第七節『心逢万響』

第七節1項「F/III-虹滝龍『レインアルテ』」

 霧深い谷の底地に広がる、原生林。

 岩という岩に苔がし、深い渓流が湛える水も、全てが澄んだ緑一色。

 

 勇壮な滝が散らす飛沫は冷気となり、一帯を満たしていた。


「へ……へっ……へっきし!!……あぁ……」

 晩秋の肌寒さにやられたティムズの大くしゃみが、すぐ脇の淵に流れ落ちる、滝の轟きに掻き消された。両腕で身体を抱え、身震いしたティムズは、淵を一望できる森中の野営地の隅に座ったまま、滝を見上げて、恨めしそうに呟いた。


「いつになったら止むんだよ、この雨……出て来るなら早くしてくれよぉ……」


 野営地には野宿用のテント、調理器具、測量、観測用の器材など、雑多な品物が転がっている。最初はきちんと管理し、丁寧に使っていたが、待機が長引くにつれ、どんどんと扱いが雑になり、たった数日でかなりの荒れ様になっていた。



 F/III-第4種2項-虹滝龍『レインアルテ』の捜索、調査に乗り出した龍礁学者隊にティムズが参加してから、丸四日が経っていた。


 レインアルテは、レベルB南東の渓谷部に潜み、虹色の術式光を放つ美しい龍。雨が降った後の特定の時間だけ、レベルBの渓谷付近を飛翔すると伝えらえている。

 緑色の鱗、そして長い髭が特徴的な、所謂『東洋の龍』に近いもので、実存することだけは確認されているものの、その生態は、例によって殆どが不明なままだった。


 詳細な調査の為、マリウレーダ隊に同行が要請されたのだが、マリウレーダ隊は様々な任務を同時に抱えていることもあり、ティムズ一人だけが、初めての単独任務おつかい、『護衛兼案内役ガイド』として参加する事になったのだった。



 情けなさ全開の独り言を決め、とうに飽き飽きしている携行糧食を、もそもそと口にする。龍骨粉や薬草を煮込んで固めたもので、作戦活動に必要な栄養を全て備えた完璧な食事、との事だったが、正直に言って、クソ不味い。まるで草で出来た煉瓦をかじっているようだった。

 不味い飯と、寒さと、湿気。そして、ただひたすらに張り込みを続けるだけ、という四重苦に、ティムズの忍耐力も限界に近づいていた。


 資料――寧ろ伝説、伝承のたぐいに近い――によると、この渓谷地点を中心に出現するとの事だが、それが本当かどうかは判らない。寝ぼけた人が、見間違えたのではないかとティムズは疑っていたが、龍学者にとっては、レインアルテはかなり重要な存在であるらしい。


 空の灰雲は未だにぶ厚く、雨は降りしきっている。ティムズは雨避けにシートを被ったまま、ひたすらに虹滝龍の出現を待っていた。何の動きのないこの状況では、ロロ・アロロですら恋しいと思わずには居られなかった。



「うひゃー、寒い寒い。どうせなら夏の間にやれば避暑に丁度良かったのにな」

 周辺の地理地形の測量を行っていた男が戻ってきて、雨合羽を脱いだ。


「なあ、本当に出るのか?もうそろそろ限界だ。俺はこのままじゃ死にます」

「甘いな、龍礁監視隊レンジャー。研究ってのは忍耐が物を言うんだ。何でもかんでも都合よく出くわすと思うなよ。お前らの華々しい活躍は、常日頃から、おれ達がこういうフィールドワークを積み重ねてるからこそ、ってなもんだ」

「そりゃ重々承知してるよ。でも限界なの!」

「お前、ファスリア出身だったっけ?」

「そうだよ」


 ファスリアは比較的温暖な地帯にあり、そこに生まれ育ったティムズは、極端な寒さには弱かった。ベタベタの油っこい黒髪の男は、憔悴しきって震えるティムズを鼻で笑い、簡易的な火術で火を起こそうとするが、霧と雨の湿気にやられたたきぎはなかなか燃えない。


