第七節2項「霧雨に群れ、色雨に濡れ」

 レインアルテの飛翔速度は、今のティムズにとっては難なく追いつける程度のもので、追跡を始めてから程なく、追いつく事は出来た。


 が、レインアルテは川の流れに沿う様に飛び、ティムズが後方に取り着こうとする度に尾を振り上げては水面に撃ち、ティムズは大量の冷水飛沫ひやみずしぶきを浴びて、猛然と立ち込める水煙に巻かれ続けていた。


「こ、の、や、ろ……っ!!」


 追跡を続けるにつれ、未知のF/III龍に畏れと警戒を持っていたはずのティムズは、まるで遊ぶ様に逃げ飛ぶ虹滝龍に、腹立たしい気持ちを強めてきていた。


 ガチガチと歯を鳴らしながら、身体の震えに負けじと、言葉に熱を込める。

「絶対に追いついてやるからな、見とけよ……!!」


 何度目かの水壁を突破した時、ティムズの全身は、戦衣から下着、靴下に至るまで、全てずぶ濡れになっていた。それでも凍えそうになる身体で追い続けるティムズが、レインアルテの飛翔姿から、その特性を少しずつ理解していく。


 確かにF/III級に相応しい、膨大な術式を行使する龍ではあるが、その術式の力はアドルタ=エヴィトと同様に、ほぼ飛翔式に変換されているようだ。つまり、その体表結界は薄いと思われ、接近する事さえ出来れば、鱗の一枚程度なら剥ぎ取る事は、確かに可能かもしれない。


 渓流の岩から岩へと跳ね登り、追跡を続けるティムズ。相変わらずレインアルテの水撃は繰り返されているが、もうちょっとやそっとじゃティムズの情熱の火を消す事は出来ない。と言えば恰好がつくが、今のティムズを支えているのはド根性と、単純なムカつきだった。


 そんなティムズを知ってか知らずか、レインアルテはあくまでも優雅に、その美しい身体と飛翔光を躍らせて進む。やがて両岸は切り立つ崖になり、龍と、龍を追う者は深い谷へと入り込んでいった。


 数えきれない程の大小の滝が、前後左右から谷底へと落ちて来る、滝の回廊。荘厳な光景に身体をくねらせるレインアルテの姿に、いつしかティムズの苛つきは収まり、ただ純粋に、この美しい龍を何処までも追っていたいという想いが足を動かしていた。


 やがて、レインアルテは扇状に広がった空間に舞い出た。一段と高くなった絶壁から、淵の一点に向かって落ちる、コの字型の、一番大きな滝の前で、ゆっくりと旋回を始める。

 その身体の周囲の術式光は更に激しさを増し、強力な式となって、レインアルテの身体そのものが光の中に溶けていくようだった。


(……昇華!?いや、違う……?)


  滝壺の淵の畔に立ったティムズが、ゴーグルの奥の目を細めて見上げる。その視線の先で、レインアルテは幾筋もの滝から滝へと飛び込み、流れに逆らい、遡るように、螺旋を描いて泳ぎ飛ぶ。水面からは、まるで雪が逆さまに降る様に、光の粒がゆらゆらと滝の上へ向けて立ち昇り始めた。


「……が『巣』か……!」


 唖然として呟いたティムズは、刹那、はっとして、『巣』に向かって滝の前を周回し、昇っていくレインアルテに接近しようと、滝の合間に頭を覗かせる岩々を跳ね跳び、上へ上へと蹴り上がっていった。


 昇りゆくレインアルテの身体と術式光が、ますます光り輝き、膨大な数が現出している術式の中に、消えていく。


 龍を区分する種別コードは、主な生息域を示すもの。一種から三種はそれぞれ、概ね陸、水、空に該当するものだが、四種は『そのいずれでもない』もの。

 龍脈そのものを棲み処とする龍種。そして、レインアルテはその現れの一つである『滝という現象』を巣とする龍だったのだ。


(そりゃ、探してもなかなか見つけられない訳だ……!)


 長らく謎だった高位の龍の生態の一端を垣間見たティムズは、好奇心に軽く震えて笑う。レインアルテは、更に滝を昇っていく。ティムズも追随し、まさに今、巣に飛び込み、帰ろうとしている虹滝龍へ向かって、岩を蹴り続けた。


 虹滝龍が身体に纏う色とりどりの術式光が、白く、そして金色に輝くものになる。


 一瞬たりとも迷わなかった。

 

 滝を昇りきった龍の姿が一際強く輝いたその時、ティムズは大きく跳び、無我夢中で、手を伸ばした。


 バシン―――!!


