第四節14項「宣戦布告」

 ロロ・アロロの襲撃がもたらした混乱は龍礁内外に知れ渡り、これに乗じて複数の密猟者の侵入が散発するようになった。その殆どは龍の元へと辿り着くどころではなく、広大な森林や複雑な地形に往く手を阻まれて遭難する程度の実力しかない者ばかりだったが、中には奥部まで接近する者もあり、龍礁監視隊レンジャー及び地上警備隊ベースガードたちはこの対応にも日夜追われる事となる。


 その中でティムズも初めて、密猟者を直接捕縛する機会を得た。

 しかしその顛末は、ラテルホーンやロロ・アロロとの激戦とは比べるまでもなく、呆気ないものだった。


 捕えたのは、冒険者を自称する若い男女の一団。

 動機はただ『美味しい話があると聞かされた』からだと言う。


 頻発する密猟者の侵入には、それを唆す何者か、もしくは何らかの組織的な企てがあるという疑いが強まるが、龍礁の外に素因があるとしても、現状の龍礁においてはその捜査に充てる人手も予算も時間も足りず、結局、この件についても後手に回らざるを得ない。


 ティムズ達はそれを解決する立場ではないし、その能力もない。あくまでも実働部隊として任務に集中する事を求められており、それを可能とする為の訓練に精励せいれいするのみだった。


 こうして、第四龍礁を取り巻く情勢と環境が変わっていく中で、ティムズとミリィの『龍、及び密猟者を対象とする逃走、追跡、戦闘を想定した監視隊員に依る相対仮想模擬訓練』(鬼ごっこ)は続いている。


 最初は文字通り手も足も出なかったティムズは、当初こそ様々な策を弄し、あの手この手で何とかミリィの裏をかこうとしていたが、いつしかそんな稚拙な絡め手などかなぐり捨てて真っ向勝負を挑むようになっており、そんなティムズに対するミリィも余裕を見せることなく、本気で相手をしなければならなかった。


 そして。


 ――――――――――――――――

 

「……やったッ!捕まえた……っ!」


 遺跡の中庭、中央に噴水跡が鎮座する広場にティムズの歓声が響いた。


「ッ!……!」


 身を竦ませたミリィは目を見開き、驚きと怯みが混じった表情で自分の腕に目を落とした。遂に『勝利を手にした』よろこびに目を輝かせたティムズの手が、ミリィの右手首を力強く、しっかりと握っている。


 ミリィがそのままの表情で顔を上げてティムズの顔を見る。

 二人の距離は、吐息が届く程に近かった。


 だが。


 バヂッ!と音がして、ティムズが弾かれた様に手を離す。

「っ!いッ……てぇ!」


 動揺したミリィは思わず、戦衣に仕込んだ対人用の簡易雷撃符を起動していた。

 ラテルホーンとの一戦の後、身体を拘束された場合に反撃する為に、新たに組み込んでいたものだ。


「何だよ、それ!」

 痛みに顔をしかめ、ミリィをめ付けるティムズに、ミリィは動揺を隠し、努めて冷静に言い放つ。

「……油断しちゃ駄目よ。目的を達成した、と思った瞬間が一番隙が出来るんだから」

「それとこれとは話が違うんじゃないか。それは……ただのズルだろ!」

 右手を押さえたティムズが文句を言うと、ミリィは尚も冷たく応じ、

「実戦では何が起こるか判らないでしょ?」

 つんとして顔を背けた。


 初めて出逢った時、木台のロープを登らずに直接蹴り上がったミリィの得意気な振る舞いと表情を思い出したティムズは軽く苛立ち、自分もミリィから顔を背けると、軽口を装った皮肉を返す。


「前から思ってたけどさあ、きみって、そういうちょっとズルいところあるよなー。自分では気付いてないみたいだけど」


 ミリィの表情が変わり、ティムズの顔をぱっと見る。怒りとも当惑とも取れない不思議な表情だったが、いつもの様に言い返したりはしなかった。


 ただ、静かにティムズの顔をじっと見て、

「……ごめん、そうね。おめでとう。あなたの勝ち」

 小さく呟いて振り返ると、逃げるようにその場を歩き去って行った。


「……ミリィ!待っ……」

「………」

 ミリィの姿が見えなくなると、ティムズは身体中から疲労が一気に溢れ出したように膝に手をつき、ぼそりと独り言ちる。


「……そういうところが…………」



 ―――――――――――――――――――――――



「さて、集めたは良いが……どうしたものか」


 砦の門前で、石床一面に広げられた雑多な品物を睨みながら、パシズが首を捻らせていた。『学者連中のお使い』として、砦内から収集した遺物を取りまとめていたのだが、パシズにはどれがどう役に立つの物なのかは判断できない。


