第四節7項「ロロ・アロロ変異種」

 訓練を終えたパシズが自室に戻ろうと、本部施設内の廊下を歩いていく。

 傾き始めた陽光が窓から差し込み、廊下の壁に大小の影を映し出していた。

 背後にはミリィが俯いたまま付いてきている。


「……ミリィ。話があるのではないのか」

 人気ひとけの無い場所に差し掛かったところで、おもむろにパシズが立ち止まると、背中で語り掛けた。


「う、うん……」


 ミリィがまごまごするので、パシズが溜息をついて振り返る。

「どうせアルハの件だろう」


「そう…判っちゃってた?」

「唐突に正名で呼ぶ様になっているのを聞けばな」

「……普段の私はアルハに嫌われちゃってるから」


 ミリィが感情を隠そうとするかの様に、目線をパシズの眼から外した。

 わざとらしいのは自分でも判っている。でもこの件を相談できるのは、アルハと旧交のあるパシズだけだ。


「だから、少し大人しくしておいた方が良い関係で居られるみたい」

「パシズならアルハに慕われてるし、なんかアドバイスを貰えるかなって……」


 パシズは目をぎゅっと瞑る。ミリィの言いたい事は判るが、だからと言ってこの様な人間関係の相談をされても解を導き出せるとは思えなかった。龍礁監視隊員レンジャーとしての話ならいくらでも答えてやるのだが。


「……それで、俺が解決策を出せると思っているのか。大体、アルハはお前の事を……」


 言葉を継ごうとした瞬間、廊下の角を早足で曲がってきた男性職員がパシズの背中にぶつかってくる。


「っ!」

「ああっ、パシズ。すみません」


 職員は気もそぞろに謝り、ロビーの方角へまた早足……というよりも、ほぼ駆け足で去って行った。目を丸くしてその背姿を見送ったミリィに、パシズが改めて口を開く。


「大体、アルハはお前の事を嫌ってなどは……っ!?」


 再び曲がり角から飛び出してきた別の男がパシズに衝突した。

 パシズが苛ついたように男を睨むが、今度の男は謝りもせずに、先程の者と同じ様にロビーへ駆けて行ってしまった。


「……?」「……!」


 パシズとミリィがお互いの眼を見て、表情を変える。

 そして二人は何も言わずに、男の後を追う様にロビーに向かって駆け出した。



 ――――――――――――――――――



「パシズ!一体何があったんですか」


 人だかりで騒然としているロビーに到着したティムズが、その中にパシズ達の姿を見つけて駆け寄った。


 パシズはティムズを横目で見て、顎で「付いてこい」と合図をする。

 装備保管庫に向かいながらパシズが口早に状況を伝える。


「ロロ・アロロと遭遇した地上警備隊員ベースガードが二名行方不明になっている。我々に捜索と討伐命令が下った――」



 ――――――――――――――――



 レベルBに程近い監視哨付近で、複数のF/II蝙蝠蛇龍『ロロ・アロロ』が出現。

 大部分は近辺に展開していた地上警備隊ベースガードの手により駆逐されたが、その中の数体が包囲網を突破し、逃走。それを深追いした地上警備隊員の二人が行方不明になっていた。


 そして、その中の一体は『変異種』だという可能性が高い。

 目撃した者の話では、そのロロ・アロロは炎術を『吐いた』と云う。

 術式を援用するのはF/IIクラスの中では高位のものだけのはずだった。


 ロロ・アロロは個々の力は弱いが、通常の生物と同じ様に繁殖活動を行い、その数を増やしていく。近年はあまり目撃されていなかったものの、こうして複数が続けて確認されたという事は、大量のロロ・アロロが何処かに潜んでいるという事を意味している。

