第七節26項「強く生きよと謳う誰かの、嘯く歌に俯いたまま」

 突然の嵐で増水した川に渡河を阻まれていた特使隊の帰還は、翌日の昼となった。

 

 垂れ込めている雲は未だ晴れずとも、吹き荒れた嵐は去り、今降るのは小雨。

 

 一夜にして応急的な橋を造り上げる働きを見せた施設隊と共に本部施設へと戻った特使隊は、休む間もなく、持ち帰った大量の物資の搬入に追われる事となる。


 特使隊を率いた副局長、キブ=デユーズはその様子を監督しながら、とりあえずの帰還と、任務終了に胸を撫でおろしていた。


「荷の喪失が無くて良かったよ。しかし、この様子では龍礁全域で橋が流されているだろうな……」

施設隊われわれだけではとても手が回りませんね、これ」

「とにかく、街道周りの重要なものだけでも優先してくれ。人員はなんとかする」

「また物資の搬入が滞ったらたまったもんじゃないですもんね」

「すまないな、今回とて、急ぎでなければ迂回して他の道を探したのだが」

「いいえ。お疲れでしょう、副局長はお休みになられてください」

「そういう訳にもいかんのだよ……」


 この後は第四龍礁の幹部級への各種報告、そして会議だ。キブは施設隊の隊長に礼を述べ、彼が去ると、馬車の間を忙しなく行き来する特使隊を改めて見守った。



「ティムズ!」

「おかえり。悪かったねアルハ。護衛をきみ一人に丸投げしちゃって」

「それはいいんだ。一体何があった?君達が感じた気配の原因は……」


 物資の搬入の為に待ち受けていた職員達の中に、ティムズの姿を見つけたアルハが馬を降り、駆け寄って昨日の件の顛末を問い。


 ティムズは、貨車に積まれた術具や装備と、”おみやげ”の木箱の山を見上げ、溜息交じりに苦笑する。


「……話すとちょっと長くなる。とりあえず荷物これを運び込んでからにしよう」



 ――――――――――――――――――――



「――そうか……そんな事が」


 事の次第を聞き終えたアルハも、楊空艇の本質については聞かされていなかった様で、少し胸を痛めた様に眉をひそめる。

 だが、驚きはしていなかった。龍礁監視隊員レンジャーの中では術士寄りの資質と知見を持つアルハにとっては、空を自在に飛翔するという能力には、それ程の対価が要求されて当然だと、経験則に理解できたからだ。


「そっちの方は何も無かったのかな。皆、大分疲れて見えるけど」

「……オルテッドが川に流されたくらいかな……」

「えっ」

「えっ」

「それって」

「あ、ああ。無事だよ。だいじょうぶ。すぐに助けたから」


 思索に耽っていたアルハは、ティムズの問いに深く考えずに答え。

 びっくりしているティムズの表情を見ると、慌てて言葉を継いだ。


「驚かせるなよ……」

「すまない。だけどそんな事より、ミリィはどうしている?その龍の件もだけど、彼女は仲間に嘘を付かれていた事に、傷付いているんじゃないか」

「……ああ、ミリィは――」



 ――――――――――――――――



「……マリウレーダ。私、あなたの事もよく知らないままだったね」


 解放された木扉から薄曇りの空の光が差し込む楊空艇格納庫。


 今は誰も居ない静寂しじまの中で、格納庫を一人訪れたミリィは、楊空艇マリウレーダの接地主脚部にそっと手を触れ、機体を見上げていた。


 格納庫には、昨日の『惨劇』の痕跡は何一つなく、もしもミリィたちが定刻通りに戻ってきていれば、何も知らずに居られたのだろう。しかし、マリウレーダの蒼い機体は、一度は救ったはずの青飛龍ノシュテールの鮮やかな青を思い起こさせるものだった。


 それは、南部港湾基地で初めて目にした海の色にも近い。

 いのちを内包する、どこまでも深遠な青色。

 ノシュテールだけではなく、数多の龍が宿る仲間。


 今までこの機体に漠然と感じていた仲間意識は、この中に眠る龍たちへの思いから来るものでもあったのかもしれない。


 楊空艇マリウレーダには、より対龍戦闘に特化する為の新たな装甲や装備がいくつも取り付けられ、その容貌は以前にも増していかつく、逞しく観え。まるで立派な甲冑を身に着けた騎士の様な佇まいを見せている。



