第七節3項「近付き合って、離れ会う」
今はエフェルトとアカムの二人部屋になった居室の扉を、アルハが叩いたのは、夜も大分更けてからだった。
やりすぎなくらいに紳士的な所作で招き入れられたアルハは、その不自然さに全く気付かず、易々とエフェルトの『罠場』へと誘い込まれる。
「……あれ、他の皆は?」
「ん?ああ、これから来るさ。先に軽く乾杯しておこうぜ」
あまり広くはない居室の中央の丸机には真っ白なテーブルクロス。細い花瓶に生けられた花と、数本のキャンドルが飾られている。アルハは、それがエフェルトの仲間達への追悼の表れかと思ったが、ムード作りの一環だという事までは想像できなかったようだ。
「さ、それじゃ、景気づけに一杯行こう」
「でも、皆を待たなくてもいいのか?」
「軽くだよ、軽く」
アルハが席に着くなり、木杯に気持ち多めの蒸留酒を注ぐ。普通は何かで割る必要がある程に強烈なものだが、敢えてそのままで振る舞った。
「犠牲になった皆の為に」
エフェルトは、この瞬間だけは真剣に呟き、ぐっと木杯を煽り、一気に飲み干した。
「……皆の為に」
アルハも続き、遠慮がちに杯を傾け、初めての蒸留酒に
「……~~っ!けほっ、なんだこれっ、喉が焼けそう……っ」
「追悼にはもってこいだろ?」
エフェルトは、企みを見透かされないように、必死に取り繕った笑みを浮かべた。
――――――――――――――――――――――
「―—それで、モロッゾは武器商人になる為にイグリム兵団を辞めたんだけど、あっというまに資金が枯渇して店を畳んじまったって訳さ」
「剣に、税が掛かるのを、知らなかったのか、軍属なのに……」
エフェルトが、元軍属だというアルハに合わせ、思い出話を装った会話に興味を向かせ続ける。ちびちびとゆっくり蒸留酒を口にするアルハは、エフェルトの目論見のままに、酔いが回ってきたようだった。不慣れな蒸留酒に頬を赤らめ、ぼうっとしている。
思った以上に酒に弱い様子だ。エフェルトはほくそ笑みながら、語り続けた。
「……あいつは真面目な奴だったよ。素直……愚直とも言えるけどな」
「考えかたに、よるだろう。多くの人は、それをびとくとして、そうしようと、いきれいるのらし……」
口調もたどたどしいアルハの目は、いつも以上に眠たげに、虚ろになっている。
「……うぅ、このお酒は、ぼくには、すこし、つよすぎるようら」
「一応は船乗りの端くれなんだろ?この程度で潰れてたら世話ないぜ」
「そう言われても……」
反論しようとして、アルハの頭が危なげにぐらぐらと揺れる。
頃合いだ。エフェルトは立ち上がり、アルハに肩を貸し支え、
「ほら、水でも飲めよ。今、用意してやるから」
「それは……たすかる」
そう言つつ、ベッドの方に誘導する。
そして、些か乱暴な所作で、アルハを、仰向けにベッドに倒した。
「ふぁっ……?」
戸惑い、ぼんやりと見上げるアルハに、エフェルトが
「なんだ、何を……」
照明の影になり、暗くなったエフェルトの黒い眼差しから逃れようと、アルハが身を捩ろうとするが、腕を抑え付けられ、酔いの回った身体は、男の体重を跳ね除けられない。
「……
少しだけ意識がはっきりしたアルハが、置かれている状況を悟った。
「仲間への弔いだなんて、よくも、そんな」
「まるっきり嘘って訳でもねーんだがな」
エフェルトは、きっと睨むアルハの紺色の目を見つめ。
「ただ、寂しかったんだ。仲間を、旧友を失って。それは本当なんだ」
お互いの吐息が交じり合う程に顔を近づけ、低い声で囁く。
「それは、ぼくだって同じだ。気持ちは、わかる。だけど……」
「なら、判るだろ?その気持ちを、誰かと分かち合いたいって事を」
「……だからこそ、だめだ。ぼくには、そうしたいと思える、好きなひとが、いるから」
