第五節9項「She's Lost Control」
「俺が先行します。二人は後方から支援してください」
「……判った。この状況ではそうするしかなさそうだ。だが決して深追いはするなよ」
消耗した装備でまだ追跡が可能かどうかを確かめ、ゴーグルを掛け直したティムズに、パシズが頷いた。
「判ってます。でも、うかうかしてたら連中に逃げられるかもしれないし、また他の龍に出会うかもしれない。……もう、あんな……あんなのは観たくない」
ティムズは目を強く瞑り、リビスメットの犠牲になった少女の最期の姿を頭から振り払うと、マリウレーダが補足した逃走中の
パシズとミリィも続くが、リビスメット追撃戦で疲弊し、消耗した今の二人は(比較的軽傷の)ティムズについていくことすら困難な状態だった。パシズはリビスメットの術椀の直撃を受け、ミリィは度重なる翔躍の連続使用が祟り、息を切らしている。
パシズは、併走するミリィの青い横顔をちらりと見る。普段の余裕はなく、跳躍術で跳ね駆けるだけで精一杯の様子だ。
「ミリィ。お前はここで休んでおけ。その状態でもし交戦になれば危険だ」
「大丈夫。そういうパシズこそ、その腕、痛めたんでしょ」
「俺の心配はいらん」
「私だって」
「全く強情な娘だ」
「師匠譲りなの」
辛うじて走れている、という状態でも減らず口を叩くミリィに、パシズは鼻白む。
三人は皇樹の森を抜け、腰程の高さの草が生い茂る野原に出る。夏の陽光を目一杯に浴びて育った雑草の広がりは、地面すれすれを跳ねる跳躍術の機動とは相性が悪く、移動速度は大幅に損なわれた。だが、それはこの場を駆け抜けていったであろう密猟者にとっても同条件であり、折り倒された草たちは彼等の移動の痕跡を充分に記していた。
体力も霊力も限界に近いミリィが、草に足を取られ、倒れた。パシズは足を止め、ミリィを助け起こす。
「やはり無理だ。待機していろ。あとは私とティムズでやる」
「平気だってば。ティムズも言ってたじゃない。もうあんな事はさせない……」
草だらけになった顔を拭い、ミリィがまた走り出そうとした。
「……って、ティムズは!?」
パシズも、ティムズが二人を置いて先に行ってしまった事に気付いた。「あのばかっ!」ミリィが悪態をつく。パシズは素早く上空を見回した。北部の林の上空を旋回しているマリウレーダの姿を認め、連絡を試ようと術符を構える。しかしその直前、伝信術が開き、タファールの方から通信が入った。
『まずいっす、連中に気付かれた!近くの森に逃げ込もうって腹らしい。そうなったら
速度はともかく、小回りの利かない楊空艇では地上の森の中を駆ける対象を追うのには向いていない。パシズは舌打ちをした。
「ティムズを呼び戻せ!現状の我々では追跡は厳しい。位置情報だけは常に送ってくれ、合流して森林中で展開する!」
叫びながら、ミリィをじっと見つめていた。その厳しい灰色の瞳は、気高さを象徴するかの様な紫の瞳に、本当にまだ走れるのか、という問いを投げかける。視線を真っ直ぐに受けたミリィは、しっかりと頷いた。
『……』
「タファール?どうした」
『いえ、ちょっと面白い手を思い付いたんで。こっちで足止めしてみるから、とにかくこっちへ向かって来てください。通信終わり』
「……?」戸惑う二人。
「……タファール!?ねえ、ちょっと!まさか……」
通信は既に切れていた。
「……まさか、砲撃する気じゃないでしょうね……」
ミリィが、あいつならやりかねない、という表情でパシズと顔を見合わせた。
