第四節4項「痛かったら右手を挙げて」

 ティムズ達が『戦技調練』を終えた日の夜。


 先日に引き続き、龍礁領域変動の善後策を協議する為に再び談話室に招集されたマリウレーダ隊の面々に、久々に部屋から出てきていたレッタから報告が上がった。


 彼女が言うには、遂にマリウレーダ再起動の鍵となる術式を解析する方法を見出したらしい。それは『記憶できる鏡』、つまり『生きている人間を鏡として利用し、その肉体と精神を介して法術式を転写する』という、タファールが以前言っていた『無茶なこと』そのものだった。



「―—という事で、生きている人間を通して、術式を転写すれば、元の式の構造を解析できます。多角的な観測と誤差を鑑みると一人では無理なので、複数人で行います」


「……確かに理論上は正しいが、強力な術式だ。転写に当たる人間には相当な負荷が掛かるのではないか?」

 ピアスンが帽子の鍔を無意識に弄りながら眉をしかめ、懸念を顔に表す。


「ええ、でも可能性があるのはこれしか……複数で分散すれば死ぬことはないと思うけど、確かに一時的に精神力を消耗するし、神経系統が過剰に反応して、痛覚にもかなりの影響は出ることは予想されます」


「つまり、すげーしんどくて痛い思いをすることになる、か」

「ええ、すごく痛いと思う」

 タファールが横槍を入れて、レッタがあっさりと肯定した。


「そして、転写を行う人間に特に資質は必要はありません。専用の式を用意しました。これを術紙に記して、それに触れながらマリウレーダの機関から放たれる術式光を浴びれば、自動的に封述を行えるようにしてあります」

「ただ、非常に苦痛を伴うものなので、私達や龍礁の皆には依頼出来ないことではあるかな…と、考えているんですけど…」


 レッタは言葉を切り、ちらちらと一同の顔色を伺う。

 レッタが何を言いたいのか、は、その場の全員が薄々感づいていた。


「……まあ」「そういう事だよな」「そういう事よね……」「うむ」

 

 面々は顔を見合わせて、お互いの表情と意思を確かめて、そして頷き合う。


 マリウレーダ大破の原因を作った『あいつら』にそのツケを払わせ、役に立ってもらうという、一石二鳥の絶好の機会だった。



 ―――――――――――――――――――――


 そして更に翌日。


「ああ!?つまり生贄になれっていうことか!?」


 エフェルトの声が楊空艇の格納庫に響き渡る。

 エフェルト、モロッゾ、アカムはマリウレーダの元に集められていた。


 レッタが3人にそれぞれ、一つだけ術式が記された紙を配り、エフェルトの抗議を無視して次々と指示を飛ばしていく。


「あんたはこっちに立って。あんたはそこ」

「違うって、そこ!違う!そう、そこで良い」


「おい、ぼさぼさメガネ!聞いてんのか!」

「うるっさいなあ、ちゃんと説明したでしょ」

「あんな専門用語だらけの説明で判るか!」


「だいじょーぶだって。痛かったら右手を上げてください」

 格納庫隅の木箱に座ったタファールが野次を飛ばす。

 ピアスンとパシズがその傍で並び立ち、ティムズとミリィがその後ろで少し心配そうに、レッタが雑にエフェルト達をあっちこっちに追い立てているのを眺めている。


 そして更にその背後では、法務部の代理として『処罰の実行』を見届けにやってきていたジャフレアムが事の成り行きを見守っていた。


 やがてエフェルト達がマリウレーダを中心とした3か所に配置されると、レッタが声を上げる。


「じゃあ、良い?3人とも、手元の術紙に記された式に掌を当てて、目を瞑って」

「マリウレーダの主機関に負荷を掛けて、一時的に術式光を発生させるから、それをあんた達の身体を通して投影して、手元の式に封述を行う」


「だから言ってんだろ!封述なんて俺らは使えないって…」

「何度も言ってるでしょ。あんたらはただ目を瞑って立ってるだけでいいって」


 エフェルトの再三の文句に、レッタが顔も見ずに応じるが、更に少し離れた場所に立っていたアカムから声が上がり、苛つきを隠せなくなった様に応えた。


「観測っていうならもっと大勢でやった方が良いんじゃないっすか?」


「それも言ったでしょう。人数が増えると情報はそれだけ分散する。それは遠くから花を見るようなもの。それだと色と形は朧気に判っても、花びらが何枚あるかまでは判らないでしょ?だから分散は3人が限界なの」


