第七節24項「ディスクローズ・ブルー」

 その夜は、何事もなく過ぎていった。

 

 北部山岳基地での会食と同様に、豪勢な歓待を受けた特使隊の面々は、南部港湾基地が誇る様々な海の幸に舌鼓を打ち、そして、三日ぶりのまともな睡眠で、しっかりと休むこと事ができた。北部基地では徹夜する事態になったし、野営慣れしていない者が多い特使隊は、二日続いた野宿で相当にやられ、ベッドの有難みを嚙みしめたのである。


 些末な小事件トラブルこそあったものの、第四龍礁を代表する要衝を巡る任務は概ね終わり、あとは本部施設への帰還を残すのみ。


 この数日は快晴が続いていたが、急激な天候の悪化の兆しが見え始めた事で、予定を大幅に繰り上げて出発する事が決まり、翌朝、港湾基地監督庁舎前の大通りには、再編成を行う馬車隊と、荷物の積み入れなどに勤しむ者達の姿があった。


 そして、ティムズはまたもや一人で馬貨車に荷物を運び入れている。


 姿の見えないミリィとアルハは、また寝過ごし……たりしている訳ではなく、メウの案内のもと、港湾基地の外れに在る施設で療養中のシィバを見舞っていた。

 勿論、本来は共に出発直前の準備を行うはずだったのだが、今朝はティムズ自ら一人での荷役を買って出て、彼女らだけでもゆっくり話をしてこれる様に計らったのだった。



「――ただいま。もう全部済ませちゃった?」

「おかえり。これでっ……全部だ。丁度いいところにお戻りで」


 術具の詰まった重い木箱を抱え上げ、荷貨車の御者に渡したティムズが、朝日が照らす煉瓦街を戻ってきたミリィたちに応える。


「ごめんね。昨日は、ばたばたしてたから……」

「良いって。それより、シィバの様子はどうだった?」

「……悪くはないみたい。いつもみたいにからかわれちゃった」

「そっか。相変わらずみたいで何よりだ」

「シィバのお友達にも会えたよ。とても優しい人たちだった。あんな仲間の人たちが助けになってくれているなんて、ちょっと羨ましいな」

「そう言えば恋人も居るって言ってなかったっけ。そいつは?」


 異彩を放つ風体はともかく、余命幾ばくもないという割にはとぼけた調子で、常にマイペースなシィバと付き合おうなどという物好きは、一体どの様な男なのだろうか、と興味があったティムズの問いには、メウが応えた。

 

「そのひと、遺跡索士っていう、第四龍礁のあちこちにある遺跡の調査と発掘をする仕事で飛び回ってて、滅多に帰ってこないみたいなんですよねえ」

「へえ……それで恋人って言えんのかな……」

「複雑なんですよ、たぶんっ」


 悟った様に笑うメウは、昨日からずっとアルハのすぐ傍らにぴったりくっつき、腕に腕を絡ませている。一体どういう事なのか、ティムズは当惑しっぱなしである。こっちはこっちでまた複雑な事になっている。


 ミリィは、すっかり諦めた表情かおで成すがままにされているアルハを横目でちらりと見ると、くすくすと笑い、そして、厚い雲に覆われていく空を見上げた。


「……シィバと話していて、ノシュテールの事を思い出しちゃった。元気になってくれてるといいな」

「戻ったら、真っ先に様子を見に行こう」

「うん」


 ティムズも、ロロ・アロロの襲撃で傷つき、治療中の青飛龍が力なく横たわっていた姿を思い出していると。


「おい。他に積み込むもんはないか?一度固定したら結び直すのが手間なんだ」

 貨車の上で荷物を縄留めしていた御者が、ティムズに声を掛け。


「あっ……そうだっ、皆さんに龍礁臨海士隊あたしたちからのお土産をお渡ししなきゃっ!ちょっと待ってくださいっ!」

 御者の言葉で思い出したらしいメウが、弾かれる様にアルハから離れ、庁舎内に飛び込んでいった。


 程なく戻って来たメウは、山と積まれた『おみやげ』を満載したリヤカーをごろごろと引いてきた。楊空艇の皆さんで分けてください、との事だが、それにしても大層な量であり、ティムズと御者はまた幾つもの重い木箱を積み込む羽目になったのだった。