「おぉい、ちゃんとした木を集めて来いって言ったじゃないか……」

「この天気だぞ。それでもまだマシな方だったんだ」

「野営監督も含めての護衛ガイドだろうが。ほら、俺は紅茶を今すぐ飲みたいんだ。ちゃんと燃えるもんを集めてきてくれ」

「学術書でも焚き付けにすればいいじゃないか。やたら沢山持ってきやがって」

「学者に焚書ふんしょを焚きつけるのか?それは人類の叡智に対する犯罪だぞ」


 ベタベタ髪の男・ギュタートが真面目腐った答えを返した。如何にも偏屈な学者然とした彼の髪は、室内においてもギラギラベトベトしているのに、この地の湿気にやられて更に酷い有様になっている。


「良いから行ってこいよなあ。これだって仕事だ。嫌だっていうなら評価報告に怠慢の気あり、って書き入れてやる。査定に響くぞお」

「判ったよ……」


 立ち上がったティムズの背中に、ギュタートが声を掛けた。

「ああ、ついでに他の連中も探して連れてきてくれ。折角だし、皆で茶にしよう。この糧食は口が乾いてかなわん」


 その部分には完全に同意だ。ティムズは渋々、雨避けのシートを羽織ったまま、周辺の調査をしているはずの学者達と、薪を探しに野営地キャンプを後にした。


 ――――――――――――――



「……いつになったら止むのかな、この雨……」


 哨戒航行中の楊空艇マリウレーダのブリッジの小窓から、ミリィが龍礁全域に降りしきる雨の様子を、ぼんやりと見つめていた。まだ日中ではあるが、外は薄暗く、室内灯に照り負けた窓硝子に、陰鬱な顔が映り込んでいる。


 その背後で、雨に濡れた各種装備を拭き、手入れを続けていたパシズが顔を上げた。

「……一体何を呆けてる。お前もこっちを手伝え」

「えっ。あ、うん。ごめん」


 慌ててパシズのそばに座り込み、雨に濡れた革帯を拭き始めたミリィだったが、気もそぞろで、相変わらず心ここにあらず、と言った感じだった。


「……どうせティムズの事だろう」

 何度目かの手元に狂いに、痺れを切らしたパシズが、苛つくように声を上げる。右腕を失ってから数週間が経ち、左腕だけでの生活には慣れて来ていても、こういった細かい作業は、やはり、如何ともしがたかった。


「一人での護衛任務は初めてじゃない。ちゃんと仕事できてるかなあって」

「それだけか?」


 パシズが見透かしたように嘯くので、

「……だって、レインアルテ……私も見たかったんだもん。すっごく綺麗なんでしょ」

 ミリィは本心を白状し、大きく溜息をついた。絶世の美龍を目にする機会を、ティムズに奪われたのが悔しかったようだ。


「そうらしいな、私は興味がないが……っ……」

 同じ様に溜息をついたパシズが幻肢痛に呻き、

「大丈夫?やっぱり、まだ痛むのね」

「少しだけな。雨が降ると調子が悪いようだ。気圧の関係だろう」

 心配そうな表情を見せたミリィに、冷静な答えを返す。


 ミリィは、パシズの右袖をちらりと見て、思索を巡らせた。

「……新しい龍礁監視隊員レンジャー、増えると良いのにね。南部港湾基地の方は、代替要員は結構居るんでしょ?」

「それは難しいだろう。確かに頭数は居るが、あの者達の技能は臨海での活動に特化している。本部こちらに回ったとしても、我々の仕事の性質とは違い過ぎるからな……」

「そっか。……そう言えば、南部基地所属の楊空艇は、海空両用なんだっけ。それも面白そう。一度は乗ってみたいなあ……」


 憂鬱な表情で、再び、窓から覗く薄暗い空を見るミリィ。



 『あれ』から天候は崩れ、陰鬱な天気が長引いていた。特に大きな事件は起きておらず、細かい調査や巡回任務を続けながら、地味で起伏の無い日々が続いている。

 

 パーダリバーの移動元の調査を展開するはずだったマリウレーダ隊だったが、レベルA付近でおびただしい数のF/IIIを感知し、現在の兵装ではどうしようもないと判断した一行は、一時的に戦略的撤退。言い換えれば、すごすごと逃げ帰って来ていた。

