第四節12項「分水嶺・後編」

「窮地は脱したが、危険が完全に去った訳ではないのだぞ。他の者は撤収作業に余力を尽くしていると言うのに、何を油を売っているのだ、お前達は」


 激戦を終えてすっかり緊張が緩み、長々とざつを交わしていたティムズ達は、パシズの尤もな説教を喰らっていた。一時は生死すら危うい状況だったのだ。パシズの論拠は至極当然である。但しそれは心底心配し、無事を確認したからこその苦言だという事はティムズ達にも充分に伝わっていた。

 

 叱っているつもりなのに、それをどことなく嬉しそうな顔で受けているティムズとミリィの表情を読み、呆れたパシズは説教を打ち切る。


「……とにかく、じきに移動を開始する。警戒はそのままに、全員で本部へ帰還だ」

「はいっ」


 溌溂と返答するティムズとミリィ。

 一方でアルハも、本来、自分が居るべき場所を思い出し、夜空を見回した。


「……ぼくもアダーカに戻らないと。ゼェフ先輩は何処でしょう。一緒に回収して貰う手筈だったのですが」

「そのゼェフから伝言だ。『今日はご苦労だった。お前は皆と共に龍礁本部へ帰還せよ』」

「えっ?……しかし」


 否むアルハに対して、パシズは少し言いにくそうに頭を掻いた。

 アルハはこの言伝ことづてを聞かないだろう、とゼェフが言っていた通りの反応だったからだ。そして彼女アルハに言う事を聞かせる為には、ゼェフの言葉をそのまま引用すべし、とも言われており、その覚悟を決める。勿論自らの発言ではない事を入念に前置きして。


「お前が拒否した時はこう言えと言われたので言うぞ、ゼェフの言葉だからな」

「『これは命令だよ。今夜はもう何もせず、ベッドでゆっくりおやすみ』」


「……今夜、お前達はそれだけの働きを見せたからな。そうするべきだ」


 アルハだけではなく、ティムズもミリィも少し驚いた様に目をしばたかせた。

 小さく付け加えられた最後の言葉は、三人へ向けて発せられたパシズ自身からの労いと、最大級の賛辞を表したものだった。


 ――――――――――――――――――――


 戦闘の事後処理は夜半近くまで及び、一旦の区切りがつく。

 やらなければならない事はまだ幾らでもあるが、取り敢えずは人員の安全確保を最優先とし、大半の者が龍礁本部へと帰還していった。



 中央管制室から執務室へ戻った『上級管理官』ジャフレアム=イアレースは、愛用の革張りの椅子に腰かけ、指先で額を抑えるいつもの仕草で、深く溜息を付く。疲労を振り払おうと首を振ると、滑らかな紫長髪が僅かに揺れた。

 

 深緑の瞳を薄っすらと開くさまが、物憂い表情を引き立たせる。

 齢二十三という若年の身でありながら、今夜の楊空艇アダーカの砲撃の様な意思決定を決断する立場にあるジャフレアムの心労を知る者は少ない。


 今夜の出来事は、更なる激務への呼び水となるだろう。

 ……もしくは、何かの出来事が、ロロ・アロロの出現を誘発したのかもしれない。

 理由は何にせよ、第四龍礁の活動はこれから大きく変わる。そしてそれを縛るのは、厳格に定められた龍礁法だ。

 

 その内の一つとして、今夜、多くの装備を失い、その補充と再配備の為には遠方の地、リドリア章公国の龍礁総本部へ膨大な申請書を通さなければならない。

 

 ジャフレアムは光術灯ランプ一つが照らす執務室の薄明りの中で一人、とてつもなく地味で、ありふれた、華の無い、事務仕事に先手を打とうと、羊皮紙の束を机の上にどさりと置いた。


 ――――――――――――――――――――――


 『機関員』レッタ=バレナリーは、どやどやと龍礁本部のロビーへ戻ってきていた地上警備隊ベースガードの者達の間で揺れる、ミリィの跳ねる様な鮮やかな金の後髪を見つけ、隊員達の群れを掻き分けて駆け寄った。


