第七節25項「失う事に慣れていくのが、強さだと言うのなら」
「………ノシュテール?」
呆然とするミリィは、今自分が目の当たりにしているものの、その名だけを呟いた。
「そんな」
格納庫を満たす、淀んだ臭気で沸き上がる嘔吐感を耐えるティムズも、解体中の龍が、たった一週間前に命を救ったはずの青飛龍の成れの果てである事に打ちのめされる。
腹部を大きく切り開かれた青飛龍の内臓は取り払われ、肉は削がれ、内部の骨格が剥き出しにされており、床には
「……!」
突如現れた二人の気配に気付き、振り返ったマリウレーダ隊の面々も、二人と同じように驚き、動揺しているようだった。
「……ミリィ!?ティムズ……あんたたち、何で……」
変わり果てた青飛龍の身体には、幾本もの管が繋がれ、楊空艇マリウレーダの機体の内部へと伸びている。その管を手繰り、何らかの作業を行っていたレッタの頬は、飛び散った血で汚れていた。
「レッタ。なにしてるの。なに、それ」
「これはっ……」
唖然としたまま短く問うミリィに、レッタが顔を背ける。
「……お前たち。特使隊の護衛はどうした。南部港湾基地からの帰還は、今日の午後遅くのはずだ」
ティムズは、微かに震える声で二人を咎めるパシズ、そして龍の周囲に立つマリウレーダ隊の顔を見回す。
眉を顰め、厳しい表情を浮かべているピアスン。
目を瞑り、予想外の事態への対応を探っているらしいジャフレアム。
そして、何処か面白そうに成り行きを見守るタファール。
他にも数名の龍医や素材管理部門の職員など、見知った顔が、狼狽するティムズとミリィをじっと見つめていた。
「質問したいのはこっちの方だ。どういう事なんですか、これは……!」
わなわなと震えるティムズは、叫びを必死も噛み殺し、パシズに問い返す。
「先ずは私の質問に答えろ。特使隊に何か起きたのであれば――」
「――どういう事なの!?答えてよ!!」
冷静に状況の説明を求めるパシズを、ミリィの怒号が遮った。
顔を上げたレッタが、苦しそうに胸を抑えるミリィに声を掛ける。
「待って、説明するから。聞いて、ミリィ」
「……レッタ……!」
「………っ」
だが、血に
すると、深緑色の瞳を静かに開いたジャフレアム。
「……説明の責任は私にある。そして命令権も。落ち着いて、聞け」
若き上級管理官は一度深呼吸をして、この解体が如何なるものなのかを語り出した。
「これは、楊空艇の維持に必要な、霊基媒体の抽出と補充だ」
「楊空艇は高度な法術の集合体。知っての通り、強力な術式には、比例した霊基媒体が必要になる」
「その
「だが、判ってくれ。最初からこのF/III龍を利用する予定ではなかった。お前達が発ってから間もなく、この龍の容体は急激に悪化した。勿論手は尽くしたが、未知の龍を救う手は、我々には見つけられなかった……助かる見込みが少しでもあったのなら、手を下すつもりはなかったんだ」
楊空艇の飛翔にはどうしても必須であり、レベルA領域での旅に耐えうる力をマリウレーダに宿す重要な儀式に、瀕死のF/III龍を用いることは事後的に決めた事。
沈痛な面持ちで語るジャフレアムだったが、ティムズたちにとっては言い訳を連ねているだけの様にしか聞こえなかった。
「でも、結局、あんたたちは、やった。俺達にいきなり特使隊の護衛を命じたのは、俺達をこれから遠ざけようとしたからか……!」
「……否定はしない」
ティムズはどこまでも冷静なジャフレアムを睨み、震える拳を握りしめるミリィは、今にも跳び掛かってその拳を振るいかねなかった。
「じゃあ、ずっと、マリウレーダは、こうやって龍を殺して飛んでいたの……?皆、知っていたの……!?」
二人の様子を見守っていたパシズが、特にミリィに対して、宥めようとする。
「……そうだ。この決定は私達全員での合意。このような業をお前達に背負わせたくはなかった……。ミリィ。心を乱すな。冷静になれ。お前には酷かもしれないが、事実は受け入れろ」
「……冷静……?」
パシズの言葉を反芻したミリィは、再び声を荒げた。
「……冷静、冷静。いっつもそればっかり。それだけしか言葉を知らないの!?私たちは、こんな事をさせる為に、この龍を……ノシュテールを救ったんじゃないッ!!あんたは、今までもこうして、私を騙してきたのか……!」