必死に顔を背け、嫌がるアルハの言葉も態度も、エフェルトには逆効果でしかない。
記憶と情景を手繰り寄せ、アルハにとっての残酷な事実を突きつける。
「……ティムズか?あいつは、どうせ、ミリィが好きなんだろ。お前の事よりな」
「………」
アルハは、頷いたのか首を振ったのか判らないくらいに、微かに首を動かした。
「………っ…!」
動揺し、目端に涙が浮かび、頬を伝う。
そして、小さくしゃくりあげて、泣き出した。
エフェルトは目を細め、嗜虐に歪む笑みを堪え切れなくなる。
――想う者が居るなら、それはそれで、むしろ、
「辛いか?でもそれが事実なんだ。受け入れろよ。ま、受け入れなくても、そんな事はもう、どうでもよくしてやるさ。どうでもよくしてほしいよな?」
言葉と共に、腕を掴まれる力が強まったのを感じたアルハは必死に抵抗するが、酔いに負けた身体、言葉に折られた心は、思う様に動かなかった。
「やだ……やだぁ……っ」
やがて、抗う最期の力が、抜けた。
――諦めたか?張り合いがないな。あいつの事を想いながらどこまで耐えられるのかを見たかったのに……――
エフェルトが、更に体重をかけ。
そして、その薄い唇を、うば――
ばんばんばばんばばばんばんばん!!
「っ!?」——―えなかった。
エフェルトは、突然の猛烈な打撃音にがばっと身を起こし、激しく揺れる扉の方を見た。
ばばんばばんばんばん。どんどどどん!
………。
一瞬、扉を叩く(殴る)音が止む。
「オラァアあぁァァ!!」
ばーん!!
扉を蹴破ったカルツが、絶叫と共に飛び込んできた。吹き飛んだ扉がテーブルを薙ぎ倒し、花と酒瓶と木杯が、どんがらがしゃどん、と大音響を上げ、部屋に散乱していく。
肩を怒らせ、のしのしと部屋に踏み入るカルツの後ろから、ゼェフが落ち着いた様子で入室してきた。
「何してんだオラァァ!!んなこったろうと思ったぜてめぇ!よくもウチの可愛い部下に手を出してくれてやがんなコルぁァ!」
つんつんに逆立つ怒髪は天を衝き、青筋を立てて一歩一歩、扉の破片や酒瓶の欠片や木杯を一つ一つ踏み潰しながら迫るカルツが、ベッドに横たわるアルハと、その脇から全力で後ずさるエフェルトを見比べ、もはや未遂どころではない現行犯を、部屋の角へと追い詰めていった。
ゼェフはベッドの傍に立ち、アルハの頬に褐色の掌を優しく当て、溜息をつく。
「すまないね、会合が長引かなければもう少し早く助けに来られたんだけど」
アルハは酩酊の限界を超え、気絶同然で寝てしまったようだった。
「何で、お前らが、どうして?!」
エフェルトの方はアダーカ隊の二人を見比べて唖然とし、その疑問はすぐに答えを得た。
「
「
微笑んではいるが、その眼は笑ってないゼェフに、
「ま、待てよ、俺はまだ何もしてねーよ!いや違う、何もしようとはしてねえ!ただ、そいつが休みたいっつーから、ベッドを貸しただけで」
両手を挙げ、膝立ち。完全なる降伏態勢で弁明を図るエフェルトに、カルツが歯を剥き出す。
「今すぐにブッ殺してやりてえところだが、あくまで俺達のボスは副隊長だ。処遇は副隊長に任せる」
「公になれば君は重罪だろうな。ただ、結果的には未遂ではあるし、情状酌量の余地もないとは言えないかもしない。ううむ……そうだな……」
長い耳をぴくぴくと動かしてみせると、ゼェフは徐に、エフェルトの頬の火傷に指を這わせ、顎をくいっと上げて、鼻先に顔を近づけた。
「欲求不満だと言うなら、私が相手を努めてもいいぞ?」
「へっ……」
「心配は要らないよ。私の部族では普通の事だし、君が好きな方を選べばいい」
「何がですか……?」
