第四節8項「撤退夜戦  I」

 夕闇が深まり、夜の帳が降り始めた森の中はあっという間に暗くなっていった。


 ロロ・アロロの大群が上げた咆哮を聞いたミリィが黒く染まりつつある空を仰ぐ。

 ロロ・アロロの鳴き声は何度か耳にした事があるが、ここまでの数が一斉に吠えるのを耳にするのは初めての事だった。ミリィは狐疑こぎの念に眉をしかめ、何が起きているのか、に思索を巡らせた。


 そしてその直後、東の方角の樹冠の向こう側で信号術の赤く細い光柱が上空に立ち昇ったのをその目に捉えた。距離は遠くない。あの位置の近辺に居るのは…


(……ティムズ!)


 ミリィは振り返り、行動を共にしていた地上警備隊ベースガードの二人の顔を見る。ミリィの意図を察したベースガードの二名は頷き、三人は共に救援を求めているはずの、信号術の光柱を放った者の元へと跳ね駆け出した。


 ―――――――――――――――――


 監視哨の南方から、バリナス率いる撤収経路の守備隊へと合流しようとしていたパシズも同じく、北東の上空へ立ち昇る光柱を目にしていた。

 だが、パシズ達の位置からでは状況を把握できない。

 その背後から青年の地上警備隊ベースガード員が困惑した声でパシズに問い掛ける。


「何が起きたんでしょうか」

「判らん、とにかくバリナス老に一度合流しよう」

「そうですね、行き……――」


 応じた青年の声が突然遠のき、パシズの視界が激しく歪んだ。


        いのちあるもの

       いのちあるものたち

         

        いのちあるゆえ

        いのちおそるる


        『黙れッ!!』

 

 唐突にまた『あの声』が頭の中に響き、それを振り払おうと怒声を上げる。 


「な、なんですか……?」

 突然のパシズの叫びに驚いて困惑した青年隊員が、目を丸くして身を竦ませた。

 怒らせるような事は何も言っていないはずだ。


 幻聴を制したパシズは今起きた事を誤魔化そうと、少し血の気が引いた顔を上げ、前を向く。


「……すまない、何でもない。急ごう――」

「パシズ!ロロ・アロロが!!」


 もう一人の若い地上警備隊員の恐怖に駆られた叫びで、パシズは振り返った。


 ――――――――――――――――

 

 すっかり闇に吞まれた森の中、龍礁へ向かう経路を移動中の一団。 

 監視哨やその付近の施設から撤収した人員と貨物車を引く馬たちの姿を、数名が持つ松明の緩れる灯りが浮かび上がらせている。

 

 撤収する者達の守備隊を指揮しているバリナスもまた、ロロ・アロロ達の共鳴を聞き、北東方向に立ち昇った光柱を見つめ、そして西方の上空を低速で旋回していた楊空艇アダーカを振り返り見た。


 その船体からは赤く点滅する信号光が発せられ、合図式サインを示していた。緊急事態を地上に居る者に告げる、レッドアラートだ。


 この瞬間、周囲に展開していた者達の全てが、最悪の事態が起こった事を誘る。


 サインが示したもの。それはアダーランスが発見された、という事と同時に、バリナスが最も恐れていた『奴等』の襲撃という二つの意味を含んでいた。


「撤退、撤退、撤退!!」

 すぐさま反応したバリナスが怒号を上げる。

「緊急連絡網の展開を要請!総員、即時、西方の監視線まで後退、そこで陣を敷き迎え討つ!アダーカの直下へ向かえッ!」


 バリナスの指示に隊員達は素早く応じ、移動を再開した。


 同時に、バリナス達が退避してきていた方角の木立の間の闇から、五つの影が高速で飛び出してくる。最後方で貨物車を引いていた馬たちが怯えいななき、その影から逃れようと激しく暴れた。地上警備隊ベースガードたちが一斉に剣を抜き放ち、身構える。


(……ロロ・アロロ!)