 安全が確認され、新たな訓練地域として設定されたこの城塞遺跡群には兵舎、見張り塔、訓練場、倉庫、馬舎……様々な痕跡があり、当時の遺物が幾つも発見され、これに反応したのが龍礁本部の学者たちで、彼ら曰く「極めて貴重な一次資料である」として、訓練ついでに色々集めて来いという余計な任務も仰せつかっていた。特に武具において用いられている300余年前の法術理論は現在よりも遥かに高度で、それを上手く応用できれば、不足している装備群を補えるのではという目算もあった。


 とりあえずかき集めてみたものの、選別のやりようもなく途方に暮れていたパシズの背後から、浮かない顔をしたミリィが声を掛ける。

「……パシズ」

「む。どうした?まだ訓練途中ではないのか」

 振り返ったパシズは、何処か沈んだ様子のミリィに、探る様な視線を投げる。


 ミリィはパシズの傍らに立つと、パシズが苦戦していたであろう石床の遺物の群れに目を落とした。

「ええとね……」

 一拍置いて、自嘲気味に笑う。

「捕まっちゃった」


「……本当か?」

 意外そうに眉を吊り上げるパシズ。


 にわかには信じ難かったが、本人が言うのなら確かだ。ティムズの実力がパシズの想定を超えてきたという事か、或いは。


「本当なら、今度は私が『鬼』の番だけど……ごめんなさい、今日はもうここまでにしても良いな。そのぉ……ほら、色々あるし」


 うつむくミリィに、パシズは静かに頷き、それ以上は何も尋ねなかった。

「……許可しよう。本部に戻って休め」

「ありがとう。それじゃあ、先に……戻るわね」


 振り返りながら軽く片手を上げ、麓に留めた馬の元へと下って行ったミリィを見送ったパシズの元に、まもなく、何処か不満気な表情を浮かべたティムズも戻って来る。

 パシズはこれも意外に思った。本調子ではないとは言え、ミリィを捕まえる、という大金星を挙げたのなら、もっと喜んでも良いはずだ。



 ―――――――――――――――――


「……そうか。まあ、お前も判っては居るだろうが、あいつの負けず嫌いは筋金入りだからな」


 ティムズが不満そうに事の経緯を語り、聞き終えたパシズがいつもの事だと溜息を吐く。言外にはティムズもそれで納得しておけという意図もあったのだが、ティムズにとってはミリィの対応はルール違反そのものであり、看過し難いものだった。


「だからってこれは酷くないですか?もっと素直に褒めてくれたって良いのに」

 ティムズの本音が口を衝いて出る。


「だが、一応でもミリィは負けを認めたのだろう?お前の勝ちだと」

「あいつがそんな風に言うのは珍しい。ミリィなりの讃辞さんじだとは思えないか?」


 パシズは穏便に諭すが、それでも得心いかぬという顔をするティムズに、業を煮やした様に頭をばりばりと掻いた。

「……お前なあ。ちゃんとした教育を受けてきたのであれば、少し察しろ」


「へっ?」

 普段とはかけ離れた口調のパシズに意表を突かれ、声が裏返るティムズ。

 パシズはそのまま暫くティムズの顔を見つめ、困惑していたティムズもやがて、パシズの目言めごとが言わんとしている事に気付いた。なんとなく。


「……あ。あぁ……はい、ええ……そうですね」


 パシズが軽く鼻吹はなぶき、石床に並べられた遺物の方に向き直る。


「ミリィは先に戻った。お前はを手伝え。良いな?」

「はい……」


 否も応もなく、ティムズはパシズの遺物整理を手伝う。

 二人共に口数は少なく、多少の気まずさを含んだ作業は夕刻遅くまで及んだ。



 ――――――――――――――――――――


 その夜。


 ミリィはレッタのベッドに座り、『計算中』のレッタの背姿をぼんやりと見つめていた。レッタが長らく取り組んでいた、マリウレーダの再起動に必要な計算は大詰めを迎えており、ここ最近は邪魔にならないよう部屋を訪れるのを控えていたのだが、今夜はどうしても顔を見たくなっていたミリィの足は自然とここに向いていた。



