第四節13項「もう一つの戦い」
龍礁本部のロビーフロアに戻ったミリィが、雨に濡れ切った身体をぶるぶると震わせて水気を払っている姿を、時を同じくして丁度やってきたティムズが目撃し、淡々と声を掛けた。
「それ、犬みたいだ」
「わあっ!?」
「何してんの……?」
「そっちこそ、何っ!」
滑稽なところを見られてしまったと声を裏返らせるミリィ。
ティムズは怪訝な顔をしつつも、応える。
「俺はアダーランスの見舞いに行ってきたんだ。オーランの事も心配だったし」
ティムズは、昨夜の戦いで傷を負った友人を気に掛け、起床するなりすぐに療術棟に入院したアダーランスを訪ねていた。
幸いにも命に別状はなく、いみじくもわざわざ見舞いに来てあげたティムズをさておいて「ミリィは無事なのか、彼女に何かあったら死んでも死にきれない」と(ティムズも手を負傷し、包帯を盛大に巻いていたのに、それは無視して)しつこいアダーランスに呆れ、早々に切り上げて退散してきていたのだった。
「様子はどうだった?」
「死んでた」
「死んでたのか」
「死んでたね。埋めてきた」
「手伝えばよかったかしら」
友達甲斐の無い野郎に対して憚る必要もなく、多少悪辣な冗談を返すティムズに、ミリィも真顔で普通に応対する。アダーランスが心配なのはミリィも同様だったが、ティムズがこうして冗談を飛ばす程度なら、
「そんな事より、きみの方は何をしたらそんな風になるのさ?」
「アダーカの出発を見送りに行って来たの」
朝っぱらから、どうやら雨中に出て行っていたらしいミリィの有様が気に掛かったティムズに、軽く応えてみせるミリィ。
「てことは、アルハはもう行っちゃったのか」
ティムズも玄関から垣間見える外を見る。
「しまったな、何か俺も一言伝えておけば良かった」
「あーそうそう、それで、そのアルハがね――」
ミリィが口を開くが、言葉半ばで固まった。
――アルハがティムズの事を心配していたことを伝えようと思ったが、アルハが抱いているであろうティムズへの仄かな好意を、ほんの僅かにでもティムズに悟られたくない、という気持ちが突然湧いていた。
ティムズに、アルハの事をこれ以上意識させたくはない――。
「……アルハが、何?」
訝し気に言葉の続きを待つティムズの表情にはっとして。
ほんの一瞬湧いた打算をねじ伏せたミリィは、少し陰のある笑顔で誤魔化した。
「……アルハが、あなたのことを心配してたわよ。アロロ・エリーテに素手で掴みかかるなんて、馬鹿じゃないのか?って」
「ええ~……?」
本当の事は伝えつつも、ちょっとした脚色を加えて、本質から話を逸らす。
アルハなら実際に言いかねない、と真に受けて困惑するティムズに、ミリィはもう一言を付け加えた。
「私も全く同感かな!もうあんな事が無いようにしないとねっ」
ミリィもアルハと『同じ気持ち』を朧気に抱いているのは確かであり、それはこの数週間、アルハと共に過ごす時間の中で少しずつ形を為していたものでもあった。だが、それをそれ以上の事としては考えたくはない。ティムズもアルハも友人として大切に思うからこそ、今以上に距離を近くする事を望むつもりもなかった。
ティムズは、自分の包帯をぐるぐる巻きにした手を見られている事に気付き、手を挙げて指を動かし、笑ってみせた。
「返す言葉もないな。確かにこんな事をもう一度、なんて考えたくもないや」
「そうね。考えたくない……」
声を落としたミリィが、笑い掛けるティムズに応えようと表情を取り繕う。
「それじゃあ、ちょっと部屋に戻って着替えてきちゃう。また朝ごはんの時にね!」
「ああ、またあとで……」
手を振り、その場を後にする後ろ姿を、ティムズも複雑な表情で見送った。
衣の濡れた女性の後ろ姿は、多分に艶やかに引き立たせるものだからだ。
――――――――――――――――――――――――――――
暦は夏の盛りに入り、第四龍礁に広がる森林の緑は更に色濃く、深くなり、けたたましい蝉の声が、じっとりとした空気の暑苦しさを増していた。
ロロ・アロロの襲撃から一週間が経つ。
被害は最小限に留まったものの、大部分の装備を失い、活動体制の大幅な変更を余儀なくされた第四龍礁管理局では、作戦領域を一時的に縮小し、新しい態勢を整える為に各員が奔走している。
そんな多岐に渡る報告書の束を片手に、ジャフレアムは龍礁本部の最上階に在る、現在の第四龍礁における最高責任者、副局長の執務室の扉を叩いた。
