第七節20項「望みの彼方 後編」
古城に張り巡らされた様々な術式に紛れた
「――ったく!素人が思い付きで好き勝手に組みやがって!何がどう繋がってんのか全っ然判らないじゃないか!」
「ええ、作動しているのが不思議なくらい。私も術法の構築は専門じゃないけど、整理するだけでも時間が掛かっちゃいそう……」
苛立ちと共に拳を壁に叩き付けたオルテッドの一方で、サリッサがこんがらがった術式を一つ一つ丁寧に解きながら応えた。
オルテッドはきっちりと撫でつけた髪が崩れるのも構わず、ぐしゃぐしゃに頭を掻きむしる。
「ちっくしょう……ティムズの野郎が突っ込んで行かなきゃ、こんなに焦らずに済んだのに。考え無しにも程があるだろ」
「ティムズくんだけじゃない。ミリィも居るのよ。もっと必死になりなさいよ!」
「判ってるよ。ともかく正規の手順じゃとても無理だ。基幹コードを捕まえて、断ち切る方が早いかもしれない」
「……この中から………?」
サリッサは壁面に浮かび広がる、膨大な量の術式の絵図を見上げる。
大海に沈んだ針を探し出すような途方もない作業を前に、サリッサは溜息をつく。
「……判ったわ、他の皆にも伝えてくる。少しでも大勢で探しましょ」
――――――――――――――――――――――
「ティムズ!誰かティムズを見ていないか」
大食堂に設けられた臨時の指揮所では、あらゆる者が慌ただしく右往左往している。
キブは
「彼は、単独で
「そんな事だろうとは思った……だがまあ、それはいい。オルテッドたちが迷宮化の基礎式を見つけ出し、取り除く。きみは術士たちの間で連絡役に当たってくれ。伝信系は阻害を受けているし、君が最も機動力があるからな」
「はい、直ちに」
了解を告げたアルハが素早くその場から離れると、キブは溜息を付き、大食堂の天井で一際大きく揺れたシャンデリアを仰いだ。
「何故こうも面倒が舞い込んでくるのか。使えるものは全て使う、というのも考え物だな……」
―――――――――――――――――
アルハに銃後を託し、再び
再侵入の際に、オルテッド達が解術に奮闘している背後を全速力で駆け抜けていたのだが、彼等の
警戒していた『悪い幻覚』の出現の兆候もない。しかしそれは、次の段階に進んだ
『反転』した迷宮は、ティムズを『望むもの』の前へと導いていたのである。
依然続く耳鳴りと眩暈に耐えるティムズは、先程までは見つけられなかった階段へと辿り着き、一気に上階へと跳ね上がっていく。
(四階の……一番奥!)
階段を登り切り、長廊下に躍り出た瞬間、頭がぐらりと揺れる。
「ッ……!?」
視界が黒く霞み、身体を支える力が無くなった様に足元がふらつく。しかしそれは、ほんの僅かの間で、すぐに薄暗い廊下の光景が戻ってきた。
「何だ、今の……?」
警戒するが、それ以上の事が起きる気配はない。違和感を感じつつも、再び駆け出したティムズは、ミリィが滞在しているはずの宿室の前へ、あっさりと辿り着いた。
だが、扉に手を掛けた時、更なる違和に襲われ、身体が強張る。
見覚えのある扉は、第四龍礁本部の居室に使われているもの完全に同じ物だった。それどころか、廊下の構造も、装飾も、全てが見慣れた光景。
違和感は既視感となり、悪寒へと変わる。それでもティムズは背筋を駆け抜ける冷気と、歪み始めた視界を抑え込み、勇気を奮い立たせた。
とにかく、ミリィの無事を確かめる為に自分はここに居るはずなのだから。
――そして、ミリィは、きっと、ここに居る。
扉を静かに押し開き、仄かな術灯の光だけに照らされた暗い室内へと、慎重に足を踏み入れる。
窓の外には奈落の底のような黒闇が広がっており、部屋の中にぽつんと置かれたベッドで厚手の毛布にくるまって横たわる人の形。
「……ミリィ?」