「…………」


 その整備と改装を一手に担ったレッタ=バレナリーが、いつの間にか、マリウレーダを見上げるミリィの背中を見つめていた。


 声を掛ける機を迷う彼女が、所在なさげに腕を何度を組み変える気配に、ミリィは気付いていた。


 やがて、意を決したレッタが声を掛け、ミリィも振り返る。

 

「……ミリィ」

「……レッタ。昨日はごめんね」

「いいのよ。謝るのは私の方……ずっと黙っていた私が悪いんだ」

「船長やパシズに従っただけなんでしょ?悪いのはあのおっさんたち。イアレース管理官も、性格はもう殆どおじさんみたいなものだし」


「それは言えてるわ」

 いつもの様子で、冗談めかして返すミリィに、レッタは少しほっとして。


 そして、再びマリウレーダの新兵装を興味深く見上げたミリィに、尋ねた。


「どうかな、新しいマリウレーダは」

「うーん……以前よりも更にごちゃごちゃしてない?」


 またもやレッタの独断で新兵装を加えられ、その姿の雑多さを増したマリウレーダを、半ば呆れるように見上げたミリィが笑い、レッタも苦笑し、歴戦の仲間、そして自ら手塩に掛けて育ててきた『愛機まなむすめ』を共に見上げる。


「私の設計はどうしてもこうなっちゃうのよね。思い付いた理論や装備を試さずには居られなくてさ」

「でも、レッタのおかげで、こうしてマリウレーダは空を飛べてる」


 ミリィは、再びマリウレーダに優しく手を触れ、呟いた。


 且つて、争いの道具とする為に人の業が作り出した兵器であり、今も龍族の命を糧にする楊空艇。それでも、空を自由に駆けることが、楊空艇が、マリウレーダが、望んでいる事であり、それが、この機の中に眠る龍達への贖罪でもある。


 推測でも予想でもなく、確かな事を、ミリィは『知った』のだ。 



「……格納庫の隅で埃を被っていたこの娘に初めて出逢った時、飛ばしてあげなきゃ、って思ったの。この娘は空に戻りたがってる、って」


 レッタは、楊空艇を見上げるミリィに、思い出を語る。


「この娘は、私と同じだと思った。自分が本当に居るべき場所に居られなくて、もどかしくて、くすぶって……私なんかよりも、ずっと孤独だった」

「私は、マリウレーダを空に還したかった。その為に、犠牲になる龍が居るって判っていても……応えてあげたかったのよ。言い訳に聞こえるかもしれないけど」


「……ううん、それはきっと、レッタとマリウレーダの絆なのよ」

「それに、マリウレーダだって、お腹が空けば何かを食べなきゃいけないもんね」


「ふ、あんたもなのかもね。時々我儘を言って手を焼かせるところとか」


「子は親に似るし、妹も姉に似るものでしょ?」


 二人は笑い合い、楊空艇に携わる者の志を分かち合う。

 それも、避けられかった犠牲と向き合う、一つの方法であると信じているから。



「……何だ。思っていたよりも元気そうだな」


 片眉を吊り上げたタファールの声に、二人は振り返った。


「レッタ。招集だ。楊空艇の辺境前線基地アウトポストでの運用についての会合に参加しろってよ」

「……ええ」


 幹部級の会合では、北部及び南部基地での楊空艇の離発着や、新たに設定された航路座標ウェイポイントなどの確認も行われる。楊空艇に関する話題ゆえに、レッタを呼びに来たタファールだったのだが、昨日の今日で、ミリィがここを訪れて居たとは予想していなかったらしい。