 そして、環境に適応しやすい性質を持つロロ・アロロは、『変異種』が生まれやすい事も知られていた。



 ――――――――――――――――



「警戒レベル4、状況『邪龍討伐』。龍礁法規定に基づき、対龍兵装3群の使用が解禁されている」

「良いな?ミリィ」


「……ええ」


 パシズが装備庫の奥の扉に手をかざし、術錠を解除する。

 木製の扉に幾何学模様の術式光が走り、ミリィが決然と頷く表情を照らした。


「使い方を説明している時間はないが、複雑なものではない。幻剣術符と同じ様に扱え」


 弩を棚から引き出して、ティムズに手渡す。


 対龍装備第三群、F/ IIクラス以下の龍の殺傷を目的とした術弩じゅつゆみは、一般的なクロスボウに似た形状をしている。半月状に反った木板に術式が刻まれ、手元の基部に仕込まれた術符の霊基を使い、光の矢を放つ術式援用武器の一つ。


 龍礁全体の警戒レベルが引き上げられ、明らかな人的被害を及ぼした龍が出現した場合、段階的に龍礁監視隊員レンジャーたちが使える装備群は使用が解禁されていく。それは龍礁法によって細かく規定がなされていた。



 ―――――――――――――――――――



「遅いよ、アルハ。皆待ってる」

「すい、ません……っ」


 アダーカ隊にも召集が掛かり、楊空艇の離発着場に全速力で駆けてきたアルハを、ゼェフが腕を組んで立ち構えていた。表情や口調は穏やかだが、事態は差し迫っていると言わんばかりにさっさと背を向けて、楊空艇アダーカの下部乗降口に降ろされたステップに向かう。


 アルハもゼェフの後に続く。


「私たちは上空で哨戒し、地上部隊の援護だ。何かあれば私たちも降下する」

 ゼェフがステップを上りながら、まだ呼吸が落ち着かない背後のアルハにオペレーションの内容を伝え、労う様に優しく付け加える。


「訓練を終えたばかりで悪いが、事はいつだって突然起こるものだからね」



 ―――――――――――――――――


「皆の者、良いか!じき日没じゃ。日が落ちれば新たなロロ・アロロが境界を越えてくる恐れがある。その前に前線の監視哨と付近の施設の人員を退避させなければならない!我々は撤退経路の確保を優先し、次いで隊員2名の捜索を行う!」


 カーライル=バリナスがロビーに招集した地上警備隊ベースガードに向けて檄を飛ばす。40名程度の武装した兵たちが緊張した面持ちでそれを聞いていた。


「目的を見誤るでないぞ!常に複数人で行動し、お互いを掩護する様に!」

「万が一の場合の場合は信号術を上げることを忘れるな!以上だ、行け!」


「はっ!」


 全員が凛とした了解を返し、一体となった声がロビーに反響した。

 

 ――――――――――――――――――――


 バリナス率いる地上警備隊ベースガードがレベルB直近の監視哨から龍礁本部までの経路を維持し、監視哨で任務に当たっていた哨兵しょうへい達と、設備の撤収を開始する。


 パシズ達は地上警備隊の一部と共に三名ずつ、計十二名の四班に分かれ、二名が行方不明になった地点を中心に捜索していた。手掛かりはなく、とにかく分担して何らかの痕跡を見つけるしかない。


「…まずいな、もう日が暮れる…」

 パシズが色味が赤くなりはじめた空を見上げて、声を落とす。

「監視哨の撤収はもう済んでいるはずだ。我々も退路を確保しなければ」



 ―――――――――――



 ロロ・アロロは視力は弱いが、音に対して敏感だ。

 仲間たちに居場所を知らせようと大声で上げようものなら、自ら死を呼び寄せる事になる。


 監視哨から北西に離れた地点。

 木の陰でうずくまり、行方不明になっていた地上警備隊員の一人、オーラン=ベイストが負傷した腹部を手で押さえていた。

 ロロ・アロロから受けた創傷から、どろりとした黒い血液が溢れ出して、上衣に染み、地面に滴り落ちている。

 傷は深く、簡易的な療術ではとても回復は見込めそうにない。


 青褪めた顔で傷を見下ろすが、その視界は少しずつ暗く、狭まってきていた。

 失血のせいか、日没がもう間近なのか、それともその両方なのか。オーランの意識は朦朧とし、判断が出来なくなりつつあった。


 ――同僚のアダーランスと共にロロ・アロロ変異種を深追いしたのは悪手だった。自分達も曲がりなりにも龍と闘えるという自負はあったし、実際に通常のロロ・アロロ相手なら既に何体も倒している。


