第五節6項「暗緑を駆け抜け」
パシズから緊急連絡を受けた楊空艇マリウレーダは、即座に現場へ急行するも、密森の最深部へ突入した
分厚い樹冠に覆われた地上の様子は一切把握できない。
目視は勿論のこと、群生する
「まだ連絡は取れんのか!」
「やってます!けど、この辺は皇樹の森なんすよ。並の通信じゃ破れませんって!」
語気を荒げるピアスンに、なんとか
レッタは一時的に操縦を自動に任せ、各種モニタリングをフォローする。
「ヤヌメットの反応だけは捉えてます。さっすがF/III、とんでもない霊力……っ」
「…あいつらは一体何やってんだよ。さっきからずっと移動してるだけだぞ」
制御盤付近に何重にも展開する術式を操るタファールが口を尖らせた。
恐らくパシズ達もヤヌメットの近辺で展開していると思われるが、連絡が取れない以上、今はただ、賢狒龍を目印にして追うほか無い。
「……船長、大変です。ヤヌメットは……」
困惑したレッタの声は、タファールの背中にやいのやいの言い続けるピアスンの耳には届いていなかった。
「船長!!ヤヌメットは一体じゃありません!」声を張り上げるレッタ。
「大体、お前はいつも………何だと!?」
タファールに小言を言いかけていたピアスンが一瞬固まる。
ただでさえ強力なF/IIIを相手にしているのに、それが複数ともなると如何にパシズ達とも言えどもひとたまりもない。そして、この状況では支援のしようもなかった。
ピアスンがぐっと目を瞑り、見開く。
「……追跡を続けるんだ。
「んなことしたらまたぶっ壊れますよ!」
「構うかッ!」
またかこのおっさん、という顔をしたタファールに、ピアスンの一喝。
タファールは
「あぁ!この仕事は本当に楽しいなあ!心から思いますよ、マジで!」
――――――――――――――――
(……まずいな、この森はヤヌメットに有利だ)
パシズはティムズ達の移動の痕跡を追っていた。
僅かに残る跳躍術の残滓を辿り、既に自分より先を行く部下ふたりから引き離されまいとする。だが、それはあくまでも速度においては、の話だ。もしF/IIIクラスと一戦交えることになれば、ティムズとミリィだけでは抑えきるのは難しい――
「……!?」
合流を急ぐパシズに急接近する気配。左右の樹柱の先に
跳ね駆けるパシズを挟む様に、いつの間にか出現した2体のヤヌメットが併走していた。
(……ヤヌメット!何時の間に?2体だと?体長は小さい。別の個体?)
突然の出来事に混乱したパシズが、速度を緩めて警戒態勢を取る前に、2体の賢狒狒龍は脇目もふらず、猛然と樹々を跳ね飛びながら走り抜けていった。
「今のは……!?一体何がどうなっている……!」
急転する状況に翻弄されながらも、しかし前方を走るミリィ達に合流すべく、パシズは新たに出現した2体のヤヌメットの影を追っていった。
――――――――――――――
地上でミリィを追い駆け続けるティムズは、更に巨大かつ複雑に広がる障害物に阻まれ、徐々に距離が開きかけている事に焦っていた。樹上を”飛ぶ”ミリィの速度は、地上のそれと殆ど変わらない。ただの平地なら同等以上に渡り合えても、特殊な環境、地形における機動力にはまだまだ差があった。
焦りは集中力を奪う。
「…!しまっ……っ」
跳躍制御を僅かに乱したティムズは、巨大な根に付着した苔で足を滑らせて、絡み合う根の隙間へと滑り落ち、ほんの僅かに差し込む陽光の薄明りの中に着地した。
「……っ!いッてぇ……っ」
なんとか踏ん張って転倒を堪え、顔を上げる。そして、
「………っ!!」
総毛立つティムズ。
目の前の根の隙間で、体長が数エルタもあろうかという巨大なムカデが数匹、がさがさギチギチと音を立て蠢いていた。更に周囲にも数倍の量が居る、と気配で感じる。
ティムズは、絶っ対に振り返って見たりしてたまるか、と思った。
突然のご馳走に鎌首をもたげ、カチカチカチッ、と顎を嚙み鳴らした”F/I-百足龍”に、ティムズは反射的に攪乱光術を使ってしまう。
根から漏れる閃光の中から飛び出す影。
ティムズは、森の掃除屋、スカベンジャーと区分される龍との突然の顔合わせに、声を張り上げずにはいられなかった。
「ああビビった!!マジでビビった……っ!!!」
しかし、今しがたの遭遇で肝と頭を冷やしたおかげで、むしろ、それまでよりも冷静になったティムズの、明瞭になった意識は、跳躍術の精度と速度を、ほんの少しだけ向上させたのだった。
―――――――――――――