「……タファール」

「……よう」


 昨日の諍いもあり、ミリィは少し気後れしたが、それでもタファールの顔を真っ直ぐに見据えた。


「そんな眼で見るなよな。言い過ぎたのは反省してるって」

「……ううん、あんたの言う事も、正しかったと思ってるだけ」


 ミリィの視線を受け止めたタファールは、頭を掻き、少し考える素振りをして。


「……正しいとか、間違っているかなんて、大した事じゃない。それぞれが目指すものの為に、胸を張って生きられるかどうかだ。しっかりしろよな」


 そう言うと、二人を心配そうに見比べていたレッタに向き直り、顎で促した。


「それはともかく、重要な会合だ。急ごうぜ。もう始まってる」

「あんたがそこまで言うなら、本当に重要っぽいわね……ごめん、ミリィ。行ってくるわ。後でまた話そう」


 いつもは、会合なんてこの世から無くなってしまえば良いのに、と公言するタファールが真面目な顔をするので、余程大切な話が交わされるのだろう。


「うん、行ってらっしゃい。私はもう少し、マリウレーダと一緒に居るから」


 手を軽くひらひらと振って見送るミリィを残し、格納庫を出たレッタとタファールは、本部施設の総合会議室へと向かった。


 ――――――――――――――――――


「――それにしても、レッタ。お前はホント凄いよなあ」


 離発着場を先に進むタファールが、肩越しにレッタと、その背後に見える楊空艇格納庫を振り返り、面白そうに呟く。


「何よ急に」

「殆ど一人で、楊空艇をここまで整備できる技士なんて、アラウスベリア広しと言えどもお前くらいのもんだろ。上手く立ち回れば、死ぬ程金を稼げそうだよな」


 語りながらも歩みを進めるタファールの背中に、レッタはどうでもいい、と言わんばかりに、いつもこいつタファールが馬鹿にする台詞で応える。


「お金なんかに興味はないわ。私は楊空艇オタクですから」

「そうか?きちんと環境が整った大国の研究開発機関で、もっと自由に船を作りたいと思ったりしねえの?」

第四龍礁ここでやるから意味があるの。あんただって、口を閉じてりゃそれなりに優秀なんだから、よそでも仕事できるのに、ここに留まってるのは、意義を見出しているからでしょ」


 タファールは歩きながら軽く伸びをし、一時考え、それから答えた。


「……ま、そうだな。なんだかんだでこの仕事は楽しませて貰ってるしな」



 ――――――――――――――――――――



 ノシュテールは、ある意味でマリウレーダの一部となり、共に空を駆ける。

 

 それは、驕りかもしれない。

 それは、人間たちの都合の良い、身勝手な解釈かもしれない。


 しかし、そう考える事すら、人間の勝手な価値観に縛られた、善悪の虚像だ。


 いのちがいのちを奪い、いのちが巡るいのちの螺旋は、人がこの世界に生まれるずっと以前から、何者も逃れられない運命として、ずっと傍に在り続けたものなのだ。


 そして、また一人、その螺旋の中へと還っていった者が居た。



 青飛龍の死を少しずつ受け止め、立ち直りかけていたミリィをまた追い詰めたのは、南部港湾基地で療養中のシヰバ=エスカートが亡くなったとの報だった。



 ―――――――――――――――――――――



 彼女がこの世を去ったのは、ミリィたちが面会に訪れた二日後の事。

 彼女の友人達に見守られながら、眠る様に静かに息を引き取ったという。


 ティムズらが訃報を知ったのは、第四龍礁の主要な防衛組織である、地上警備隊ベースガードの再編に伴う集会の直前だった。


 立て続けの出来事に、治りかけたはずの傷を抉られた様に。

 不意の訃報は、友人に対しても何も出来ずじまいだったミリィをまた動揺させる。


 ティムズにとっては、シィバは常に、何処か抜けた雰囲気のお調子者だった。

 それでも、彼女の立場や志は、少なからず理解しているつもり……理解していけるはずだった。だが、その矢先、彼女は逝ってしまった。

 

 しかし、その動揺も、旧交のあるミリィやアルハの喪失感とは比べるべくもない。


「……話している間も寝たままだったから、心配はしていた。だけど、こんなに、あっさり……」

「うん……いつもみたいに、冗談ばかり言ってた。いつものシィバだった」


 大講堂での集会の準備を進める大勢の者達が行き交う、ロビーの喧噪の片隅で、三人は不意の訃報に喪心を隠せずにいた。


 彼女の最期の様子を知らないティムズには、二人に掛ける言葉を持ち得ない。

 ただ、あの朝にシィバを見舞う機会を与える事は出来た。


 だが、最後に話す機会があったからこそ、ミリィが余計に辛い思いをする事にもなってしまった。


「直接話したのに。そんなに危ない状態だったなんて気付けなかった。ノシュテールの事は気付けたのに。龍の事なら判れるのに。友だちのことは判れないなんてね」


 何気ない軽口をたくさん交わした、気軽で穏やかな別れだった。

 