 しかし変異種あれは二人の想定以上の強さだった。

 爪で腹部を抉られて倒れたオーランが苦痛に耐えながら再び目を開けると、既にアダーランスと変異種の姿は無く、オーランは独り森の中に残されていた。


 囮として引き付けたのか、逃げ出したのか。理由は考えてもキリがないし、その思索を巡らせる事はもう難しい。木の根元に横たわったオーランの意識が薄れていく。



 

 その時、近くの木立がガサガサと揺れ、一人の男が現れる。

「(オーラン!)」

 聞き覚えのある声が小さく息を吞み、ベイタムがぼんやりと目を開けた。



 地上警備隊ベースガードの同僚が倒れているオーランを発見したのだ。

 駆け寄った地上警備隊員の背後の木立から、更に二人の男が姿を現す。

 一人はベースガードの仲間で、もう一人は黒髪の若い龍礁監視隊員レンジャー…ティムズだった。


「……よう、散歩するにはあまり良い時間じゃないぞ」


 オーランが警備隊の二人に対して弱々しく笑みを浮かべる。

 冗談なのか、意識が朦朧としているせいなのか、どちらとも取れない。


「これはまずいぞ、すぐに運ばないと」


 警備隊員の一人がオーランの傷を確かめて、表情を強張らせる。

 腹部の出血だけではなく、傷を抑える手には重度の火傷を負っていた。

 変異種の吐いた炎術をまともに喰らったようだ。薄褐色の肌が痛ましく焼けている。


「アダーランスは何処に?」


 ティムズが進み出て、割り込む様にオーランの傍に跪いて尋ねた。

 オーランの事は勿論、アダーランスの安否も重要だった。彼もまた緑象龍の一件で知り合って以降、頻繁に会話を交わす様になった間柄…『友達』だったからだ。


 薄ぼんやりしていたオーランの表情が、アダーランスの名に反応した様に変わり、見開かれた目に光が戻る。


「……アダーランス……」

「多分、変異種に追われて、この場を離れたんだと、思う」

「俺から、あいつを、引き離そうとして」


 ティムズがぐっと目を瞑り、思索を巡らせる。

 ――午後の訓練で受けたダメージと疲労はまだ抜けきっていない。

 だが、今この場でアダーランスを追えるのは、自分だけだ。


 ティムズは立ち上がると、警備隊員の二人に振り返り、敢然と言い切る。


「俺はアダーランスを探します。あんた達はオーランを安全な場所まで連れて行ってください」


「馬鹿な事を言うな!単独行動は駄目だ。行くなら俺も同行する」

 警備隊員の一人が反論するが、ティムズは鋭く言い返す。


「オーランの傷は深い。療術で出血を抑えながら運ぶのは、一人では無理でしょう」

「だから二人で。一人は抱えて、一人は療術を掛けながら運ばなきゃ。口論してる時間はない。宜しくお願いします」


 そう言ってティムズは身を翻し、その場を後にした。

 アダーランスは恐らく防戦しながら後退していったのだろう。周囲の樹々に真新しい傷が残されていて、へし折れた枝や、散った葉が散在している。中には焼けてまだ燃えているものもあった。


 そして、今のティムズには戦闘に使われた術式の僅かな痕跡も読み取れる。

 龍礁監視隊員レンジャーが追うものは、『見えるもの』だけではない、というパシズとミリィの教えだ。


 ティムズは迷う事なく、守るべき者と倒すべきものの元へと跳ね駆けて行った。



 龍礁の地を照らす太陽が、西方の山の稜線にその姿を隠そうとしている。

 

 日没は間近だ。



 ――――――――――――



 オーランが倒れていた地点から更に北西へ離れた地点で、ティムズはアダーランスが木々の間で倒れているのを発見した。位置関係からすると彼は龍礁方面に逃れて増援を得ようと考えたらしい。


 ティムズは急いで近寄って屈みこみ、首元に手をやって生死を確認する。

 アダーランスは脚に大きな傷を負っており、戦衣のあちこちが焦げていたが、命に別状はない様子だった。安堵の溜息を付く。


 どうやら彼は変異種を退けたか、逃げ切った模様だ。


「アダーランス……アダーランス!」

 何度か呼び掛けてみるが、完全に気を失っているようで返事はない。


 辺りは暗くなりかけているが、日没にはまだ若干の猶予がありそうだった。

 ティムズはウェストポーチから信号術符を引き抜く。

 赤い術式で構成された術光の光が上空に伸びて、現在位置を知らせるものだ。



(…………)