「はーい、どうぞお」
「……失礼します。先日の件の経過と、今後の対応についてご報告に上がりました」
「ジャフちゃん!丁度良かったあ、退屈してたとこだったの」
入室したジャフレアムを気さくに呼ぶ若い女性が顔を綻ばせた。
波打つ様な銅色の髪は見事に整えられており、毛先はくるくると巻かれている。
瞳はジャフレアムと同じ深緑色だが、ぱっちりと開かれた目は全く違う印象を与えるものだった。あと、ばっちりメイクをキメていて、一般の龍礁職員が着用する制服ではなく、装飾が施された黒い……ドレスと言っても良いくらいの服を着ている。
ロロ・アロロ出現の事後処理に大勢が連日駆けまわる中、『退屈』と言い放つこの女性は、ハイネ=ゲリング。龍礁管理局総本部の在るリドリアに所属する最高位の高官を父親の斡旋で、齢31にして、第四龍礁管理局、副局長という要職に就いた。
縁故採用の極みとも言える待遇だが、第四龍礁管理局、副局長という多くの責務を負う役職にも関わらず、彼女ははっきり言ってしまえば『どう褒めても優秀とは言えない』との評価を受ける程度の能力しか持ち得ておらず、本人自身もそれを自覚はしており、なので大抵の場合、仕事はジャフレアムを初めとした、『デキる部下達』に丸投げをしている。
そんな自他共に認める『お飾り副局長』への報告は、ジャフレアムにとっても気の進む仕事ではなかったが、規定なので仕方がない。
ジャフレアムの執務室より倍ほども広く、あらゆる調度品も一層豪華な部屋。彼女の趣味嗜好が存分に反映されており、壁には男性の肖像画が掛けられている。特に龍礁に所縁のある人物という訳でもなく、ただ見栄えが良いから、という理由だけで飾られているものだ。
「生憎ですが、貴女の退屈を紛らわせる話をしにきたのではありません」
「えー」
事務的に答えるジャフレアムに不満そうなハイネの実務机は、雑多な品物でごちゃごちゃしている。飾り物や彫刻、人形など、仕事に全く関係の無いものが所狭しとひしめき、幾つかの書物はあるが、これは大部分が只の小説だという事はジャフレアムも知っていた。ハイネは日がな一日、豪華な肘掛け椅子に座りながら過ごしている。
ジャフレアムは対面に立つと、手元の資料に目を落とし、早速ここ最近の諸事について矢継ぎ早に言い連ねた。
「先日の戦いで損耗を受けた施設、設備は全て放棄しました。他、点在している拠点を統合し、監視線の配置を大幅に見直している最中です」
「次に、消耗した対龍装備群の補充については、ファスリアから供出を受ける方向で話をまとめられるでしょう。本来は
ハイネは報告を連ねるジャフレアムの顔をじっと見つめていた。
普段なら毛先を弄びながら、話半分に聞く態度のハイネにしては珍しい事で、流石に今回の件は少しは真面目に話を聞くつもりになったのか、というジャフレアムの期待はすぐに打ち砕かれる。
「うんうん、ところで最近また痩せた?ちゃんと食べてる?」
ジャフレアムはこれ見よがしに溜息を吐く。彼女への報告は毎回、万事がこんな調子である。だが中途半端な知見で微妙な指示を下されるよりはマシだった。
「いいえ、最近は激務続きでなかなか」ジャフレアムが咳払いをした。
「話を続けます。ファスリアより、装備群の輸送は海路にて行いたいとの要望がありました。南方航路の制限を解除し、南部港湾への寄港許可を頂きたい」
ハイネはジャフレアムが差し出した書簡に目を通すが、
「いくら忙しくてもしっかり食事は取らないと駄目よ、やつれて見えちゃう。折角のイケメンが台無しよ?」
この話題にしか興味がない様だ。
「仕事が円滑に進めばこんな気苦労はしなくても済むのですがね」
「仕事の話ばっかりしてないで、たまには気分転換に葡萄酒でも―――」
「あともう一つ、北部基地周辺で家畜が襲われている件ですが、ロロ・アロロとは無関係でしょう。状況証拠からF/IIIクラス『エヴィタ・ステッチ』出現の可能性も高く、アダーカ隊には引き続き最大限の警戒態勢を取らせています」
苛つきが隠せなくなったジャフレアムが語気を強め、ハイネを遮った。
有力者の父の権威で重要な役職に就いているという点では、ジャフレアムとハイネは同じ立場であるが、その姿勢は大きく異なる。ハイネはそのことを最大限利用し、満喫しているが、ジャフレアムはそうではなかった。高圧的な父とは長らく折り合いが悪く、事ある毎に反目し、龍礁での勤務を命ぜられ、半ば強制的に送られたのも、父親の友人たちが一同に会した食事会で、父親の仕事への取組み方を公然と批判したことに対する懲罰ではないかという気すらしている。
