第四節3項「クロスゲーム」

 「うー……ちょっときつくなってんのかな、これ」


 午後の訓練の為に早めに中裏庭に到着していたティムズが、制服…戦闘を想定した戦衣、の着衣感が気になり、人目が届かない木陰で一旦全部脱いで確かめていた。


 ズボンも脱いだのでパンツ一丁である。繰り返すが人目はない。


「今のレッタに頼むのはなあ…」溜息を付く。


 レッタは楊空艇の整備だけではなく、船外活動員の各種装備のメンテナンスも担当しているのだが、例の再起動式解読の突破口を遂に見つけた彼女は、ここ数日、自室に籠りっきりで顔を見せていなかった。この状況で頼みに行ったら噛みつかれるのでは、とティムズは考えていた。言葉のあやではなく。



「……ゼェフ先輩が言う程には、筋肉は付いていない様に見える」

「ひゃっ!?」


 突然、傍で女性の声がして、ティムズは飛び上がって前を隠す。

 アルハが腕を組んで、すげえ冷静な表情で半裸のティムズを見ていたのだ。


「ア、アルハ……さん?なんで?どういうこと?…うわっ!!」


 慌ててズボンを履こうとしたティムズが前のめりに倒れる。

 アルハは眉一つ動かさず、座ったままあわあわとズボンを引っ張り上げるティムズを見下ろして、再びすげえ冷静な表情で口を開いた。


「体幹がなっていない。体幹は全ての基礎だ。しっかり鍛えろ」


 ティムズはアルハを見上げた。この口調は聞き覚えがあるどころではない。

 絶対にパシズの何かだと思った。


 呆然と見上げたままのティムズを見て、アルハが少し困った様な顔をする。

「何でそんな顔で見ている?」「いや……何でもないんですけど」

 どうして良いか判らないまま、まだ座り込んでいるティムズに、アルハが右手を差し出した。


「……まあいい。先程は失礼した。改めて自己紹介をさせてほしい。ぼくはアルハルウェト=ベルスリンガー。アダーカ所属の船外活動員フロントタスクだ」


「……どうも、ティムズ=イーストオウルです……っとっ……」


 ティムズが差し出された手を受けると、アルハの手に力が籠り、ぐいっと引っ張られてティムズは立ち起こされる。そんなに力強いのに、ティムズの手を握るアルハの手はとても柔らかい感触だった。ティムズは思う。これは女の子の手だ!


「どうした?ぼくがこんなに力持ちだとは思わなかった?」


 アルハが少し得意気に微笑んだ。

 それは確かにそう思ったけど、問題なのはこのふわふわの手なんですよ。とティムズは動揺しっぱなしだった。


「お待たせ!いやあ、今日から戦技訓練ね、私も久しぶりだから少し緊張…」


 ミリィがいつもの明るい声を上げながらその場にやってきた。

 そして、木陰で上半身を抜いだティムズがアルハの手を握って(いる様に見えた)すごい顔をしている(様に見えた)のを目撃して、固まる。


「あっ」

「……」

「あっ!」


 慌ててティムズがアルハの手を振りほどき、弁明しようとするが、ミリィは一言「もうすぐ訓練始まるからほどほどにね」と困った様に笑い、さっさと行ってしまっていた。


「いやこれは、違う。いや違わないんだけど、違うんだって!」

「ほら、アルハ……ルウェト、も行こう!早く」


 慌てて上衣を着てその場を離れようとするティムズを、アルハは怪訝な顔をして見つめていた。

 

 (……何か問題があったのかな?)



