第四節6項「29 seconds」
レッタは上衣を雑に剥ぎ取られ、下衣も脱ぎ去られてしまった。
大きく三つ編みにされていた後ろ髪も
なされるがまま呻き声を上げるレッタの肌が次々と露わになっていく。
「……下着くらいは自分で脱いでよね」
脱がした服をぽいぽいとその辺に放り投げていたミリィが、今更の様に少し気恥ずかしさを感じて目を逸らす。
身を起こし、半裸で
「こどもじゃないのよわたしはー」
レッタがまた呻くが、また倒れ込みそうになり、頭がぐらりと揺れた。
「その有様で?ほら、行くわよ。立って…!」
ミリィが苦笑して、レッタに肩を貸してよろよろと立ち上がり、浴室まで連れ添っていく。しかしミリィの力ではしっかりした体躯のレッタを支えきるのは難しく、浴室の扉に辿り着いた所でふらついて、レッタの頭を扉の脇にぶつけてしまった。
「ぎゃっ!」
「あっごめん」
「あいたた……ううう……」
そのおかげで多少意識が鮮明になったレッタが力なく笑う。
「私って楊空艇の事以外はほんと駄目ねえ」
―――――――――――――
死んだ様に仰向けになって浴槽に浸かっているレッタを、入り口で心配そうに見守るミリィ。放っておくと溺れかねないと判断したからだ。
しかし、完全に無防備な状態のレッタの裸体を見て少しどぎまぎもしていた。普段の制服や作業着ではあまり意識はしないのだが、レッタはミリィの目から見ても抜群のプロポーションをしている。日頃からあまり陽に当たらない作業に従事しているせいもあるのか、その肌は白く。すらりと伸びた手足は細くも太くもなく。
湯気で湿った髪はいつものぼさぼさ感はなく、しっとりと肩に掛かっている。
ただ、その表情は口を半開きにした、だらしない表情で在る事だけが残念だ。
「あ”あ"……生き返る。私の細胞の一つ一つが癒されていくのを感じる」
「有難うミリィ。本当にあんたは良い娘だ。私のとこに嫁にきてくんない?」
頭痛に表情をしかめながらも冗談を飛ばす程度には落ち着いたらしいレッタに、ミリィも笑いながら応える。
「それは毎日こうやって世話をしろってこと?」
「そう」
「それは嫌なのでお断りしますう」
「当然よね、私もこんなの世話したくないわ」
レッタも鼻で笑ってみせた。
二人で笑い合ったあと、ミリィは少し真剣な口調に戻る。
「……何度でも言うけど無理をしすぎちゃ駄目よ」
「無理はしてない。無茶はしてるっていう自覚はあるけど」
レッタは目を瞑ったまま、薄く笑みを浮かべて答えた。
「……私に出来る事はこれしかないからね」
「そんな事ないのに」
ミリィはレッタが満足そうに湯の感触に浸る様を見守りながら
自分も同じ立場、気持ちであるという想いに耽っていた。
――自分にも、出来る事は一つしかない。
そしてそれが自分で在る事の証明でもある。
それを証明しなければ、自分で在る意味がない。
――――――――――――――――――――――――
数日の間に、ティムズ達の『打倒パシズ作戦』は着々と進行していた。
三回目の戦技調練で取った作戦は『ただ観る事』。
パシズと直接相対するのをティムズとミリィの2人に限定して、アルハは何もせずにひたすら3人の交戦の様子を観察し、パシズの防御の癖を見抜こうという試みだった。
これはかなり上手くいった。
正式な術剣士としての教育を受けてきたアルハの知識に依って、パシズの戦闘様式の大部分を論理化する事が出来た。実戦に応用できるかどうかはまた別の話になるが、それでもその知識を3人で共有できたことはかなり大きい。
