第五節3項「巡る、巡りゆき、捲られる頁」

 その日の深夜、マリウレーダは一週間に及んだ哨戒飛行を終え、予定通りに第四龍礁本部に到着した。漆黒の夜空に点滅する着陸灯と共に、誘導用の灯光が並ぶ離発着場へとゆっくりと降下すると、待機していた十数名の地上職員が、着陸した楊空艇からの物資などの荷下ろしなどを始め、深夜にも関わらず、周辺は行き来する職員で慌ただしくなった。


 その中にはエフェルト=ハインの姿もあり、マリウレーダ隊が楊空艇マリウレーダから降りて来たことに気付いて、運搬しようと持ち上げた樽を一旦下ろした。


「あれ……エフェルト?」

「よう」

「……っ。何だよそれ」

 こちらを見ていた元・密猟者の風体に気付いたティムズが吹き出す。


 元々どこぞの登山家の様な服装だったエフェルトは、他の龍礁職員たちが着用する制服を着用するようになっていた。ただ、普段の黒いキャップを目深に被っているのはそのままで、正直言って違和感しかない。


「何だよって何だ。好きで着てんじゃねえぞ。着ろって言われたから着てんだよ」

「そうじゃなくて、そのキャップ」

「うるせえ、俺の勝手だ」


 ティムズは、エフェルトの左腕の腕章に目を留める。左腕を覆うアームガードの基部としての役割もあり、地上警備隊ベースガードの所属を示す緑色の地に、森牛をモチーフとした紋章が刺繍されていた。ティムズの腕章は青地に銀の飛竜。マリウレーダと同じ配色である。


「結局、地上警備隊ベースガードに編入されたんだ」

「ああ。バリナス爺さんの後任には害虫扱いされてっけどな」


「当然でしょ。失敗したとは言え、密猟者なんだから」

 話し合うふたりの傍を、荷物を抱えたミリィがつんとした表情で通り過ぎた。


「元、だっつってんだろ!……こう見えても真面目に仕事してるんだぜ?未だに邪険にするのは新隊長とあの女くれーだぞ」


 歩き去っていくミリィの背中へ不機嫌な視線を寄越すエフェルトに、ティムズは頬を掻きながらフォローを試みる。


「まあ……ミリィは、頑固なところがあるから。だけど、ちゃんとあんた達の事も心配してるよ」


「ははぁ……なるほど」

 エフェルトの口角が上がる。

「お前、あいつを……」


「おっ、まだ生きてたのか。てっきりすぐにまた逃げ出すか、くたばるかと思ってたのに」

 今度は書類の束を抱えたタファールがエフェルトを遮った。


 エフェルトは舌打ちする。直接話したことは数度しかないが、このキノコ頭の事は、他人を小馬鹿にする事だけが生き甲斐の人間だとしか思えなかった。背丈や年齢は近くとも、絶対に関わり合いになりたくないタイプ。そしてその感想が正しい事を改めて知る。


「てめえこそくたばれ」

「いつだってくたばる寸前だよ。お前を助けた時もそうだったろ?」


 タファールは大仰に笑ってみせ、ミリィと同じ様に本部へと歩き去っていく。

「あの野郎、いつか絶対にぶん殴ってやっからな……」

「俺の方が先に手を出すよ。たぶん」

 ティムズもタファールを見送りながら、真顔で呟いた。


 そこに、頭を抑えながらふらふらと寄ってきたレッタがティムズに声を掛ける。

「うう、あったま痛い……ティムズ、悪いけど私の荷物運んでくれない?」

「ああ、良いよ。それじゃあエフェルト、また……あれ?」


 エフェルトの姿は、運ぶはずの樽を残して、忽然と消えていた。

 マリウレーダ起動式の媒介として利用された事に始まる、レッタの『人体実験』の数々で、彼女の存在を察知すると本能的に逃げ出すという条件反射が身についてしまっていたのだった。


――――――――――――――


 未明まで続いた搬入作業を終えたマリウレーダ隊は仮眠を取る間もなく、談話室にて今回の哨戒飛行の報告書の作成に取り掛かる。早朝の陽光が満たす室内で、ピアスンとパシズを除く全員が、ソファに座る死体の様にもたれかかっていた。


 「――多数のロロ・アロロの駆逐、F/II級の龍族素材の回収、一部ではあるがレベルB縦森迷谷の地形情報の入手、そしてF/IIIエクリウーズの所在を確認。短期間にしては充分な成果を上げられた。ひとえに皆の尽力によるもの。ご苦労だった」


 ピアスンがクルーを労うが、成果を上げれば上げるほど、関連部署へ回す書類仕事は比例して増える。しかし各部署の円滑な連携を維持するには、必要な仕事なのだ。

 