 準備が整い次第、再開する予定だが、最早、龍礁監視隊レンジャーの宿命という他ない、多種多様な仕事の数に、その優先事項は日々変動。ようやく落ち着きを取り戻してはいるが、現状、一つの任務のみに専念する余裕はなかった。



 パシズはミリィの横顔を見る。極端に落ち込んではいないものの、快活に笑う姿は、この数週間、見ていない。連日続く任務飛行に疲れを見せ、元気のないミリィに、パシズが静かに呟く。


「……そろそろ休みを取っても良いんじゃないか。ロロ・アロロの掃討も進んでいるし、密猟者の侵入も無い。一般的な調査活動なら地上警備隊ベースガードや学者たちだけでも充分な状況だろう。南部港湾の見学にでも行ってみたらどうだ」


 ミリィが手を止め、きょとんとした顔でパシズを見た。

「…………」

「………何だ?」

 反応の無さを訝しむパシズに、暫く何かを考えていたらしいミリィが呟く。

「……二人とも一緒に休むのは、駄目だよね」


「ふたっ……ティムズも、という事か?」

「うん、ほら、ティムズもまだまだ龍礁全体の事は知らないじゃない?地理の案内もしないとだし、私もまだ行ったことがない場所が多いし」


「…………」

 パシズは困惑した。

 つまり、二人で旅行に行きたいとでも言いたいのか。このむすめは?


 龍礁監視隊員レンジャー同士でそういった間柄になった者たちを、パシズも今まで何度も目にしてきたが、基本的に強烈な個性を持つ龍礁監視隊員レンジャー同士が長続きした事は、基本的に、ない。

 大抵は盛大な喧嘩別れをし、その後の活動に悪影響を与える場合が殆どだった。


 明確に禁止されているという訳ではないが、暗黙の了解として『ちょっとそれはまずい』程度の認識のもと、直属の上官としては出来るだけ避けたい所ではあった。複雑な立場である。


「パシズ?」

「ん……ああ、うむ……」


「……そういう事であれば、複数名の若年者による研修の一環として、しっかりと予定を組んだ方が良いだろう。船長や管理官に打診しておく」


 パシズが捻り出した苦肉の策に、ミリィの表情がぱぁっと明るくなる。

「やったあ!ありがとう、パシズ!それなら、友達も誘ってもいいよね!」


 結局のところ、一人ではつまらないから、旅の道連れが欲しいだけだったのか。こいつは。


 パシズは頭をばりばりと掻き、何を考えてるかよくわからん、と、一気に元気になって装備群の手入れに勤しむ『娘』の姿に、今日一番大きな溜息をついた。


 ふと、パシズも窓から覗く空を見る。

 雨があがりかけていた。


 ――――――――――――――――――――



 何処かに行ってしまった他二人の仲間、そして燃えそうな木枝を探していたティムズは、森の中で、樹にもたれかかり、抱き合って唇を重ねていた若い男女の学者たちと出くわしてしまった。ある意味で、この二人はもう燃え上がっていた。


 しとしとと降り注いでいた雨粒が小さく、弱くなってきた事で、白みを差し始めた空の雲に気を取られ、樹の影でくっついていた二人に気付くのが遅れたのである。


 お互いの身体を探り、衣類をはだけ合う、結構、激し目の感じだった。

 いつもなら遠慮や気遣いや気恥ずかしさに目を逸らし、そそくさと退散していたかもしれないが、連日の野営に疲れと苛立ちが最高潮に達していたティムズは、多少の居心地の悪さを誤魔化す為に、出来るだけの険悪な声で叫んだ。


「あのさあ!」

「そろそろ雨が上がりそうなんだよね、仕事しよっか!!」


「へっ」「きゃあっ!」


 大胆に抱き合っていた二人が弾かれるように離れた。こっちはこっちで夢中になり、近づいてきたティムズの気配に気付いていなかった。


 赤面し、慌てて乱れた学装束を正す二人を尻目に、ティムズはここぞとばかりに愚痴をこぼす。

「盛り上がるのはあんたらの勝手だけど、せめてもうちょっと見つからない場所でさあ……あんた達が調査するって言うから、俺はこんなとこで寒い思いをしてるってのに。早く持ち場に戻って……」


