第七節9項「愚か者どもは、そしりを受け」

「す、すいませんっ、遅くなりました!」

「……遅いぞ。シュハル」

「はい……本当にすいません」


 ミリィが執務室の扉から飛び込んできたのを、机の上で手を合わせ組んだジャフレアムが待ち受けており。もしかしたらずっとこの体勢で待っていたのかもしれない、とミリィは思った。


長尾驢龍ながおろりゅう脱走の件は聞いている。解決してから随分と経ってもいる様だが……まあ、それはいい。孔雀龍の件について、詳細を頼む」

「ええ、はい」


 その切れ長の、深緑の瞳で、息を整えているミリィを見据えるジャフレアム。しかし、彼は遅刻を怒っているのではなかった。


 ―――――――――――――


「――素晴らしい成果だった。龍礁監視隊員レンジャーとして更に成長しているようだな」


 孔雀龍プクラウルムとの遭遇、交戦の経緯を一通り聞いたジャフレアムは、精一杯の讃辞を贈ったつもりなのだが、その表情は相変わらず、無。

 委縮している様子のミリィをなんとか励まそうとする心算は、上手くいかなかった。


「ありがとうございます。でも、それは私の力だけじゃありません。マリウレーダ隊の皆が居てくれるからこそです」


 ジャフレアムが、月並みの謙遜で答えたミリィを、改めてじっと見つめる。


「そうか。だが、その仲間達にも話していない事があるだろう」

「え。……」


 ミリィは、じっと見つめる深緑の視線に、その言外の意図を直感した。


「……彼女に、聞いたんですか」

おおむねな」


 ジャフレアムは、顔を青くして動揺しているミリィに、静かに語り掛ける。

「……シュハル」

「私も、ファスリアに想い人を残してきた身。故に君の身上も、ローエン公の想いの一端も理解はできる。だから私からは何も言わない。だが、君の決定は尊重する。すぐに答えは出せないだろうが、君自身が決めるんだ」


「……はい」

「……今は、以上だ。退がって良いぞ」


 小さく呟き、それ以上何も応えないミリィに、ジャフレアムは退室を促す。

 それを受け、振り返って力なく歩み寄った扉に手を掛けたミリィの、小さい背中が、少し震えた。


「……この話、皆へは、まだ明かさないで頂けますか?話す時は、自分の口から、伝えたい」



 ――――――――――――――――――――――



「あら、ミリィちゃんはどうしたの。帰投してるんでしょ?またお手柄だったみたいだから、スペシャルメニューを用意して待ってたんだよ」


 給仕のおばちゃんが大量のご馳走をひしめかせた食事盆を前に、困ったわあ、という顔をし、カウンター越しに立つティムズは、山と積まれたパスタやサラダ、鳥の丸焼きなどを前に、スペシャルにも程があるだろ、と思いつつ、応える。

「さあ。もうイアレース管理官への報告は終わってるはずなんだけど」

「知らないのかい?あんたたち、いっつも一緒に居るのに」


 おばちゃんは少しティムズをからかおうと、口元を緩めた。常にではないにしろ、本部での滞在中は、大抵二人で過ごしているティムズとミリィの仲を、こっそりと面白がっている者の一人である。


「それは……仕事だからだよ。いつ出撃る事になるか判らないんだし、すぐに集まれるようにしておかないといけないから」


 ティムズはおばちゃんに応えつつも、食事の総カロリーを計算していた。こんなの絶対におかしい。いくらなんでもこれはあんまりだと考えていた。


 なので、おばちゃんが急に素知らぬ振りをして「さて、そろそろポテトが煮上がったかしら?大変大変、急がないと次々に飢えた男共が押し寄せてくるからねえ」と、わざとらしい説明口調でその場を離れていった理由を、すぐには気付けなかった。


 その理由は、何時の間にか、すぐ背後に立っていたアルハだ。


「……わっ!」

「……やあ。早くしてくれないか。後がつかえている」


 振り返って驚いたティムズに、アルハは小首を傾げて、背後の様子を促した。おばちゃんの言う通り、日中の勤務を終えて、夕食にありつこうとする職員達が「早くしろよ待ってんだよ」という目線で、ティムズを見ていた。


