第五節5項「皇樹の神殿」

「接近を悟られるなよ。追跡訓練を思い出せ。風下からゆっくりと近づき、術符の出力は抑えて行動しろ。余波を感知されると逃げられる恐れがある」

「伝信術も全て封鎖。もしあれが対象なら極めて危険だ。確証を得るまでは動くな」


 パシズの指示に、部下ふたりは頷いた。


 あまりにも呆気なく、不意に対象を捉えたマリウレーダの探査機構レーダー

 タファールにもレッタにもその原因は判らなかったが、とにかく、先んじてヤヌメットの位置を把握することは出来た。発見後も位置情報に大きな変化はなく、マリウレーダの存在をまだ察知されていないことを確認したパシズは、部下ふたりを率いてその場で降下し、もしかしたら大勢の人間を殺めたのかもしれない、賢狒龍の追跡を開始する。


 息を殺し、樹々の間を忍び往く三人。


 やがて森林が途切れ、ごつごつとした黒い溶岩石が一面に広がる荒野に出た。

 且つての火山活動で噴出した、膨大な量の溶岩が造り上げた黒岩の大地。

 養分など含まない荒地に点々と立つ、痩せた細い木は、それでも生きようと懸命に根を張っている。


 ティムズ達は跳躍術を最低限の出力に絞り、慎重に岩の合間を抜けていく。

 周囲には小高い丘ほどの巨大な溶岩石もあり、起伏は相当に激しかった。


 先行していたパシズが一際大きな岩の丘陵の頂上で身を屈め、後続のミリィ達に手信号ハンドサインを送る。


「(居たぞ)」


 ティムズとミリィは出来るだけ静かに岩山を駆け登り、パシズの両隣に屈む。

 身を低くした3人の遥か前方の黒い大地を、一体の白い『龍』がゆっくりと進んでいた。


「はっ…はぁっ……っ、あれが……ヤヌメット……?」

 跳躍術を制限して、なるべく自力で移動してきたティムズが、息を切らして囁く。


 斜め後方から見るヤヌメットの姿は、端的に言うと白い毛並みの類人猿……ティムズが図鑑で知るところの、所謂『ゴリラ』としか言い様のない風体だった。


 発達した椀を利用した、前傾姿勢の半二足歩行で進む賢狒龍は、体高がおよそ五エルタ程。周囲の岩と比べてもかなりの巨体である。短い白い体毛が全体を覆っていて、その上からでも全身の筋骨が隆々としているのが判った。垂れ下がった耳垂じすいと、長く伸びた太い尻尾が無ければ龍とは判らなかったかもしれない。


「……おかしい」

 ミリィの、ゴーグルの奥の目が訝し気に細まる。


「こんなに簡単に見つかる場所を、単独で動くなんて」

「絶対に変よ。やっぱり、あのヤヌメットが、密猟者たちを……」


「決めつけるには早い。確かに不自然だが、我々の知らない生態ゆえかも知れん」

 パシズが慎重な意見を述べる。三人の位置からは、前方を往く龍の顔は見えず、その意図を読む事は出来なかった。


「……可能な限り追跡して、観察を行う。今はまだ様子を見るしかない」


「龍の尾行なんて初めてですよ。そりゃ想定訓練はしてきましたけど、これじゃ殆どぶっつけ本番……」


 ティムズが白狒龍が歩く様を見つめながら、自信なさげに呟くと、任務口調から若干柔らかい調子になったミリィが、穏やかに励ました。


「落ち着いてやれば大丈夫。変に緊張すると、余計に失敗しやすくなっちゃうしね」


 ―――――――――――――


 ゆっくりと進むヤヌメットに気配を悟られないよう、散開した3人はそれぞれが岩に身を隠しながら、彷徨う賢狒龍を静かに追った。


 やがて、溶岩石の原野に、横切るような川が流れ込み、網の目の様な細い流れを無数に作る一帯に差し掛かる。僅かに響く小川のせせらぎと、遠くで歌う鳥たちのさえずりが、ティムズたちの気配を多少なりとも隠してくれた。

 ごつごつした黒岩が林立する風景の勇壮さと、どこか、のどかにも感じる雰囲気とは裏腹に、ティムズの心臓の鼓動は早まっていった。


 追跡を続ける中で、こんなに簡単に尾行を許す賢狒龍を、段々と不審に思う。

 確かに龍礁監視隊員レンジャーは対象に存在を悟られずに追跡するための技能訓練を受けてはいるが、それを差し引いても、あの『龍』は不用心すぎるのではと感じ始めたのだ。

 まるで酒に酔っているかのようにふらふらと頭を揺らし、時折倒れそうにすら見えるヤヌメットは、それでも何かに導かれるように、この地を目指してきていた。



 ヤヌメットが立ち止まった。


 そして、その場で動かなくなった。


 岩の陰に身を潜めたティムズも、まんじりともせずに次の動きを待つ。



(……何かを、待ってる?)

