第五節4項「F/III-賢狒龍ヤヌメット」

 翌朝、物資の補給と、束の間の休息を終えたマリウレーダ隊は、また新たな荷物と任務を抱え、レベルBへ向けて飛び立つ。


 低速で航行する楊空艇マリウレーダのブリッジはもぬけの殻。

 操縦と監視を自動制御に任せ、クルー達は機体中部、居住ブロックの『談話室兼休憩室兼食堂兼キッチン(ギャレー)』に6名全員が集まり、ただでさえ狭い室内の中央にでんと置かれた長方形の小さいテーブルを囲み、粗末な木椅子に座って、本日の食事担当、ティムズが手掛ける昼食の準備が終わるのを待っていた。


 大体

 ┃ ┌┐テ┃

 ┃ピ||タ┃ こんな感じ

 ┃パ||レ┃

 ┃ └┘ミ┃


 である。ぎゅうぎゅう詰めだ。


 楊空艇マリウレーダは、対龍戦闘に必要な速度を得るべく様々な改造が施された挙句、その代償に、居住性が大きく犠牲になっている。これはマリウレーダの二次設計に携わったレッタの設計思想がそもそもの原因であり、設計の初期案では、寝室は単純に男女で二等分されているだけ。食事をする場所も無いなど、寝食に関する部分に様々な欠陥があった。


 ――私の設計は完璧です!問題なんてありません!

 ――あるべきはずのものが『ない』のが問題なんだ!


 というやりとりが、あったとか、なかったとか。


 流石にこれはまずいだろう、と、ジャフレアムとピアスンが大幅な改修を求め、機体中心部に居住区画が新設されたのだが、それでもこの有様。せめてもの事として水回りなどの衛生面だけは、なんとか一定の水準を保つ事に成功した。


 そんなこんなで、長期間の任務において、劣悪……とまでは行かないものの、とても快適な暮らしとは言えない環境ではあったが、多岐に渡る任務に忙殺されるマリウレーダ隊の面々は、そこに文句を言う余裕はあんまりなかったのである。



「お待たせしました、これが本日のお薦めでございます」


 調理を終えたティムズがてきぱきと、一同の前にパンやチーズ、簡単な炒め物を盛った木皿を回し、最後に、テーブルの真ん中へ、ロールキャベツがたっぷりと浮かんだ鍋をどんっと置いた。


 ――――――――――――――


「いただきますっ」

 ミリィの声と共に、一同は各々、ティムズの自信作に手をつけた。


「おっ、今日のも美味いな」目を丸くしたタファールが感想を漏らす。

「なかなかだ」「ああ、丁寧な味付けだ」パシズ、ピアスンが嘆賞し、

「……塩はこの分量でもいいのか、トマトがしっかりと効いて……」

 ぶつぶつと味の成分を分析するレッタ。

「美味しい美味しい。うん、美味しい」

 次々と鍋からおかわりを皿に放り込むミリィ。  


「いやあ、意外だったなあ。お前にこんな才能があるなんて」

 タファールが素直に感心し、隣に座ったティムズの肩を小突く。

 対面のピアスンも可笑しそうに呟いた。

「全くだ。これだけでも配属した甲斐があったと言える……無論、レンジャーとしても見事な働きを見せてくれている事も忘れてはいないが」


「祖母に食事を用意する毎日でしたからね、色々なレシピを覚えたんです、よ……」


 自身もロールキャベツを皿に取り分けようと、身を乗り出したティムズが固まった。鍋を覗き込んだら、あれだけ大量に作ったはずのものが、もう殆ど無くなっていたからだ。犯人は左側の端で、幸せそうに笑っている。


 呆れつつも、まあ喜んでくれているなら良いか……と納得するティムズに、タファールが言った。

「こんなに美味いもん作れるなら、さぞかし地元ではモテてただろ」

「それさあ、まず料理を作ってあげる関係に持って行くのが一番難しいと思うわけ」

「それもそうか」


 他愛の無い会話に興じる一同。一旦作戦領域に入ってしまえば、こうやって落ち着いて食事をする余裕は無くなってしまう。せめて安全な空域を飛ぶ間だけは、目一杯リラックスしておく事。それがマリウレーダ隊の暗黙の了解だった。


「美味い飯は士気に関わる、って改めて痛感するよ。何しろウチは……なぁ?」

 タファールがクルーを見回し、含蓄を込めて薄ら笑った。


 当番制で回るマリウレーダ隊の、これまでの食事事情と言えば、パシズの料理は基本的に大雑把。食材は手で引きちぎるし、塩も砂糖も手分量。ミリィも料理はてんで駄目らしく、とにかく量があれば良いという思想が丸出しで、誰かが目を光らせていないと、楊空艇に積まれた食材をあっと言う間に消費し尽くしてしまいかねない。このふたりを凌駕するのがレッタで、ふたりに比べればまだ基本に忠実なのだが、彼女の作る料理は何をどうしても、最終的に薬品っぽい風味になるという怪奇現象が起こるのだった。