 ――――――――――――――――――――――



 その後すぐに裏庭に着いて待っていたパシズの前に、ミリィが立っていた。ティムズとアルハも早足でそこに並ぶと、パシズがアルハに声を掛けた。


「アルハ、久しぶりだな」

「はっ、お久しぶりです、バルア副隊長どの」


 アルハが胸にぱっと掌を当て、びしっと答えたのでパシズは呆れた様に笑った。

「我々は軍隊ではないのだからその様な敬礼は不要だと言うのに」


「あっ……すいません、癖なので……」


 元はセリテニアの軍属だったアルハは、同じくセリテニア出身のパシズの下で訓練を受けていた時期があり、パシズを多大に尊敬している故に、彼女なりの敬意が思わず表に出てしまう。


 ミリィとも一時期は共にパシズに師事を受けていたが、アダーカ隊に配属されてからは、アダーカ隊の副隊長・ゼェフの元で教練を受ける事になり、それからはあまり会話する機会もなくなってしまっていた。


 

 ―――――――――――――――

 

 並んだ三人に、パシズが今の状況に至った経緯を説明する。


「……アダーカ隊も暫く本部に滞在するとの事で、ゼェフから、アルハもこの訓練に加えて欲しいと打診があった。前以て言っていた様に、本日から戦技調練も含めた実戦形式の訓練も追加していく。人数が多ければそれだけ戦術の選択肢も増やせる。そういう訳で快諾させて貰った。不服はないな?」


「はーい」ミリィ。

「ありません」アルハ。

「ないです……」ティムズ。


「よし。では……そうだな。いつもの様に最初から長々と説明するだけでは芸がない」

「全員その場で待機。少し待て」


 そう言うとパシズは三人に背を向け、歩き去っていく。

「……?」ティムズは不思議そうにその背姿を見ていたが、ミリィは今の内に、と、隣のアルハに小声で話し掛けた。しかしアルハは冷たく応える。


「また一緒に訓練できて嬉しいな」

「ぼくは訓練を嬉しがる者と一緒に仕事をしたくない」


「っ……うん、ごめん…」


 ミリィがぐっと言葉を飲み込んだ時、三人からだいぶ離れた地点で立ち止まったパシズが振り返り、声を張り上げた。


「細かい説明は無しだ!手段は問わん、私を三人がかりで制圧してみろ!」


「!?」「……!!」


 ティムズは驚いてミリィとアルハの顔を見る。二人も一瞬驚いていた様だが、すぐに真剣な表情で頷き合った。

「え、制圧って……捕まえろって事?」ティムズが困惑する。


「いいえ」ミリィが呟く。

「行動不能を選択肢に含む攻撃を許可された」アルハも声を落とす。


「それを、三人相手に……?」ティムズが眉をしかめる。



「パシズ…それは流石に私たちを舐めすぎじゃない…?」

 ミリィはゴーグルを掛け、口調とは裏腹に笑みを浮かべた。


「……」

 アルハは緊張した面持ちで、ティムズは当惑した表情で、それぞれ構える。


「パシズ!本当に良いのね」


「構わん、さあ、いつでもこ――」「!!」


 パシズの言葉を断ち切らんとするかの様に、ミリィが一直線に突っ込んでいった。

 パシズへ距離を詰めながら幻剣を展開し、そのまま胴体目掛けて振り抜ける。

 しかしパシズは素早く反応し、術盾を起動してそれを難なく受けた。


「……(ちっ!)」奇襲をあっさりと受け流され、心の中で舌打ちしたミリィが身体を捻り、もう一撃を脚に向けて繰り出そうとするも、パシズがその前に腕を掴み、ミリィの身体を軽々と投げ飛ばした。