「えっと、これが海苔で……こっちはお魚の干物。醤油。昆布……」


 メウがその細腕に見合わず、木箱をひょいひょいと持ち上げるのは、亜人種ならではの特性ゆえ。しかしあくまでも、見た目は可愛らしい女の子である。

 ティムズと御者は顔を見合わせると、男として負けてなるものかというプライドと意地、余裕を見せようと振る舞うが、クソ重い木箱を抱える度、情けないくぐもった呻き声を上げるのは隠しきれなかった。


「ふおお……」

「うごぉ……」


「メウ、すごい。見た目で印象を決めたら駄目ね……」

「そうだな……」

 

 ミリィとアルハは見物を決め込んでいた。

 男どもの意地の張り合いはともかく、メウの”腕力”に目を見張ったミリィに、その”腕力”からようやく解放されていたアルハは溜息を返した。


 ミリィはまた少し可笑しそうに、横に立つアルハを肘で小突く。

「良かったわねー。随分と懐いてもらえたみたいで」

「懐いてくれている、だけならいいのだけれど」

「とても可愛いらしい娘だし、ちょっとアリだなとか思ってない?」

「からかうな。可愛いのは認めるけど、ぼくはっ、てぃ……、……」


 思わず反応したアルハが言葉を飲み込む様子に、ミリィは貨車の方を見つめたまま、何処か寂し気な、複雑な笑みを浮かべていた。


「……私も、アルハのそういう素直なところ、好きよ」

「…………」

 

 ――ミリィは全て判っている上でからかっているような。

 アルハは一時いっとき答えあぐね、やがて静かに呟いた。


「……君の方こそ、少しは素直になってもいいと思う。……シィバの言う通り」


「…………」

 今度はミリィの方が押し黙る。



 北部山岳基地での迷宮化メイズドナイズが暴いた心が生んだ幻像こそが、本当に素直な気持ちだという自覚はあった。だが、それは途中で遮断され、曖昧で不確かな夢のまま、心の奥底に眠っているものでもある。



「――よし、今度こそ終わりだっ」

 ”おみやげ”の積み入れを終えたティムズが汗を拭う。

「マリウレーダの皆も喜ぶぞ、これ。これなら遠征中でも保存が利くし、食事に苦労せずに済みそうだ。ありがとう、メウ」


「どういたしまして!皆さんに御武運があらんことをっ」


 メウが溌溂と応えた時、馬車隊の出発準備が整う。


「お世話してくれてありがとう。今度はあなたも本部に遊びに来てね」

「それは、ぜひっ」


 礼を述べるミリィに、メウはにぱっと笑い。


「……たのしみに、しておく……」


 棒読みのアルハは、引きつった笑顔で応えるしかなかった。



 ―――――――――――――――――――――――



「皆さん、お気を付けて~っ!」

 手と尻尾をぶんぶんと振るメウに見送られ、南部港湾基地サウスグラウンドを後にした特使隊は、第四龍礁本部への帰路を進む。


 多少回り込む事になるが、ここを訪れた時よりも大量の物資を輓馬ばんばたちの負荷を少しでも抑える為、海岸沿いのなだらかな坂道を、左手に大洋を望みながら上っていく。


 殿しんがりを務めるティムズとミリィは、山陰に見えなくなっていく南洋と南部港湾基地が朝日に照らされ、輝く光景を目に焼き付けておこうと、暫し、馬をとどめていた。


「……楽しかったね。色々と大変な目にも遭ったけど」

「これまでの戦いや事件に比べたら、なんてことないさ。溺れかけたのはこれで二回目だし」

「レインアルテを追った時も滝壺に落ちたんだっけ?」

「そう。でも今回は俺のミスじゃないし?」

「またそれ?私がすぐに船を出してもらったおかげで助かったんだから、むしろ感謝するべきでしょ」


 お互いに冗談染みた、他愛の無い会話を交わす。


 第四龍礁を代表する要衝を巡る旅は、じきに終わりを迎える。

 それは、ティムズ達にとって、ただの護衛任務以上の思い出を作る事になった。


 しかし、この旅の本来の目的は、あくまでも龍礁の真の深央、レベルAへと至る道を切り拓く用意を整える為のものであり、この旅の終わりは、新たな旅索の一歩となる。


 束の間の休息と言うには少し落ち着かない旅でもあったが、ティムズたちは、第四龍礁を巡る旅と、そこに携わる人々との出会いに、また少し、この地で過ごす意味と意義を知り、胸に刻んだのだった。


 

 ――――――――――――――――――――


 




 ――たすけて、たすけて。


 ――たすけて!!