立ち尽くし、声を掛けるが、人影が動く様子はない。
遠慮がちに歩み寄り、毛布を静かにめくると、横向きに眠り、小さく寝息を立てるミリィの寝姿が目に入った。
『ん……』
冷気を感じたのだろうか、少し身じろいで呻くミリィ。
この様子なら危険に晒されていたという事はなさそうだ。ティムズは安堵の息をつくと同時に、横たわるミリィの無防備な姿と、寝顔を暫く眺めていたいという想いが湧き上がり、彼女を起こすかどうか逡巡する。
そんなティムズの束の間の迷いの間に、ミリィの眼が、静かに開いた。
『……あれ?何してるの……』
「何って……いや、無事なら良いんだ。そのまま寝ておいて――」
目を擦り、起き上がったミリィは、薄手のネグリジェだけを羽織った半裸の姿。
普段は後ろで雑にまとめている金髪は解かれ、肩と背中になだらかに掛かっている。淡い薄青色のネグリジェを纏う細い身体の線は柔らかく、薄っすらと透けて見えるしなやかな肢体は、以前に一瞬だけ目撃し、目に焼き付いてしまっていた記憶と合致した。
「ミリィっ、いいんだ。いいから、そのまま寝ててくれ」
息を吞んで目を逸らし、慌てて退がろうとしたティムズの腕に、ミリィの白く、細い手が素早く伸びる。
『……言ったでしょ。独りにしないで、って』
袖をきゅっと掴み、見上げて微笑むミリィ。
『待ってたんだよ』
「……!?」
夕食の席でふと見せたものと同じ仕草は、ティムズの記憶をまた蘇らせ、共に背筋を何かが這い上がる様なおぞましい感覚が、再び湧いてくる。
ミリィの姿は、いつかのレッタの居室で目撃したものだ。
素早く薄闇に目を走らせたティムズは、部屋の内装も第四龍礁本部の居室と同じ様式である事を知る。
――違う!!これは……!
これ以上この場に居ては、これ以上触れていては、これ以上見てはいけない。本能的に察したティムズは、掴まれた袖を目一杯の力で振り払おうとするが、異様なまでの強さで握る”ミリィ”の腕は振り解けなかった。
『なんだ。もう気付いちゃったんだ。なんだかんだで結構勘は良いよね』
「!……違う。これ本物じゃない。これは幻覚だ。
ぎゅっと目を瞑り、袖を握る感覚を打ち消そうと集中し、呟くティムズ。
『そう。私は、きみが望む"わたし"』
半裸のミリィが妖しく微笑み、ティムズの直ぐ前に身体を寄せる。
記憶の欠片を繋ぎ合わせた物のはずであっても、
(これは、アドルタ=エヴィトの時の……)
それでもティムズは感覚を模造する記憶の正体を探り、打破しようと抗う。しかし、首に腕を掛けられ、首筋近くで吐息交じりに囁く"ミリィ"の体温と感触と声が、それを阻み続けた。
『妬けちゃうな。アルハとはまたキスをした癖に……。わたしにはしてくれないの?したいと思ってくれないの?』
「………」
ティムズは応えようとしなかったが、その思索はそのまま"ミリィ"の姿をしたものの口から零れていく。
『ぜんぶ知ってる。きみは、自分にはそんな資格はないと思ってる。でも、真面目を気取っていても、女の子の事はちゃあんと見てるんだよね。それが例え敵であっても。リャスナに誘われて、少しはどきっとしちゃったんでしょ?声を荒げて誤魔化したけど』
その声はティムズの記憶を次々と呼び起こし、組み立て、目を瞑っていても鮮明な姿として、滲み出し、瞼の裏にさえも実像を結ぶ。
『今のわたしは、きみが望むことをしてあげられるし、きみが望んでいることをしても良いわたし……。思索の中では、我慢なんてしなくてもいいの。今のわたしは、きみだけのものだよ』
「やめるんだ。お前は現実じゃない。俺はこんなのを望んでいる訳じゃない」
『うそつき』
秘めたものを暴かれ、露わにしていく言葉。引きずり出される思考に集中を奪われていたティムズの頭は眩み、やがて"ミリィ"の実像に腕を引かれるまま、共にベッドへ倒れ込んでしまう。