「うわっ!?」

 一瞬身体が浮いたが、なんとか体勢を立て直したミリィが、ざざざ、と後ずさりながら着地し、顔を上げてパシズを見る。


「奇襲は良いが、その後の予測がまだまだ甘いな」


「……!」


 平然としているパシズに、ミリィは臍を噛む表情で睨む。

 ――私の方が速いはずなのに。


「……俺が先に行く」


 跳躍術を展開したアルハを制して、ティムズが、身を屈めて跳び出した。

 大きく回り込む様にパシズに接近し、アルハが飛び込む隙を作る心算だった。


 だが、パシズはティムズの方を見向きもしない。一瞬ティムズは頭に血が昇り、それならば、と幻剣を展開して突っ込みかけたが、これはパシズの誘いなのだとすぐに把握した。

 パシズがぴくり、と動いた瞬間を捉え、急制動を掛けて跳躍を思い留まる。

 そして目の端でアルハがパシズに向けて跳んだのを捉えた。アルハの跳躍は跳ぶ前に身体を沈めることなく、無挙動ノーモーションで滑る様に跳ぶものだった。


 パシズがアルハに気を取られた、と確信し、ティムズも同時に攻撃を与えようと 

 前方へ跳ねようとした瞬間。逆にパシズが眼前にその巨躯を翻し、その太い腕がティムズの眼前に迫っていた。

「……(う、わ!)!」

 ティムズの身体に恐怖が走る。パシズの体躯からは想像もできない程の素早さ……では、なく、決して素早くはないが、ティムズの攻撃態勢を不気味なまでに完璧に捉えた挙動に思わず身が竦んでしまったのだ。


 それでもティムズはなんとか後方に跳ね、パシズの腕から逃れる。

 その背後からアルハが音もなく静かに跳びかかっていた。彼女の跳躍は『静か』だった。しかしそれもまたパシズは把握していた様で、アルハの幻剣の突きを身を捻るだけで避けると、彼女の上衣の肩を掴んで、体落としの様な投げを決める。


「きゃッ……!」アルハが小さく悲鳴を上げて、ティムズとパシズを結ぶ線の上に倒れた。なのでティムズはその隙を突こうと跳び込む事ができなかった。


 ティムズの追撃を封じたパシズの目が、当然の様にその背後から攻撃を加えようとしていたミリィに向けて、肩越しに走る。


「……!!」ミリィもそれを察知し、止まる。


「う、くっ……」

 痛みに呻いたアルハが起き上がろうとする傍をパシズが歩き去って距離を取り、再び3人に向き直る。


「さあ、次だ」表情一つ変えずに告げるパシズ。


「……マジかよ」「…………」「……流石……!」

 ティムズ。  そしてアルハ。 ミリィ。    


 数舜の攻防の中で、パシズ=バルアという男の実力を目の当たりにし、この『訓練』が途轍もなく困難な試練だという事を、三人は理解した。



 ――――――――――――――


 

 その後もティムズたち連携攻撃はことごとくパシズに抑え込まれていた。

 何度も攻撃を仕掛けるが、パシズはその度に、攻撃を仕掛けた者から順次反撃を与え、次々と連携を潰していく。


「くそっ!!何でっ……!」


 地面に倒れたティムズが、アルハとミリィ相手にその場に留まったまま、一歩も引かずに二人の攻撃を受け流し続けていることに唖然とする。防御に徹したパシズを崩す手段が見つかるとは思えなかった。


「……このぉっ!」


 ミリィが翔躍を駆使し、空中で方向転換をしつつ幻剣を振り抜こうとしたが、その挙動を読み切ったパシズの腕が彼女の上衣を掴み、再び投げ飛ばした。

 同時に足元から静かに、低い体勢で突っ込み、パシズの脚を狙って幻剣を構えたアルハを視界の端で捉えていたパシズが、左腕の術盾でアルハを弾き飛ばす。


「くっ!」「あうっ……!」

 ミリィはなんとか空中で体勢を持ち直して滑るように着地し、アルハは尻もちをつくように地面に倒れ込んだ。


「だあぁっ!」ティムズが間髪入れずに跳躍術で飛び込んで、ラテルホーンにおこなった様にタックルを決めようと飛び込む。

 しかしパシズはティムズが伸ばした腕を掴むと、それを易々と捻り上げた。


「ッ……!?」


 ティムズの目がぐるぐる回転する空を見て、直後に背中から地面に落ちた。

「う、お、お……!」衝撃に悶絶するティムズ。しかしそれ以上に強く困惑していた。今、一体何をされたのか全く分からない。


「はぁっ、はっ……はぁっ……」

「……くっ……!」


 ミリィもアルハも息を切らし、肩で息をしている。


 パシズも汗をかいてはいるが、呼吸は平静なままだ。

「……これが人間だ。経験と分析から、それぞれの弱点を見抜き、それを利用する」

「そして人間の身体には限界がある。関節は可動域以上は絶対に曲がらない。それ以上の負荷を受けると折れてしまう、と脳が察知すると、それを防ぐために身体は勝手に動き、倒れるのだ。今のティムズの様にな」