 真っ赤になった女性とは対照的に、男性の方はにやけ笑いでティムズを見ていた。

「なんだよ。そんな事言って、羨ましいって思ったんだろ?その反応は、お前――」

 ティムズより三つ年上の、如何にも軽薄そうな男が何かを言おうとしたが、ティムズは鋭く後方を振り返り、森先の渓流に煌めき始めた光を捉えていた。


「……本当に早く戻るんだ。あれは……」


 ティムズはまだ服を直している二人を身を翻し、野営地へと戻る。


「(ティムズ!出た!出たぞ!何してたんだ!)」

「(判ってるッ!滑るんだよここらは!)」

「(あいつらは何処だ?)」

「(あいつらは、いちゃつ……すぐに来る、はず!)」


 岩場に身を屈めていたギュタートが身振り手振りで招き寄せ、辿り着いたティムズに、また身振りと小声で下流を指し示す。


 水面が泡立つようにざわめき、その上をうねり、滑るようにして、一体の長龍が、何色とも言い難い様々な術式光を帯びつつ、二人が潜む場所へと近づいてきていた。


「……すごいな……」

  

 雲の切れ間から差し込む陽光の柱から柱へ、その身を優雅にくねらせて飛翔するレインアルテは、その名に違わず、まさに生きた虹のようだった。その美しさにティムズも、ギュタートも一時我を忘れ、息を吞んで見守る。

 体長は十エルタ程。四肢の代わりに長大な帯状の鰭を持つワイアーム型の龍で、身体の殆どをびっしりと鱗が埋め尽くしており、体色は単なる緑ではなく、陽光の当たり方によって千差万別の輝きを放っていた。

 表現を選ばずに敢えて言えば、イケメンの龍、と呼んでも良いと思える龍。

 身をくねらせるようにして自由自在に宙を舞っているが、翼にあたる器官はなく、恐らくは周囲に散る術式を直接利用して空を翔んでいるようだった。


「わあ、素敵!こんなりゅもがもごっ」

 遅れて到着した女性学者が嬉しそうに叫び、恋人の男が慌ててその口を塞いだ。

「(サリッサ、静かに!)」

「(ご、ごめん、オルテッドっ……)」


 サリッサの歓声に反応したのかどうか、レインアルテは踊るような飛び方をやめ、ぐるぐると旋回しつつ、ティムズ達の方に近づいてきた。

「嘘だろ……嘘だろ、嘘だろ嘘だろ嘘だろ!こっち来るぞ!」

 迫るレインアルテとの距離と、ギュタートの言葉のストロークが比例して縮まる。


「伏せろ!」

 結界符を抜き、身構えたティムズの眼前で、レインアルテは長い尾を川面かわもに叩きつけるように撃ち下ろした。水面が爆発し、巨大な水柱が立ち、ティムズ達に飛沫しぶきとなって降り注ぐ。


「――――~~……!!」

 氷の様に冷たい怒涛の水波に打ち付けられ、全員が身を強張らせて耐える。

 そして、立ち込める水煙の先で、七色の光がちかちかと瞬き、上流に向かって遠ざかっていくのが見えた。

「……ああ、逃げられる!……ティムズ!追うんだ!なんとかしてあいつの『鱗』を獲ってくれ!一枚でも良いから!」

「はあ!?」

 びっしょびしょのベタベタ頭を、濡れた犬の様にぶるぶると震わせたギュタートが、唐突に言った。ティムズはギュタートの放った水飛沫からも顔を背け、反論する。

「そ……そんなの聞いてないし、無理だって!相手はF/IIIだぞ!?」

「いいから行け!こういう時の為に龍礁監視隊員レンジャーは居るんだろ!早く!」

「無茶すぎるだろ!絶対に嫌だ。大体、本当ならあいつの『巣穴』を見つけるのが目的だったんだろ!?」

「査定!!」

「…………っ!」


 殺し文句に否も応も無く跳び出したティムズを、野営地から調査用の備品をあたふたと搔き集めた学者陣が追って駆け出していった。



 舞い散る水飛沫が、ありとあらゆる光を放つ、雨上がりの峡谷を舞台に、未知のF/IIIの生体素材をたった一人で奪取するという、大抵の龍礁監視隊員レンジャーにとっても手に余る高難易度な追跡劇は、こうして始まったのだった。

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