とっちらかった状況に呆然とし、敬語で震えるエフェルトを無視して、カルツが眠りこけているアルハを、呆れた様に見下ろす。
「……ったく。賢そうに見えて、どっか抜けてんだよな。世話かけやがってよ……」
そう言って、まるで荷物の様に、肩に担ぎ上げた。
「よっと。じゃあ隊長、俺はこいつを部屋まで送ってくるんで。後はごゆっくり」
「カルツ……君も君だ。女の子をそんな雑に扱っては……」
だらりと腕が垂れたアルハを、死体の様に無造作に運んで行ったカルツの後ろ姿を、ゼェフも呆れた様に見送った。
そしてその姿を、恐怖そのものの表情で見上げるエフェルト。ゼェフは改めて、青褪めて震える顔へと、名状し難い笑みを返した。
「今すぐが良いなら
ゼェフが、微笑みながらエフェルトの頬をぺちぺちと叩くが、エフェルトは完全にフリーズしたままだった。
応答がない、ただの抜け殻の様な男を残したまま、ゼェフは散らかった破壊の跡を器用に跳ね避けながら、部屋を出ていった。
ゼェフの『懲罰』が、その後どういう結果を残したかは、誰の口からも、その詳細が語られる事はなかったという。
そして、あくまでも個人間でのトラブルに過ぎない、この件が語られなかった最も大きな理由は、この日の深夜に、ある重大な事件が発生したからであった、
法務部地下、厳重な法術牢に拘禁されていたはずの、リャスナが姿を消したのだ。
――――――――――――――――――――
事が判明したのは、未明の事だった。
見回りを行っていた法務兵が、地下牢の区画に続く廊下で警護に当たっていた四名の
すぐに警戒態勢が敷かれたが、奇しくも
最悪の場合、再度の襲撃が起こる可能性も排除しきれなく、防衛に専念する態勢を構えざるを得なかった。
牢守たちの話によると、突然、霧の様な術式光が廊下を満たし、気を失ったとの事。あらゆる原因が取り沙汰されるも、確証に至る証拠は何一つ残されていない。
同日昼、レインアルテの光鱗を持ち帰ったマリウレーダ隊は、この報を知ると即座に再出発し、捜索、追跡を展開しようとした。しかし、それはすぐに中止される。
手掛かりが無い以上、高位の術士を通常の哨戒航行で発見できる見込みは限りなく薄く、何かしらの兆候が見られてから対応するという、水際での後手を選ぶしかなかったのである。
――――――――――――――
「……っくしっ!」
談話室で、リャスナ脱走の続報を待ちながら、(はっくしょん!)朝を迎えたマリウレーダ隊が、対策と対(っくしょん!)を話し合っていた。
「不可解よね。牢守が無傷だなんて……あの子なら(へくし!)にされていてもおかしくはなかったはずなのに」
「あの少女ではなく、他の二名の内、どちらかが未知の術式を(くしゅん!)能性もあるのではないかね」
「それは(へくし!)いわ。(っくしゅっ!)なら、私達にあっさり捕まったりは(へっくしょい!)だもの」
「考えたくはないが、やはり(へあっ…)が意図的に(へぁっくしょん!!)ないな」
レッタ、ピアスン、ミリィ、パシズにそれぞれくしゃみ声が被り、特に三回も邪魔をされ、我慢ならなくなったミリィが遂に立ち上がり、
「ええい、うるさいっ!!大人しく部屋で寝ておきなさいよあんたはっ!」
キレた。
毛布にくるまったティムズは、やっと役に立つ日が来た、談話室の豪華な暖炉の爆ぜる炎のすぐ前に座り込んでいた。ミリィの台詞は実は三回目で、一、二回目はティムズの身を案じた大分優しい口調と言い回しだったのだが、ミリィの我慢は三度まで、である。一回分足りないのは愛嬌だ。
「あいつが、また何かするかもしれないって時に、じっとしていられないだろ……」
ティムズも三回目の台詞を返す。
本心からの真剣な台詞だ。鼻水さえ垂れていなければ、ミリィも多少は納得してくれただろう。