 伝信術を起動しようとしたティムズの動きが止まる。



 ゆっくりと、目から先に振り返り、身体を向ける。


 何の予兆も前触れも無しに、黒い影が二人の近くの木立の間から歩み出ていた。


 ティムズは、その目で初めてF/ II/蝙蝠蛇龍『ロロ・アロロ』の姿を見た。



 

 ――資料では何処か間の抜けた表情の小さな龍として描かれていたし、ミリィ達の話でも比較的弱い龍、というイメージを持っていたが、実際に目の当たりにするとそんな印象は吹き飛ぶ。


 体高はミリィよりも頭一つ分小さいが、それだけの大きさの生物が眼前でこちらをじっと見つめていれば、冷静で居られる者は少ないだろう。


 身体全体が焼け爛れた様に黒く、小さい頭部。口元の皮膚は歪み、それそのものが牙の様にも見え、どことなく笑みを浮かべているような口角。

 ティムズ達を見つめる眼球と瞳は真っ白で、何の情報も読み取れない。

 首から胸と背にかけては筋肉が盛り上がっていて、背から生える蝙蝠の様な翼を支えており、翼の薄い膜には血管が走っている。

 下半身は貧弱に見える。腿に当たる部分こそ太いものの、その先は細く、先端には鋭い爪のある足。長い尻尾は場所によって太さが揃っていない。


「………!」


 ティムズは恐怖よりも先に沸いた嫌悪感に顔を歪める。……醜い龍だった。


 今まで出会った龍たちは、程度の違いはあれど基本的には生物として均整の取れた身体を持っていた。しかしこの龍は、そんな生物としての根本的なバランスが欠けていると思わずには居られない。


 ティムズはアダーランスを庇う様に立ち、腰を落としてゆっくりと背腰に手を回して術弩を抜き、構える。

 刺激してはいけない。負傷したアダーランスを巻き込む様な闘い方は出来ない。


 術弩の起動を示す、パキッ……、という小さい音が鳴る。

 その音に反応するかの様にロロ・アロロが頭をくわっと上げ、そして


『……ロロロアロロロロッッ!!』


 頭を上空に向け、喉を震わせて大音声だいおんじょうの鳴き声を上げた。


 ティムズの背に怖気が走る。


 ――こいつ、仲間を呼んでいる!!!


 躊躇する間は一瞬たりとも無かった。


 ティムズは、術弩のトリガーを引いた。




 術弩から矢状の光が放たれ、ロロ・アロロの頭部を3本の光矢ひかりやが貫く。

 ロロ・アロロの身体がぐらりと揺れ、倒れ。そして身体がぶすぶすという音と、異臭と煙を放ちながら腐り枯れていく。


 ティムズの頭に、初めて龍を殺した、という事実への感想も感慨も湧く間もなく、

 周囲の森の間から、次々と呼応したロロ・アロロ達の鳴き声が何重にも木霊した。


『ロロロアロロ『ロアロ『ロアロロ』ロア『ロロア『ロロ『ロロロ『アロロ『ロアロロアロ『ロロロア『ロロアロロッ『ロロロアロ『ロロアロロ『ロロロアロ』ロロロアロロロ『アロロ『アロアロロ『ロロアロッロロッ』ロロアロロロッ!』


「……ッ!!」

 ティムズは更にぞっとする。


 この数は、恐らく数十体―—もしかするとそれ以上居る。

 この場には留まれない。次の瞬間には群れを成して飛び出してくるのかも知れない。


 手首の伝信術符を開き、叫ぶ。


「緊急!こちらデアボラ5、ロロ・アロロの群れと会敵!数は大!至急援護を!」



 それまで辛うじて龍礁の広大な森林を照らしていた太陽は、西方の山の稜線にその姿を消し、代わりに黒闇が森の木々の足元を忍び這い、満たしていく。



 夜が訪れた。

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