 巨大な術式音が滝の聖堂に響き、凄まじい光と共に、レインアルテは消えた。


 そして、ティムズの手には、鈍い術式光が走る、緑色の、人の掌大の背鱗が握られていた。

「……よし……っ!!」

「……あっ」


 全然、ヨシ!ではない。思いっ切り空中に身を放り出していたティムズは、幾つもの滝が雪崩込む滝壺へと、成す術なく、真っ直ぐ、真っ逆さまに、墜落していった。



 ――――――――――――――――――――


「ふわあ、すごーい。こんな場所があったんだ」

「レインアルテは何処に行ったんだ?」


 ティムズが追跡中に残していた標光ビーコンを追ってきていた学者陣が、程なく滝の聖堂に到着する。サリッサはうっとりと荘厳な光景を見回し、オルテッドは研究対象の姿を探す。そしてギュタートは、淵に浮いているティムズの装備品の幾つかを目にし、心配そうな顔をしていた。


「まさか、やられて淵に沈んでるんじゃないだろうな……」


 半分は当たっていた。

 水面で強かに全身を打ち、泳ぐことは全く想定されていない造りの戦衣に邪魔されながら、文字通りの死力を尽くして、淵の畔に辿り着いていたティムズが、泥に顔を突っ込んで倒れているのが、すぐに発見された。


 かなりの水を飲み、昏倒しているティムズに、誰かが人工呼吸をする、しないの悶着と口論が交わされる中、ティムズはなんとか自力で蘇生する。

 起き上がったティムズが水を吐いて、激しく咳込んでいる所に、学者達はわっと集まって、彼の生還を喜ぶよりも、レインアルテがどうなったのかと口々に尋ね始めた。


 息絶え絶えに、この場がレインアルテの巣である事を告げ、その巣に帰り行く瞬間について語ると、学者達は多いに興奮したし、更に、鞄から、奪取に成功した背鱗を取り出すと、三人は狂喜してティムズの頭をぐしゃぐしゃと撫で、肩や背中をバンバンと叩く。ティムズはそれでまた吐きそうになった。


 手渡した背鱗は、未だに術式光を放ち、ちりちりと音を立てて分解しそうだった。ギュタートは現存状態を維持する為のごく小規模な封龍結界を作る術符を取り出し、小さな正方形の光の中に鱗を収めた。


 朦朧とする意識の中で、それが何を意味するものなのかに若干の興味はあったが、低体温症寸前でぶるぶると震えるティムズを完全に無視して、学者達の方はすっかり舞い上がった様子で、口々に意見と討論を交わしていた。


 龍礁監視隊レンジャーは時折、命知らずの、頭がどうかしている連中だ、と揶揄される事がある。しかし、学者連中もまた、別の所がどうかしてるんじゃないか。


 ティムズは遠のく意識の中で、そんな事を思った。



 ――――――――――――――――――――――――――――――



「だから何度言えば判るのっ!霊基回路を直接繋ぐんじゃあないッ!」


 楊空艇マリウレーダのブリッジに、レッタの怒号が響いた。


「すいませんすいません、でもこんな複雑な術式、ボクに判りません!無理ですぅ!!」


 本来はタファールが座っている席に着いている若い楊空艇技士が、レッタに怒られ続けて半泣きで謝っていた。


 『政治工作』の為に、龍礁管理局総本部があるリドリア章国に滞在中のジャフレアムと行動を共にしているタファールの代理の操舵術士オペレーターとして、マリウレーダに乗り込んだ技術整備班の若い技士は、複雑怪奇なマリウレーダの制御術式の前に、すっかりノイローゼになっていた。