身体を暴かれた青飛龍の虚ろな眼を見てしまったミリィは顔を伏せ、震えながらパシズを
「この対龍槍は、お前が。刺した……とどめを」
「……昇華を防ぐ結界の効果がある内に、やらなければならなかった」
ティムズは、淡々と語るパシズの言葉に思索を巡らせていた。彼やジャフレアムの言葉を信じるのなら、ティムズらが特使隊と共に南部港湾基地へ到着した時には、既にノシュテールは危険な状態に陥っていたということ。
ティムズやミリィが時々感じていた不安や焦燥は、全て、ノシュテールとの絆がもたらしていたものだったと、理解した。
オルテッドが語った様に、ティムズ達もまた、龍脈の特性を通じてノシュテールの命の灯が消えゆく気配を微かに感じていたのだと納得し、北部山岳基地で起きた、
「……ミリィ。許して。これは、これからの旅索にどうしても必要な事なの」
「うるさい。そんなの知らないっ……!」
レッタが、殆ど泣き出しそうな顔でミリィに語り掛けるが、ミリィは、血に汚れたレッタの顔を見ようともしない。それに、あまりにも憐れなノシュテールの亡骸も。
すると、格納庫の隅でそれまで成り行きを見守っていたタファールが割り込む。
「……ほんっ……とにやっかましい女だよ。パシズの言う通り、事実なんだから仕方ねえだろうが。どうせ、この龍が死ななくても早かれ遅かれ、新しいF/IIIを狩って、”解体”しなきゃならかったんだよ」
「今までの仕事で何を学んできたんだっての。お前だって何体もの龍を殺し、何体もの龍がこうやって解体されていくのを見てきたはずだ。何を今更甘い事言ってやがる」
「……それとこれとは、話が違う!ミリィの気も知らないで……!」
俯き、嗚咽に肩を震わせるミリィの代わりに、ティムズがタファールに噛み付く。
しかし、タファールは取り合わず、反論を返さないミリィへ更に言葉を投げつける。その口調はいつもの砕けたものではなく、真剣で、心からの本音を荒げていくものだった。
「生きて行く為に飯を食うのと何が違うんだよ。お前は食いもんが息絶える度に、そうやって
「結局、お前は自分の理想に酔ってるだけなんだよ!自分の思い通りにならない事にいちいち傷つく、ただのガキだ!嫌なら辞めろよ!逃げちまえ。家からもそうやって逃げだして来たんだろ?ほら、今すぐ行けよ!そんな甘い考えじゃ、ここから先は耐えられないだろうからな。俺は、俺達にとって必要な事をやる――」
「てめえ、いい加減にッ……!」
「タファール!もういい、よせ」
感情を露にして声を荒げるタファールへ跳び掛からんと、ティムズが一歩を踏み出したのと同時に、ピアスンの一喝が場を制した。
帽子を正したピアスンが、ミリィに真っ直ぐ向き直る。
「……ミリィ。我々はより多くの命を守る為に居る。その為に必要な犠牲を無駄にするつもりはない。見て見ぬ振りもしない。それは判ってくれていると信じている」
「犠牲を伴う力を扱うからこそ、我々自身も命を懸けて、報いる為に仕事をしている……そうだろう?」
ピアスンの静かな訴えに、目に涙を浮かべたミリィは、ひぐっ、と嗚咽を飲み込む音で応え、ノシュテールの姿が見るに堪えないという様に目を背け。
「……すいません、今は、少し、一人にさせてください……」
そう呟いて振り返ると、扉の方へと歩き、皆の元から去っていった。
「…………」
ティムズは、その場に留まり、彼女の背中を見送るしかなかった。ミリィの気持ちも判るし、楊空艇の『燃料』についても、さほど驚いてはいなかった。
タファールの発言も、楊空艇に乗る者に必要な覚悟であると思う。ただ、罵る様な言い方には納得いかなかった。あそこまで執拗に責めずとも良かったはずだ。
当のタファールは、思わず表に出た本質を誤魔化す様に、再びにやついた笑みを浮かべている。
「こうなる事が判っていたからあいつには秘密にしておいたんだよなあ……ですよね?船長」
「……そうだ。機が訪れるまで隠しておけと命令したのは私だ。その機会を先延ばしにしていたのも……。本来なら一年前に明かしておくべきだった。改めて説明をしなければならないだろう。あの様子では聞いてくれそうにもないが」