 モロッゾはこの『罰』を真摯に受け止めていた。文句の一つも言わず、まるで死刑を目前にした囚人の如く、アトリア教の祝詞をずっとぶつぶつと呟いている。


「ええい!キリがない!男ならぐちぐち言わずに覚悟を決めなさい!」


 レッタが決然と声を上げ、今度はクルー達の背後で成り行きを見守っていたジャフレアムに同じ口調で声を投げる。


「イアレース管理官!術式プレートの起動をお願いします!」


「えっ」


 不意に名指しされたジャフレアムがいつもの毅然とした態度を忘れたように素っ頓狂な声を上げた。レッタはマリウレーダの周囲に配置された術式板と回路を繋がれたスイッチ、に当たる中央の板を差し、言葉を続ける。


「一瞬ですが、これだけの術式媒体を化現かげんするには高度な法術が必要なんです、私がやるよりは専門の法術士である貴方がやった方が早いんで」


「しかし、それは」


「大丈夫です。イアレース管理官からの力の流れは一方的なものなので、貴方への逆流リバースは起きない……と思います」


「時折、厄介な事を『思います』で片づける癖があるぞ君は」


 ジャフレアムと同じ様に、唐突なレッタの発言に驚いてジャフレアムの方を見ていたクルー達が顔を伏せて笑いを堪える。確かにレッタはそういう所がある。


 ジャフレアムは呆れたか諦めたかの様に目を瞑って溜息を吐いて進み出た。


「……まあ、確かに合理的な提案であることは認める。仕方ない……」



 ――――――――――――――――――――――


 ジャフレアムが中央の木台に設置された制御プレートの前に立つ。

 レッタはマリウレーダ周辺の術式板のチェックする為に見回っていた。


 術式板は人の背丈ほどの木版に、霊葉と図式が記されているもので、その術式は地面に沿って中央の制御プレートまで伸びていた。正直レッタとジャフレアム以外にはどういう構造なのか殆ど判んない機構だった。とにかくこの大仰な仕掛けでもって、マリウレーダの素体基部に隠された起動術式をエフェルト達を介して具現化しよう、という試みらしい。


「……ほんとに大丈夫かな、死んじゃったりしないよね……?」

 事が進むにつれどんどん心配になってきたらしいミリィが呟く。


「ていうか俺達もここでのんびりと見物してて良いのか心配になってきた」

 事が進むにつれどんどん不安になってきたらしいティムズが呟く。


「まあ、レッタとイアレース管理官が安全だと判断したのなら」

「恐らくは大丈夫……なのではないかな」

 事が進むにつれどんどん心配と不安になってきたらしいが、それをなんとか拭い去ろうとしたピアスンとパシズが呟く。


「大爆発でも起きたら龍礁の歴史に名を残せますよ、俺たち」

 事が進むにつれどんどん面白くなってきたらしいタファールがにやついた。


 機構のチェックを終えたレッタがマリウレーダ周辺の4人に声を掛ける。


「うん、不備はない。いい?馬鹿三人は目を瞑って、術紙に集中して」

「イアレース管理官、いつでもどうぞ」



「……くそ、なんて強引な連中なんだよ……」

 覚悟を決めたエフェルト達が、目を瞑って術紙に掌を当てる。

 術紙がうっすらと光を帯び、空中に術式を展開しながら浮かび上がった。

 青い光がどんどん強まっていき、格納庫内を照らし始める。


 ジャフレアムも目を瞑り、白く細い指をプレートにそっとなぞらせながら囁くように霊葉を重ねていく。


「……始炎シエン羅明ラメイ在呪アジュ……華咲カザク……」


 ジャフレアムの指先の術式光の強さと規模がどんどん大きくなっていった。

 何の制約もない状態で扱う法術は術式を開けるだけ開き、強大な力を具現化できる。

 だが、それを鑑みてもジャフレアムの法術は並の術士が扱えるものを越えていた。

 ティムズは、自身が見てきた中でも最も強力な術式を扱う『法術士』の後ろ姿を見ながら感嘆する。


 ジャフレアムの紫長髪とローブが暴風に吹かれたように旗目はためく。

 マリウレーダの機体全体を術式で構成された法術陣が包み、格納庫中を照らした術式光が一気に収束して、バキン!!!と音を立てて、中央制御術式プレートから周囲の術式版へと光が走った。


