第四節11項「分水嶺・前編」

 ゼェフが展開した青い信号術シグナルを契機に、それまで地上でロロ・アロロの大群の侵攻を食い止めていた守備部隊が一斉に攪乱術フレアを用い、閃光と爆裂音がロロ・アロロを怯ませ、その動きを封じ。


 同時に高速で急旋回してきた楊空艇アダーカが、森と夜空を切り裂く様に昇り立つ、赤い術式壁が示す『防衛線』をしるべとして滑る様に飛び、『線の向こう側』へ向けて最大出力の光術砲を掃射。光筋の雨が地上に降り注ぎ、密集していたロロ・アロロを火柱と爆炎の海に沈めていった。



「下がれ!伏せろ!!」


 短く叫ぶゼェフの声に、ティムズ達は爆風に備えて身構えるが、樹々を異様な程に捻じ曲げ、へし折りながら眼前に迫り来る衝撃波は、ひと瞬きをするよりも早く四人を吞み込み、吹き抜ける。


「……!……!!」

 

 離れた場所に居たゼェフが更に何かを叫んだのが聴こえ、ティムズは目の端でその姿を捉えたが、次の瞬間には、新たに押し寄せた強力な爆風に軽々と跳ね飛ばされ、その視界は白く瞬き、そして黒い闇に染まった。


 ―――――――――――――――――――――――


 守備隊の殆どの者が爆風から身を守ろうと身を伏せる中、本陣の中央で撤退戦を指揮していた地上警備隊ベースガードの老隊長、バリナスは身じろぎもせず真っ直ぐに立ち、その黒い両眼りょうまなこに、ロロ・アロロを飲み込んでいった炎を映し、仇敵の最期を見届けていた。


 四十五年前、数多くの仲間、友人、そして何よりも大切だった妻娘を奪ったロロ・アロロとの再会に忘我し、今この場ですべき事を見失いかけていたバリナスは、部下たちの奮戦と、楊空艇アダーカの光臨が、過去の自分が成せなかったことを達成した事で、胸の内に秘めていた、忘日ぼうじつへの後悔と復讐心が昇華していく感慨を得る。




 楊空艇アダーカの砲火は群れなすロロ・アロロを薙ぎ払い、流転する戦局の果てに全ての者が命を賭けて繰り広げた、『夜間撤退戦』に終止符を叩き込んだのだった。





 砲撃が止み、素早く立ち上がった守備隊の面々が前方に向けて構えを取り、討ち漏らしたロロ・アロロの反撃を警戒するが、生き残ったロロ・アロロは潰走し、全て逃げ去っていたようだった。上空で哨戒航行に移った楊空艇アダーカの合図式サインの光が、付近の安全を示す緑色に変わり、ゆっくりとした点滅状態に移行する。


「……状況、終了……」


 パシズががくりと肩を落として膝に手を付き、項垂れた。

 その言葉と共に、場の殆どの者が一斉に、崩れ落ちる様に地面にへたり込む。


「うあぁあぁ、マジでしんどかった……マジでしんどかった!」


 大の字に倒れ込んだ一人の若い男のあけすけな嘆きは、皆の感想を端的に代弁するもので、それはパシズであっても例外ではなかった。もし周囲に誰も居なければ、きっとパシズも声を大にして同じ言葉を使っていただろう。



 ――――――――――――――――――――


「う、うぅ……」


 爆風の圧をもろに喰らい、意識を失っていたティムズが呻き声を上げる。

 頬に土の感触を感じ、自分が地に突っ伏しているという事に気付く。

 意識と共に、先程までの死に物狂いの戦いの昂奮が蘇ったティムズが素早く身を起こした。


「あ、起きた」


 ミリィの安穏とした声がする。ティムズは片膝立ちになり、周囲を見回した。

 決着が着いた戦場の跡では、あちらこちらに爆発の波を受けた樹々の残骸、様々な物資、装備、貨物など、あらゆるものが散乱しており、大勢の地上警備隊員ベースガード達が歩き回り、まだ使える物資を拾い集めては貨車に乗せ、回収していた。


 一帯を明るく照らしていた信号術の赤い光は消え、代わりに松明と、空中に打ち上げられた照明用の簡易光術の仄かな光源で、辺りの状況を僅かにに視認できる程度になっている。


 そばではミリィとアルハが、気の抜けた様子のとんび座りで、ティムズの意識が戻るのを待っていたようだ。二人とも取り敢えずはティムズに異常がない事に安心した表情を浮かべる。


「じょ、状況は……皆は!?」

「もう大丈夫。戦いは終わった。みんな無事よ」


「……!よかった……」


 ティムズは天を仰ぎ、全身が重圧から解き放たれて脱力する。

 身体の中に残る緊張や不安を全て絞り出してしまいたいと、長く大きい溜息を吐き、今度はずしりと重い安心感で地面に倒れ込みそうになるのを堪えた。


 表情を歪め、頭をぐらりと揺らすティムズに、身体を痛めているのではと、少し心配気な顔をしたアルハが声を掛ける。


「君こそ大丈夫か?爆風の直撃を受けただろう」

「うん、俺は平気だけど、きみたちの方こそ」


「あー…それは、ゼェフさんが結界術符を使ってくれたから……」

「ああ……」


 ミリィが苦笑し、ティムズは爆風が到達した瞬間の光景を思い出した。

 ゼェフは女性二人を優先して護ろうと、素早く前に跳び出し結界術符を使っていた。

 ほったらかしにされた自分ティムズはまともに爆風に吹き飛ばされ、だから気を失ったのだ。

 だが、まあ、ゼェフは正しい。そういう事にしておく。

 