「あの娘、このバカに一つも反論しようともしませんでしたね。本当に怒ってる時は逆に静かになっちゃう娘だから……手が出なかっただけマシか」
横目でタファールを冷たく
「あれくらいで凹まれちゃ、この先が思いやられると思ったんだよ。生きるってのは残酷な事なんだってのを叩き込むのも、人生の先輩としての務めってもんだ。大体な、パシズ。俺からすりゃ、あんたもあいつを甘やかしてる」
「人には人それぞれの歩み方がある。貴様がやったのは、ただ無暗に背中を突き押しただけのこと。二度と同じ真似をするな。もし次があれば、貴様を楊空艇の主機へ叩き込む」
タファールはタファールなりの道理で、ミリィを鍛えているつもりではある。
パシズは、ぎりぎりのところで、掴みかかろうとする怒りを抑えていた。
「……私、ミリィと話してきます。一番話をしてきたのは、私だと思うから」
事ある毎に居室を訪れてくるミリィの、様々な相談に応じていたレッタは、罪悪感を感じていた。話す機会は何度もあったが、ピアスンの命令に従い、ずっと触れない様に努めていた。
だが、ジャフレアムはそれを止めた。機密の作業ゆえ、限られた最少人数で行う高度な『解体の儀』であり、楊空艇の膨大な霊基を制御する技術を要するもの。主力であるレッタが離れては、霊基の制御に失敗し、破壊的な暴走を起こす危険すらある。
「許可できない。君抜きではこの作業は進められない」
「……なら、俺が」
それぞれの会話を伺っていたティムズが、呟いた。
「俺もこの話は初めて知りました。だから、同じ立場の俺から話をした方が、ミリィも落ち着いて聞いてくれると思います。今、皆が話していた事を」
「………」
説得を申し出たティムズをそれぞれの立場で見つめるマリウレーダ隊。
ティムズは、悟った様に苦笑した。
「それに、ミリィがどうしても納得できずに、誰かを殴りたい程怒ってるなら、一番殴り易いのは俺ですよ」
――――――――――――――――――――
先程までの雨の勢いは、少しずつ弱まっていた。
ティムズはミリィを探して、第四龍礁本部施設内のあちらこちらを巡り、彼女の居室へも直接赴いてみたが、戻ってきた様子は無い。
職員達に訊ねて回りもするが、その所在を知る者は居らず、それでも彼女の行方を追うティムズは、微かに、水音が弾ける様な、聞き覚えのある跳躍音を聞き留めた。
その音は、本部施設の中裏庭、
楊空艇マリウレーダに搭乗するようになってからは滅多に訪れなくなった場所で、ティムズは、背の高い木台の上で、空を見上げて座っている背影を見つけた。
その木台も、彼女と初めて出会った日に、ロープを登るというテストで使ったものだったが、解け落ちたままにされているのだろうか、今はもう、且つて必死に登ったロープは無くなっていた。
「………」
ティムズが木台に歩み寄ると、遠くの空の向こうを見つめたままのミリィは、その背中で、先んじてティムズの名を呼んだ。
「ティムズか」
「!あ、ああ。ほんとよく判るよな……」
降りしきる雨音の中でも、近付く気配が何者であるかを把握するミリィに、感心混じりに驚くティムズ。それに、自分でも意識しない内に、勝手にミリィが機嫌を損ねていると邪推していたのが足取りにも現れていた事すらも気付かれていたようだ。
「あんたが龍の縄張りに足を踏み入れる時の、緊張した気配そのものがしたから」
ミリィは振り返りもせず、まだまだ未熟なティムズを鼻で笑った。
「どうせ、船長かパシズの命令で来たんでしょ?私を連れ戻せって」
「違うよ。俺が自分で行かせてくれって言ったんだ」
「……何の為に」
「何って……さっきの件を、きちんと話そうと思って。あと、ノシュテールの事を」
「その名前は、もう、言わないで」
ミリィの声が、微かに震えた。
もう、その名は、あの凄惨な光景を呼び起こすものでしかなくなってしまった。
「気付けていたはずだった。あの子が危ないって。何度もその兆しはあったのに」
「龍脈は、それをずっと教えようとしてくれていたのに……」
ミリィもティムズと同様に、一連の件を結んでいたものを理解していた。
ティムズが呟く。
「……きみが、優れた
氷が溶けゆくように、少しずつ滲み出す様に。
。疑問は解け、一つの線となり、点を点を繋いでいった。