 ―――――――――――――――


 給仕を受け、アダーカ隊の面々が待つテーブルへと向かうアルハの後ろ姿を、ティムズはどういう気持ちで見ていればいいのか判らない。


 『あの時』以降、アルハは普段と変わらない様子を見せていた。


 あの時、アルハは自身の行動に驚いたように、慌てて走り去った。


 微かに触れた柔らかな感触だけが、ティムズの記憶に鮮烈に残っているが、一瞬の出来事であり、その後、常にアダーカ隊の誰かと一緒に居るアルハと二人きりで話す機会はなく、話したとしても普段通りに接してくるので、もしかして全部夢だったんじゃねーかと疑いすらしていた。


 一般職員達の賑わいに紛れ、席に着いたティムズは、マリウレーダ隊の面々を待つが、今夜はまだ誰も来ない。ジャフレアムやピアスン、パシズを始めとする階級の高い者は自室で配膳を受けるので当然として、レッタもタファールも、そしてミリィの姿もない。


 そんなティムズの元に、待望の仲間がやっとやって来たが、それは残念ながらタファールだった。


「――んじゃ、例の件、宜しくな」

「ええ、そっちも早めにお願いするっす」

「任せておけ、とびきりのお姉ちゃんを紹介してやるから」

「マジっすか――」


 誰かと談笑しながら近づいてくるタファールの、大体は内訳を予想できる会話が聞こえてきて、ティムズはげんなりし、少し羨ましくも思った。ああいう図太さが自分に少しでもあれば、さぞかし充実した毎日を送れるだろう。


 相手と別れたらしいタファールが、一人ぼっちで項垂れているティムズを見つけると、どさっ、と勢いよく対面の席に座る。


「何を凹んでるか知らねえけど、次の任務が迫っているぞ、ティムズ隊員。我々兵隊には落ち込む権利も、時間もないのだ」

「ああ、へえ、そう」

 あからさまな生返事を繰り返すティムズだったが、タファールは全く気にせず語り続ける。


「この間、ネウスペジーに行ったろ?あの時に色々と情報網あみを仕掛けておいたんだが、早速、愚か者どもが引っ掛かったぜ」

「どうやら大規模な密漁団が結成されたらしい」


「……まさか、あの三人組か?」

「いいや、あいつらはただのバカだよ」


 ティムズは飄々と語るタファールに複雑な目を向けた。殆どずっと一緒に居たのに、いつそんな暇があったというのか。能ある龍は爪を隠すと言うが、その言葉通りに振る舞うタファールを、感心するべきなのか、呆れるべきか。


「ただ、一つ問題があってさ。良いニュースと悪いニュースがある。どっちを先に聞きたい?」


 やっぱり呆れた。にやつくタファールは、この台詞をどうしても言いたいだけだという事が、手に取る様に理解わかる。画劇か何かで見たのだろう、こいつはそういう奴だ。


「勿体付けずにさっさと言えよ、エロバカキノコ」

「じゃ、良い方な。ネウスペジーの保安兵と連携して、密漁団の半分は既に逮捕されてる。龍礁侵入共謀罪を、計画段階でも適用できるようになったおかげでな」

「で、悪い方。半分は逮捕したけど、残りはまだ、百名近く居る模様」


「ああそう、そりゃ大変だ……」


 呆れて適当な応えを返すティムズは、パンをちぎり、スープに浸し、口に放り込み、暫く咀嚼をして、それから咽込んだ。


「……ひゃ、百!?」

「お、いいぞ今の間。ツボを抑えに来たな」


 ティムズが噴き出すのを予想していたかの様に、椅子を引いて下がっていたタファールがまた笑う。涙目になったティムズは咳を抑えながら、またタファールの性質たちの悪い大嘘なのではないかと疑ったが、そうではなかった。



 ――――――――――――――――――――――――――――



「団体客のお出ましとは、一体何を考えているのだ……」

「パシズ。世の中にはね、なーんも考えてないバカは結構いるの。そしてあなたは考えすぎの方」


 困惑するパシズに、さもありなんと悟りを見せるレッタが嘯いた。


 タファールの『仕込み』により判明した、新たな問題への対策を立てるため、マリウレーダ隊の面々は、帰還の疲れを癒す間もなく、夜も遅くなってから、談話室へと集められていた。


 今回の相手は、タファール曰く「密猟兵団とは名ばかりの『超危険地帯!?龍礁へ龍に見に行きたい皆集まれ!』」という凄まじく軽いノリで集まった、冒険者気取りの若者たちだという。一応は人の侵入を阻む結界機構があっても、それを突破してまで、物見遊山を目当てにやってくる愚か者が今まで居なかった訳ではないが、それが百人ともなると前代未聞の出来事だった。