「ミリィ!」

「あ、レッタ、ただい……わっ!」


 近付いてくるぼさぼさの赤茶髪の親友の姿を認め手を振るミリィに、真っすぐ歩き寄ったレッタが、そのままの勢いでミリィを抱き締めた。


「良かった……!無事だったのね」

「やだなあ、いつだってそうでしょ」

「あんたはいつだって無茶するだからよ」

 平然と笑うミリィを離し、レッタは少し険のある表情を向ける。

 あちこちに焦げ跡を作り、煤だらけの顔はどう見ても、かなりの無茶をしたとしか思えない風体だ。


「最近はそうでもないわよ?最近無茶してるのは……あっち」


 ミリィが振り返る。

『そっち』では、ティムズが大勢の地上警備隊員ベースガードたちに囲まれ、手荒い感謝の儀式を受けていた。

 オーランとアダーランスを発見し、救ったティムズに対しての、地上警備隊員ベースガード流の礼賛らいさんの表れだったが、銘々から肩を拳で小突かれ、背中をばんばんばしばし叩かれ、疲労困憊のティムズは屍の様にふらふらと揺れ、右往左往していた。


 立って歩いているのでまだ死んではいないのは確かだが、次の瞬間にそうならないとは言い切れない。

 レッタとミリィは、苦笑いしつつも多少慌てて、手加減を知らない男どもから群れからティムズを引っ張り出す。


 今夜の闘いの最後に救出されたのは、他ならぬティムズ自身だった。


 ―――――――――――――――――――


 龍礁本部の敷地の外れにある、楊空艇用の離発着場そば、格納庫で静かに鎮座する楊空艇マリウレーダを、澄白髪交じりの壮年の男性が、澄んだ碧眼で見上げていた。


 楊空艇を指揮する隊長級の者が着用するフロックコートを纏った『船長』ビアード=ピアスンは、他の隊長が躊躇する様な判断も容赦なく下す者として、敬遠されやすい男であった。今夜の戦闘に幕を下ろした砲撃もピアスン自身の発案による。


 その作戦があったからこそ、死者を出さずに戦い抜けたことは間違いないが、楊空艇マリウレーダで通常の哨戒任務に当たれていさえすれば、そもそも今夜の様な戦闘に発展する前に、ロロ・アロロの出現を予測する事が出来たかもしれない。


 また今夜と同じ事が起きる可能性は高い。

 再び同じ事態が起きた時に、人命を救う為だけではなく『同じ過ちを繰り返さない』為には、過去を模索する事が必要なのだ。



 ―――――――――――――――――――――――


 守備隊の撤収が完了し、楊空艇アダーカと僅かの歩哨だけが今夜の哨戒を継続。

 その情報を集積する中央管制室に詰めていた職員達の大半は引き揚げ、人気ひとけのなくなった室内で、黒髪の青年、『情報処理官』タファール=ネルハッドが、中央テーブル上の地図が放つ淡い術式光に、真剣な表情を浮かび上がらせていた。


 普段の人を小馬鹿にする様な、にやつきはない。


 その背後で、普段の管制業務に当たっている若い男性職員が困り顔をしている。

「タファール……そろそろ出て行ってくれねえ?正直邪魔だし、本来、お前の階級じゃここに立ち入れないんだぞ」


「硬い事言うなって。今度また、良いお姉ちゃん紹介してやっからさあ」

「……本当だな?」

「約束は守るよ。こないだも良い思いしただろ?」

「判ったよ。だけど……そこまでしてそんな地図を見て、楽しいのか?」


 判り易い餌に呆気なく食いついた若い管制官が応じ、食い入る様に地図を見つめているタファールの傍らで、地図を覗き込む。


「情報ってもんは、使い方次第で剣にも盾にもなる。どんな些細な情報にだって役に立つ瞬間があるのさ」


 薄明りを反射するタファールの黒眼は、他の者では目に入っても気付かないもの、を見通していた。


 ―――――――――――――――――――――――


「エフェルト!どういうつもりなんすか!こんな事までさせられるなんて説明にありませんでしたよ!!何を大人しく従ってんすか!?」

「落ち着けアカム。俺達の手も必要になるほどの事態だったという事だろう。無傷で帰って来られて良かったじゃあないか」


 荒ぶるもじゃもじゃの茶色の毛玉が弾み、前方を進むニット帽へ文句を浴びせ、

 それを宥める傍ら(かたわら)の灰銀色の髪。



 『元・密猟者』エフェルト=ハイン、モロッゾ=ブリアネンス、アカム=タムもまた、今夜の戦いの増援として参加していた。

 ロロ・アロロの大群に対応するには、龍礁本部で待機中だった地上警備隊ベースガードだけでは不十分と判断した中央管制室により、戦闘技能を持つ者は所属に関わらずことごとく召集され、彼らも駆り出されていたのだ。