――――――――――――――――――
『はーい、そこの二人、止まりなさーい。森に入ったら最後、我々が誇る対龍兵装、多重連式光術砲があんたらごと付近一帯を焼き尽くしますよー』
緊張感の無い間延びした声が辺りに響き、森に駆けこもうとした二人の密猟者はびくりと立ち止まった。呆気に取られた表情で、追いついてきた楊空艇を見上げ、発せられるタファールのアナウンスの意のままになる。
『こちらは第四龍礁管理執行機関、楊空艇マリウレーダ』
『貴君らは現在、国際条約で制定された特別保護区域への無断侵入を侵していま……ねえ船長、もうコレ止めません?この警告で大人しく捕まってくれた試しがねえし、条約なんて無視して撃っちゃいましょうよ、バレやしませんて。こんなん時間の無駄っす。無駄無駄』
なんという暴挙。不穏なアナウンスに震えあがり、動きを封じられる密猟者たち。
茫然としている表情を見て取ったようなタファールのアナウンスは、こう続いた。
『ま、時間を無駄にしてんのは、下で阿呆面してる間抜け共の方だけど』
「……!」「……!?」
草影から跳び出したパシズとミリィが、二人の男の喉元に幻剣を突き付けた。
「動くな。リドリア条約、及び龍礁法に則り、お前達を捕縛する」
「抵抗しないでね。でも痛い目に合いたいのなら遠慮なくどうぞ」
楊空艇からだらだらと垂れ流された
『まんまと引っ掛かってくれてありがとう、お二人さん!流石にあんたらの為だけに森を丸ごと焼き払ったりはしねえよ、バーカ!』
タファールの渾身の罵倒が炸裂した。
「ぐっ……」
虚仮にされた男達は楊空艇を見上げ、声の主に怒りを沸騰させるが、時既に遅し。抵抗する機会を完全に失い、
「ごめんねー、ちょっとズルしちゃった」
ミリィが、短髪を刈り上げた男の後ろ手に術錠をかける。木と革製の簡易的なバンドだが、法術を援用しており、拘束力は高い。
「悪いな。しかしこれもお前達の身の安全を守る為だ」
パシズは背の高い、体格の良い男の腕を捻り上げた。本来は、警告後、対象が逃亡や反撃に及ばなければ権限を行使できないという制約があるのだが、この場合はもう仕方ない。ただ、ジャフレアムへの報告は面倒になる。
「……あれ、ティムズは?」
ふと、後輩の姿が見えない事に気付いたミリィが、周囲をきょろきょろと見回す。
「タファール、ティムズへも合流を伝えたのだろう」
パシズはマリウレーダを見上げる。確かにティムズへの伝信も指示したはず。
『勿論すよ。けど応答がありません……』タファールの言葉が途切れる。
『……おかしいな、
「…………!」
ミリィの目の色がみるみると変わり。捕まえていた男の腕を思い切り捻り上げた。男は情けない悲鳴を上げ、突然の激痛に地面に崩れ落ちる。
「もう一人、仲間……女が居ただろう!何処へ行った?言え。さもなくば折る!!」
「いっ、痛てぇ!何だよ急にっ!んなもん知るかよっ……!」
「ミリィ!やめろ!」
倒れた頭二つ分も背の高い男を締め上げ、冷たい声で問い質すミリィを制しようと、パシズが身を乗り出した。しかしミリィは力を緩める気配はない。
「合流する為に逃げていた。潜伏する為の拠点でもある。そうでしょう?お前達のやり方はいつもそう。全部判ってる……!」
「い、言うっ。言うから止めてくれ!こっから西の方にある寺院跡っ……!だがあんな女、仲間じゃねえ!あっさり俺達を、リュギを見捨てやがった!」
―――――――――――――――――――――
(何だこれ、霧……?)