 仇敵を前にしたバリナスが歯を食いしばり、形相が怒りに歪む。

 この醜い邪龍たちは、45年前に旧龍礁本部での虐殺を起こした主な龍種だった。


 だが、私情に囚われている場合ではないと自分に言い聞かせる。ロロ・アロロ達は樹々を縫う様に飛び回りながら、地上の人、馬、物に対して見境なく次々と急降下を仕掛け、足の爪を立てようと襲ってきていた。


 地上警備隊員たちはそれを巧みに避け反撃するが、数体の馬が背中に直撃を受け、血を噴出させながら斃れていった。馬たちが引いていた貨物車の一つにロロ・アロロの一体が突っ込み、大きな音と共に破壊され、樽や木箱の残骸と、木片がばらばらと周囲に散らばる。


 木片にまみれたロロ・アロロが苦痛に呻きながら身悶えているその頭部に、二名の隊員が同時に剣を頭に突き立て、即死したロロ・アロロの身体は腐り枯れていった。


 その様子を察知した周囲のロロ・アロロが飛翔しながら再び咆哮を上げ、

 呼応するかの様にまた森の奥から数体のロロ・アロロが現れる。


 ロロ・アロロたちの急襲によって混戦状態に陥った地上警備隊ベースガード員たちに、再びバリナスが怒声を放った。 


「貨物は捨て置け、馬たちを解き放ち逃がすのじゃ!防戦陣形を維持して西方監視線まで後退せよ!!」



 ――――――――――――――――――――


 ティムズはアダーランスに肩を貸し支え、遥か西方に浮かぶ楊空艇アダーカの元へに懸命に向かっていく。人を抱えながらの跳躍は難しく、一歩一歩をゆっくり、しかし急ぎながら。


 そんなティムズに対し、意識を取り戻していたアダーランスが弱々しく呟いた。


「駄目だっ……もう良いよティムズ。置いてってくれ」

「お袋に『息子さんは立派に散りました』って伝えてくれよな……」


「馬鹿言うなっ!」


 ティムズは汗水漬あせみずいて息を切らしながらも前を向いたまま応えた。

 仲間達が集結しているはずのアダーカ直下までまだかなりの距離があり、今この状況でロロ・アロロに襲われてはひとたまりもなく、今は少しでも近づいて行く他ない。


 そんな焦りと警戒と恐怖がティムズの神経を過敏にし、進行方向から青い光を瞬かせながら跳び出して来た影に身構えてアダーランスを思わず離してしまった。

 影はミリィだった。他の地上警備隊ベースガードより『足が速い』ので先行してティムズ達の元へ到着したのだ。


「イーストオウル!」ミリィが声を上げる。

「いてえ!」アダーランス倒れる。

「ミリィ!」影の正体を知り、ほっとするティムズ。


「アダーランス……!良かった、無事だったのね」

「今ので無事じゃなくなった…」

「あぁ、悪い……」


 倒れたままのアダーランスが、安堵した様子のミリィに応え、慌てたティムズはアダーランスを引き起こそうと身を屈めた。冗談を言う元気があるならまだ平気だろう、とミリィは少し笑うが、すぐに表情を引き締める。


「急ごう、イーストオウル。さっきの咆哮はロロ・アロロの共鳴……」

 

 その時、再びがさがさと音がして、ミリィに引き離され、遅れて到着した二名の地上警備隊ベースガード員がアダーランスの無事を確認する。


「ミリィっ……、お前、早すぎ…!」「アダーランス!無事……なのか?それ」


「お前、脚をやられたのか。歩けるか?」

「……いや、ここまでティムズに運んできてもらった」

「判った。ここからは俺が運ぶ。その方が早い」



「……ティムズ、良く見つけてくれたな」

 片方の大柄な隊員、コスタロフが地面に倒れたアダーランスを背負いながらティムズに声を掛け、ティムズは短く応じる。


「良いんです、それよりも急ぎましょう」


 一行は周囲を警戒しながら進み始め、ミリィは西方上空のアダーカが点滅させるサインを見上げながら呟いた。


「あのアラートは撤退戦の合図……ここには増援は来ない。急いで向かわないと」


 サインは、今この一帯に居る者達に一つの目標を示している。


 ――アダーカの元へ集え、と。


 そして、ティムズ達の元にも邪龍達の黒い影が、闇に紛れながら迫ってきていた。



 ―――――――――――――



 次々と襲いかかるロロ・アロロの群れを退けながら、全員がアダーカの直下へと集結し、防衛線を構築していく。そこには、この状況を把握した龍礁本部から対龍装備を携えた支援部隊も到着していた。


 しかし最早、地上部隊だけで対応しきれる数ではない。

 バリナスの緊急連絡網構築の要請に基づき、龍礁本部内の中央管制室では全機能が解放され、善後策を講じる為に多数の職員が集まってきていた。


 楊空艇や地上警備隊ベースガード達の活動を支援するために設けられている中央管制室は、普段は楊空艇の活動状況を把握する為に使われているだけの部屋で、平時はあまり人の出入りはない。