―――――――――――――――――――
訓練を終えたアルハとミリィが本部施設中庭の隅で座り込んで話している。
その傍らに立ったティムズは二人の会話を黙って聞いていた。専門的な知識は薄いので下手に口を挟んでは邪魔になるだけだからだ。
「バルア殿の戦闘形式は基本的には術戦士の型だが、違う部分も幾つかある」
「バリナスさんから修行を受けていた、と聞いた事があるわ」
「成る程、だから合気を軸とした体術へ派生しているのか」
「でも、どちらかというと術式に対する警戒の方が強いわね」
ティムズとアルハはその理由を知る由もなかったが、ミリィは二人と話す時に少なからず距離を置いた、他人行儀な振る舞いを見せる様になっていた。
ティムズはミリィの態度がよそよそしくなった事を少し気に掛けていたが、アルハにとっては丁度良い距離感だったので、皮肉にもミリィとアルハのコミュニケーションは以前よりも円滑になっている。
「……気になってたんだけど、パシズは何でゴーグルをしないんだろ」
会話が途切れた所でティムズが口を開く。ミリィとアルハは顔を見合わせた。
通常、レンジャーは作戦行動中は専用のゴーグルを着用して活動する。
「それはねー……」
こほん、と咳払いをするミリィ。
「『私は自分の目で直接観る事にしている。ゴーグルを通すと本来見るべきものが見えなくなるからだ』だってさ」
ミリィが、声質はともかくやたら似ているパシズの物真似を披露する。
それがあまりにも似ていたのでティムズは大笑いし、アルハも笑いそうになり、思わず口元をぱっと抑えた。
「……それじゃあ……
笑いが収まったティムズが、ふと声を落とした。
「使ってはいけないとは言われてないわよね……」
「手段は問わない、と言っていたのは確かだ」
ミリィとアルハはまた顔を見合わせて、静かに頷き合った。
―――――――――――――――――――
パシズは、五回目の戦技調練の開始と共に、相まみえるティムズ達の雰囲気がいつもと違うという事に気付いた。
四回目の戦技調練では、ティムズ達三人全員が消極的な攻防に終始していたが、それは
――面白い。手並み拝見と行こう。
パシズの開始の号令と共に、ティムズが無防備に歩き寄ってくる。
何の予備動作もなしに、本当にただ歩いてくるだけだ。
目だけをアルハとミリィに走らせるが、二人は遠方で構えたまま動きを見せない。
パシズの攻撃射程ぎりぎりまで近づいたティムズが、腰を落として踏み込む。
跳躍を警戒したパシズの目がティムズの足元へ向く。
発動する瞬間に展開される術式光で、その速度、方向を読み取れるのだ。
しかし、ティムズが足元で起動させたのは
瞬く光の粒がティムズを中心とした地面に広がり、周囲に立ち昇って、花火の様なバラバラとした音が響く。
だが、その術式が跳躍術のものでない事はパシズも察知していた。
顔を伏せて腕を上げ、光から目を守る。その腕で生まれた死角からアルハが静かに跳び寄ってくる。
ティムズは攪乱術を使った後、その場で何もせずに棒立ちしていた。
パシズが攻撃を繰り出すには若干遠い位置で、ただ、単に立っているだけ。
アルハの幻剣を術盾で受けたパシズは、ティムズからも意識を外せなかった。
同時に何かしてくる訳でもなく、直近で眺め続けている。ただの嫌がらせに近い。
そんなティムズに気を取られ、アルハへの反撃も遅れる。
アルハは難なく距離を取り、ティムズと前後を挟む様に位置を取り直した。
そして
—―……ミリィは!?