 ミリィは自嘲するように、薄く笑う。ノシュテールの事が無ければ、きっと大泣きしていただろう。

 今は、心が、失うこと、に対して麻痺しているのだろうと感じていた。


「……あの娘、病を治せたら、子供がほしいって言ってた。愛するひとと共に過ごした証を遺したいって。でも、叶えられずに逝ってしまった」


「……それは、彼女の本質の一部にしか過ぎないよ」

 虚ろに呟くミリィに、アルハがシィバの生き方を思い出させようとする。


「素直に生きることの意味を、彼女は良く判っていた。遠い未来だけじゃなくて、今を歩く一歩を踏み出すことの大切さを、ぼくたちにも伝えようとしていた。踏みしめた大地の確かさを感じる事も、幸せの一つだということも」


「……うん、そうだ。そうだったね」


「彼女は、不条理な運命を、仕方のない事だと諦めずに、最期まで自分らしく在り続ける為に生きた。彼女を知る者が……そして、ぼくたちもその事を覚えておくことで、彼女が生きたことの証の一つになれるはず……」


 俯いたままのアルハの語りが終わり、また、ロビーの喧噪が大きくなった。

 集会の準備が整い、大勢の職員達が大講堂へ向かっていく。


 この集会を以て、第四龍礁全体の組織、兵力は正式に統合と再編成を終え、新たな指揮系統の元で、更なる業務を加えた運営体制に移行する。

 

 その内容の通達と公布が行われる、重要な認証を伴う儀典でもあった。


「……俺達も行かなきゃ。時間だ」


 ティムズは、人の流れを眺めながら、アルハの言う、シィバの言葉通り、その一歩を踏み出そう、と二人を促した。


 アルハは頷き、振り返ったティムズについて歩き出したが。

 ミリィは足の踏み出し方すらも忘れた様に、その場に立ち尽くしたままだった。


「……何だかもう、良く判らなくなってきちゃった。どうすればいいんだろ、私」


「シィバみたいに、諦めずに歩む自信はない。アルハみたいに頭も良くない。ティムズみたいに、受け入れて、強く成長する事もできない。私は、ただ、龍たちが生きる世界で、共に生きていきたいと願っただけで、ここに居る……」



「………」

 立ち止まったティムズは、少し呆れた様に息をつき、ミリィへと向き直った。

「そんなこと、皆が知ってるさ」


「きみは龍たちを心から愛してるから、愛さずにいられないから、きみはここで龍礁監視隊員レンジャーを続けてる。たったそれだけの事、それでいいじゃないか」


「それが、きみにとってのしるべなんだと思う。そして、皆も、それぞれの中にあるしるべが指し示す、よりよい世界で生きたいと願ってるだけなんだ」

「だから、何かを失う事に納得なんてしなくていい。例えどうしようもなくたって、その度に怒って、泣いて。でも、次にどうすれば良いかを考え続ける……それこそが龍礁監視隊員レンジャーのあるべき姿なんだろ」


「それを、きみや、アルハが俺に教えてくれた」


「………」


 ミリィは、黒曜石の様な瞳で真っ直ぐに告げるティムズに、躊躇いがちに頷き返した。その言葉は、彼自身がこれまでに出会ってきた様々な人々や出来事からから受け継ぎ、導き出したものだと思えた。


 それが本当に正しいかどうかは、判らない。だけど、今のティムズは、何時の間にか、ミリィの背中を追うだけの後輩ではなく、立ち止まりかけたミリィに、また一歩を踏み出させる事も出来る存在になりつつある。


 ――少しドジで、生意気な癖に、時々、恰好いい事を言う。


 ティムズと、そして、共に、自分が歩き出すのを待っているアルハが目に入る。

 目を細め、こちらを見つめていたアルハは、静かに頷いてみせた。


 ――……シィバ。やっぱり、私、あなたみたいに素直にはなれないや。

 

 やっぱり私は、このままがいいから。それが只の我儘であったとしても。

 

 沸き上がり、渦巻いた感情をすっとしまいこんだミリィは、困った様に笑ってみせた。


「……あんたにも説教をされるようになっちゃおしまいって感じがするなー。ほら、大事な編成式なんだから、とっとと行きましょっ」


 そう言って、ミリィはすたすたと歩き出し、目を丸くしたティムズとアルハよりも先に、大講堂へ向かう職員達の群れの中に混じっていった。

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