 広めの室内は暗く、室内の中央の机台に表示された龍礁の地図状の術式が、現在活動中のアダーカや人員の識別信号トランスポンダーを表示し、その青い光が集まった人物達を下から浮かび上がらせている。バリナスが発した要請で全ての伝信術符が開かれた状態だ。


 事態の報告を受け、急行してきていたジャフレアムも善後策を講じる人物達に混じって地図式をじっと睨んでいる。

 そこに部屋の扉の外で何やら言い争う声が聞こえてきて、全員がそちらの方へ訝し気に顔を向けた。悪い知らせはもう沢山だ。


「こっ、困ります!ここは入室許可を得ないと入れませんって!」

「ええい!邪魔だ!」

「ごめんな、ちょーっと大事な用事があって」


 入室を留めようとする職員と揉みあいながら声を荒げるピアスンと、その後ろから緩く謝るタファールが管制室に押し入り、まっすぐにジャフレアムの元に向かっていく。その剣幕に怯んだ数名の男女達が猛進するピアスンを魚群の様に避けた。


 怪訝な顔をしたジャフレアムがピアスンを宥め、尋ねる。

「一体何事だ?まずは落ち着け、ピアスン船長」


「アダーカとの伝信は無制限になっているな?作戦を伝えたい。交信の許可をくれ」

 決然としたピアスンの鋭い眼と口調が、ジャフレアムに応えた。


 ―――――――――――――――――――――――――


「踏ん張れ!もう少しで本隊だ!」


 パシズ達も突然現れたロロ・アロロの群れを撃退しつつ西方の集結地点へ向けて、半ば追い詰められる様に背進していく。

 

 その途中で負傷したオーランを搬送していた警備兵たちと合流し、既に十数体ものロロ・アロロを駆逐していたが、術弩じゅつゆみの霊基の力を使い尽くしたパシズは対龍槍を用いてロロ・アロロと交戦していた。


 しかしその力も、長くはもたない。一刻でも早く本隊に合流しなければ。


 ――――――――



 龍礁本部の屋上からでも東方遠方でアダーカが放つ赤い合図光は確認でき、一部の龍礁職員達が事の成り行きを心配そうに見守っていた。その中に歯噛みしながら光を睨むレッタの姿があった。眼鏡に赤い光が反射し、目言めごとは読み取れないが、垣間見えた眼には、事ここに至っても出来る事の無い自分への怒りが滲んでいる。


 ――私がもっと早くマリウレーダを飛ばせていれば。

 アダーカと共に地上を支援するべき時に、私達はあの空に居ない。



 ――――――――――――――――


 大きく息を吐いたピアスンが手短に作戦の内容を告げると、ジャフレアムは到底認められない、という顔をし、周囲の者もどよめく。


「それは、確かに……実行するのであればその手しか無い。だが……」


 言い淀むジャフレアムに対して、ピアスンは感情を押し殺した声で続ける。


「問答している暇はない。まだ全員無事な様だが、このまま完全に包囲されれば全滅は免れないぞ。そして突破を許せば本部ここが危険だ。やるなら今しかない……!」

「承認してくれ、管理官…ジャフレアム!!」


 最後は抑えきれなくなった様に声を張り上げた。


 ジャフレアムは俯いて目をぐっと瞑る。確かにピアスンの言う通りだった。

 今この場に居る者の中で楊空艇の作戦行動についての最高決定権を持つのは自分だ。


 数舜思案した後、目を瞑ったままのジャフレアムが静かに頷くと、ピアスンはアダーカ隊との通信を担当していた男を押し退けて伝信プレートを開き、叫ぶ。


「アダーカ隊!こちらマリウレーダ隊長、ビアード=ピアスン!」

「光術砲を全門開放、地上へ向けて砲撃用意だ!」


 一瞬の間を置き、通信先の女性が当惑の混じった叫びで応える。

 通信してきた者がピアスンだった事と、突然の指示の二つに意表を突かれ、驚いた様子の声色だ。


『はああ!?あんた頭がどうかしたのかい!地上の連中を皆殺しにするつもり!?』

『誰がどこに居るか分かんないってのに!』


 タファールがピアスンの横ににじりより、口を挟む。

「これから伝えるサイン通りに信号を書き替えてください、良いすか……――」


 ―――――――――――――――――――


 

