第七節10項「Momentum」

「ひっ、ひいいっ、く、来るなぁッ!」


 森を全速力で駆け続けた若い男が、躓いて転び、迫り来る影に向けて必死に命乞いをする。影はその巨躯で、驚く程静かに、若者に忍び寄った。


 若者はへたりこんだまま、必死に後ずさり、後方の樹にぶつかる。逃げ場を失った若者に、更にゆっくりと近づく影。


 そして、若者の目の前に立ち、その太い腕を振り上げ——。


「たっ、助けてくれええぇぇ!」

「やかましい、取って喰いはしない」


 パシズが、ごつんと若者の頭に拳骨を当てて、何人目かの『密漁団』の者を、またもう一人捕まえた。


 どうやらパシズを熊か何かだと思ったらしく、恐怖にさめざめと泣いている若者を無視して、上空から監視と哨戒を続けている楊空艇マリウレーダに連絡を入れる。


「これで何人目だ。捕まえても捕まえてもキリがないぞ」

『丁度六十すね。スコアはマリウレーダが二十四、アダーカが二十一、地上警備隊ベースガードが十五。勝てますよ。このゲーム』

「遊びではないぞ。真面目にやれ。……ティムズとミリィの様子はどうだ?」

「北方面に逃げた連中を追っていったようです」


 相変わらずの調子のタファールとの応答で、疲労が増したかの様に、パシズが溜息を吐いた。



 『密漁団結成』の報せを受けてから三日後、第四龍礁の楊空艇隊、及び地上警備隊ベースガードが万全の態勢を整えて待ち構えて居たとは露知らず、飛んで火に入るなんとやら、大挙して押し寄せた密漁団……とは名ばかりの、無鉄砲な若者たちは、次々と身柄を確保されていた。


 パシズも、片腕とは思えない立ち回りで、次々と密猟者を捕らえている。パシズ自身は認めようとはしなかったが、この未熟な若者の群れは、大怪我からの『復帰戦』としては、全く過不足のない、妥当な相手だったと言える。


「北部か……」

 今の二人なら、もう心配は要らないはずだと思いつつも、パシズはなんとなしに呟いた。

「あの辺りは崖が多い。事故が起きなければ良いが」


 ―――――――――――――――――――――――――


「止まれ!その先は崖だぞ!」

「バーカ!そんなもんに騙され……あっ」


 本当だ。崖の前で急制動を掛け、崖っぷちぎりぎりで止まるも、バランスを崩して落ちる密猟者……――に、素早く接近し、伸ばした左腕で、その襟首を捉えたティムズが、落下しつつあった密猟者を宙吊りにする。


「うわっ、うわうわうわ、落ちる!助けてくれっ!」

「馬鹿、暴れるな!暴れんなって!利き腕じゃないんだ!」


 じたばた足掻く密猟者を腕一本で支えているティムズは、必死に彼を引き上げようとするが、装備を着込んだ大の大人を持ち上げられる程の筋力はない。

 崖際に這いつくばり、顔を歪めて踏ん張るも、ティムズの身体もずるずると引きずられていった。


「ああ落ちる落ちる落ちる!畜生もっと頑張れよ!」

「お前は頑張るな!!動くなッ、つってんだろうが!」


「……っ!?」

 男二人の騒ぎを聞きつけ、駆け付けたミリィが、何してんだという顔を一瞬浮かべてから、慌ててティムズの片足を持ち、引っ張る。

 なんとか安定し、崖に足を掛けた密猟者は、どうにか自力で這い上がることが出来た。そして、当然その場でお縄を頂戴した。


 本来は術錠でしっかりと拘束する必要はあるのだが、密猟者の群れを相手に足りるはずもなく、普通のロープでぐるぐる巻きにして連行するしかない。


「何してんのよ、もうちょっと、こう……スマートに捕まえられないの?」

「そうできるならそうしたいさ。だけど、もう半日ずっと駆けずり回ってるんだ」

「だから跳躍術の制御の仕方に問題が――」

「またそれかよ、努力はしてる。……逃げんな!」

「ぐええっ」


 ミリィがティムズに文句を言い、ティムズもミリィに文句を返して口論になった隙に、こっそりと逃げ出そうとしていた逃亡者は、ティムズにロープを引っ張られてばたんと倒れて、呻いた。



 ―――――――――――――――――――――――――



 事前に一団の計画を察知していた第四龍礁合同守備隊は、結界外縁付近レベルC領域において、その殆どを捕縛した。しかし、それも完璧ではなく、その隙を突いて、幾つかのグループがレベルBの近くまで到達したようで、楊空艇隊はその追跡に入る。