 ―――――――――――

 


 龍礁の者達はロロ・アロロとの全面衝突に打ち勝った。

 但し代償は大きい。ほぼ全員が手傷を負い、うち十余名が重傷。

 そして監視哨群から引き揚げようとしていた物資と貨物の大半と、大勢の馬。

 何よりも、この戦いで、現在の龍礁で使用する事の出来る対龍装備群のほぼ全てを投入し、消耗し尽くしていた。


 それは今後の防衛体制にも大きく影響する。

 そして、ロロ・アロロ”変異種”の出現は、龍礁という地に生きる、全てのものたちの在り方そのものに、変容が訪れる事を示唆していた。



 防衛線に散っていた部隊の撤収作業を指揮していたパシズはくうの一点を漫然と見つめ、最近しばしば聴こえる様になっている『声』の正体に思索を巡らす。

 

 ――あれは、昨今多発する事件と無関係であるはずがない。

 しかし、あの益体もない曖昧な言葉の羅列に何の意味があるというのか。

 あの言葉の主は一体何者なのだ。何故突然、俺はあの声を聴く様になったのか。

 ……いや、俺はあの声を聴いた事がある。いつか、何処かで。

 駄目だ。思い出せない。だが、確かに、俺はあの声の主に出逢った。


「……シズ……」


 ……あの声の、主『たち』に――


「パシズ!!」

「っ!」


 名を呼ばれ、はっとしたパシズの前で、放心しているさまを訝しんでいたゼェフが複雑な笑みを浮かべた。

「流石のバルア殿も今夜は大いに疲労なされた様で?」

「そうではない。ただ……まあ、そうだな。今夜はもうこれ以上ロロ・アロロの顔を見ないで済む様に願いたいな」

「同感だね。中央及び北の撤収準備は完了した。あとはこの場の作業が終われば任務終了、帰還してひと風呂浴びれるよ」


 作戦終了後、負傷者の搬送と物資の回収を終えた部隊は龍礁への帰途に付く為、改めて部隊を再集結させていた。可能性は低いが、万が一のロロ・アロロの再来を警戒しての事である。


 周囲の隊員とその作業の進捗状況を確認したパシズが頷く。 


「うむ、問題はない。すぐに合流する」 

「では、私はこれからアダーカに拾って貰う。近辺の哨戒はまだ継続しなければならないからね、地上の事は貴方に任せるよ」

「了解した」


 任務に必要なやりとりを終えたゼェフは、含みのある笑みを浮かべた。


「貴方も部下の無事を確認したいだろう。二人は本隊の近くでアルハと共に居るはずだ。行って労をねぎらってあげてほしい」


「それから……ついでに一つ、伝言も頼まれてくれるかな?」



 ―――――――――――――――――――



「……手、だいじょぶ?」

「平気平気。こんなのすぐに治せ……、っ……!」

「私も人の事はあまり言えないけど、あんた、本当に療術、下手くそよねえ……」

「……こうやって怪我しないと練習する機会も無いからさ」

「ほーら、大人しく手袋それを外しなさいっ!」

「いやほんと平気だから!」


 アロロ・エリーテの炎術での火傷と、翼を直に掴んだ際に負った裂傷は、ティムズ自身での療術だけでは手の施し様がなく、痛みに言葉を詰まらせたティムズに、ミリィが癒術を開いて、再び手を重ねようと近寄るが、ティムズはそれを断ろうとする。

 復帰に一刻を争っていた先程とは違い、こうして落ち着いた状況で改めて素肌を触れ合わせるのは些かの気恥ずかしさがあったから。


 そんな事などお構いなしに、遠慮なくティムズの手の甲を握るミリィ。

 観念したティムズは素直に受ける事にした。


「強くなるってことは、意地を張ることじゃないのよー」

 訳知り顔でティムズの治療を続けていたミリィが、ふとティムズの手に目を落とす。


 日頃は無下に扱う、新人の後輩で年下のティムズの手は、ミリィが思っているよりもずっと大きく、がっしりとしていた。今、自分の小さいてのひらで触れている、傷を負った手は、ついこの間までの、何も知らない男の子、ではなく、戦いを経た一人の男のものだという事を意識してしまう。


