の全てを心から楽しんでいる姿に、焦がれる気持ちと少しの罪悪感を感じながら、暫く見つめて。


 そして自分も自分の仕事を手早く済ましてしまおうと、再び機体の確認に戻った。

 

 さっさとやらないとまたレッタの機嫌が悪くなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る