処理能力を超えた情報を整理し終わって、最初に浮かんだ疑問の『答え』は、既にパシズの頭上高くに跳んでいた。
通常は緊急回避の切り札として使う
それでもまだパシズは素早く反応して跳躍術を使い回避し、3人から距離を取る。
するとティムズが両手を挙げて、文字通り『手の内』を見せながら再び歩み寄ってきた。その表情は何処か薄笑いを浮かべている様にも見える。
(この
ティムズの技量はまだまだ未熟だ。ミリィの様な速さもなければ、アルハの様な
だから、彼女たちの決め手の為に、囮に徹する事だけを決めていた。
――――――――――――――――――
ティムズはアルハが算出して指定した『丁度良い位置』で立ち止まった。
半笑いなのはアドリブだ。こうすればパシズは苛立ち、判断材料を余計に一つ増やせるだろうと考えた。そしてそれは実際に効果を発揮している。
一瞬ティムズを凝視したパシズの背後へ、アルハが再び回り込んで行く。
手順は既にイメージにある。しかしそれは独りでは実行できないものだ。
大きく振りかぶり、パシズに防御の一手を取らせる。術式光と音が散った。
そして一歩下がり、再び構えを取る。アルハもまた1つの変数としてパシズの意識に食い込む様に立ち回っていく。
ティムズも同時に腰を落とし、先程と同じ様に跳躍術を使う予兆を見せつける。
先程の攪乱術の使用により、パシズはそれも警戒せざるを得ない。
アルハが先か、ティムズが先か。パシズの意識が二者択一に落とし込まれた。
そしてミリィは、パシズがアルハの幻剣撃を防いだ瞬間に、ティムズが塞いでいたパシズの視界の死角から再び空中へと駆け上がっていた。それを目の端で捉えたパシズの思索が巡る。
――翔躍を連続で?不可能だ。あれは術符の力を一気に失うものだ。一度使うと一定時間は使えないはず。何故だ?
アルハが直近で攻撃態勢を入っている。両方を一度に防ぐ事はできない。
――この位置関係はまずい。回避だ。二人の剣筋から離れなければ。
上空へのミリィに対する疑問と対応策が頭に巡ったパシズの意識が、その時初めてティムズから外れる。
――今だ!
その機を捉えたティムズが、まるで友人に対するように、ごく自然に歩き寄って、何の敵意も無しにパシズに抱き着いて、その動きを封じる様に力を込めた。
「……!?」
予想外の状況が続き、翻弄されたパシズが硬直する。
その胸元でティムズが自信と、若干の悪意に満ちた顔でにやりと笑った。
「悪いね、パシズ」
「……っ!」
――そうか、こいつは跳躍術を使わなかったのではなく、使えなかったのか!
そして、こいつが本来使うはずだった跳躍術符は、ミリィに渡していたのか。だからミリィは連続で翔躍を。
最初に切り札を
ティムズは跳躍術が苦手だ。だからもういっそ使わない。
その分、跳躍術の扱いに長けたミリィの切り札の数を増やす。
アルハはその二人の隙をカバーし、二人がそれぞれの役割を果たせるように動く。
これが三人が立てた作戦だった。格上のパシズが全てを読んでくるのであれば、前提を崩していくしかないと考えたのだ。
だが、もう一つだけ問題がある。
複数人が同時に一つの対象を攻める時に一番難しいのは同士討ちを避ける事だ。
相手の直近に居る味方を巻き込まないように闘うのは難しい。だからこそパシズはティムズ達の連携を封じるために、ミリィやアルハとの位置関係を常に計算して立ち回っていた。
――なるほど。それを切り捨てたのか。
上空から舞い降りるミリィと、背後から迫るアルハの幻剣が、共にパシズを、その身体にしがみついていた『ティムズごと』振り抜いた。
「ぐッ……!!」
パシズの身体に電撃の様な激痛が走り、意識が白く染まる。
激しい衝撃に態勢を崩し、ティムズと一緒に、どうっ、と仰向けに倒れた。ティムズはパシズに抱き着いたまま気を失ってしまったようだ。
幻剣のダメージ自体はティムズと分散された為、なんとか気絶は免れる。
だが、覆いかぶさったティムズを押し
……交戦開始から僅か二十九秒。勝負はあっと言う間に決まった。
パシズが目を閉じてふっと笑う。
「……参った。私の負けだ」
「……やった!やったね!」
「ああ…上手く行った……!」
