第五節8項「理に、理が、理を委ね」
老いた大樹が群れる、緑の中を疾駆する影たち。
森という地形の全てを鮮やかに駆使するリビスメットが、追跡者たちを翻弄する。地を駆け、樹間を跳び、それでも食い下がるティムズ達に背から伸びた術椀を振るい、そしてまた一直線に走り出す。
リビスメットの力は無尽蔵かに見えた。それどころか、ますます強力になりつつある。しかし、それは
「駄目だ、あの術椀のパターンは読み切れないって……!」
ミリィ、ヴィルト、ウクスが続けざまに攻撃を与え、リビスメットが四椀で反撃する様子を、鋭く観察しながら駆けるティムズが口走った。
三者を退け、視界を流れる幹の柱の間を駆け抜けていたリビスメットの姿が突如として消える。「……っ……上っ!!」大きく跳んだリビスメットはティムズの頭上を跳び越え、進行方向に着地した。
(今度はこっちか!)
急制動を掛けるティムズの前で、リビスメットが地面に術椀を撃ち込み、土を掬い取って投げつけた。
咄嗟に術盾を開くが、密度の薄い防御術式しか扱えないティムズの結界では、その全てを防ぐ事はできず、土に紛れた小石や枝のつぶてを全身に浴び、その衝撃で後方に倒れる。すかさず跳ね起きたティムズの眼前に、術椀を蟷螂の様に振り上げたリビスメットが迫って来ていた。
身構えるティムズの頭を掠め、後方から術弩の光矢の連射がリビスメットに飛ぶ。あまりに近すぎて、黒髪が散って揺れた。光矢の威力は、リビスメットにとっては、向かい風で飛んでくる小石程度のものでしかないが、それ相応に、僅かに動きを鈍らせる。
ティムズは辛うじて振り下ろされた術椀を避け、後方に転がった。
後方を追って来たパシズの(ギリギリすぎる)精密な支援射撃と示し合わせたかの様に、二体のヤヌメットが飛び込み、殴打を仕掛ける。リビスメットの術椀の片方がヴィルトを弾き飛ばし、もう一本がウクスに振り下ろされる。
ウクスの陰に身を隠して接近していたミリィが、その背を蹴り上がってリビスメットの頭上に舞い出でた。器用に回転しながらガラ空きになった背に幻剣を振り抜き、くるりと宙を回って着地。術式の
「わっ!?」
慌てたミリィが横っ飛びで避ける。ウクスは地響きを立てて地面に落ちた。
――――ミリィ、良くやった!今ならいける――
皇樹の巨大な葉が辺りに舞い、その葉吹雪を突っ切ってきたパシズの、対龍槍による一突き、二突き。急所を狙った一撃目こそ弾かれたが、二撃目はリビスメットの術椀の基部を直撃し、破壊した。
黒い閃光が迸り、術椀を構成する術式が分解されていく。
「……もう一撃!」――態勢と結界が乱れた。これで仕留められ……――
……――駄目かッ!
術椀の破壊の衝撃に耐えたリビスメットの実椀がパシズに払われた。パシズは身を捩って丸め、術盾を全面展開。「ぐッ……!」弾き飛ばされたパシズがざざざ、と後ずさりながら接地。直撃こそ避けたものの、術盾を抜けたダメージは大きい。
一連の攻撃に合わせて、更に飛び込もうとしたティムズに、リビスメットの巨大な頭部がぐるりと向く。
「……っ!」――畜生、遅かった……!機会を逃したティムズが踏み留まる。
倒れていたヴィルト、ウクス、ミリィが態勢を立て直した。
『ゴァアァアアッ…!』
その目の前で、リビスメットは大きく跳び、包囲を突破した。
間髪入れず跳んだティムズ達は、追撃の手を緩めない。土の散弾を浴びた青年の戦衣は至る所が裂け、傷を受け、頬からは血が流れ出していた。他の者も度重なる攻防で傷つき、疲労している。この戦いは長引けば長引く程に不利であり、リビスメットを苦しめる事になる。だからこそ一歩も退く訳にはいかないのだ。
――――――――――――――
「パシズ、俺に『槍』を使わせてください」
ティムズは、先程の被弾で腕を痛め、対龍槍を辛うじて握りながら駆けるパシズに近づき、そっと囁いた。
「駄目だ。判っているだろう、この槍はお前達には扱えん。これは俺が……」