 アロロ・エリーテへの決め手を掛けた瞬間の、ティムズの覇気に満ちた横顔が脳裏に浮かんだミリィは、ほんの僅かに頬を染め、それを悟られまいと顔を背け、黙り込んだ。


「ミリィ?」

「ん……何でも」


 今の今まで快活な軽口でやりとりしていたミリィの応答が鈍り、ティムズが物問いたげに顔を向けるも、ミリィは目を合わそうとしなかった。


「…………」

「……??」


 若干の不自然な間が開き、

「……ぼくも手伝おう」

 ふとアルハもティムズに寄り、ミリィとは反対側、アロロ・エリーテの翼を掴んだ左掌に手を伸ばし、きゅっと握った。ミリィに気を取られて見つめていたティムズはアルハの予想外の行動に驚き、声が裏返る。


「…へっ?あ、え、なにっ?」

「こちらの傷も深い。ロロ・アロロの瘴気が残ると治癒に差しさわるぞ」


 ティムズは成すすべなく両腕を塞がれ、

「あー、ええと…あー……ありがとう、おてすうおかけします」

 気の利いた台詞など思い浮かばず、器械的な謝辞だけが喉から出た。

 この緊張感は、アロロ・エリーテと眼前で対峙していた時よりもずっと酷い。


 ミリィも意外そうに目を丸くして、ティムズの手を見つめるアルハの様子を伺った。アルハはちらりと上目遣いでミリィの顔を見て視線に気付き、顔を背ける。


「ひ、一人より二人で進めた方が良いだろう?深手なんだからっ」


 若干、声が上ずったアルハが動揺する様を見せる。

 アルハらしい論理的な言動は、手を重ねる二人ティムズとミリィの姿に沸いた唐突な嫉妬を正当化する為の後付けである事も自覚し、戸惑ってもいた。パシズを打ち破る為に共に闘い、競い、そして今日、命を賭した戦いを分かち合ったティムズへ敬意……云わば好意をいだきつつあった事に気付いてしまった。



 ミリィもアルハから視線を外し、今のアルハの行動が意味する感情を深く考えまいと、努めて冷静に振る舞う。


「……うん、そうね……」


 そんなやりとりを露程つゆほども鑑みる能力かいしょうの無いティムズが、二人の顔を見比べて何かに気付くと、突然笑い出した。ミリィとアルハは怪訝な顔をティムズへ向ける。


「……なーに?吹き飛ばされた時に頭もぶつけた?」

 調子を取り戻そうと、冗談めかすミリィ。

 ティムズはくつくつと笑いを噛み殺し、切れ切れに応える。

「いや、だって…俺は良いとしても、二人とも、結構ひどい事になってんだもん」


 ミリィとアルハは改めてお互いの有様を凝視し、ようく確かめる。

 暗中では気付きにくかったが、火炎の只中での死闘は、ミリィとアルハの服にもあちこちに焦げ跡を作り、顔は煤と埃にまみれ、髪先はちりっちりになっていた。


 心情の機微など吹き飛び、吹き出して爆笑する二人。

「なにそれっ…!毛先がくるくるに…!」

「君の方こそ、後ろ髪が凄惨な事に…!」


 ――――――――――――――――――


 ひとしきり笑い、落ち着いたミリィが、焦げて丸まった毛先を確かめる様に弄りながら溜息をつく。ティムズへの療術を終えた二人は、それぞれ自分の顔や髪を触り、被害を確かめていた。


「あーあ、この際だからばっさり切っちゃおうかな」


 普段は龍礁監視隊員レンジャーとしての活動に支障がない程度の長さに切るだけで、髪型にはかなり無頓着である。レッタに止められていなければ、もしかすると丸刈りでも構わないと思っている程だ。


「……それは勿体ないよ。折角そんなに綺麗な髪色をしているのだから」

 ミリィの明るい金色こんじきの髪に、心のどこかで羨ましさを持っていたらしいアルハがぽつりと呟く。一方でミリィもアルハの深く落ち着いた藍色の髪をじっと見つめ返し、微笑んだ。


「アルハこそ、もうちょっと伸ばしたら素敵なのに」

「……そんなことは、ないだろう……」


 アルハはアルハで必要以上に伸ばすつもりはなく、それは育った環境で培われた、女性らしさなど自分には要らない、という性格の表れだった。そしてミリィが不意にティムズに話を振り、意見を求める。


「イーストオウルはどう思う?」

「えっ」

 ティムズは目を泳がせた。


 アルハもティムズが何と言うのか気になる様子でこちらを見ている。

 こういう場合、何と言えば適当なのだろう。考えた事が無い訳ではないが、まさか今このタイミングで尋ねられるとは思わず、ティムズはしどろもどろになり、教科書的な当たり障りのない凡庸な答えを返すしかなかった。


「ええと、うん、えーと、まあ」

「二人とも、自分らしいと思える髪型をすれば良いんじゃない、かな?」


「つまんない答えねえ」

 呆れた様に言いつつも、その返事こそはティムズらしい、とミリィは少し可笑しそうに笑う。


「正解を教えて欲しいよ……」

 苦笑するティムズ。


「正解か。それはだな」

「こんな所で談笑にかまけている余裕があるのなら、すぐに合流しろ、だ」


 ティムズに応えたのは、ミリィの朗らかな透き通る声でもなく、アルハの少し掠れたゆったりとした細い声でもなく。低く野太い、威圧たっぷりのパシズの声だった。

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