 エフェルト、モロッゾ、アカムは何かに殴られたように後ろに弾き飛ばされ、倒れる。衝撃波と眩しい光に、腕で顔を覆ったマリウレーダのクルー達が彼等を再び見ると、エフェルトが仰向けに倒れたまま力なく右手を上げて、弱々しくぼやいた。


「……先生。とても、痛えんですけど……」


「はいはい、もう終わりましたよ。我慢できて偉い偉い」


 レッタが平然とぶっ倒れているエフェルト達の傍に落ちている術紙を拾い集め、そこに新たな式が加わっているのを見て顔をにやつかせる。


「よし、上手く行った!あとはこれらの誤差を修正して、代数を求めるだけ……!」

「一見すると統一性は無いように見える。けど基礎構造に一部の共通点がありここから関数を逆算して不足しているコードを浮かび上がらせればそこから鍵の形が判るそして…、あ、ご協力どうも」


 顎に拳を当てぶつぶつと呟いていたレッタが、それを半ば呆れた顔で見ていたジャフレアムに気付き、きょとんした顔で限りなく軽い謝意の意を示した。そして倒れている三人にも彼女なりの礼儀を表した。


「うん、やっぱり死なずには済んだね。具体的にどういうダメージを負ったのかも確かめたいけど、今はそんな事してる暇はないしまあいいや。とりあえずお疲れさん」


 レッタはそう言うと、術紙を見比べながらさっさと格納庫を後にしていった。


 頭を振り、溜息を付いたジャフレアムが気を取り直した様に、周囲に点々と倒れているエフェルト達に向かって声を上げる。


「……では、この時点を以て、お前達への処罰が正式に履行された事を認める。第四龍礁管理局上級管理官、ジャフレアム=イアレース。書類の手続きはまた後日だ」


 モロッゾとアカムは気絶しており、聞こえちゃいなかったが、なんとか持ちこたえたエフェルトは倒れたまま一言「そりゃどーも」と呟き、頭上に見えるマリウレーダの機体の一部、補助翼の先端をぼんやりと見つめていた。




 ―――――――――――――――――――




 ティムズ達の『鬼ごっこ』にアルハが加わり、数日が経った今日は北西の丘の上に建つ古い砦の遺跡での訓練を行っている。


 これはパシズがラテルホーンと遭遇した地点の近くで発見されたもので、建築されてから永い時を経た石造りの建造物の周囲には森が覆う様に育っていたが、人工物特有の特殊な地形での訓練には適当なものだった。

 

 その内外をミリィとアルハが縦横無尽に跳ね駆けている。

 

 石柱が並ぶ廊下を駆け、壁を蹴り高所に上がり、外周城壁の上を跳び、随所にある監視塔を抜け、石畳が敷かれた広場で対峙し、逃走と追跡を繰り広げていた。


 ミリィの金色の髪と、アルハの紺色の髪が陽光を反射し、二つの筋となって砦の中を疾走する。その様子を中庭で、腕を組んで立つパシズと、先程までアルハと共にミリィを追い駆けていたが、脱落して息を切らしながら座り込んでいるティムズが共に見守っていた。

 