「……っ!!」


 薄暗い天幕テントの中で、ティムズが跳ね起きた。



 南部港湾基地を出発した翌朝。


 今まで何度か見てきた夢とは全く違う、耳元で叫ぶような声で目覚めたティムズの鼓動は早く、かなりの冷え込みであるはずなのに汗が吹き出し、悪寒に震える。


 天幕を共にしていたオルテッドが収まっている寝袋からは、ぐーぐーといういびきが聞こえている。一体何が起こったのか。とりあえず急いで戦衣を着込み、天幕から顔を覗かせたティムズは、同じく何らかの異変を察知して起き出してきたらしいミリィが、焚き火の跡の近くで空を見上げている姿を目にした。



 丘陵のゆるやかな傾斜地に、野営を組んだ特使隊が張った簡易的な天幕が並んでおり、昨夜の焚き火の跡で燻る煙が、薄っすらと明るみを帯びた、ぶ厚く低い雲が垂れ込める朝空に吸い込まれていた。

 既に朝日は昇っている時刻のはずだが、今にも雨が零れ落ちそうな雲に阻まれ、その陽光は感じられない。


 天幕から出たティムズは、周囲の様子を鋭く見回しながら、ミリィの元に歩み寄る。

「ミリィ。きみも聴こえたのか」

「ええ。何だろう、助けを求める声……」


 二人が嫌な予感に顔を曇らせていると、野営の外れで見張りに就いていたアルハが二人の様子に気付き、訝し気に歩いてくる。


「どうしたんだ?二人とも顔が青いぞ」

「アルハ。あなたは何か感じた?」

「?いいや……何の話だ」

「声を聞いたんだ。何か異状な事は……」


 ティムズとミリィは口々に問うが、アルハはぴんと来ていない様子で首を振る。

「全く何も。龍族……ロロ・アロロ出現の気配もないし。こんな野外では迷宮化メイズドナイズも有り得ない」


「……そうだ。ロロ・アロロたちが『全く』出てこないっていうのが、そもそもおかしいんだ」

 南部基地で僅かに感じていた疑念が、再び首をもたげるティムズ。


 一方でミリィは、特に青褪めた顔で、確証も根拠もない悪寒に、居ても立っても居られない様子だった。


「……何かが起きた……。本部へ急ごう。ここからなら数時間で着ける」

「……判った。特使隊の護衛にはぼくが残る。君は……君たちは、先行して本部へ戻ってくれ。キブ副局長にはぼくから伝えておくから」


 真剣な表情で確信を口にするミリィ、そしてティムズに、アルハはすぐに出立を促した。龍礁監視隊員レンジャーの中でも、極めて優れた感覚を持つミリィの勘が何かを察知したのなら、それを疑う理由は無い。


 ティムズ、ミリィは素早く準備を整え、馬に乗ると、ぽつぽつと雨が落ち始める丘陵を下り、第四龍礁へと続く、草原の中の街道を駆っていった。


 やがて、雨は雷鳴を伴う土砂降りへと変わる。


 

 ――――――――――――――――――――――――



「ごめんね、ミストルテイン。あと少しだから頑張って……!」


 暗天から滝の様に降り注ぐ雨に打たれ、第四龍礁へと至る道を休みなく早駆ける愛馬を気遣うミリィ。全身は水に浸かった様にずぶ濡れだった。


 途中、幾つかの川を越えてきたが、そのどれもが激しい雨によって急激に増水し、掛かる木橋を飲み込み始めており。

 最後に渡った橋は、後続のティムズとミュルグレスが駆け抜けた瞬間、流されてきた巨大な丸太が直撃し、破壊されて濁流に沈んでいった。


「あっぶね……!」

 肝を冷やすティムズ。もう少し遅ければ渡河を阻まれる事になったし、最悪、また水中に落ちる事になっただろう。流木が暴れ狂う激流に吞まれれば、溺れる間もなく、身体中がぼろぼろだ。



 やがて雨は嵐となり、北から吹き付ける向かい風をまともに浴びつつ、それでもティムズ達は、五日ぶりの第四龍礁本部へと辿り着く。


 しかし、激しい風雨の中に佇む本部施設の様子は、平穏そのものだった。ずぶ濡れになり、ロビーに滴を落としながら入ってきたティムズ達を、"赤毛の受付嬢"、マリーがきょとんとした顔で出迎えた。