「こっちは片付いた。あとは地上警備隊われわれに任せて、央部に向かった連中を追ってくれ」

『了解』


 地上警備隊ベースガード隊長、ガートリー=ヘブロイが楊空艇隊に通信を入れている背後で、エフェルト=ハインは捕らえた密猟者の数を数え、縄の閉まり具合を確認して回っている。


「見逃してくれよ。青銀貨を一袋やるからさ……。な?俺は金持ちなんだ」

 恰幅の良い男が、ふうふうと息を吹き、にやつきながらエフェルトに囁く。


 エフェルトは、自称金持ちの頭を小突き、取引に応じる代わりに、彼を縛る縄を、他人より、多少きつめに締め上げてやった。

「そういうのは、始める前にこっそりと手を回しておくもんなんだよ。悪巧みの基本だ。覚えておけ」


「……ったく。俺が言うこっちゃねーが、こんな馬鹿共でも、頭数が揃うととんでもなく面倒だな」

 捕らえられて一か所に集めらた若者たちが、お互いに捕まった責任を詰り合って騒いでいるのを、心底呆れた表情で見回す。

「この連中どうすんだよ。こんな数、本部施設に拘束しきれねーだろ」


「外に叩き返すだけだ。ネウスペジーの保安部隊が待機しているからな」

 伝信術符を閉じたガートリーが、エフェルトを振り返る。

「が、その前に所持品の検査だ。お前なら隠し持っている物を嗅ぎ付けられるだろう?蛇の道は蛇だ。頼むぞ、元・密猟者よ」

「俺は犬じゃねえっつーの……」


 隠し衣嚢ポケットや、鞄の二重底など、あらゆる『隠し場所』に精通するエフェルトは、こういった手合いが『見つけられると困るもの』を暴き出すすべには長けているため、なんだかんだで重宝されているらしい。


 そしてそれは、確かに収穫を得た。密猟者の一人が、外縁結界の機能を一時的に封じる術符を持っていたのだ。今まで捕らえた密猟者達は、結界の『綻び』を抜けてきた者ばかりだったのだが、この様な術符が存在する事が、初めて明らかになった。

 現物を入手できたのはかなり大きい、解析すれば、何処で誰が作成したものなのかを、突き止める事が出来るかも知れない。



 ―――――――――――――――――――――


「――いいや、俺の方が多く捕まえた。十人だぞ。きみより二人も多い」

「そのうち三人は私のおかげでしょ。崖から落ちそうになったのも助けたし、そう言えばお礼も言われてない気がする!」

「ドウモアリガトウ、みりぃセンパイ」

「ようし判った。またぶん殴られたいのねあんたは」


 楊空艇マリウレーダに回収された後も、ティムズとミリィの口喧嘩は続いていた。

 ブリッジに戻った二人の諍いを、特に気にせず、それぞれの作業に努めたままスルーするクルー達。毎度の事だし。


 但し、今回はメイメルタが同乗している。その顔は、拳を構えたミリィの姿と台詞に、きょとんとしていた。


 はっとしたミリィが慌てて拳を隠す。怒られると思って、反射的に。


 ミリィが十五歳になった日、将来の花嫁の教育係として送り込まれてきたのが、当時二十歳のメイメルタだった。独善的な母親の偏った教育ではなく、ローエン家に嫁ぐ為に相応しい礼儀作法や学識を、徹底的に叩き込まれ直された日々の事を、思い出す。


 急に口を噤んだミリィに、ティムズがささやかな勝利宣言を返す。

「今日は俺の勝ち。たまには素直に認めてくれたって良いだろ」

「……ええ、今日は、それで良い」


 マリウレーダ隊は、レベルB奥部まで侵入した密猟者達を引き続き追っている。しかし、レベルCに比べて圧倒的に複雑な地形と、深まる森に、捜索は困難を極めていた。

 ここまで来ると、いつ何時なんどきF/III級の出現があってもおかしくはないし、ロロ・アロロの駆逐も不完全な領域になる。今は特に動きは無いようだが、一刻も早く見つけなければ、密猟者達の命の保証はない。


「余程の手誰か、途轍もないアホだな。どちらにせよ、運は良いらしい」

 タファールが、探査機構レーダーの術式を流し見る。


 移動の形跡の反応は、真っ直ぐレベルB最奥の都市部へと向かっていた。F/III級はともかく、ロロ・アロロとも遭遇せずに済んでいるのは、皮肉にも、楊空艇隊と龍礁監視隊員レンジャーによる、ロロ・アロロの制圧が進んでいたからでもある。