「おいこら、起きろ。まだ半分も済んじゃいねえぞ」

 タファールが隣でティムズの頭をはたく。


「んあ?」

 よだれを垂らしたティムズが顔を上げ、半眼で辺りを見回した。全員が黙々と書類や資料を手に取り、作業に没頭している。


 ティムズは大きく欠伸をし、昨日目撃したエクリウーズの詳細についてのレポートに目を通す。目を瞑って、あの土色の龍の姿を思い出そうとするが、そうするとまた睡魔に引きずり込まれそうになるのだった。


「これは……キツいよ……こんなの事務方に回しちゃえば良いんじゃないの」

「封述は当事者が記す事に意味があんだよ。情報は生き物。鮮度と精度のある情報は何より勝るんだ。ちゃんとやれ」


 タファールにしては珍しい真っ当な物言いに、ティムズは素直に従うしかなかった。彼は疲労が閾値を超えると逆にまともになるらしい。早く終わらせてその分早く休みたいだけでもあるようだが。



 不意に談話室の扉を叩く音がして、第四龍礁管理局・副局長代理補佐、キブ=デユーズが顔を覗かせた。


 書類と格闘しているマリウレーダ隊のやられっぷりに少し笑うが、すぐに真剣な顔つきに戻る。


「残業中失礼するよ。ピアスン船長、すまないがちょっと来てくれないか」

「ああ、どうした?」

「意見を仰ぎたい。詳しくは会議室で」


――――――――――――

 

「エク、エクレア……エクリ……」


 目撃したF/III『エクリウーズ』について記述しようとするティムズが、ぶつぶつと繰り返す。

 ティムズには馴染みの薄い異国の名称であり、綴りが判らずに困っていると、隣で作業中のタファールから助け舟が出る。


「Eclaius」

「ありがとう。……これってどういう意味?」

「雷を意味するエムデリテ古語だよ。ピアスン船長の出身地に伝わるものだ」


 書き留めた文章に指を走らせながら、片手間に答えるタファール。


「新種の龍が見つかったら、発見した者、もしくは隊で通称を名付けるっていうのが慣例なのさ」

「へえ……初耳だ。書類にもそれは載ってなかったな」

「規定じゃなくて、あくまでも慣習だからな。お前も新しいヤツを見つけたら好きな名前を付けられるぜ?ティムズ・ブラックファイヤー・ドラゴンとか」

「ヤだよそんなの。前から思ってたけど、あんたのそういうセンス、酷いぞ」

「シンプルな方が伝わりやすいって思ってるだけだよ、パシズみてえな回りくどい言い回しをするよりな。ま、文化の違いと言えばそれまでの話だが」


 ティムズは第四龍礁で生息が確認された龍種のリストに目を通す。

「文化……だから良く判んない名前の龍が多いのか」

「そういうこと。龍礁監視隊員レンジャーも色んな国からの集まりだからな。たまに俺でも判らねえ名前があったりもする」


――――――――――――――――――


 部屋中央のテーブルにどさっ!と投げ出される報告書の束。そしてその周囲を取り囲む様に立つ面々。その表情は硬く、談話室には異様な緊張が張り詰めている。


「よし……良いな?」


 厳粛に呟くパシズの言葉に、マリウレーダ隊の者達は静かに頷いた。

 ティムズは、まるで今にも書類が襲い掛かってくるのではといった面持ちで、腰を落とし身構え、深呼吸をする。


 まとめあげた書類は、監督責任者であるジャフレアムの元へ提出しなければならないのだが、ジャフレアムはレポートの詳細について事細かに問いただしてくる事を全員が痛いほど知っている。普段でも面倒極まりないのに、今回は全員が疲労の極致にあって、誰がその生贄になるのか。立場の高い者が行くのが当然なのか、それとも若年者が経験を積ませるべきか。これまでに幾度もの議論こうろんが繰り返された結果、マリウレーダ隊においては、公平の名の元に、平等に決着をつける、ある手段を用いるのが恒例となっていた。


 そう、じゃんけんだ!


「行くぞ!じゃん、けん――」


「でやあああ!」

「えいっ!」

「おりゃあ!」

「ほい!」

「はぁっ!!」


 気合の雄叫びと共に腕を突き出す面々。

 勝負は一発で決まった。


「うああぁぁぁ!嘘でしょっ……!」


 眼鏡の女性が赤茶髪の頭を抱え、床に崩れ落ちた。


―――――――――――――


「レッタ、頑張ってねっ」

 悪戯っぽく笑うミリィが、談話室の中で打ちひしがれているレッタに軽い慰めの言葉を放り投げ、扉をぱたんと閉じた。閉まる一瞬、レッタがじろりとこちらを睨んでいた様な気はするが、見なかった事にする。