「身体が動く時には筋肉に力が入る。法術を使おうとすると術式の初期プロセスが空中を走る。それを見定めて舜次に行動を起こす」


「身体の限界を知り、出来る事と出来ない事を区別し、駆使する」

「私は決して強い訳ではない。ただ、その方法を知っているだけだ」


 ティムズは痛みに呻きながら、ミリィは悔しそうに睨みながら、アルハは改めて尊敬の念を強めながら、それぞれパシズの言葉をその身に刻み付けていた。



 ―――――――――――――――――――――――――――


 夕刻。陽が傾き、辺りはオレンジ色に染まっている。

 空はまだ青いが、少しずつ黒みが滲んでいき、巣に帰る鳥達の囀りが響いていた。


 結局最後までパシズに手も足も出せず、精魂尽き果てた3人は地面に転がっていた。当のパシズは訓練が終わると同時に「用事がある」と言ってさっさと何処かに行ってしまっていた。


「いやあ、やっぱりパシズは凄いなあ。なんかもう、ここまでこてんぱんにされちゃうと逆に清々しい気分よねー……」

 大の字に倒れたミリィが力なく笑う。


「それにしても俺だけやたら地面に叩きつけられた気がする……」

 うつ伏せになったティムズから呻き声がする。


「…………」

 横向きで寝転がっているアルハは無言だった。

 ティムズがなんとか起き上がり、アルハの背に声を掛ける。


「しっかしまあ、パシズが厳しいのは当然としても、久しぶりに会ったばかり、の女の子でも手加減せずに投げ飛ばすなんて酷いよな」


「……実戦ならそれが当たり前だ」

「それに、ぼくを『女の子』扱いするな」


 アルハが顔も向けずに小さく応え、ティムズは言葉に詰まってしまった。

 少し気まずい空気が流れ、その様子を感じたミリィが、ぱっと跳ね起きてアルハに声を掛ける。


「とにかくさ、アルハもしばらく一緒に訓練に参加するんでしょう?」

「……そうだ」


「そしたら、その間に一度はパシズをぎゃふんと言わせられるようにしようよ」

「結局パシズは私達全員を子供扱いしたも同然じゃない」


「……それは一理ある」


「作戦立てて、パシズに参りました、って言わせる!それって楽しいと思わない?」


 ミリィの声がわくわくしてきた様に明るくなっていく。

 ティムズもふっと笑い、確かにパシズに一矢報いたいと自分も思っていることを口にする。


「そうだな、一人一人では敵わなくても、一発くらいは殴り返しておきたい」

「でしょ?パシズだって絶対に苦手な事があるはずだし」

「そう言えば、あの攻撃で……」「うん、だから……」


「………」

 アルハは暫く考えた。

 ミリィに言った通り、訓練や戦いで嬉しいとか楽しいと思う事は、自分にとっては理解できない感情だった。本来の目的は、龍を狩らんとする者に対する抑止力たる実力を身につけることの筈だ。


 しかし、ミリィとティムズが笑いながら、今一番近くにある一つの目標を語っている姿を、何処か羨ましいと思っている事も自覚していた。

 

 今はまだ、それで良いのかもしれない。


「ね?アルハ、どうかな」


 ミリィが再びアルハに向き直り、少し憂いのある表情で笑い掛ける。


 目の前に立ちはだかる大きな山を越えようとするのならば、先ずは一歩を踏み出さなければいけない。その一歩は小さくとも、それを共にする仲間が居るのはなんと心強いものか。アルハはゆっくりと身を起こして、ふ、と笑い、静かに応えた。


「……判った。だけどやるからには徹底的にやる。中途半端には終わらせないぞ」

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