 それを良い事に、密猟者達は何の障害もなく、数多の高位龍が潜むと言われ、これまで数多くの者が目指してきた、都市の廃墟へと到達したのだ。



「どうしますか?船長。もうすぐ要警戒区域に入ります。深入りするとまたF/III龍の群れが反応する危険がありますが」

「そうだな。客人も乗っている以上、あまり無理も出来ない。ひとまず、マリウレーダでこの空域を確保しつつ、龍礁監視隊員レンジャーで地上の調査を行ってもらうしかないな」


 一時いちじ、都市部外縁の上空で待機する楊空艇マリウレーダ。


 降下の命を受けたパシズ、ティムズ、ミリィは機体下部の格納庫に降り、準備を進める。


 ティムズは初めての、都市部での作戦活動に多少の緊張を見せていた。今まで跳ね駆けてきたどんな場所よりも、複雑で、何者かが潜むには格好の地形だ。

 降下ワイヤーの確認をする手つきに籠る、その緊張を感じ取ったパシズが、平然とした調子で呟く。

 

「案ずるな。砦の遺跡での訓練を思い出せ。基本的には、あの構造と大きく変わりはしない」

「そうそう、むしろ足場が多くて森よりも動き易い……」


 ミリィも言葉をかけようと振り返ると、丁度、通路扉から、メイメルタが入って来たところだった。目を丸くした龍礁監視隊員レンジャー達は、入室して三人の様子を見渡した彼女の第一声に、更に戸惑わされる。


「ピアスン船長に『許可』を頂きました。わたくしも同行致します」

「わたくしも闘術士の端くれ。龍礁監視隊員レンジャーの方々が扱う跳躍機動戦術に興味がありますので」


「だ、だが……」

 困惑するパシズへ、メイメルタの代わりに、ミリィが答えた。


「……メイメルタさんなら大丈夫。そんじょそこらのF/ II龍よりも、ずうっと強いから」



 ―――――――――――――――――――――――――――



 都市部を一望できる丘の上に降り立った四人は、広大なレベルB最奥部を見渡す。


 都市を切り裂くように隆起した断層に寸断された都市。断裂の規模は奥地に向かうにつれて大きくなり、巨大な岸壁となって、ずっと奥へと続いていた。


 あの先は、レベルA。彼の地へ迷い込んで、生きて帰って来た者は殆どおらず、辛うじて生還した者も、口を揃えて、人が居てはならない世界だと言う。


 第四龍礁の大部分を覆う、美しい森の緑とは対照的な、灰色の光景。且つて起きた大規模な火砕流と降灰に見舞われ、死滅した都市に生命を感じさせるものは、ぽつぽつと、まばらに生える針葉樹だけ。とても生物が生きていける環境ではない。


 しかし『龍』の生態は、既存の理論だけでは推し量れない。龍とは、この世界の人々が龍脈と呼ぶ概念が司る、この世界に現出するものの総称だ。


 大地、海、空、虹、雲、川、滝、泉、湖、花、草原、風、雨、雪。

 あまねく自然、そして、人々が造り上げた人造の巣、都市にも龍は棲む。


「……あの先には、一体どんな龍が居るんですか」

 レベルAへと続く岸壁を漫然と見つめるティムズの背中に、パシズが語り掛けた。


「今は任務に集中しろ。この任務を終えたら、私が知っているだけの事を説明しよう」

「……はい」



 大通りを中心に、小さい路地に至るまで立ち並ぶ、頑強な石造りの建造物が正確無比に区画整理されており、且つて栄えた巨大国家の力の一端を伺わせる。

 そんな国家でも、火山という自然の力には抗う事はできなかった。

 足首が埋まる程に積った灰は、永きに渡る風雨に晒されて固まり、都市の表層を埋め尽くしている。


 丘陵から都市へ下った一同は、程なく、その灰地の中に、密猟者達の足跡と跳躍術の痕跡を発見した。その痕跡は、都市の中心に真っ直ぐ向かっているようだ。


「一体何が目的なのだ。この足跡の深さからして、かなりの軽装。龍を狩りに来たにしては装備が少なすぎる」

「レッタにも言われたでしょう。考えすぎですって、パシズ。どうせ何も考えずにここまで来ちゃったんですよ」


 余りにも迷いのない行軍の正体を未だに掴めぬまま、四人は侵入者を追って、奥地へと進んでいった。


 ティムズとミリィは、建物の壁を蹴り上がり、屋根の上を跳ね駆けた。果てしなく拡がる灰色の石森の上を進んでいるような新鮮な感覚を、ティムズは少し楽しんでもいた。

 時折、最前方を跳ぶミリィが、少し高くなった塔に跳ね登り、周辺の異常の有無に目を走らせる。


「………」

 地上で龍礁監視隊員レンジャー達を追うメイメルタは、屋根を跳ね駆ける二人の姿をずっと観察していた。跳躍術云々は方便で、ティムズとミリィの仲を疑い、ミリィの本心を探ろうと着いてきているのは言うまでもない。