「……で、どうしたのさ。何か話があるから来たんでしょ?」


 机の上で図式と術式を操っていたレッタが、これでは集中できない、と言った感じで机を軽く掌で叩き、入室してきてからずっと無言のままのミリィに振り返る。


「何か言ってくれないと、いくら私でも何もできないよ」

「……うん……」

 向き直ったレッタの観察するような眼に促されて、ミリィは静かに応えた。

「……ねえ、レッタ」

「はい、どうぞ」


「私って、ずるい?」


「…………、どういう意味?」

 レッタが目を細めて首を傾ぎ、ミリィの言葉と表情を探った。

 ミリィは目を伏せたまま少し間を置いて、再び口を開く。


「私って、ずるい女、かな」


「…………」

 要領を得ないミリィの問いに、レッタは少し厳しい口調で応える。

「……そうね、正直に話さずに、聞きたい事だけを聞こうなんてのは、ズルいかもね」


「……っ!」

 はっ、と顔を上げたミリィの眼に涙が浮かび、嗚咽が漏れた。

「ごめん、なさい…っ」

「ごめんなさい…!そんな、つもりじゃ……っ、わたし……っ」


 言い過ぎたと感じたレッタがミリィの傍に寄り、頭を軽く抱くと、よしよしと撫でる。

「こっちこそごめん、言い過ぎた」

 子供扱いそのものの仕草に身を委ね、しゃくり上げていたミリィの肩の震えが収まると、暫く頭を撫でていたレッタが身体を離し、ミリィの両肩に手を置いて、おどけた調子で笑ってみせた。


「ほーら、ちゃんと話してごらん、落ち着いたらでいいから。大丈夫、レッタさんはいくらでも待ったげる」


「……うん――」

 穏やかなレッタの言葉に心ゆるびたミリィは、今日の訓練のあらましを語った。


 ベッドに隣り並んで座る二人。


「……イーストオウルに、捕まって、悔しかった」

「あいつがここに来てから、まだ数か月しか経ってないのよ?それなのに、もう追いつかれた……って思ったら、悔しくなっちゃって、思わず使っちゃったの」


「例の?ちゃんと効いたんだ」

「にわか仕込みにしては結構な威力だったでしょ?」


 レッタがにやりと笑う。戦衣に雷撃符を施したのはレッタその人である。ラテルホーンとの一戦の経緯を知ったレッタが、計算の合間を縫ってミリィの戦衣に仕込んでいたのだ。


「うん、すっごく痛かったみたい」

 期せずしてティムズで実験する形になってしまったミリィは申し訳なさそうに笑い、言葉を続ける。


「……でもね。捕まった時、少しだけ……嬉しかったの」

「何でだろう。私、結構頑張ってきたつもりだった。二年間、パシズに色んなことを教えて貰って、他の皆に負けないように、必死にやってきたつもり」

「なのに、たった数か月で追いつかれて、悔しかった。それなのに何故、嬉しいって思っちゃったのか、判らなくなっちゃって……」


 ミリィの言葉が消え入り、レッタが仰け反る様に天井を見上げる。

「そうね、私にもそれは判らない」


「ねえ、ミリィ」

「なんで名前ティムズで呼んであげないの」


 不意のレッタの言葉に目を丸くしたミリィが、既に常套句になった答えを返す。

「……それは、後輩だし……先輩として、威厳を保つためだから」


「あんたも、四つ先輩の私を呼び捨てにしてんのよ?」

「それ忘れてるなんて、やっぱずるい娘だわ」

 