「……フちゃん?聞こえてる?」
「…………」
「ジャフちゃん!」
ハイネの声にはっとしたジャフレアムが書類から顔を上げる。
顔をしかめ、呆然としている様に見えたジャフレアムを心配した様子だった。
「顔色が悪いわよ。本当にちゃんと休んだ方がいいんじゃない?」
気遣わし気なハイネの言葉は無視して、あくまでも規定の手続きを終えようとするジャフレアムが応える。
「……大丈夫です。それよりも以上の事案について、承認を頂けますか」
―――――――――――――――――――――――――
ハイネへの面会を終え、部屋を後にしたジャフレアムは階下の事務部で部下に指示を出している『補佐代理』キブ・デユーズの元へと向かい、副局長への報告を終えた事を告げる。
デユーズのデスクは、ハイネの豪奢な事務机の五分の一程度の大きさしかないが、その上に載っている物は同じくらいの量があった。但しこちらは全て仕事に関係する資料や書類の山である。その山の合間からジャフレアムの姿を認めたデユーズが立ち上がった。
「おお、ジャフレアム。どうだった?」
「全て了承を得ました。相変わらず内容は聞こうとすらしてくれませんでしたが」
「そうか…この様な事態になってまでも、あのお嬢さんは相変わらずだな。まあ、口を出さずに居てくれる方が、私達の仕事はしやすいがね」
「全くです。決定権限の委任に同意して貰っていなければ、今頃はどうなっていたか」
デユーズの、年齢に似合わない少年の様な顔が苦笑し、ジャフレアムは頷く。
"お飾りの副局長”の仕事ぶりのしわ寄せを大いに
「して、ファスリアからの支援はいつ、どれ程になりそうだろう。受け入れるに当たって、こちら側も相応の準備を進めなければ」
「それについてですが、私は今一度、
「ふむ」
「必要な物資は多い。私が直接出向いて目録を管理する方が、事は捗るでしょう」
「リドリアを経由する理由は?」
「特定の国家から大規模な介入があるとなると、政治的に問題視される恐れもある。要らぬ緊張をもたらさない為にも、あくまで緊急の措置であるという事を訴えなければなりません」
ジャフレアムの言外に、アラウスベリアの現況の意図を汲んだデユーズの表情に影が
「……デトラニアか。あれから動きを見せていないが、それが不気味だな」
「各国とも次の出方を伺い、探り合いの状態ですね。
デユーズが言葉を切り、眉をひそめた。
「それはファスリアも同様なのではないか?君が立場を利用しようとしていると他国に疑われる可能性もあるぞ」
「しかし、今やらなければならない、必要な事です」
ジャフレアムの決然とした調子にデユーズは溜息を吐く。
眼前の若い男は確かに優秀だし、仕事は人の二倍も三倍もこなす。だがデユーズから見ても最近は過労が酷いのではと思えた。
「だが、それを全て自分一人で抱え込む必要こそないだろう。少しは人に任せても良いんじゃないか」
ジャフレアムはデユーズの机の書類の山に目をやり、ふと笑う。
「貴方も人の事は言えない様ですが」
視線に気付いたデユーズがまた苦笑する。
「密猟者どもはこっちの事情なんてお構いなしだからな。最近は冒険者気取りの雑兵ばかりだが、それでも書類仕事になるのには変わりはない」
「人手があれば多少は改善されそうですが、現状では増員は見込めませんね」
ジャフレアムが事務室の様子を見渡しながら嘆息を漏らす。
デスクには空席が幾つもあり、本来の業務を充分にこなすのに必要な人材が明らかに足りていない。増員をファスリアに打診する事も頭を過ったが、物資はともかく、多量の人間を直接送り込むとなると、他国に不信感を与える事になる。
「もう慣れた、と言いたいところだが本当にしんどいよ。いつか引退したら、海の見える丘に白い家を建てて、ゆっくりと過ごしたいもんだ」
デユーズは『口癖』を込めて気丈にも笑ってみせた。
人手不足は今に始まった事ではないし、今までも数多の問題が起き、その都度なんとかして解決してきたという自負もある。
彼らに代表される文官達もまた、龍礁を巡る様々な事件と闘い続けているのだ。
主に机の上で。
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