「ミリィ!何か見えるか」

 一際高い時計塔によじ昇り、辺りを見回したミリィに、ティムズが下から呼び掛けた。

「いいえ、何も!足跡はまだ先に続いてる?」

「ああ!」

「深追いはまずいと思うの。何か嫌な予感がする。一旦マリウレーダに戻った方が……」


 しかし、ミリィは、これまで幾度となく訊いた、邪龍の咆哮を耳にした。


「………!待って!直近十一時方向、ロロ・アロロが居る!」

 地表の路地を駆けていたパシズへ声を掛けようとしていたティムズに、ミリィが鋭く叫んだ。ロロ・アロロの咆哮には、剣と爪が弾き合う交戦音も混じっていた。



 急ぎ辿り着いた数区画先の大通りで、背中合わせになった二人の男がロロ・アロロの一群に囲まれ、戦っていた。パシズの推理通り、どちらも身軽な旅装に身を包み、得物は一本のつるぎのみ。


 しかし、楊空艇隊の追跡を振り切る程の実力を持つ者達らしく、邪龍の群れを相手に、軽口を叩き合いながら、見事な連携で、次々と跳び掛かってくるロロ・アロロを仕留めている。


 状況が全く読めない。パシズは次に取るべき手を素早く探るが、当然の様にミリィと、その後を追ったティムズはその戦いの輪に飛び込んでいった。

「ええい、またか!冷静に考えてから動けといつも言って――」

 叫んだパシズの口が、そのままの形で固まった。ティムズとほぼ同時に、メイメルタも何らかの術武具を展開して跳び出していったからだ。


龍礁監視隊員レンジャーか?驚いた。こんなとこまで追ってくるなんて」

龍礁監視隊員レンジャーだな。驚きはしない。それがこいつらの仕事だから」


 二十台後半と見られる黒髪の男達は瓜二つ。双子らしい。唐突の加勢に似たような、しかし若干違うそれぞれの反応を見せ、遅れて加わったパシズと共に、即席の戦陣は組まれた。


 取り囲むロロ・アロロの数は多くはないが、共鳴による増援や、戦いの気配を感知した他の龍が現れる可能性もある。龍礁監視隊員レンジャーはこの場からの離脱を双子の密猟者に促すが、彼等はそのつもりはないようだった。むしろ、それを歓迎している節すらある。


 大通りの中心で円陣を組み、四方八方から迫るロロ・アロロを、それぞれの得物で

 迎え撃つ六人。

 ティムズとパシズは術弩を撃ち、ミリィは幻剣を閃かせ、双子の男は長剣を振るい、メイメルタもさいと呼ばれる武具に似た術具を用い、戦う。


「何なんだ、あんたらは!何が目的なんだ!」

 迫ったロロ・アロロを術弩で撃ち堕としたティムズが、背後の双子の片割れに叫んだ。


「知っているから追って来たんだろう。高位の龍とやらに会いに来ただけだ」

「判っているから追って来たんだろう。高位の龍が棲むという街に来ただけだ」


「一遍に答えるなよ!だから、それは何の為なんだって聞いてるんだ」

 掴みどころのない振る舞いと答えを返す双子に、ティムズが憤る。


「………」

 パシズはその答えが、本質だという事に気付く。

「待て、つまりお前達の目的は、ここに辿り着く事そのものという事か」


「それが契約だ」

「それが条件だ」


 ロロ・アロロに向けていたパシズの左腕が下がる。


「パシズ!何ぼうっとしてんだ!」

 突然動かなくなったパシズに迫るロロ・アロロを撃つティムズ。


 パシズは、突然の眩暈めまいに襲われていた。

 ――何かが、今、繋がった気がする。何かが俺の記憶を繋げようとしている。


 しかし、今はその記憶を探る時ではない。

 とにかく、何もかも、全ては、対峙するロロ・アロロの包囲を打ち破ってからだ。

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