 かくいうタファールも決して人の料理に口を出す程にはあらず。

 ティムズが配属されるまで、一番まともな料理を振る舞っていたのはピアスン船長その人であり、クルー達の健康管理に自ら貢献していたのだ。


 ――――――――――――――――


「…………?」


 ミリィは、ふと違和感を感じ、ギャレーの小窓から覗く空を見つめた。

 それまで会話を交わしていたレッタが、パンの残りをちぎりながら言う。


「どうしたの、急に黙って。お腹でも痛くなった?」

「ううん、ちょっと……甲板うえに上がってくるね」

「……行ってらっしゃい。一気に食べ過ぎたもんねえ」


 レッタの意味ありげな言葉を無視して、ミリィがギャレーを出る。

 扉のすぐ外はマリウレーダ外部側面に開けた通路で、人ひとりが通れる程度の狭さ。柵の外はもう空中であり、すぐ下部から伸びる主翼が視界の大部分を覆っていた。


 ミリィは通路後部から甲板へと続く細い階段を登る。

 警戒領域にはまだ距離があり、この一帯は制圧を終え、安全を確保している。危険がある可能性は低い……はずだ。感じた違和感の正体を探ろうと、景色を見回す。


 広がる森林の中から、一筋の煙が立ち昇っていた。


 ――――――――――――――――――


 機体下部の格納庫。異変の原因を探るべく、ティムズとミリィは降下の準備を進める。

「装備、術符ともに良し。いつでも行ける」

 ゴーグルを下げ、皮手袋の嵌め具合を確認したティムズが振り向き、

「こっちも準備良し」

 背腰に下げる術弩の留め金をパチン、と止めたミリィが応えた。


「私がリードする。降下後は目標地点まで一定の距離を取りつつ、迅速に移動」

「了解」

「センサー群は何も感知していないけど、万が一の事もある。術弩は起動しておいてね」

「ああ、大丈夫だ」


 ふたりは、高度と速度を下げた楊空艇から垂れ下がるガイドワイヤーを伝い、地上へと滑り降りていった。



 木々の間を跳ね抜け、異変の源に辿り着いたティムズとミリィが目にしたものは、無残に放り出された、複数の人間の死体だった。原型を保っているものは一つもない。どの屍も損傷が酷く、周囲には身体の一部が点々と散らばっている。


 木々に囲まれた窪地にはキャンプの形跡があった。粗末な野外用の寝具や調理器具が散乱し、その真ん中で、とっくに火の消えた焚き火の跡が燻っていた。ミリィが捉えたのはこの煙で、あと少しでも発見が遅れれば、この場所は永遠に人知れず、森に吞まれていっただろう。


 ティムズは惨劇の跡に顔をしかめ、袖で顔を覆う。

 幾度となく遭遇した死に対する恐怖は、経験を経るごとに薄れてはいたが、死臭だけはどうしても慣れる事は出来なかった。


「……密猟者、だよな」

「恐らくはね」

「仲間割れ、じゃなさそうだ。この……散らかりようは」


 周囲を注意深く見渡すティムズ。焚き火が消えてからかなりの時間が経っているようだが、だからと言って、この惨状を引きおこした何者かが、遠くに去っているとも限らない。

「ミリィ。まだ付近に居る可能性がある。俺は警戒を――」

「いいえ、大丈夫。近くに気配は無いわ」


 即答するミリィ。何故それが判るのか、ティムズは常々不思議に思っていたが、こと龍に関しての彼女の勘は鋭く、時にパシズを凌駕する程だった。これが龍礁監視隊員レンジャーとしての才能か、と感心する他ない。


 ミリィは躊躇なく、犠牲者の元へ近づくと、些か乱暴に衣服を剥ぎ取り始めた。

「身元を証明するものは身につけていない。まあ、不法侵入なら当然だけど」


「こいつには刺青がある。何かの所属の印かも……」

 ティムズも転がる四肢に手を伸ばす。どちらかの腕と思われる部位は、見た目から受ける印象よりもずっと重く、この人物の死が実感として心に伸し掛かって来た。


「死因は……バラバラにされたことかな」

 動揺を誤魔化す為の、精一杯の冗談。


 ティムズは何度も対峙してきた邪龍の爪や牙を思い出していたが、密猟者の成れの果てには、それらしき爪傷は見当たらなかった。ならば、この痕跡を残す方法は一つしかない。彼らは、引き千切られたのだ。