草原を駆けていたティムズは、いつの間にか周囲が冷ややかな白色に覆われている事に気付き、そして、後方から追ってきているはずの仲間の姿を求め、周囲を見回した。
「パシズ!ミリィ?……返事をしてくれ!」
真夏の炎天下に、不自然に広がり、輝く霧。よく見てみると、一つ一つが微細な光を帯びる粒子。ティムズは違和感を持つが、第四龍礁においては、得体の知れない気象現象は頻繁に起きるものであり、これもその中の一つかもしれないとティムズは考えた。しかし、それは何らかの龍族の出現の兆しである可能性も高い。
ティムズはゴーグルを上げ、目を凝らす。霧の中でも、この場を跳ね駆けていった者の痕跡は見て取れた。ほんの僅かな、跳躍術で跳ねた後に残る
「マリウレーダ。こちらデアボラ5、応答求む……タファール!おい、エロキノコ!」
応答はない。
ティムズは逡巡する。単独独断で動く事の愚かさは、今までの経験で、痛い程に身に染みていた。だが、そうしなければ救えなかった仲間が居たのは確かだ。そして、こうして立ち尽くしている、今まさにこの瞬間にも、追っている者の命もまた、危険に晒されているのかもしれない。
再び
――――――――――――――――――――
マリウレーダに回収され、捕えた男二人を格納庫に放り込んだパシズとミリィは、ブリッジに戻り、ピアスン達に経過と状況の詳細を急ぎ、伝えた。
低空低速で飛ぶマリウレーダの眼下にも、草原に立ち込める白い霧が現れ始めていた。狭い範囲だが、まるで雲の上を滑るような光景。タファールとレッタは、操舵席上の
「探知も通信もまるで駄目。皇樹よりも遥かに強力な阻害能力を持ってますよ、この霧は。法術式どころか、音も光も全部遮断してる」
「たぶん、攪乱光術を応用発展させた……攪乱霧と言ってもいいものかも知れない。
「応用発展、ねえ……もう殆ど魔法みてえなもんだな」
「理論を証明できなければね。人の理解が及ぶ以上は、技術の一つでしかないわ」
「とにかく、今はこのまま進め。ティムズ達は間違いなくこの霧中に居るはずだ」
ピアスンが思案顔で髭を弄り、前面窓に広がる、白い湖の様な霧を見つめた。その視線の先には、雲から頭を覗かせる樹々の姿があった。森だ。霧の帯はその中へと続いていた。
タファールも横目でちらりと行き先を見る。
「それにしても、この辺に寺院の跡なんてありましたっけ。まあ、レベルBの調査なんて五十年経ってもてんで進んでないし、何があってもおかしくねえか……」
第四龍礁の大部分を占める緑の海は、全てのものを覆い隠し、守り、抱く。
ブリッジ最後方の小窓から地上の様子を伺っていたミリィは、ぱっと身を翻し、騒々しい音を立てながら、消耗した装備群の予備を木棚から乱暴に引っ張り出し始めた。床に様々な品物が散乱する。
その後ろで、目を瞑り、腕を組んで壁にもたれているパシズが静かに呟いた。
「落ち着け、今は少しでも身体を休めておくんだ。それに、ティムズの今の実力ならそこまで心配することもないだろう」
「それでも、何かあったらすぐに降りられるようにしておかなきゃ」
ブーツから、消費した跳躍術符を引き抜くミリィ。限界まで酷使した術符は焼け焦げていた。自身の霊力もほぼ枯渇しているが、新しい術符を無理矢理に使えば、短時間は動けるはず。
「残り一人の密猟者は、只者じゃない。私には良く判らないけど、あの身のこなしと術式行使力は、もしかしたら……」
パチン!ミリィはブーツへ術符を仕込み、留め金を留めた。
―――――――――――――――――
森を満たしている霧は、進むにつれ薄れ、やがて晴れた。ティムズは石造りの、とても古い年代の遺跡の跡へと迷い込んでいた。追跡逃走訓練に使っていた山中の砦とは建築様式がまるで違い、半ば地面に吞まれるように、その殆どが埋没し、全体が苔に覆われてる。しかし建物の原型はしっかりと保ったままだ。