 ティムズ、ミリィの一行も散発的に襲い来るロロ・アロロに応戦しつつ西方に向けて後退していくが、段々とその数を増やすロロ・アロロに苦戦を強いられていた。


 夜闇に紛れその黒い身体を躍らせる邪龍の姿は捉える事が難しく、鋭い足爪で引き裂こうと近づいて来たものを迎撃する事しか出来ない。せめてほんの少しの月明かりでもあればまだ若干は対応できたかもしれないが、今は新月だ。


 そして闘いの中、負傷したアダーランスを背負う無防備な状態のコスタロフが狙われ始める。闇が深くなるにつれティムズ達の動きは更に後手に回っていくのに対し、ロロ・アロロの集団の動きは活発化して、知性を増していっているかの様に思われた。

 ティムズ、ミリィともう一名の精悍な地上警備隊員ベースガード、サクリアスはアダーランス達を護る為に円陣を組んで少しずつ目的地点へ進んでいく。


 単独または二、三体で襲ってくるものは各個撃破して、それ以上の数から同時に攻撃を受けそうになると攪乱術フレアを使い、その激しい音でロロ・アロロの集団の『耳を逸らして』回避する。


再装填リロードッ!残りは2!」


 ミリィが術弩の基部から霊基の切れた術符を引き抜いて放り捨て、ウエストバッグから代わりの術符を取り出して装填する間、ティムズはミリィの警戒範囲にも意識を張り巡らせて再装填の隙をフォローし、サクリアスは二人の術弩の射線を搔い潜ってきたロロ・アロロに剣閃を走らせた。


「こっちの術弩符は最後だ……!」


 ロロ・アロロの波状攻撃が一旦止み、ティムズも術符の再装填をしながら口惜しがる。初めて扱う不慣れな武器と、予想だにしなかったロロ・アロロの数の前に冷静を保ちきれなかったティムズは、ミリィよりも無駄に撃ち過ぎてしまっていた。

 これを撃ち尽くしてしまえば、通常の剣より殺傷力には劣る幻剣で応戦するしかなく、そうなれば防衛を支えきれなくなる。


 疲弊した四人は一旦足を止めて、なんとか息を整えようとした。

 背負われたアダーランスは、再び気を失ってしまった様だ。些か無理のある荒っぽい移動が祟り、傷口が開いて出血している。その血が点々と跡を作り、ロロ・アロロはその匂いを嗅ぎつけてきているらしい。


 サクリアスがアダーランスの太腿に、簡易療術で出血を止めようと手を添える。

 アダーランスを一旦背中から降ろし、地面に座り込んだコスタロフが苦しそうに言う。


「どんどん、数がっ、増えてきやがる……!このままじゃ絶対にやられるぞ、何か良い手は無いのか」


「今は良い手、よりも良い『足』が必要だな」

 サクリアスが冷静に冗句を返すが、誰も笑わない。

 

 ティムズとミリィは少しでも息を落ち着かせようと肩を落として深呼吸をする。

 サクリアスを手伝いたいが、術弩の連射で自身の霊力も大幅に失っていた。

 これ以上無駄に力を使う訳にもいかず、サクリアスに任せるしかない。



 その時、西側の龍礁方面の森から一斉に信号術式が上がり、幾筋もの赤い筋が上空へ伸びて、まるで地上から空に昇るオーロラの様にも見える、赤く輝く壁が黒い森と空を切り裂いた。

 

 防衛線に到達した全ての者達が信号術を展開したのだ。

 その光に機体下部を照らされたアダーカの信号が蠢き、変化する。あのサインは。


 ゴーグルを上げ、目を細めてサインを読み取ったミリィの表情がまた険しくなる。


「……アダーカが光術砲を落とす……!」

「行かなきゃ駄目!あの光の壁の向こうまで!」




 合図サインの内容はこうだ。


 ――『このライン』に沿ってアダーカが地上へ向けて光術砲を掃射し、ロロ・アロロの群れを一網打尽にする。各員、総力を以て防衛線へ到達、維持せよ。


 人と龍が入り乱れる地上へ向けての砲撃など前代未聞の危険極まりない作戦だったが、最早この手しかないと判断したピアスンの発案と、それを実現可能とする為に合図信号を即座に書き換えるコードを提示したタファール両名の意図は、地上の者全てにしっかりと伝わった。


 全員がまた新しい一つの目標に向かって動き出す。


 全員で、あの光へ向かって。

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