大樹が織り成す暗緑の空を『飛ぶ』ミリィが、密猟者を追うヤヌメットを、術弩の射程内に収める。ヤヌメットは、皇樹の幹や枝、絡まる蔦を駆使しながら縦に横に飛び回り、黒いフードクロークを
見事な動きで逃走し続けていた黒衣の密猟者だったが、段々とその動きを学習してきた賢狒龍に動きを読まれ、次第に追い詰められていく。
空中を滑りながら、ミリィは咄嗟に背腰に吊り下げた術弩を素早く抜き、ヤヌメットの首筋に狙いを定めて構えた。そして、素早く呼吸を整え、短い霊葉を呟く。
術弩からは通常射撃よりも大きく、複雑な術式光が展開し、収束した光が放たれた。
矢よりも数段大きな、銛の様な光が暗緑の空に線を引き、着弾した術銛はヤヌメットの体表結界の幾つかの層を、ガラスの様に砕く。
だが、強力且つ多重な結界の全ては突破できず、ダメージを与えるには至らない。但し相応の衝撃は伝わり、ヤヌメットは体勢を崩し、その動きを一旦鈍らせた。
「……くそっ、やっぱり駄目か……!」
そう簡単に通用しない事はミリィにも判っていたが、この一瞬に動かなければ、密猟者は、先程の少女と同じ末路を辿っていただろう。
次の手を思索するミリィの目線の先で、自らを傷つけうる可能性を持つ、新たな『敵』を察知したヤヌメットが、着地と同時に勢いよく振り返って、上空のミリィの姿を仰ぎ見る。
ミリィとヤヌメットの眼が、合った。
「……!」
ミリィは、白濁し、血走った賢狒龍の眼球が、ロロ・アロロの様な虚無を湛えるものでだけではなく、溢れ出さんばかりの、怒りに満ちている事を知る。
降下するミリィを、憤怒の形相で待ち構えるヤヌメット。
ミリィは翔躍で空中を何度か蹴って勢いを殺すと、何度か回転して、こちらを睨むヤヌメットの前方へと着地し、その怒気に負けじと強い視線を向けた。
「!」
ヤヌメットが追っていた黒衣の密猟者も、その時初めて、もう一人の追跡者の存在に気付いた様だ。立ち止まって振り返り、ミリィ達の様子を伺っている。
――ミリィはヤヌメット越しに見える黒衣の人物の人相を探る。
顔の殆どはフードに隠れ、細かくは見取れないが、垣間見えた薄い唇が微かに笑っているのを見た。
(……女……!)
――黒衣の少女は、フードの奥から覗く深紅の瞳を、金色の跳ね髪の戦女に向けた。
(なるほど。あんたが噂の
――――――――――――――
ヤヌメットは前後でお互いの出方を伺うふたりのヒトを交互に見て、グググ、と唸り声を上げる。どちらを先に八つ裂きにするべきかを迷っているようだった。
じりじりと間合いを測る三者の時間が止まる。
ヤヌメットの唸りが一瞬止まった。
『グ、グ、ゴガガッ…ァ…!』
ヤヌメットの体毛がざわざわと揺れ、震え出し、周囲の大気が熱を帯びたように揺るぐ。
身じろいだミリィは、身体が畏怖に震えるのを必死で堪えた。
F/IIIクラスとされる龍はそれぞれが高位の法術式を顕在化させる能力を持つ。
エクリウーズが雷術を駆使するように、ヤヌメットも固有の力を扱うからこそ、F/IIIクラスに分類されている。その力を今開放しようとしているのだ。
ミリィは身構え、畏れを断ち切るように幻剣を開く。
震えるヤヌメットの肩の後ろから、高密度の法術式が展開し、光の渦を描きながら、二対の『何か』を形作っていた。
と、同時に黒衣の少女は身を翻した。
この場が死地となるのは明白。都合よくのこのこと現れた
――待てっ……!
口を開きかけたミリィは、しかし眼前のヤヌメットから目を離す訳にはいかなった。とにかく、この場でこの龍を足止めできれば、彼女も、まだ何処かにいる彼女の仲間も、安全な場所まで逃れられるはず。
そう、現時点では、これがベスト……そのはずだ。ミリィは覚悟を決める。
そして、すぐ後方を追ってきていたティムズも、間も無くこの場に到着してくれるはずだ――。
――バキン!
ヤヌメットの背に展開していた術式が、収束した。
(……模造術翼?飛ぶつもり!?)
地上型の龍でも、術翼を展開して飛ぶ種が居ることを知っていたミリィは――
――…違う!
ヤヌメットが『両椀両脚』をフルに使い、ミリィへと突進する。
巨体の突進を止める『術』などない。直前まで引き付けたミリィはぎりぎりで横に跳び、地面を転がりながらも、ヤヌメットの、振り下ろされた次の『手』を、また辛うじて避けた。
体勢を立て直したミリィが見た、ヤヌメットの背に現出した翼のようなものは、術式を圧縮して、ほぼ実体化させた、巨大な『術腕』。
両腕を走行に回すことで機動力を上げ、術椀を繰り出し、更に両椀の追撃。
どの
(まずいっ……、まずいっ!!)