「好奇心猫を殺す、か。興味を持って痛い目に合うのも一つの学びではあるけど、流石に度が過ぎちゃってるわね、これは」

「度し難い。なんという思慮の浅さだ。私には理解できん」

「パシズの思慮が浅くなったら、それは色々と問題な気もするんで、理解しないままでいてください」


 ティムズは、なんとか『最近の若者』の行動原理を嚙み砕こうとするパシズが頭を抱え、下がった頭の向こうに、談話室の隅で影の様に立ち、じっとこちらの様子を観察しているメイメルタと目が合った。


「……で、あの女性ひとは、何でここに居るの……?」


 あらましは、こうだ。


 メイメルタは、その真の目的を隠す事を条件に、第四龍礁においてのミリィの暮らしぶりの詳細をローエン家に報告する為、暫くマリウレーダ隊に同行する事を、ジャフレアムとキブに打診していた。勿論、大陸有数の名家が誇る資産が、ここでも物を言う。かなりの額の『搭乗代金』を支払ったらしい。


 それは、常に予算の逼迫に喘ぐ第四龍礁においては無視できない程の額だった。流石のジャフレアムもこれには異を唱える事はできず、あえなく了承していた。

 

 予算には勝てなかった……のだ。


 龍礁で運用される楊空艇の数が減る以前、アラウスベリアの情勢が安定していた頃は、こうした『観光』も業務の一部として、且つては恒常的に行われていた事もあり、不意の来客が楊空艇に乗り込む事も多くあった事を知るクルー達も、この件については特に不自然さを感じなかったらしい。


 ただ一人を除いては。



 ――――――――――――――――――――――――――



 雑兵とは言え、あまりにも大規模な今回の相手は、楊空艇を駆使しても抑えきることは難しいだろう。そして、それに紛れてまた強力な密猟者が侵入せんとする可能性も充分に在り得る。アダーカ隊や地上警備隊ベースガードと協力し、包括的な対応策を、なるべく早急に練らねばならない。


 しかし、今日明日で済む話でもない。取り敢えず今夜は休むべし、と宣言したピアスンに従い、解散したマリウレーダ隊は三々五々、自らの寝床へと戻っていった。


「おやすみ、ミリィ。また明日」


 ティムズがミリィの後ろ姿に声を掛けると、彼女は振り返り、笑顔を浮かべかけるが、そのティムズの背後からじっとこちらを見つめているオレンジの視線に気付き、何を誤魔化そうとしているのかも分からないまま、出来るだけ抑えた声で応える。

「……うん、おやすみ。また明日ね」



 二人の様子を観察していたメイメルタが目を細め、自らも来賓用の宿室へ戻る為に談話室を後にする。

 人気ひとけの無い長廊下を抜け、階段を上がる。そして、吹き抜けになったロビーの回廊へ。



 そこでふと立ち止まり、背後の闇へと声を掛けた。

「何用でしょうか?尾行しているのは判っております。足音も気配も隠しきれていませんよ」


「………」

 角の影から現れたのは、腕を組み、敵意を向ける様な表情と立ち姿の、レッタ=バレナリーだった。

「さっすがローエン家付きの執事兼、身辺警護。ミリィに武術を教えただけの事はあるわね」


 ただ一人、ミリィから、身の上を詳しく聞いていたレッタは、唐突に第四龍礁を訪れたメイメルタの目的を察していた。彼女を尾けてきたのは、勿論、ミリィの為だ。メイメルタもかなりの切れ者な上、相当に腕が立つ女傑だという話だが、口論でなら自分が負ける訳がない。


 しかし、振り返ったメイメルタは、レッタの予想外の言葉を口にした。


「レッタ=バレナリー。二十五歳。南ムーベリア出身。稀代の楊空艇技士。なるほど、貴女も私を説き伏せようとなさるおつもりですか」


「………?」

 片眉を吊り上げ、眼鏡の奥の赤茶瞳を訝し気に細めるレッタ。ミリィは一度もローエン家に返事を寄越した事は無い、と言っていた。それなら何故私の名を?