「それにこの部屋!もう嫌っす!モロッゾさんのいびき酷くて寝れねーし!」

「うっせえなあ……ぎゃあすか騒ぐんじゃねえよ」

「なんでそんなに落ち着いてるんすか、最近変っすよアンタ!」

「てめえこれ以上喋ったら殴んぞ」

「そんな脅し、もう怖くないす!今夜の、あの……ロロなんとかに比べたら!」


 部屋に入るなり、また大騒ぎを始めたアカムを見もせず、ベッドに仰向けになったエフェルトはうんざりしたように息を吐いた。



 第四龍礁での新しい生活を受け入れて以来、三人は居住用に与えられた居室にまとめて押し込まれ、寝食を共にしている。

 一般職員と同じフロア、間取り、家具の居室の住み心地は決して悪くはない。

 三人の男が一つの部屋でむさ苦しく暮らすという事を無視すれば、だが。


 龍礁の臨時職員として過ごす事を決めたエフェルトは、当初こそ生来の反骨精神と野放図な態度――本人が言うには『生きざま』――を存分に発揮し、事あるごとに誰彼構わず突っかかっていたが、ここ数週間は従順に、与えられる仕事を黙々とこなしていた。


 彼の不道徳さをよく知るモロッゾとアカムはそんなエフェルトを不気味がって、何か変な病気に掛かったのではないかと疑っていたが、今夜、ロロ・アロロとの戦いの場という危地に送り込まれ、いよいよ我慢がならなくなったアカムが、ついに抗議を上げようと決起したのだった。


「……判ったよ。どういうつもりなのか、説明してやる」

 

 騒ぎ立てるアカムを黙らせようと、エフェルトは寝転がったまま、静かに語り出す。資料室で目にした古書に隠されていた、高位の龍に関する記述と、龍礁の本来の機能について。……そして、それを自分達に利するものとするには、どう立ち回るか。


第四龍礁ここにはとんでもねえ秘密が隠されている。ここの連中がそれをどれ程知っているのかは判らねえがな」エフェルトの眼が爛々と光る。

「もし俺が見た書に封述されていたものが全部本当のことなら、一攫千金!一生、左団扇ひだりうちわで遊んで暮らせるぜ?」


 エフェルトの新しい野心と計画に、アカムとモロッゾは黙って耳を傾け、不安と好奇心が交じった表情を浮かべていた。

 二人の無言は、概ねの肯定の表れだろう。エフェルトは久々に沸き上がった野望を胸に、天井を見つめたまま、にやりと笑った。


「バレねえように下調べを進める。だからお前らも暫くは、大人しいフリをしとけ」



 ――――――――――――――――――――――



 それぞれの意思を持ったそれぞれの立場の者が一点に集った一日はこうして終わり、そしてまた、それぞれが、それぞれの思惑の元、それぞれの道へと歩み出す。


 この夜の出来事は、降る雨を分かち、別々の流れへと分け隔てる

 分水嶺ぶんすいれいとなったのだった。  



 ――――――――――――――――――――



 翌日は未明から激しい雨が降り始め、夜が明けてもまだ暫くは暗がりが一帯を包んでいた。灰一色の空から落ちる粒が龍礁本部施設を打ち付け、施設内では滝さながらの雨音と、遠雷の轟きが低く響いている。



 早朝の雨煙あまけむりに霞む楊空艇離発着場を、出立の身支度を終え、雨合羽を羽織ったアルハが、待機中の楊空艇アダーカの元へと歩いていく。



 ロロ・アロロの襲撃から一夜明けたばかりではあるが、アダーカ隊には北部基地へ速やかに移動せよ、との命令が下っていた。火山の麓に広がる北部区画でも複数のロロ・アロロが観測されており、その動態を監視し、必要があれば駆逐。昨夜の様な事態になるのを未然に防ぐ目的である。


 そして更に、F/IIIクラスの敵性龍の出現の兆候も見られたとの報も入っていた。それが事実であればロロ・アロロの大群に匹敵する被害が出る恐れがある。

 以上の理由から、夜を徹して哨戒活動に当たっていたアダーカ隊は、休息を取る間もなく、そのまま次の任務へと飛び立つ事になったのだった。


 