対抗策を浮かべる間も無く、ヤヌメットの猛攻が始まる。
一手、二手、三手、四手。
撃ち下ろし、振り払い、掴みかかり、叩きつけられる四椀の連続攻撃は、通常の生物からは、およそかけ離れた挙動でミリィを襲う。
この場からの離脱を考えるが、今のヤヌメットは機動力が飛躍的に上がっている。
背を向けて一瞬でも集中が途切れれば、背後からの急襲を回避できないだろう。
どんな一撃であれ、それは即ち、死だ。
「どうしてっ……」
ミリィは、自身が知る、森の賢龍と謳われた温厚な龍とはかけ離れたヤヌメットの、殺意を曝け出した姿を目の当たりにし、苦痛に耐えるような顔をした。そして、
「どうして!?あんなに優しかったあなたたちが!なんでこんなことっ!!」
そう叫ばずにはいられなかった。
――――――――――――――――――――
ヤヌメットが地を打つ衝撃音を聞いたティムズは、折り重なる根の間を突破する。そして輝く術椀を振るう賢狒龍の異様な姿と、相対するミリィが四椀の集中攻撃を散らす為に、毬の様に弾む回避運動をしているのを捉えた。
否も応もない。即断したティムズは幻剣を構え、ヤヌメットの注意を引こうと雄叫びを上げ、戦闘に割り込む。
「この毛むくじゃら!大人しくバナナでも食ってウホウホ言ってろ!!」
挑発が効いたかどうかはさておき、ティムズの目論見の半分は成功する。
ミリィ一人に集中していた攻撃を分散し、多少は回避に余裕を持たせる事はできた。
だが、ふたりの持つ装備ではこの龍に打撃を与える事は全く出来ない。F/ IIクラス相当ならまだ良いが、決定的なダメージを与えるにはパシズが持つ対龍槍が必要だ。
一方的な攻撃に晒され、後方に大きく跳ねて下がるふたり。
こちらからの攻撃が『通らない』以上、敢えてヤヌメットの前方に並び立ち、受ける椀撃を分散するように立ち回っていた。
「もう!なんでいつも肝心な時に居ないのよあのおっさんはっ!」
「きみがいつも一人で突っ走るからだろ!」
「私はもう、間に合わないのは嫌なの……!」
迫りくるヤヌメットを睨み、歯噛みするミリィ。
『犠牲者』の姿を思い浮かべたティムズも同じ気持ちではあるが、次の瞬間に振り下ろされる椀撃を避けなければ、自分もそうなる。
口論していたふたり目掛けて撃ち込まれた術椀の一撃を横跳びで回避。
ヤヌメットはミリィに向けて二撃、三撃と追撃を加える。
ティムズは、ヤヌメットの初撃が地面に作った穴を見て血の気が引く。衝撃でクレーターさながらに大量の土がめくれ上がり、苔や根の欠片が辺りに舞い散っており、改めて、その破壊力を実感した。
アロロ・エリーテを遥かに凌駕する圧倒的な力と、威圧感。
どこか現実離れしたF/III-エクリウーズの超常的な雷法とはまた違う、間近で直接、感じる力が、ティムズ達の身体も心も圧し潰そうとしていた。
(これが、F/III……!)
「ティムズ!来るわ!」
ミリィが、一瞬の思索に耽るティムズの傍を跳び抜ける。
賢狒龍の標的が自分に移った事に気付き、はっとしたティムズは、慌てて後方に二歩、三歩と大きく後退し、ヤヌメットの
(もう一発!)
ティムズは四手目、に身構えるが、ヤヌメットは何故か動きを止め、ティムズの頭上を見つめていた。
『ゥグゥルルル……!』そして、地響きが湧き上げる様に唸り出す。
「……!?」同様に何らかの気配を感じたミリィも、ヤヌメットの視線の先を見た。
「……?」ティムズは両者の反応そのものを不思議がる。
ザザザッ、ザザザザッ、と途切れがちな梢の音が近づいてきた。
楊空艇マリウレーダが感知し、パシズも目撃した新たな二体のヤヌメットが、同時に暗緑の空から舞い降り、ティムズ達を挟む様に、ドォォン!という轟音と共に着地する。
新たに現れたヤヌメット達は、ティムズらが相対していた"大柄な"ヤヌメットより一回り小さく、顔面から上半身にかけて、朱色の紋様を持つ者たち。
二体は中心のティムズ達の周囲を円状にゆっくりと歩き、様子を伺っているようだった。
「そんなアホな……っ!」ティムズは戦慄する。
一体だけでも手も足も出ないのに、それが三体ともなると絶望的だ。
しかし、眼前の"大"ヤヌメットは、新たに現れた"中”"小"のヤヌメットを警戒し、グルルルと唸っていた。
「ティムズ、下がって」落ち着き払ったミリィの声がした。
「大丈夫……彼等は、それを止める為に来た」
ティムズは眼前のヤヌメットから目を離さず、ゆっくりと後ずさる。
土に足を引っかけ、尻もちを付いた。
大咆哮が呼応し、暗緑の森を揺るがす。
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