「ひっく、うぅ、うええ」

「レッタ、あんまり苛めないであげて。たたでさえ楊空艇の制御は難しいのに、ええと、その……」

 嗚咽に肩を震わせる男を見かねて、ミリィがおずおずと声を掛けるが、言葉を選ぶように言い淀み、

「お前が訳の分からん改造を無暗やたらと、好き勝手に重ねているからだろう。つまり悪いのはレッタ、お前だ」

 パシズがはっきり言った。


「うぐぐ……」

 ぐぬぬ顔をしたレッタが振り返ると、ミリィは「言ったのは私じゃないから」という顔で余所見をしており、パシズは片眉を吊り上げていた。

 更に、帽子を弄るピアスンが、パシズの言葉に無言で同意する素振りを見せたので、レッタは精一杯のフォローを試みなければならなかった。


「あー、悪い。言い過ぎた。ほら、一つずつゆっくりやろう。ね?落ち着いてやれば出来るから」

「優しくされたら、それはそれで、めっちゃ泣きたくなるんですけどぉ……!」

「どーすりゃいいのよ!!」


 その様子を、肩を並べて見守るミリィとパシズ。

「……こうしてみると、あいつはやはり優秀なのだと認めなければならないのか」

「そうねー……」


 普段は道化染みた振る舞いで、関わる者という者の調子を乱すあいつタファールではあるが、その余裕は、それなりの有能さから来ているものなのだと、改めて認識する。


「そのタファールは、イアレースさんと上手く行ってるのかな」

「問題は無いだろう。委員会の人事に何処まで手を入れるつもりかにもよるが」

「そうじゃなくて、仲良くやれてるのかなって。ほら、性格的に」

「法務部の者も同行しているし、お互いに妙な気は起こさないだろう。二人きりなら判らんが……少なくとも、私なら三日も経たずに殴るかもしれん」

「……私もひっぱたくかな、たぶん」


 

「ひっ、ひっく……、……?レッタさん、これ、回収要請、でしたっけ……?」

 レッタの必死の宥めすかしにより、幾分か落ち着きを取り戻した代理の操舵術士が、恐る恐る声を上げる。

 彼が見たのは、レインアルテの調査を終えた学術調査隊からの、迎えを寄越せという連絡の合図だった。


 そして、数時間後、暗くなりかけた峡谷地帯から、学者陣と一緒に、冷気にすっかりやられて思いっきり風邪をひき、ぶるぶる震えるティムズが、概ね、無事と言えるぎりぎりの状態で、マリウレーダに戻ってきたのだった。



 ―――――――――――――――――




 第四龍礁本部付近の一帯では、日没近くになって更に雨足が強まり、時折、遠雷の轟きが地鳴りの様に響いていた。


「アカムさん~、また雨漏りしてます~。お願いできませんか~?」

「こっちの窓も大分歪んでる。早いとこ頼むよ、タムくん」

「居住フロアの給湯制御が変なの。このままじゃシャワーも浴びれないっ」


「はっ、はいぃっ」


 ロビーでは、茶もじゃ髪を揺らしながら、総務部の一番下っ端、つまり雑用として各部署のお使いに勤しむ、アカム=タムの姿があった。


 ジャフレアムとリャスナの戦闘はロビーに甚大な被害をもたらし、その余波は本部施設全体にまで及んでいた。城塞としての機能を全て解放したのは初めての事で、施設に張り巡らされた術式網のあちこち、生活全般に用いられるものまでも不具合が生じ、未だに完全な復旧の目途は立っていない。


 アカムにとっては、誰かが命令を下してくれるのを待ち、それに従い続けるだけの方が気が楽だし、都合が良かった。自分で何かを決断するのは重荷でしかなく、自らの意思で何かを選んだ事は、これまでの二十四年間の人生で、一度たりともなかった。