「……アルハもとんでもなく速いですね……それに何であんなに静かに跳べるんですか」


 ティムズはアルハの扱う跳躍術に興味を持っていた。

 先日の『対パシズ戦』でも見せていたが、彼女アルハの術式の扱いはとても静かで冷静なもので、跳躍術特有の水面が弾けるような音が殆どしない。


「出自に依るところが大きいだろうな。あれは元はセリテニアの軍属だ」

「パシズと同郷なんですね。口調が似てるのもそういう事です?」

「……それはまた少し違う話になる。私から話すことではない」


「それってどういう……」


 ティムズは疑問を口にしかけたが、パシズの横顔はもうその質問を受け付けない、という答えを既に返していた。それを悟り、ティムズはミリィ達が跳ね駆ける姿に目を戻す。



「時間だ!そこまで!」


 パシズは声を張り上げ、ミリィとアルハの追跡逃走訓練を打ち切った。



 ―――――――――――――――



「ふうっ。やっぱりアルハは速いなあ、油断したらすぐに捕まっちゃいそう」


「……」


 ゴーグルを上げながら笑みを浮かべるミリィを、袖で汗を拭いながらアルハがめ付ける。


「……さぞかし気分が良いだろう。こうやって自分の方が優秀だと誇示できるのは」

「……そういうつもりじゃ……ごめん」


 ミリィの笑顔が凍り付き、言葉を詰まらせる。


 アルハにとって、感情が表に出やすいミリィの性格は、疎ましく感じてしまうものだった。名家の出という出自は似ているが、それをアルハは誇りに思っていて、ミリィはそうではない。


 決定的に価値観が違うのだ。



 ―――――――――――――



 アルハルウェト=ベルスリンガーはアラウスベリア大陸北東にある常雪の小国、セリテニア章王国の名家、ベルスリンガー家の一人『息子』として育った。


 ベルスリンガー家は代々、戦場において軍を統制するために打ち鳴らす『戦鐘せんしょう』を守護する部隊に関わる兵を多く輩出しており、その跡取りとしての男児が期待されている中で生まれたのがアルハだったのだが、母はアルハを産んですぐにこの世を去ってしまう。

 

 後妻を娶らなかった老齢の父親は、望まなかった女児でありながらも、幼少の頃から優秀な術剣士としての才覚を見せたアルハを、女性初のベルスリンガーとするために徹底的な英才教育を施し、男児のつもりで育て上げたのである。

 

 しかし、セリテニアの王が代替わりと共に軍制の改革が行われ、軍職の多くが廃止。ベルスリンガーも同様の憂き目に合ってしまった。


 そこでアルハの父は彼女の才能を生かす為にと龍礁監視員レンジャーに推薦。3年前に龍礁監視員レンジャーとなったアルハは、パシズの師事を受け、その能力と人格に影響を受けた。


 その後龍礁にやってきたミリィと出会うが、当初から性格が表に出やすいミリィとは折り合いが悪く、お互いに最も苦手とするタイプで、二人で居るとどうしても気まずい空気になってしまっていた。



 それでもミリィは仲良くなりたい、と思っている。

 アルハもその点は同じだった。同僚で、仲間なのだから、良好な関係性を作った方が良いに決まっている。だけど無理をしてそうする事に意味は無い、とも考えていた。


 価値観が違うだけ……だった。



 ―――――――――――――――――――――――



 『鬼ごっこ』を終えたミリィとアルハが、お互い無言のままパシズ達の元へと歩いてくる。そんな二人の関係をまだ良く知らないティムズが能天気に声を掛けた。


「いやあ、二人とも本当に凄いね。俺なんかじゃ全然追いつける気がしない」


「……うん、まあね」


 パシズはミリィがいつもの様に得意気に喜んでいない事に少し引っ掛かったが、ティムズがアルハにも話し掛け始めたのでその内容に気を取られてしまった。


「アルハの跳躍術には驚いたよ、あんなに静かに動く技術があるんだね」

「……相手に挙動を読まれないようにする為のものだ」

「どうやったらそんな風に跳べるんだろう」

「それは……」


 ティムズが純粋な興味で訊き、アルハも応えようとする。

 しかし具体的な方法がある訳ではない。アルハがパシズの顔を見て、説明の助けを求めたので、パシズが引き継ぐ。


「法術の具象化は人の資質により千差万別だ。物事をどう捉えているか、どうイメージするか、その順番はどうなっているのか、それにより術式も変わるし、具象したものの全てが変わる。同じ術式を用いていても何処かにその人間の個性が出る」

「その方法論を他人に説明するのは難しい。特に瞬間的なものはな」

「お前の跳躍術が不安定なのもそれに起因するだろう。つまりお前は精神的にムラがあるという事だ。その緊張感の無い姿勢からも判る」


 そう言ってパシズが厳しい視線をティムズに投げる。

 ティムズは思わぬ展開で自分の方に矛先が向き、姿勢を正そうと身じろいだ。


「……ええ……はい、自覚はしてます」


 ティムズがミリィもアルハを見ると、二人とも後ろ手を組み、きちんとした姿勢でパシズの話を聞いていた。こういう所で差が出るのか…とティムズは今日もまた少し反省したのだった。

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