 今度は思い切りからかう口調でにやつくレッタ。

 ミリィは自嘲気味に笑った。レッタに冗談ぽく言われると、少しは気が楽になる。

「うん……やっぱりそうみたい」


 レッタはミリィの横顔をちらと見て、前方の机に視線を戻し、広げられた楊空艇の図面を眺めた。

「……ズルくたって良いじゃん。どんどんズルして、とことんズルして、我儘を尽くしちゃえば良い。少なくとも私はそうして来た。おかげでこの有様だけどね」

「でも、それでも着いてきてくれる人は、大切にしてあげなきゃいけない。そんな感じかな」


 ミリィは顔を上げ、遠い思い出を見ているようなレッタの横顔を見た。 

「……レッタは、そういう人が居たの?」おずおずと尋ねてみる。


「それは秘密」

 見つめられている事に気付いたレッタが、余裕ぶった笑みではぐらかすと、ミリィも少し恨みがましく見えるように笑い返す。

「ずるいっ」


「私の場合は、小賢しいって言って欲しいな」

 レッタがいつも通りのにやり顔で応えた。


 ――――――――――――――――――――――――


「なあ、タファール」

「んー?」


 ティムズは居室に戻った後、パシズと共におこなった遺物の分類の書類をまとめる作業をしていた。しかし、日中のミリィとのやりとりを思い出すとなかなか集中できず、既にベッドに横になったタファールに、なんとなしに声を掛けてしまった。


「……いや、なんでもない」

「ああ?」


 だが、切り出し方が判らない。机に向かったまま言葉を飲み込んだティムズの背中に、タファールが身を起こして言葉を投げた。

「何でもないって言う奴は大抵何でもあるんだよ、どうせミリィの事だろ?」


「……っ!違うよ!違うって」

 慌てて振り返ったティムズを、訳知り顔でわらうタファール。

「その反応がもう答えだっていうのを自覚しろよ?」

「だから、本当に違うんだって」

 尚も否定するティムズに、タファールは眉を吊り上げてみせた。

「じゃあ……アルハか?それともレッタ?まさか……パシズ……?」


 『あらやだ』と言うような、口元に掌を当てる仕草でティムズをからかう。


「それは本当に違う、マジでやめてくれそれは」


 パシズの何かを想像してしまったらしいティムズが真剣に怒ったのを感じ、タファールは再び寝転んだ。取り敢えずそういうイメージをティムズに植え付けられたのであればタファールの勝ちなので、今日のところはこれで満足したらしい。


 ティムズはタファールが何も言うつもりがないという事を悟ると、机に向き直り、頬をぴしゃりと叩く。気を取り直して遺物の分類表の残りに取り掛かったのだった。


 ―――――――――――――――――――――


 翌朝、中央食堂の前でばったり出くわすティムズとミリィ。

 お互いに多少の気まずさを感じ、誤魔化そうと二人同時に口を開く。


「「昨日は…」」


 固まったミリィに、ティムズが笑って先言を譲った。

「……先輩からお先にどうぞ」

 今までのやりとりを踏まえた上での、嫌味や皮肉ではない、軽めの冗句。

 その意図はミリィにも伝わった。


 ふっと笑いを漏らしたミリィは息を大きく吸い、思い切ったように語り出す。

「……昨日はごめん。あなたの実力を素直に認めてあげられなかった。一緒に戦って来て、ずっと近くで見ていたのに。どこかでずっと、私より劣ったままで居てほしいと思っていたのかも知れない。だけど、あなたは実力を証明した……」


 言葉が切れたミリィの眼を、ティムズは真っ直ぐに見る。

「たまたまだ、なんて謙遜はしない。確かに俺はきみに追いついた」

「謙遜なんてものは、きみに対する侮辱だと俺は思う。きみはそんな偶然で負けるような人じゃない事を、ずっと追ってきたからこそ、充分に知ってる」


「だから……いてっ!」

「っ何突っ立ってんだよ!」


 真剣な目付きでミリィの眼を見つめていたティムズの背中に、前を見ずに歩いてきた龍礁職員の男がぶつかり、声を荒げた。ティムズとミリィが立ち話をしていたのは食堂入口の真ん前だったので、朝食にありつこうと向かってきた職員にとっては邪魔な立ち位置だった。その男の他にもちらほらと食堂に向かう職員の姿が現れ始め、ティムズとミリィはバツが悪そうに場所を空ける。


 食堂に流れていく職員達の姿を共に眺めながら、ティムズは言いかけていた言葉を続けた。


「……まだ決着はついてない。今度は俺の方がきみから逃げ切ってみせる」

「……そう。そんな簡単に言い切っちゃっていいのかな」

「やると決めたからね」

「判った。楽しみにしてる」


 一つの決着は、お互いを対等と認めた上での、更なる切磋琢磨の契機。

 ティムズの新たな宣戦布告を、ミリィは、覚悟と期待の笑みで受けた。



 やがて、食堂に集まってくる職員が段々と増え、食堂は賑やかな喧噪に包まれる。

 繰り返される日常の様で、全く新しい一日が、始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る