 なので、今は、やるべき事を指示してくれて、金も払ってくれる者の為に働いている。


 荷物を抱え、ばたばたと駆け回るアカムは、前に立つエフェルト=ハインに気付かず、真正面からぶつかった。

「おっと」

「いった!」


「大丈夫か?前はしっかりと良く見て歩けよ」

 転んだ拍子に盛大に荷物をぶちまけて、あわあわと拾い集めるアカムを、いつものにやけ笑いで見下ろすエフェルト。手伝うつもりはまったくないらしい。

 頬に若干の火傷の跡が残ってはいるが、その他には以前と何ら変わらない様子だった。トレードマークの黒キャップも、何処で手に入れたのやら、新しい物に変わっている。


「どうしたんすか、その帽子」

「取り寄せた」

「前のは誰かの形見だって言ってたのに、そんなんでいいんすか……」

「ん?ありゃ嘘だよ」

「えええ……?」


 アカムが荷物を集め終えて、呆れた様に睨みながら、ようやく立ち上がったところで、エフェルトが言う。


「なあ、今夜、一緒に吞もうぜ。帽子とついでに、少し上等な酒も仕入れたんだ。快気祝いといこうじゃないか」

「それなら彼女と一緒に吞めばいいでしょ」

「最初はそのつもりだったんだけどな。今夜は忙しいんだと」


 上等な酒。アカムの心は揺さぶられ、お供させて頂きたくて堪らないようだったが、心の底からがっかりしたように項垂れた。

「……俺も今夜は忙しいんす。やる事がまだまだ沢山あって……。多分、徹夜になると思うす。残念だけど、他を当たってくれます?」


「そうか。うーん、地上警備隊ベースガードの連中も殆どが出払ってるからなあ……知ってるか?風雨が酷い夜は、密猟者が侵入しやすいんだってよ」

「へえ、初耳っすねそれ。そんなバカ居るわけないすよねえ……いってえ!」


 エフェルトは無言で生意気な仲間の肩にグーパンを決めると、痛がるバカからとっとと離れて、酒盛りに付き合ってくれる仲間を求める旅に出た。


 ――出来れば、女がいい。


 夕食の時間が近づき、中央食堂には大勢の職員達が集まり始めている。獲物を物色してうろつくエフェルトは、給仕所に並ぶ者の中に、紺色の髪の龍礁監視隊員レンジャーの後ろ姿を見つけた。


 エフェルトはふむ、と一唸りして、その見知った背姿をじっくりと吟味する。伸ばし始めてまだ日の浅いショートカットは、まだまだ少年の様な印象を拭い去れてはいないが、きちんと観察すれば確かに女性らしい、たおやかな体躯で、腰はしっかりと引き締まっている。


 定例任務の合間に、一時的に本部に立ち寄っていたアダーカ隊と共に滞在中のアルハが、給仕の女性に食事を注文している所だった。


 エフェルトがその戦衣の下に隠れた肢体を想像していると、ふと、アルハが横を向く。眠たげな、ぼんやりと遠くを見つめる吊り目は、内に秘めた冷静さと凛々しさを湛えている。龍や密猟者を相手に戦う、誇り高き龍礁監視隊員レンジャー、の顔だ。

 

 その表情が、どう歪むのか。どうやって歪ませてみせるか。

 エフェルトに、興味が湧いてきた。


 給仕を待つアルハに近づき、素早く声を掛ける。

「よう、この間は世話になったな」


 振り返ったアルハが目を細め、つい先日、命を救った地上警備隊員ベースガードの名を思い出そうとする。

「きみは、確か……?」

「ハインだ。エフェルト=ハイン」


 エフェルトは気取った風に給仕所のカウンターへ肘を掛け立ち、早速、先日の件を引き合いに出して誘いをかける。

「あの時は、お前のおかげで助かったよ。礼って言える程のもんでもねーけど、酒を奢らさせてほしい。良いブツが手に入ってさ。部屋に用意してあるから、一緒に吞もうぜ」


「………部屋?」

 怪訝な顔をするアルハが口を開きかけたのを制し、エフェルトが、素早く付け加える。

「勿論、他の地上警備隊ベースガードの連中も呼んである。改めて、静かに仲間達を弔う機会を作りたくてな。俺はずっと入院してただろ?だからさ……」


 神妙な顔を取り繕うエフェルトの言葉の半分は、勿論、嘘。

 但し、半分は本当でもある。

 

 アカムは今夜は戻ってこないと言っていた。この女が酒に強いのかどうかは未知数だが、もし弱いのならば絶好の機会だ。駄目でも元々。試さない手はない。


「……そうか。そういう事なら、ぼくも付き合わせてもらうよ」


 男の言葉うそおもんぱかってしまったアルハが薄く微笑み、エフェルトの内心が舌なめずりをした。この無警戒さには付け入る隙がある。いくら龍礁監視隊員レンジャーとしては手練れでも、その他の事は色々と経験不足なのは間違いない。


「それじゃあ、後でな」

「判った」


 約束を取り付けたエフェルトは、歩き去るアルハの背姿に目を細め、逸る気持ちを押さえつけながら、軽くシャワーでも浴びておくかと、部屋へと戻っていった。

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