 アルハが離発着場の中程まで歩み進んだところで、雨音にまじり、ぱちゃぱちゃと駆ける音が聞こえ、振り返ると、


「アルハっ…!間に合ってよかった……っ」

「ミリィ!?どうした、何かあったのか?」

「アダーカが、もう、出発する、って聞いてっ……見送りにっ」


 降りしきる雨に全身を濡らしたミリィが、息を切らしていた。

 アダーカの出発を聞きつけたミリィは、どうしてもアルハに一言でも見送りの言葉を掛けたいと、取る物も取り敢えず、思わず雨の中を飛び出して来ていたのだ。


「ずぶ濡れじゃないか。せめて布一枚でも何か雨避けになるものを被って来ないと」

「いやー、間に合わないかもって思ったら、身体が先に動いちゃって」

「……君はいつもそうだな。自重じちょうという言葉を知らないのか」


 桶で水を被ったようなミリィの有様にアルハは呆れ、笑う。こんなになってまで見送りに来なくたって良いのに。しかしそれは、ミリィらしさの表れだとも思った。


 ミリィはアルハの背後に見える楊空艇アダーカが、出発直前の状態である事を確認し、もっと色々と話したかった事はあるにせよ、彼女を長く引き留めるつもりもく、どうしても伝えたかった言葉だけを伝えようと努める。


「聞いたわ。エヴィタ=ステッチも現れた可能性があるって」

「ああ、去年の様な事にはさせない」

「気を付けてね」


 真剣なミリィの心配も理解するが、これまでのミリィ自身の振る舞いや、昨夜の戦いを鑑みたアルハが眉間にしわを寄せる。


「……それはぼくの台詞だ。君達は少し無謀が過ぎるぞ」

「特にティムズは。アロロ・エリーテに直接掴みかかるなんて」


 雨に濡れるのも厭わず飛び出してくるような、直情的な言動をしがちのミリィは勿論の事、そんな彼女から影響を受けているのであろうティムズにも言及するアルハ。確かにあの行動が決着の一助となった事も事実だが、あの様な後先考えない判断が、いつか取り返しの付かない事に起こすかも知れないという一抹の不安も湧いていた。


「……うん、言っておく」

 その不安はミリィもまた、漫然と抱いているものだった。ティムズは以前より遥かに成長し、実力を付けてはいるが、それが逆に危険に飛び込む理由を増やしている。


 アルハは楊空艇アダーカを振り返る。出発の予定時刻が迫って来ていた。雨に身を晒してまで挨拶をしたいとやってきた『友人』に、自分からも言うべき言葉がある。


「見送りに来てくれてありがとう。嬉しかった」

 アルハは微笑み、出立の別れを告げた。

「では、そろそろ行くよ」


「行ってらっしゃい!」


 手をひらひらと振り、気軽に笑うミリィにアルハも小さく手を挙げ、楊空艇アダーカの方へと歩き出した。


「風邪をひくぞ。早く本部施設に戻って暖かくするように」

 去り際に、冷徹な命令口調ではあるけれども、アルハなりの労わりを見せて。


 ミリィはまた笑った。こういう物言いをする人を、もう一人、ようく知っている。


 ――――――――――――――――――


 アルハの命令きづかいにも関わらず、ミリィは楊空艇アダーカの離陸を見守っていた。

 濃い青を基調とした外装に銀の装飾を施されたマリウレーダとは違い、白色の曲げ板と黒と橙色の部品で構築されたアダーカの、何処か気品のある落ち着いた外観。

 マリウレーダを特徴付ける、レッタ謹製のごちゃごちゃした、何がどうなっているやら判らない感じをミリィは気に入っていたが、全く対照的なアダーカの優美な佇まいも好きだった。


 機関部にマリウレーダとは全く異なる術式光が走り、そこから生じる駆動音もまた違う音色を轟かせる。


 飛び立つ瞬間の衝撃波が一瞬、雨粒の中に波紋を作り、浮かび上がったアダーカは北の空へ向けて機首を向けると、巡行速度に加速する為に機関の出力を上げ、低く立ち込める層雲の下、千切れ雲の合間へと消えていった。

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