 何故か、ティムズはそう思った。


 しかし、相変わらず龍の『表情』は見えないまま、その目線から動向を推測することは出来ない。


 ティムズの心臓が早鐘を打ち、背中にざわざわとしたものが走り始める。


 パキン。


 何処かで、はっきりとそれと判る、術弩の起動音がした。


 ――……誰だ。


 ――パシズ?ミリィ?そんな馬鹿な。あれほど手を出すなと。


 パシッ!!


 疑念が渦巻くティムズの思考を裂く射出音。

 ティムズの位置から左後方、8時の方角から放たれた数本の光矢がヤヌメットの頭部に向かうが、高位の龍種が本能的に体得している、防御結界に弾かれる。


 光矢は、ミリィが居るはずの方角から放たれていた。


 波紋の光輪がヤヌメットの体表に瞬く。


 ――ミリィ?何故!?まずい。気付かれた!そっちを向く……!


 背腰に下げた術弩に手を掛ける。最早、交戦は避けられそうにない。


 ヤヌメットがぐるりと振り向いた。ティムズは、その時初めて、龍の眼が白い蝋の様に濁っている事を知る。そして、その曖昧でおぼろな視線の先の、密林と岩野の境界に立つ4名の男女の姿を捉えた。彼等は術弩が効かなかった事に驚いている様子だ。


「……馬鹿野郎……っ!!」


 ティムズは歯を食いしばった。

 彼等は、全滅した者達とは別の、二組目の密猟者たちだった。



 密猟者たちの敵意を察知していた賢狒龍は、敢えて発見されやすい地形に身を晒し、敵対者の正確な位置を認識した。



 ―――――――――――――――――――


『ゴォアアァァアッッ!!!』


 重低音の巨大な咆哮を上げ、平手で胸を叩き打ち鳴らしたヤヌメットは、地響きを立てながら、密猟者たちへ突進する。


 密猟者たちは不意打ちに失敗したと見るや、すぐに後方の密林の中に姿を消していた。


「あの連中、なんだってこんな時に!!」


 それを目で追ったティムズの耳に、パシズの叫び声が聞こえる。

「ティムズ!ミリィ!!何処だ!」

「ここです!」


 ティムズは身を隠していた岩に跳ね上がると、少し離れたところで、同じ様に岩の上に立っているパシズの姿を認める。左手にはミリィも姿を現していた。ヤヌメットの進路上からは若干ずれていたらしい。ふたりは急いでパシズが待つ大きな岩の上へと跳ね寄った。


「術矢は誰が撃った!?我々の術弩とは違う音だったぞ!」

「新手の密猟者です!西方の森に逃げ込んで、ヤヌメットはそれを追って行きました!」

「ヤヌメットの眼を見たわ!あれは、まるでロロ・アロロと同じ――」


「「密猟者!?」」

 パシズとミリィが同時に叫んだ。

 林立する岩に邪魔され、ティムズの位置以外からは、術矢を放った者たちの姿は視認出来ていなかったようだ。


「不覚っ……!」

 ミリィが森の方を睨み、歯噛みする。

 一番近くに居たはずなのに、密猟者の追跡と接近を察知できなかった。ミリィもまた様子のおかしい賢狒龍の挙動に違和感を感じ、注視していた故に、それ以外のことへの警戒が薄まっていたのだ。


「……マリウレーダ!ヤヌメットを補足したが、新たな密猟者の一団とも遭遇、ヤヌメットが追っていった模様。上空からの支援を頼む!」


 パシズは素早く伝信術を開き、応答も待たずにティムズとミリィに向かって、次の指示を下す。

「目標追加だ。ヤヌメット及び、逃亡した密猟者の追跡」

「術弩を携えているという事は対龍装備を備えた上位密猟者ハイ・ポーチャーと考えるべきだ。すぐに追うぞ」


「了解!」


 三人は跳躍術を解放し、可能な限りの最高速度で、ヤヌメットが消えていった密林の中へと飛び込んでいった。

 


 ――――――――――――――――――


 もり にげる よわいもの おう つよいもの。

 ひと ころぶ つかまえる。

 よわい かんたん とれる ひとつ。

 なく わめく よわいもの。

 つよいもの わらう つぶす とれる ふたつ。

 よわいもの うごかない うごかない うごかない うごかない うごかない。

 つまらない。


 ―――――――――――――――――――――


 溶岩地帯の周囲に広がる古木の森は、龍礁全体に分布する森とは比べ物にならない程の高さを持つ木々が並び立つ密林だった。


 数十エルタに及ぶ大樹の幹回りはとてつもなく太く、不規則に並ぶ古代の神殿の石柱の様でもある。樹上では枝が四方八方に広がり、連なる葉と共に、陽光の殆どを遮断していて、日中でも薄暗いことが、その神秘的な印象を強めていた。


 地を這う大樹の根も比例して巨大で、普段の森を駆け抜けるのとは全く勝手が違い、3人の機動性を損ねる。根から根へと飛び移るように跳ぶしかなかった。



 先頭をきって跳ね駆けるミリィは、小さく、微かな、しかし最悪の絶望に咽ぶ悲鳴を聴く。


 血の気が引き、声が震えるミリィ。

「……駄目。やめて、そんなことしないで……!!」

 