その時、談話室の扉が開き、旅装に身を包んだタファールが軽快な足取りで入ってくるや否や、リドリアからの長旅を終えたばかりとは思えない、溌溂とした挨拶を飛ばした。
「やあ諸君、おはよう。ネルハッドさんのお帰りだぞ」
疲れ切って反応する気力もない面々。
「……あれ、どうした?朝っぱらから辛気臭いな。あっ、そうか、そうだよな。旅行から帰ってきたら、先ず
長テーブルの上に、タファールがひっくり返した革鞄に詰め込まれていた雑多な品物がどさどさごろごろと転がり出してきた。その中から箱を拾い上げ、ミリィへと軽く投げる。
「これだけで我慢しろよ?他のは、他部署の連中にばら撒く予定のもんだからな」
ミリィは一応は受け取るが「もうヤダこいつ」と言った感じでがくりと肩を落とした。
「タファール。ご苦労だった。リドリアの方はどうだった?」
ピアスンの声に、タファールが振り返る。
その背後で、朝をまた食べていないマリウレーダ隊の面々が、タファールの土産の山を物色し、朝餉に丁度良さそうな物を見繕い始めていた。タファールはその様子に薄笑いながら、ピアスンの脇に立ち、声を落とした。
「……首尾は上々です。局長……いや、元・局長には問題なく退任して頂きましたよ。説得の効果は抜群でした」
「反抗すれば賄賂や増収の証拠を叩きつけて、極刑に持ち込めたんすけど、それは残念ながらイアレース管理官に止められてしまいましてね」
「とにかく、委員会の連中も暫くは身動きは出来ないでしょう。これから先どういう手を使ってくるかは判りませんが、その時は、こっちも相応の措置を取ります」
「そうか。とりあえずでも現状維持を続けられるのであれば、それが結局一番良いからな。詳細はまたイアレース管理官から聞こう。タファール。お前も彼共々ゆっくり休んでくれ」
ピアスンが椅子に深座りし、天井を見上げて一息をつく。気を抜く訳にも行かない現状だが、一つ、大きな課題を超えたと言えた。この調子で一つずつ……
しかし、身を屈めて更に声を落としたタファールが、ピアスンの思索を止めた。
「……船長、聞きましたよ。例のガキが脱走したそうすね」
「……耳が早いな」
「ずっと気になっていたんです。去年からやたら密猟者が増えてるし、その侵入のルートは全部違う。誰かが外縁結界のほつれを作り、結界の脆弱性を調べている可能性があります。そこに来て、法術士のガキの脱走……」
「………」
ピアスンも、他の者に悟られない様に、囁き返す、
「……判っている。そうであってほしくはないが、龍礁内部に、何かを画策している者が入り込んでいると言いたいのだろう」
「ええ。委員会の動向が妙だったのも、誰かが外部に情報を漏らしていたからだという可能性が高いと思われるす」
「……イアレースには話したか?」
「いいえ。もし全てに繋がりがあるのなら、下手な探りを入れると尻尾を掴む前に感付かれて、全容を知る前に逃がしてしまうかも知れませんから」
ピアスンは、暫く目を瞑り、何事かを考えているようだった。
もしそれが本当だとしても、動機も手段も規模も、何一つ判らない。それにジャフレアムも、ファスリア法皇庁との繋がりが強い以上、個人的な信頼関係は別として、少なくとも現段階では、伝えるのを控えておくべきかもしれない。
「……その件はまだ誰にも話すなよ。疑心が広まれば、余計な混乱を生む。そして、混乱は、隙を、育む。あくまでも通常の内務調査として、今は、お前一人で進めてくれ」
ピアスンは、タファールの
「…………」
「…………了解」
今度はタファールが暫く考え込む素振りを見せ、やがて、一言だけを呟き返した。
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