「……ロロ・アロロの仕業ではなさそうね。ロロ・アロロはこんな風に……弄ぶようには殺さない」

 キャンプ跡の遺留品を調べていたミリィが、地面に何かを見つけ、屈みこんで拾う。それは、頑健な白く短い毛だった。


「……ヤヌメット……!?」

 ミリィは眉をひそめた。

「まさか、彼らがこんな事をするはずがない……」


 ティムズも書物で目にした事のある名前から、記憶を手繰り寄せる。

賢狒龍けんひりゅうって奴?森の賢龍って言われるくらい知性が高いっていう……でも、確か、強力な割に大人しい龍種なんだろ」


「ええ……」

 拾い上げた白い毛をじっと見つめていたミリィが、滞空しているマリウレーダを見上げた。


「一旦船に戻りましょう。これだけでは犯人だとは言えない。報告して、皆の意見を聞かなきゃ」


 ―――――――――――――――――――


 回収されたふたりはブリッジに上がり、全滅した密猟者と現場の状況を報告した。


「事例はある。以前にもヤヌメットが人を襲い、討伐された。詳しい原因は判っていないが、特定の龍が罹る、ある種の病の影響で狂暴化したのではないかと類推されている」


 パシズが、過去に同様の事件があった事を語るが、ミリィはまだ信じられない……と言うよりも信じたくない、といった面持ちで応えた。

「でも……」

「信じたい気持ちは判る。しかし、人体を容易くばらすなどという芸当が出来るのは、彼らだけだろう」


「ともかく、人的被害が出た以上、少なくとも要警戒対象として捜索をしなければならない。そして本当にヤヌメットの仕業なら……」


 灰色の瞳が、紫の瞳をじっと見つめる。

 ミリィはパシズの無言の問いに、静かに頷いた。


「……はい。承知しています」



「タファール。近辺に反応はあるか?」

「いいえ、うんともすんとも」


 後方で事のあらましを聞いていたピアスンが、前方で探査術式を操作するタファールに状況を訪ねた。F/III以上の龍族の存在を探知する為の機構ではあるが、余程近づくか、龍がその力を発現、行使しなければ役に立たない代物で、タファール曰く「開発者の頭がポンコツ」らしく、一応、タファールが術式を弄って改善を試みてはいるものの、大抵の場合は、船外活動員の目視の方が手っ取り早いものだった。


「駄目っすね。ただでさえ性能が安定してねーのに、ヤヌメットが相手なら見つけられっこないっすよ。あいつら、気配を消すのがとんでもなく上手いし」


 お手上げ、という仕草をするタファールに、レッタが続ける。

「今までの遭遇事例も、あっちから干渉してきた場合だけですしね」

「だからと言って看過する訳にも行かない。事実を確認する為にも、直接会って、話をする必要がある」

 レッタの言葉を受けるパシズ。


 ティムズは、パシズが何気無しに使った単語に引っ掛かりを覚えた。

「……話、ですか」


 F/ IIより高位の龍種には人語を理解し、意思の疎通が可能なものが居る。

 その話を初めて知った時は、そんな寓話の様な龍が本当に実在するとは、にわかには信じられなかった。しかし、法術式を操れるくらいなら、それ程度は不思議と言う程でもない。その時のティムズが感じたのは、人間以外の知性との対話への興味と、そこはかとない恐れだった。



「話、つってもべらべら喋れる訳じゃないからな。なんていうの?断片的な語句の交信?意味不明な単語の羅列?聞きたい事は教えてくれねえし、こっちが言う事を聞いてんのかどうかも怪しい」


 タファールがティムズに声を掛ける。

 さも経験者の様に語るが、実際に龍との対話を経験した事がある訳ではなく、対話したとされる者(或いは、したと自称する者)たちの手記や記録からの受け売りだった。古来より、龍の声は一種の宣託とされ、その声を聴いた者は真理に近づいた者として、良い意味でも悪い意味でも特別な扱いを受ける事が多い。


 なので、近年では、ただの売名行為、又は勘違い。そして心を病んだ者の虚言という扱いを受ける事が多かった。


「……………」


 パシズはタファールの言葉を聞きながら、唇を噛んでいた。

 ――以前より聴こえる様になった謎の声の正体は、明らかに『龍の声』と思える。

 但し、今まで経験してきたどの『声』とも違う、異質な響き。謎めいた詩吟の様な、それでも美しい、こえ。


 この事はまだ誰にも話してはいなかった。しかし、続発する様々な事態の解となるものなのかもしれない。ただ、今この場で話すべきではないとも考えた。今はヤヌメットの捜索に徹する事が肝要だ。


「とにかく、俺はまた甲板に上がって監視ですかね。ついでに拭き掃除でもしておきますよ」


 何にせよ、現時点で出来る事はこれしかない。

 ティムズはそう笑って、ブリッジ背後へ歩き出し、扉に手を掛けた。 


 その時、タファールの手元の術式が展開し、ブリッジ内に赤色の表示が大きく広がった。


 その表示が示した名は、F/III-1種1項-賢狒龍「ヤヌメット」。


 本来なら最接近、もしくはその力を感知しなければまともに機能しないはずの探査機構レーダーシステムは、マリウレーダ隊が追うと決めた相手の位置と方角を、あっさりと示した。

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