何故ミリィがこれ程までに龍たちを思いやり、並外れた交感力を発揮するのか。
龍脈は、距離的な制約に縛られるものではなく、常に、あまねくものを繋ぐ。幼いミリィが龍を題材にした絵本を読み、その存在に心を奪われた瞬間、龍脈に触れ、その繋がりを強めてきたからなのだと、ティムズは思った。
しかし、その資質も、突きつけられた現実を覆す程の力はない。
「……ばかみたいね、私」
「判ってるわ。皆の言う事が正しい。そう、判ってたつもりだった……」
「でも、皆は私に本当の事を隠してた。本当の事を知れば私が取り乱すって。私の心が弱いと思われていたのが、悔しい」
「そしてそれはその通りだった。どうしてもあそこに居られなかった。また逃げちゃった。タファールにも見透かされてた。その通りになっちゃったのが、悔しい」
無力感に苛まれ、木台の上で嗚咽を漏らす今のミリィに届くのは、見上げるティムズの声のみ。
「ミリィ。皆は、きみの事を心配してくれているだけだよ」
「あんなに残酷な方法で楊空艇を飛ばしているなんて、俺も信じたくない。でも、世界にはもっと残酷で悲惨な事も満ちてる。そんなものから、出来るだけきみを守りたいって、皆が思ってるんだ」
「……無知な小娘のままで居ろということ?」
「そうじゃない!ただ、皆はやり方を間違えたんだ。こんな形じゃなくて、ちゃんと君が知るべきことを、知るべき時に伝える正しい方法が、他にあったはずなのに」
自嘲気味に笑ったミリィへ、ただ思い浮かんだ言葉を投げ続けるティムズ。しかし、顔を上げたミリィは大きく吐いた息と共に、自分自身を納得させる為の言葉を呟いた。
「みんなのせいじゃない。私がちゃんとすればいいの」
「……ミリィ」
「……いつだっけ。こういう話をしたことあったよね。この仕事は、色んないのちを守る為のものだけど、時にはいのちを奪う選択もしなきゃいけない時もある。だけど、頭で理解していても、心がそれをどうしても許してくれない……これも、ただ、それだけのことでしかない」
そう言うと、ミリィは座っていた木台から飛び降り、ティムズを振り返る。
その目を真っ赤に腫らしつつも微笑みを浮かべる、彼女の頬を濡らしているものが雨なのか、流した涙なのかは、判らない。背筋を伸ばし、気丈に見せようとする立ち姿は、むしろ頼りなく、今まで以上に小さく、儚げにも見えた。
「ティムズ。ありがと。でも、私はもう平気」
「ノシュテールを直接助けたあなたの方こそ、つらかったよね」
「俺は……」
ティムズには、すぐに答えを導き出せなかった。確かに
今確かなのは、ミリィの問いがただの共感を得る為のものでなく、多分、ミリィと同じ位に顔を青褪めさせていたのであろう、
「……辛いよ。辛いけど、今は立ち止まってる時じゃない」
喉を締め付ける様に、声を振り絞るティムズ。
「格納庫に戻ろう。俺達はせめてノシュテールの最期を見届けなきゃ。それにマリウレーダがどうやって飛んでいるのか、その為に何が行われているのかを、俺達もちゃんと知っておくべきだと思う」
「……ごめん。やっぱり、今の私には、できない。そんなにすぐ、割り切れない」
頭では判っていても、きっと心が耐えられない。
顔を伏せ、拳を握り締めるミリィ。
立ち尽くす二人の間に、降り落ちる冷たい雨音。
「……判った。じゃあ……せめて俺だけでも」
どんな言葉ですらも、慰めになりやしない。
今の彼女に必要なのは、やはり、一人になる時間なのだろう。
「……そのままじゃまた風邪をひく。どうせ落ち込むなら、暖かいとこでゆっくりしながらの方が良いよ」
「……うん。そうする」
少し軽い調子を交えたティムズの言葉に、ミリィもまた少し笑って返し。
格納庫へ一人戻ろうと、振り返ったティムズの背中を呼び留め。
「ティムズ」
「……ごめんね。私。いつもこんなんで」
「そんなのは最初から判ってたって。でも、それが、いつものきみの、きみらしさだろ」
自虐気味なミリィの言い方に、ティムズは精一杯の笑顔で応えた。
そんなミリィだからこそ、きっと、ずっと、初めて出逢った瞬間から、ティムズの往く道を照らす『
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