パシズの敗北宣言に、ミリィとアルハが顔を見合わせて、ミリィが思わずアルハの手を取り、両手でぎゅっと握って笑顔を零した。アルハも顔を綻ばせかけるが、ミリィは、はっとした表情を浮かべてすぐに手を離し、アルハから目を逸らす。
アルハがミリィに言葉を返そうとしたところで、パシズの傍らで仰向けになっていたティムズが意識を取り直して小さく呻き、もう一人の功労者の事が頭から抜けていたミリィが慌てて声を掛ける。
「あっ、大丈夫?……やりすぎちゃったかな……」
「う、うう……成功した?」「これ、すっげえ痛いんだね……」
ティムズが仰向けに寝転がったまま、身を挺した作戦の成否を尋ね、そして初めて直撃を貰った幻剣術の感想を呟く。
「……きみがやると言ったんだからな。ぼくは謝らないぞ」
アルハがいつもの冷静な表情で言うが、その口元には少し笑みを浮かべていた。
ティムズを囮にする事を最初に提案したのは、アルハだった。
―――――――――――――――――――
「……見事だった。予想外の手を考えてきたな」
起き上がったパシズが服に付いた土を払い、ゆっくりと立ち上がる。
呆れた様な口調だったが、何処が面白がる様な声色でもあった。
「……アルハルウェトのおかげです。彼女が作戦の殆どを考えてくれました」
パシズがミリィに目をやる。
「いえ…ぼくはあくまでも大体の提案をしただけです」
「…そうか、それでも協力して目的を達成した事には変わりない」
「まあ、約一名、あまり仕事をしなかった奴もいるがな」
そう言ってパシズは、ティムズの後襟を掴み、持ち上げるように立たせた。
幻剣のダメージは収まってきたものの、まだ身体のあちこちが痺れており、足をよろめかせてふらふらと揺れるティムズがパシズに言い返す。
「なに言ってんですか。充分パシズを引き付けたでしょ」
ティムズが不敵に笑う。
「どうでした?俺のとびきりのスマイル」
「ああ…あれは…ムカついたな。憎たらしくて。一発殴っておきたかった」
真顔で応えるパシズに、三人が笑った。
三人の様子を見て、一つ課題を済ませられたという風にパシズが
「では、本日はもうここまでにしよう。何をするにしても、ティムズがもう動けないだろうからな。個人同士の演習は明日以降も継続する。以上だ」
「……3人とも、よくやった」
最後にもう一度3人を嘆賞して、パシズはその場を後にして行った。
「………」
「……それじゃあ、私も行くね。お疲れ様!」
少しの間パシズの背中を見送っていたミリィが二人を振り返って無理に笑顔を繕う。アルハが言葉を掛けようとしたが、ミリィはもう既にパシズを追って足早にその場を立ち去っていた。
暫く様子を見ていたティムズがミリィの後ろ姿を見ながら、呟く。
「……アルハはさ」
「……何?」
「……なんでミリィを嫌ってるのかな」
アルハはティムズの方へ顔を向ける。ティムズはミリィとパシズの方を向いたままだった。
「何でそう思うんだ?」
少し眉をしかめ、アルハはティムズへ尋ね返す。
「それは…お互いに話しにくそうにしてるし」
ティムズは苦笑する。
「…………」
暫く自分の心情を表す言葉を探し、俯いたアルハが小さく応える。
「……別に、嫌っている訳じゃない」
「ぼくだって出来る事なら仲良くしたいと思ってる」
「だけど、その方法が判らないんだ。今まで、同年代の友人なんて居なかったから……」
ティムズに対して素直に感情を語れている事を、アルハは不思議に思う。
何故だかは判らないが、
「そんなに難しく考えなくても良いんじゃないかな」
「これだけの事を一緒にやってきたんだから、俺達3人はもう友達だよ。俺はそう思ってたけど、違ったら恥ずかしいやつだな」
「……うん……」
冗談ぽく笑うティムズを一度見て、アルハも少し微笑んで頷く。
――そうか、もう友人なんだ。だからこんなに素直に喋れるんだ。
友人になる為にいちいち確認なんて取らなくてもいい。
そして友人なんて堅苦しい言葉じゃなく、彼の言う通り、ともだち、という方が
相応しいんだろう。
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