逃亡者の"足跡"は、その内部へと続いていた。ティムズは慎重に、周囲を警戒しながら、朽ちかけた寺院の内部を進む。土とシダが満たす地面が、足音を消してくれた。講堂の様な空間の天井は元々かなりの高さがあったらしく、空間の大半が埋没していても、楊空艇が一基丸ごと収まりそうだった。
ロロ・アロロはこういった地を好み、棲み処とする。ティムズが危ぶんでいたのはそこだった。しかし、ロロ・アロロはおろか、他の生物の気配すらない。リビスメットの追跡中に出会った大百足のような者が居てもおかしくはないはずだった。
何者かが、何かを探る音がした。ティムズは息を殺し、その場へと向かう。講堂を抜け、側廊から、袖にある小聖堂の入り口の陰に身を潜め、内部の様子を伺う。窓はないが、朽ちた石壁の隙間から日差しが差し込み、内部の様子はうっすらと確認できた。
礼拝に使われていたであろう祭壇の前に。黒いフードクロークを纏った人物の姿があった。台座に積まれた背嚢らしき袋を探っている。ティムズには気付いていない様子だ。ティムズは素早く深呼吸をする。無事に生きていたという安堵の溜息でもあり、これから行うべきこと、に備えるためでもあった。
ティムズは、陰から身を現し、正規の手続きによって宣告をする。
「動くな。第四龍礁管理執行機関の者だ。協定地域への不法侵入、及び密猟未遂の現行犯として捕縛権限を行使する」
黒衣の密猟者が顔を上げ、ぱっと振り返った。この場に追跡者が現れたのが意外だったらしい。しかしながら動揺はしていない様子で、興味深そうにティムズの風体と、動向を観察しているようだった。
ティムズが一歩を踏み出そうとすると、その口から、あどけない少女の、澄んだ声が聖堂に響いた。
「おっどろいた!あのジャミングを抜けてきたの?大抵のやつは撒けるのに」
ティムズは思わず身を強張らせた。相手が女性だという事はミリィから聞いてはいた。だが、その口調がまるで、ミリィそのものだった事に驚きを隠せなかった。
黒衣の少女が、フードを脱ぐ。背丈はミリィと同じ程度だが、黒い長髪を覆う様な、民族衣装と云った風の帽子のような黒色の頭飾りが、実際の身長よりも高く見せていた。その頭飾りから、二筋の髪が伸びている。黒く長いクロークは、身長に対しては大き目で、身丈が足首まで隠している。
薄く笑っている表情は、少女らしい可憐さと、しかし無垢な危うさを秘めていた。声だけではなく、顔もミリィにどこか似ている。決定的に違うのは、その瞳が、研ぎ澄まされた
「面白そうな人だし、少しは話をしていきたいけど……ごめんね?今、お仲間に来られたら面倒だからさ……」
「死んで」
少女は気軽な笑みをそのままに、膨大な量の術式を発現した。
「!!」
構えるティムズの目の前で、少女から展開する術式は重なり、枝分かれして、図式が形作られてゆく。多重に発露した無数の三角形の術式が回転し、青色、そして赤色の式が同時に広がった。ティムズは初めて見る術式……ではなかった。まるで楊空艇の砲撃時に展開するようなもの……しかしそんな感想を思い浮かべてる時ではない。
巨大な火炎の渦が虚空から現れた。地を這い、宙を踊り、ティムズの周囲を取り囲むように迫る。ティムズは咄嗟に跳んだ。少女が腕を払い、着地する所を火渦が追う。術盾を開く。術式由来の炎は相殺されるが、現出した熱によるダメージは防げなった。
「……ッ!」
左腕を庇い、体勢を崩すティムズ。アロロ・エリーテの炎撃とは比較にならない程の精度と威力。それを自在に操り、まるで玩具を壊す程度に自分を始末しようとした、少女の笑みを、睨みつけた。
「見た目の感じよりは動けるんだ。でもそれだけに可哀相かな。半端に闘えるぶん、長く苦しむ事になるから」
少女は嗤った。
(……法術士!)
ティムズは、眼前の密猟者の正体を知った。国軍レベルのハイソーサラー。各国の軍にもごく少数しか存在しない、術符を伴わずに高位の法術を操る、正真正銘の法術士。その上、複数の術式を同時に操る、
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