「っ……!」
腕を突っ張り、身体を起こそうとすると、間近に目を細めて見上げる”ミリィ”の深い紫の瞳があった。その色はただの紫ではなく、赤や青を帯びて揺らめいており、ティムズの意識を否応なく惹き付けるものだった。
離れなければ。そう思いつつも、全ての感覚が、ティムズを取り込み、奥底にあるものを解き放とうと
夢のような非現実感に思考を蝕まれ、正常な選択と判断が出来なくなっていく。頭の中に重い鉄杭を刺されているようだった。今まさに腕の中にある小柄な身体が、自分の思うままになる魅惑と、それを許す言葉だけが、ティムズの脳裏に反響していた。
『ね?素直になっていいんだよ』
「違う、これは現実じゃない。本当のきみじゃない……」
『現実じゃないから、何をしても良いの』
「………」
ティムズは、朦朧とする意識の中で、溢れる想いのままに、思い切り”ミリィ”を抱き締めた。
―――――――――――――――
「――準備は良いな?全展開した一瞬で基礎式をかっさらう!」
「ええ……!」
オルテッドの叫びにサリッサが応え、展開した術式に腕を振りかざし、打ち払う仕草をすると、青色光を放つ術式の霊葉が次々と払われ、連鎖的に広がっていった。
"城主"が古城に施した
合図と共に術士達は一斉に制御式を展開し、
古城の一部を覆っていた術式が
「どうだっ、素人の式なんて俺にかかればこんなもんよっ!」
「見て、オルテッド。正常化していく!成功したわ!」
特にオルテッドだけが特段の働きを見せた訳ではなく、誇らかしげに叫ぶ理由もないのだが、とにかく、術士達の働きにより、城に怪異をもたらしていた
「……っ……やったか……」
快哉を上げる術士達の合間で、息を落ち着かせていたアルハも辺りを見回す。各所に散らばっていた術士達の間を、その情報を共有する為に休みなく跳ね駆け回っており、かなり疲弊していた。
しかし、息をつく暇はない。アルハは汗を拭うと、この一連の騒ぎの渦中にあったミリィ、そしてそこに向かったティムズの安否を確認するべく、再び廊下の薄闇の中に駆け出していった。
「全く、また手を焼かせて……!いつも真正面から問題に立ち向かおうとするからこうなるんだっ……!」
――――――――――――――――――――――――
ぺちぺち。
ぺちぺち。
「――……ぃ………きろ……」
ぺちぺち。
「おおい、起きろ!」
べチーン!
「!?」
頬に鋭い衝撃を受けたティムズが目覚め、跳ね起きる。
全く起きないティムズに痺れを切らしたオルテッドがビンタを決めたのだ。
「やっと起きたか。おはよう、イーストオウル君」
「へっ……あれ……?」
寝起きでぼんやりとするティムズが、辺りを漫然と見渡して戸惑う。薄暗く、埃っぽい部屋を立ち並ぶ棚の間で倒れていたらしい。既に朝日は昇り、小さな天窓からは細い光が差し込んでいる。
「ここ、何処……?」
「三階の衣装部屋跡だよ。ミリィの部屋とは全く逆。妙な場所に迷い込みやがって。探すのが手間だったんだぞ」
「ミリィ……そうだ、ミリィは!?」
「無事だよ。今はアルハとサリッサが看てる。特に何もなかったようだけど……お前の方こそ大丈夫か?」
「ああ……」
助け起こされ、まだずきずきと痛む頭を抑えつつ、ティムズは朧気な記憶を探るが、思い出すだけでも気恥ずかしく、むず痒くなる。
オルテッドの話によれば、特殊な
確かめる方法は多くはないし、それも確実とは言えるものでもないが。
「……なあ、オルテッド」
「ん?」
ティムズは頭痛に顔をしかめつつ、真剣な調子で呟いた。
「もう一回ビンタしてくれない……?」
「はあ……?」
―――――――――――――――――――
結局、この夜の騒ぎにおいての人的被害は一切無し。