「あれ~~?どうしたんですか、到着は夕方のはずじゃ~?」

「え、ええ……マリー。何か妙な事は起きてない?」

「そうですね~。急にこんな嵐が起きたって事くらいかな~?でも、天気予報が当たらないのなんて、毎度のことですし~」

「ああ……それで、途中の橋がいくつか落ちてる。特使隊が立ち往生しそうだから、出来るだけ早く工科隊を寄越してほしい――」


 街道や橋などの整備を担当する施設隊の出動を要請する旨だけを伝え、ティムズとミリィは、普段通り職員達が行き来するロビーに立ち尽くし、困惑していた。


「念の為に、イアレース管理官に報告だけしておこっか……」

 ミリィは、少し気が挫けた様に呟いた。



 一応の帰還報告と、状況の確認の為にジャフレアムの執務室を訪れる二人だったが、今朝早くから重要な仕事に当たっているとの事で、不在。


「まあ、何事もなかったなら、それが一番良いよ。俺達の早とちりって事で」

「そうだね……」

「ノシュテールの様子を見に行こうか。俺もずっと気になってたしさ」


 この様子なら、危惧した様な危機はなさそうだ。ティムズは、それでも尚不安げにしているミリィを励まそうと、治療中の青飛龍の元を訪れようと言う。


 だが、つい先日訪れた龍族の治療施設に、ノシュテールの姿も無かった。


「あれ……もう治っちゃったのかな。何処だろう……」

 不思議そうに、ノシュテールが収められていた龍籠ケージを見回すミリィ。


 この数日の間に治癒し、解放されたのだろうか。一時的に瀕死の状態に陥ったにしては、快復が速すぎないだろうか?


 治療に当たっていた龍医も見当たらない。

「……一体どうなってんだ」

 重なっていく不自然さに、ティムズの胸にも、再び漠然とした不安と焦燥が滲み出していく。



 そんな彼等が、雨が降りしきる本部施設の前を歩くパシズの姿を見留め、最も信頼を置く師父に、答えを求めようとしたのはごく自然な成り行きだ。


「パシズっ!ねえっ、待って!」


 本部施設と他の棟を結ぶ連絡通路から呼ぶミリィの声は、豪雨が打つ音に掻き消され、パシズは気付く事なく、雨に身を打たせるがまま、楊空艇の離発着場を進み、マリウレーダの格納庫へと向かっていく。


「もうっ……!ほら、行こう、ティムズ——」

「――待て」

 後を追おうと踏み込んだミリィの肩に、ティムズは腕を伸ばし、留めた。


「……パシズは、アダーカに乗ってるはずなんじゃ」


 そう。パシズは、整備中のマリウレーダに替わり、哨戒飛行の任に当たるアダーカの代替要員として搭乗しているからこそ、アルハも特使隊に加われたはず。

 そう、パシズ自身が言っていたはずだ。


「たまたま帰投しているってだけよ。パシズならきっとこの状況を説明してくれる」

「ああ……」

 

 ミリィは、最早恐怖に近付いている不安を、とにかく何か一つでも消し去れる材料がほしいと願っていた。

 それでもティムズは、もしかすると北部山岳基地に辿り着いた夜から感じていた、様々な懸念と疑念の根源が待ち受けているような予感に、足を竦ませる。

 

「先に行くからね」


 そう言って雨中に跳ね駆け出したミリィの跳躍音。

 我に返ったティムズも、すぐさま後を追う。


 楊空艇格納庫の大きな木扉は、完全に閉じられていた。

 嵐の風雨を防ぐなら当然の事である。


 二人は格納庫の裏手に回り込み、通用口から、中へと入った。


「……っ!?」

 猛烈な臭気を感じたティムズが、腕で顔を覆う。まるで、初めて第四龍礁を訪れた日に、龍族素材保管庫で感じたにおいを、何倍にも濃くした様な感覚だった。


「なに……?なんなの、これ」

 におい、には慣れているはずのミリィも、それを感じた様で、嫌悪感に顔を歪める。格納庫に並ぶ資材用の大きな木箱の合間を、奥に進むにつれ、強まっていく淀みに、二人の足取りは、鈍くなっていった。



 そして、木箱の迷路を抜けた先で、二人が目にしたのは、薄明りの中、封龍結界で封じられ、磔にされて。幾本もの対龍槍を身体中に撃ち込まれ、腹を切り裂き、肉体を暴かれた、『解体』中の青飛龍と、その周囲に佇む、マリウレーダ隊の姿だった。

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