「一つ間違えば国家間の均衡を崩す程の兵器、楊空艇。それを曲がりなりにも復活させるほどの知識と技能。貴女は、貴女が思っている以上に、各国の耳目を集める人材で在る事を自覚なさってないようですね」

「……私の話はどうでもいい。あんたと話したいのは、を苦しめているあんたと、あんたのあるじの事だ」

「わたくしたちは、様が得るべき、本当の幸せを心より願っているのです」

「本当の幸せ?求めてなんて居ない相手に、数年に渡ってしつこく手紙と花束を贈り続ける、気色悪い偏執狂ストーカーと、その狂信者が良く言うわ」

「見解の相違ですね。貴女は楊空艇技士としては優れていても、まつりごとや歴史については無知のよう。多少なりとも彼を知っていれば、そのような愚弄は出来ないはず」

「話を逸らすな。とにかく、ミリィは絶対にあんた達の元に戻りはしない。とっとと諦めて他の女を見つけろって、頭が"お花畑”のボンボンに伝えてやりなさい。その方がお互い幸せだ」


 メイメルタは笑った。意図的にローエンを貶めて、彼女の倫理に隙を作ろうとするレッタだったが、それは読んでいたし、その程度の侮辱は一般庶民の間からいくらでも湧いてくるものだ。それに。


「ミルエルトヴェーン様に、魅力がないと仰りたいの?そんな簡単に諦められてしまう程度の女性だと」

「それは……そんな事はない。あのは……」


 レッタは口籠る。確かに、自分がもし男だったら、きっとどうにかしようとしていたかもしれないと、時折、寝室に泊まりに来る無防備なミリィの寝姿に考えた事もあったりした。


「……もしも」

 動揺を見せたレッタに、メイメルタが呟いた。

「ミルエルトヴェーン様が、この地で出逢った想い人と、共に過ごす事を選択するのであれば、その時は、ローエンも潔く引き下がる所存です」

「しかし、今の所はまだ、その様な想いを通わせる相手は居ないご様子。それを見定める事ことも、私の役目なのです」

「この話は、ミルエルトヴェーン様にも内密にお願いしますね。この話を聞いたからと言って、本意ではない関係を無理に作られては、わたくしとしても不本意ですので」


「……何で、そんな話を私にする?」

 唐突な話に、レッタが訝し気な顔をした。言外に何か意図を隠しているのではないかと思わずには居られない。


「許嫁の件を貴女だけに打ち明けているのなら、きっと、ミルエルトヴェーン様は貴女の事を信頼しているのでしょう。ですから、その信頼に準じて、わたくしも、貴女には正直にお伝えしておこうと思っただけです」


 メイメルタは微かに笑い、応えた。


 レッタもまた、彼女ミリィの事を妹の様に可愛がり、そして彼女が最も信頼する者の一人であろうから。

 そして、

「それが、公正公平を旨とするローエン家の定是ていぜでもあるから」

「………」


 身分も立場も違う、二人の『姉』の舌戦は、そこで途切れた。


「……では、わたくしは休ませて頂きます。今日は色んな方と話をして、流石に疲れたので……また明日みょうにち


 胸に手を当て、丁寧に礼所作をしたメイメルタは、振り返り際に、

「ところで。貴女も、もう少し髪の手入れをなさっては如何でしょう。折角美しい顔立ちをしていらっしゃるのに、それでは勿体ないですよ」

 と言い残し、その場を去っていった。


 レッタはその背を見送り、ぼさぼさ頭をばりばりと掻いた。なんか褒められたらしいくだりは、どうでも良い。今のレッタの頭に浮かんでいるのは、ティムズとミリィの事だった。


 ――ああもう!あいつがもう少しでも、男らしい所を見せていれば、解決するんだ。それにあのもあの。過去のしがらみなんて捨てて、素直になれば良いのに。なりたいと思う自分になれるだけの、力があるのだから。


 しかし、それは両立しない事も、レッタには良く判っていた。


 重荷から解放されているからこそ、今のミリィは優秀な龍礁監視隊員レンジャーとして自由に飛ぶ事が出来る。その源に触れる事は、彼女自身が目指すものへの、足を引っ張る事になるかもしれない。


 そして、恐らくはティムズも、事情を知らずとも、何処かでそれを感じているのだろう。


 『思う』事が苦手なレッタは、常に心で『考える』。


 ――しゃあない。この天才が、上手い具合の落としどころを見つけてやろうじゃないの。


 だが、その明晰な心は、一つだけ重要な事を忘れていた。

 レッタ=バレナリーは楊空艇以外の事柄に関してはてんでダメなのだ。

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