 しかし次の瞬間には、それでもまだ、次の惨劇を食い止められる可能性を信じ、力を込め、ミリィは更に加速した。瞳と同じ紫の光を足に纏いながら。


「ミリィ!一人で行くんじゃな……」


 で先行しようとするミリィを留めようと、口を開きかけたパシズは、しかし口をつぐんだ。ではなかったからだ。


 加速するミリィのすぐ背後を、ほぼ同等の速度で追随する、最年少の龍礁監視隊員レンジャーの後ろ姿が目に入ったのだ。ミリィは今まで何度も一人で闘わなければならない状況に追い込まれた――と言うよりも、寧ろ自ら飛び込んでいく事の方が多かった――しかし今はもう、それに追い付き、共に闘う意思と、それに相応しい実力を持つ仲間が居る。


 ―――――――――――


 樹柱に囲まれた薄闇の中、ヤヌメットはその屈強な右手で密猟者の左腕を捕らえ、持ち上げてぶらぶらと揺らしていた。右腕をもぎ取られ、左脚を潰された密猟者はぴくりとも動かず、弱々しく呻き声を上げている。


 捕らえた獲物の顔を、暫くじいっと見つめていたヤヌメットは、おもむろに、既に血にまみれた左腕を、密猟者のもう一つの脚に伸ばす。


「やめろッ、ヤヌメット!!!」


 破裂する絶叫と紫の閃光と共に、幻剣の淡青の軌跡を引きながら、これ以上の凶行を止めるべく、ミリィが一直線に突っ込んできた。


 それに気付いたヤヌメットは、迫ってくるミリィに向き直り、その白濁した眼を向けると、動かなくなった密猟者の身体を無造作に投げ捨てる。

 そして、迫るミリィを無視して樹上に飛び上がり、枝や蔦を器用に手繰りながらその場から去っていった。

「待てっ!!」

 ミリィはすぐさま追撃しようとするが、びくりと身体を強張らせ、ヤヌメットが放り捨てた犠牲者の元へ駆け寄る。


「ミリィ、どうし……」

 直後に追いついたティムズが、屈んだミリィの足元に横たわる密猟者の姿に気付き、絶句する。恐らくは壮絶な苦痛の果てに息絶えたであろう密猟者の目は、虚ろに開かれたままだった。


「間に合わなかった……」

 ティムズが拳を握り締める。

「いいえ……この娘だけじゃない。まだ……」

「そうだ。あと三人居る。男ふたり、女ひとり」


 賢狒龍の犠牲になった密猟者の瞼を、指でそっと閉じるミリィの呟きを、ティムズの凛とした声が引き取った。その強い語調には「まだ終わりじゃない」という意思が満ちている。


 ミリィはすっくと立ち上がると、静かに一歩、二歩とステップを踏み、賢狒龍が去っていった方角へと跳び始めた。


 その、覚悟を帯びた背中を追い、ティムズも跳ぶ。


 二人は、大樹が造り上げた神殿に時折差し込む、木漏れ日の筋と、地面に広がる苔の絨毯を散らしながら、森の最深部へ消えた賢狒龍と密猟者を追っていった。


 ―――――――――――――――――――――

 

 枝や蔦を器用に手繰り、樹林を縦横無尽に飛び回るヤヌメットは、黒色のフードクロークを纏う一人の密漁者に狙いを定め、執拗に追っている。

 

 其の姿はまさしく、緑一色みどりいっしょくの空を飛ぶ、龍。

 

 フードクロークの人物は追われながらも落ち着いた様子で、上空から急襲を仕掛けるヤヌメットの腕撃を次々とかわし、攪乱光術フレアを放って再び離れる、という事を繰り返していた。


 


「……居た!」その光源を捉えるミリィ。


 ミリィはヤヌメットと同じ様に、枝から枝へと跳び、もう殆ど空中を直接飛ぶように駆けていた。深部に入り込むにつれ周囲の大樹は更に巨大になり、その根が視界を遮り始めた為、翔躍で樹上へと飛び上がり、交戦の印を追ってきていたのだ。


 地上では、荒れ狂う川の様にうねる根に悪戦苦闘しつつも、頭上を跳ね進むミリィを目印にして、ティムズが追う。




 距離を詰められたフードクロークの人物が再び身を翻して、華麗とも言える所作でヤヌメットの攻撃をいなし、再び攪乱光術フレアを起動する……が、光球の粒が瞬く通常の攪乱光術とは別の、断片化された無数の金属の破片の様な光刃の霧が広がる術を展開した。



欺刃光術チャフ!?)

 目視圏まで近づいていたミリィが、黒衣の人物が開いた法術に驚く。


 攪乱光術の様に鋭い閃光を伴うものではなく、光の霧といった感じの術光が、ヤヌメットを包む。本来ならその一つ一つが剃刀の様に対象の肉体を切り刻むものなのだが、ヤヌメットの体表結界はそれを弾き、その効果は浅かった様だ。


 発動と同時に身を翻し、再び跳ね駆けだす。黒衣の人物。

 咆哮し、霧を打ち払ったヤヌメットがそれを追う。


 

 一連の攻防を目撃したミリィは、この龍から逃走を続ける人物の力量が並大抵のものではないことを悟った。

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