大山鳴動して鼠一匹。散々大騒ぎになった
その"中心"に居た二人を除いては。
「やあ……」
「……やっと起きたか。随分と熟睡していたようだな」
ティムズが『本物の』ミリィの居室を訪れると、部屋の中央に置かれたベッドに座るミリィと、その傍らの椅子に座るアルハとサリッサが、会話を交わしている最中だった。
居心地の悪さを感じつつ、部屋を見回す。
特徴の無い、至って普通の部屋は、昨夜の幻覚とは何もかも違っていて、あれが現実でなかった事を改めて認識し、寧ろ少し安心する。
「威勢よく出ていったのに、情けないな。まあ、いつも思い通りに上手くいくとは限らないという、良い教訓になっただろう」
アルハがそっけなく、ティムズが今回の件で何一つ役に立っていないという事を丁寧的確に説明してくれた。全く以てその通り。ティムズはただ、バツが悪そうに頭を掻くしかない。
「返す言葉もないよ。もう少しなんとか出来ると思ったんだけどさ……」
一方でミリィは、入室してきたティムズの顔を見るなり真っ赤になり、顔を伏せたまま黙り込んだまま。ティムズの顔をまともに見られない様だった。
その様子から、ミリィもまた何らかの幻像と出逢ったのだと確信したティムズも、目線を外しながら口籠る。
「……あー……ミリィ。きみの方は、何か……妙な事、はなかったかな」
「う、うん……眠ってただけだから」
「まー、とりあえず、行動不能にはされちゃったみたいだけど、それだけで済んで良かった。もう少しで精神に深刻なダメージを与える段階に進んでいたかもしれない。二人とも、少し悪い夢を見た程度、で済んだんじゃない?」
割って入ったサリッサに訊ねられ、ティムズとミリィは即座に反応する。
「うん、そうだ。少し夢を見ただけ」
「私もそう。ちょっとだけ、夢を……」
二人の様子を観察していたアルハは、大きく溜息を付いてみせる。
「……南部基地への出発に変更はないぞ。それまでにぼくたちも、予定の行程を終えなきゃいけない。術具と術符のは……
昨夜の騒ぎはともかく、今後の予定こそ重要だと伝えようとアルハだったが、堪え切れなかった欠伸を拳で隠す。無理もない。一晩中古城を駆け巡っていたのだ。
サリッサがアルハの大欠伸を見てくすくすと笑い、頬をほんのりと染めてぼうっとしたままのミリィにも声を掛ける。
「アルハ。少し寝ておきなさいよ。一番疲れてるのはあなたなんだし。勿論ミリィもよ?まだ熱が下がってないもの」
「このくらい平気よ。出発するなら、その前に残ってる仕事を片付けないと……」
「駄目です。長旅に備えて、少しでも体調を戻しておくのが仕事っ」
「と、いう訳でティムズくん。二人のぶんもしっかり頑張ってあげてね♪」
「へっ」
ティムズが否応を返す間もなく、サリッサはティムズの肩に手を置き、笑ってみせた。
「当然でしょ?具合が悪い
一理ある様な無いような。だが、サリッサの言う通り、ミリィとアルハが不調なのは目に見えていた。ミリィが何処かぼうっとしているのは、まだ発熱が収まっていないからだし、アルハのいつも眠たげな眼は、更に重そうに瞼が降りかけている。片やティムズ自身は、途中で脱落して何も出来ないまま眠りこけ、夜を明かした形だ。
それに。仕事でもなんでもいい。やるべき事に集中しておければ、余計な事を考え込まずに済む。昨夜の『できごと』は、まだティムズの一部を蔦の様に絡み取り、気を緩めると想い返しそうになっていた。
「……判ったよ、あとは俺がやっておくから……」
今は、ミリィともアルハとも、目を真っ直ぐ見合わせる自信はない。
ティムズは渋々という風を装い、その場を後にした。
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