口を開いたパシズは、横を跳ぶティムズの横顔と、前方をしっかりと見据える瞳を見た。その瞳に宿るものは、闘志の光ではなく、使命感の炎でもなく、病に狂ってしまった龍への慈悲でもない、ただ、終わるべきものを終わらせるだけ、という
「……良いだろう。お前に預ける。だが忘れるなよ。決して、迷うな」
声を低くして応えるパシズに、ティムズは静かに頷き返した。
パシズが背から対龍槍を抜き、ティムズに投げ渡す。それを受けたティムズは前方で駆けながら戦い続けるミリィたちの元へと向かった。術椀の一つを失ったリビスメットの『手数』が減った事により、人と龍の共闘、波状攻撃は確実にその力を削いではいるが、ミリィ達の体力も限界に近い。
「みんな!」ティムズが叫んだ。
「援護してくれ、俺がやる!」
「えっ?……待って!何故あなたがそれをっ」
ミリィは追い抜いていったティムズが対龍槍を携えている事に気付き、戸惑った。
――対龍槍。人間が手にしたものの中で、最強の禁戎の一つ。槍刃を構築する術式は、無我と滅私に至れる使い手にしか発現できない。故に、数多の
「……判った、任せる!私達が引き付けるから、絶対に決めなさいよね」
――――――――――――
そこから数十秒間のティムズの意識は不確かなものだった。音は消え、ただ暗闇の中を走る白い背中を追い、駆けるだけ。集中力と言えるようなものでもない、ただ、風が吹き抜けるような、ただの事象の一つとなって、その"時"を狙う。
「行くわよ、ヴィルト、ウクス。これで終わりにしようっ……!」
ミリィは最後の力を振り絞り、翔躍の連続展開でリビスメットの周囲を弾む毬の様に跳ね回り、幻剣で斬りつける。背後から頭上へ、頭上から側方へ、側方から前へ。宙を蹴り続け、一振り一振りが術式を司る霊葉を紡ぐ糸を断つ。
追いついたウクスが、リビスメットの長く伸びる尾を両腕で掴み、体重をかけた。四椀で突き進む巨躯はそれでも止まらない。「……!」全力で注意を引き付けつけていたミリィに、椀撃が飛んだ。地を薙ぐ振り払い。ミリィは高く飛ぶ。リビスメットの術椀がそれを捉えようと動き始めたのが見えた。避けなければ。宙を蹴ろうとしたミリィの足に纏う光が消える。血の気が引いた。霊力を使い果たした。宙に浮いたままのミリィを狙う術椀。その基部へ、後方のパシズからの術弩の一撃。「ぐ……!」パシズの腕に、射撃の反動が走る。ヴィクスが跳び掛かり、動きの鈍った術椀を両椀で押さえ込む。お互いの体表結界が接触し、バキバキと砕け散る。動きが止まった。ミリィは、叫んだ。
「……今だッ!!行けっ、ティムズ!!」
ミリィは、リビスメットの背後上空を見上げた。しかしティムズの姿はない。機を逃した?失敗?しかしティムズは、地に伸びる影の様に、静かに、ウクスの陰の中を滑り、近づいていた。そして対龍槍を開く。一エルタ程の木棒の先端から、黒い光が
鋭く伸びる。
ティムズは目を瞑った。
敵意も、殺意も、慈悲も、情けも、全てを抑え込む。
龍槍はただ、リビスメットの胸を貫いた。
その一筋の黒線が、脇腹から心臓を抜け、消えて行った。
――――――――――――――――――――――
「……っ……ッ……!……っ」
着地したミリィは倒れ込みそうになるのを必死に堪え、激しくを息を切らし、腕で顔を拭い、ティムズの止めの一撃を見届けた。
しがみついていた術椀がふっと消え、ヴィクスは地に倒れる。尾を引っ張っていたウクスも力が抜けて後方へとごろんと倒れ込んだ。リビスメットの頭が揺れ、眠りにつくように、その場に座り込むように崩れ落ちた。
「……ティムズ」呼吸が落ち着いてきたミリィが、小さく声をかける。
リビスメットの傍で、ティムズは立ち尽くしていた。左手にこの龍を屠った槍を握ったまま、右手は息絶えた賢狒龍の肩に手を置きながら。
「ティムズ、見事だった。もう良いぞ……それを渡せ」
歩み寄ったパシズが、ティムズの手から対龍槍を取る。ティムズは何も応えず、ただ賢狒龍の亡骸を呆然と見つめていた。
呻き声がして、倒れていた若いヤヌメットたちがのそのそと起き上がった。二体は立ち上がると且つての同族の
「…………」ティムズ達も彼等を、観る。