 タファールは可笑しくて堪らないといったなにやつき顔を扉に向けている。

「あいつ、これまでの勝敗や俺らの手をぜんぶ記録してんだぜ。統計をもとに手をお決めになられていらっしゃるようだけど、確率論なんて所詮こんなもんだよなぁ」


「レッタらしいや……ふあぁ……」

 これでやっと眠れる。開放感に大あくびをするティムズ。

「まあ、今回は楊空艇の運用についての報告が主だ。イアレースとの問答に付き合うには、レッタが適任だろう」


 ティムズはパシズの顔をちらりと見る。パシズの言葉の節々に、ジャフレアムをどことなく敬遠しているという気配をしばしば感じてはいるが、こればかりは性格の相性と言う他ない。


「では、明朝の出発まで、しっかりと休息を取るように」

 威厳たっぷりにそう言うと、パシズは踵を返し、その場を去っていった。


「元気だよなぁ、あのおっさん……」

「パシズだって疲れてるわよ。私達ぶかにそれを見せたらいけないと思ってるだけじゃないかな」


 徹頭徹尾、規律正しい上官としての振る舞いを見せるパシズの背姿に呆れるタファール。ミリィも口調を合わせるが、その顔には、頼り甲斐のある師父の背中への労いを込めた微笑みが浮かんでいた。



 唐突に、誰かのお腹が鳴る。

 ティムズとタファールは無意識に音源を見る。


「なっ、何よ!ゆうべから何も食べてないんだし、仕方ないでしょ……」

 頬を染めて弁解するミリィ。


 普段なら盛大にからかってみせるはずのタファールも、さもありなんと呻いた。

「……俺も腹減ったな……けど、もう限界だ。俺は寝る。寝るぞ。ふっかふかのベッドで眠るんだ。ひやりとしたシーツ。身体を包むきめ細やかなブランケット……」


 うそぶくタファールの言葉は暗示の様に、ねぶそくミリィのイメージを容易く浸食し、ティムズも魅惑的な言葉に意識を持って行かれそうになる。


「うん、うん……私も今日は、ごはんより先に、眠っておきたい……ふかふかのベッド……」

「ああ……いいなァ、うん、窓を開けて、部屋に吹き込むそよ風……」


―――――……がらがらがらがらっ!


 夢見心地の三人のまどろみを、突然の騒音が引き裂いた。

 ティムズはまたミリィの空腹の轟きかと思ったが、そんな訳はない。

 びくっ、と反応した3人が振り返ると、青髪をおさげにした若年の女性職員が、人好きのする、朗らかな笑顔を向けていた。彼女は箱が積まれた台車を押している。

 

「あっ、終わりました?丁度良かった!お預かりしてた手紙をお渡ししますっ!」

 元気一杯の女性職員が、台車をがらがらごろごろと押して3人に近づいてきた。悪気はないのは判っているが、台車を転がす音は、睡眠不足の3人の頭の中でガラガラゴンゴンと反響し、たまったものではなかった。


「エルペ!頼む、もうちょっと静かに!」

「え?なんです?」

 耳を塞いで叫んだティムズに、既に台車を止めた女性職員はきょとんとしていた。

「いや……もう大丈夫。何でもないよ」

「はいっ」


 溌溂と応えたエルペは、台車に積まれた箱の中から幾つかの袋を取り出す。箱には龍礁管理局内外で郵便物の配達を担当する部署の認章が記されていた。その袋から3通の手紙を取り出すと、3人にそれぞれ一通ずつを手渡す。


「はいっ、これはタファールさん!これはティムズさん!」

「ミリィさんにはまた花束も届いてましたから、そっちは言われた通り、マリーさんに渡しておきましたからねっ」


「ええ……ありがとう」

 ミリィは陰のある笑顔を返した。


(……ばあさんからか)

 ティムズが受け取ったのは、ファスリアに残して来た祖母、イーケからの手紙。

 宛名の筆跡が、記憶より、どことなく弱々しくなっている事が気掛かりだった。病に倒れて以降、身体が弱まっている事を判ってはいても、こうして目に見える変化を前にすると、やはり心配になる。


 祖母を身を案じるティムズには、ミリィが誰かから花束を贈られているという会話を気に留める事は出来なかった。しかし、聴こえてはいた。意識の片隅の何処か、自覚できない程度の、ほんの僅かな引っ掛かりは、たった一人の家族への心のざわめきの中に紛れていった。

 

 タファールはその場で封を切り、真剣な顔で文面に目を通している。

 その表情がどこか硬くなっていると感じたミリィが、心配そうに声を掛ける。


「……妹さんから?もしかして、容体が悪くなったとか」

「ん?ああ。大丈夫だよ。小康状態が続いているらしい。特に何も変わったことはない……今のところは」


 顔を上げたタファールが微笑んでみせた。


「……そう、それならよかった」

 ミリィも笑い返す。


 タファールに似つかわしくないその笑顔は、正直不気味だった。

 しかしそれは、何かを心中に秘めた者が、無理に笑ってみせる時の表情だという事も判っていた。

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