すると、斃れたはずのリビスメットの身体がぼんやりと光り、術式が走り始めた。「!」驚いたティムズが後ずさり、身構える。傍らのパシズとミリィは落ち着いてその様子を眺めていた。
「まさか、復活するとか言わないでくれよ。これ以上はもう勘弁してくれ」
「ううん、大丈夫。これは……昇華」
これ以上はもう勘弁してくれという顔をしたティムズに、ミリィが応えた。
「身体が消えてく……ロロ・アロロと同じ……?いや、全然違う……」
肉体が腐り、枯れていく邪龍とは異なる、光の粒子が舞い上がる光景。賢狒龍の身体が術式光に次々と変換され、輝く図形となって空中に霧散していく様は、まさに立ち昇る華と言えるものだった。
「高位の龍は屍を残さない。ただ、
ヴィルトは消えゆくリビスメットの身体に腕を伸ばし、何やらごそごそと探った。そして、死闘の末に果てた賢狒龍の亡骸は観えなくなった。最期に残った光点がふわふわと浮かび、すうっと消える。
それを見届けたヴィルトがティムズの前に歩み寄り、拳をぐいと突き出す。いくら信頼を分かち合った者とは言え、恐ろしく巨大なおててを目の前に出されれば驚いて当然だ。ティムズはびくりと引き下がった。が、ヴィルトは拳を地面にゆっくりと置くと、振り返り、ウクスと共に、元来た方角へと駆け去っていった。
「……またね。気高きヤヌメットの戦士、ヴィルト。ウクス」
ミリィは、並んで去っていくヤヌメットたちの背中に、小さく呟いた。
一方、ティムズは去り際のヴィルトの行動に肝を冷やし、戸惑っていた。意思が疎通できたのはあの一瞬だけだった様で、いざ緊張が解けてみると、やっぱり大きくておっかない、と今更ながらに感じていた。
「……今のって一体どういう事?まさか『次はお前だ』って言われたとか……」
ミリィがぷっと噴き出し、ヴィルトが手を置いた跡を見た。
「違うって!それって、彼等の敬意の証よ。戦士として認められたってこと。凄いじゃない」
「へ?」
ティムズが目を落とすと、そこには、リビスメットの体表を覆っていたあの白い毛が束になって落ちている。獲物を仕留めた者の証として、ヴィルトがティムズに渡したという事らしい。
「特定の条件下でしか得られない、F/IIIクラスの一次生体素材。持ち帰れば相当なお手柄になるわよー。
ミリィがティムズの背中をぽんと叩く。
「ええ……?それって……なんか、こう、悪い気がするんだけど……」
苦笑するティムズに、パシズも少し笑ってみせた。
「気にするな。彼等も理解しているさ。この地で生きるという事は、こういう事なのだと。それが人と龍が交わした契約……――」
『あー、十五回目のでんしーん。聞こえますかー。生きてるなら返事よこせー』
「!」
突然、タファールの呑気な声が響いた。パシズが慌てて手首の伝信術符を開く。
「こちらデアボラ2。すまない。リビスメットと交戦中だった。全員無事。軽い負傷のみ。リビスメットは仕留めた」
『……っ!』
がたがたっ、という音がして、たぶん、ちゃんと座り直したらしいタファールの声色が変わる。
『リビスメットぉ?道理で伝信術が届かなかった訳だ。皇樹の群生地からは大分離れたってのに、術式が急に乱れっぱなしになったんすよ』
「ああ、交戦中に狂龍疫が悪化したようだ。見た事もない法術を発現し……詳しくは戻ってから話す。回収地点の指定を頼む」
パシズは周囲を見回した。最深部よりは樹木の密度は薄いが、楊空艇マリウレーダが回収可能な高度まで降下してくるのは無理そうだ。ティムズは傷だらけだし、ミリィもこれまでにない程に疲れている。だが、回収して貰うには適した地形まで移動するしかない……そう考えたパシズに、タファールの事務的な答えが返って来た。
『それも重要っすけど、こっちでも逃亡中の密猟者たちの痕跡を探知しました。森を抜けて、32-5-94から北西の谷に向かっている模様。距離は四ルムちょい。任務続行可能な状態なら、地上での追跡も続行求む。以上っす』
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