第四節2項「フレイガート・スケール」

 第四龍礁の警戒態勢レベルの引き上げが行われた翌日は、早朝からどの部署も大騒ぎだった。


 レベルBに近い施設、人家などからの人や物の移動を始めとした大規模な『引っ越し』作業と、それに伴う書類処理。更に龍礁本部での業務体制の変更も行われ、人は行ったり来たり、あらゆる情報と物と罵声が飛び交う戦場と化していた。


 レベルBの領域変更、は過去数度行われているが、その度に重大な事件が発生している為、龍礁の者たちは重要な事態と受け取っていた。必死故の大騒動である。



 第四龍礁レベルB。


 第四龍礁においては、およそ300年前に滅んだ都市国家の旧首府都市跡をレベルA、次いで周辺の平野、森林部をレベルB、それを取り囲む樹海地帯をレベルC、と大まかに分けられていて、レベルBはその中でも最も多くの龍種が棲む領域で、現在でも未だに新種や亜種の存在が確認され続けている。


 レベルBより奥部の地形はとても一言では言い表せない。

 三百年前に起きた巨大地震でこの一帯の断層は徹底的に破壊され、広大な楯状地帯を形成しており、場所によっては千エルタを超す高低差を持つ台山テーブルマウンテンや、峡谷、深山しんざんなど、様々な地形を持ち、更に各所にある都市や城、砦と言った人工構造物の跡など、あらゆる場所に龍族が潜みやすい環境が整っている。


 そして三百年前の大戦で大陸各地の棲み処を追われた龍の多くがこの地に逃れてきたという伝説も残っており、それは概ね事実だった。


 

 ――――――――――――――――――――――


「ちょっとアンタ!F/ IIクラスの末端素材はこっち!何度言えば判るの!」


「うっせえな!何度言われても見分けなんてつかねーんだよ!」


 マルコ=フォートレスの野太い声がエフェルト=ハインの鼓膜を震わせる。

 エフェルトは素材管理部での仕分け作業を命じられて、マルコの元でこき使われていた。収集されてきた爪などを輸送小さい木箱に梱包する地味な作業が延々と続いている。

 

「こないだのF/ II緑象龍の素材も分けないといけないし、アダーカ隊が各地でF/IIIの末端素材を集めてきた分もあるのよ!今ある分はさっさと分けてみなとに輸送しないといけないんだから!!ちゃんとしなさいよネ!」

「知るか!大体、そのFなんとかっていうのは何なんだよ!皆当たり前の様に話してるけど全然意味わかんねー」


「アンタ、そんな事も知らずに密漁に来たの……?」

「ああっ!またそんな雑に!」


 呆れて振り返ったマルコが、愚痴りながら箱に龍の鱗を適当に放り込んでいたエフェルトから箱を奪い、中の爪を取り出して、丁寧な手つきで油紙で包み直していく。屈強な体つきからは想像も出来ない細やかさだ。


 その背後でエフェルトは壁に寄りかかりながらへらへらと笑っていた。


「で、Fなんとかっていうのはどういう意味なんですかね、マリーねえさん」

「フレイガート・スケールの略よ、大昔の龍学者さんが考案した龍の等級。イドニール=B=フレイガートって名前くらいは知ってるでしょ?」

「シラネ」

「アンタねえ……ここで働くならそれくらいは勉強しておきなさい、いいわね?」

「やなこった。勉強って単語を聞くだけで怖気がするんだよ俺は」


「…………二度は言わないわ。 勉 強 し ろ 。 い い な ?」


 振り返ったマルコの形相と心臓に響く程の重圧を孕んだ声に大いに恐怖したエフェルト=ハインは、即日ティムズと同じ様に資料室へ通う事を決めたのだった。


 ――――――――――――――――――――――――


 午後も深まり、一連の騒動も一旦は落ち着いてきていた。

 ティムズとタファール、ミリィも午前中はこの騒乱に巻き込まれ、それぞれの地上担当の業務に忙殺されていたが、それもようやく解放されて、やっと昼食の席に着く事ができた。


 中央食堂は昼食時でないにも関わらず、そこそこの数の職員達が同じく遅めの昼食にありついていた。全員魂が抜けた様な顔で座っている。テーブルに突っ伏して寝ている者も居た。


 タファールが周囲の者の様子を見回しながらぼんやりしている。


「まるで実際に龍が襲ってきたみたいな状況になってんなコレ」


「本当に龍が襲って来たらもっと大変なことになるし、そうならないようにするための準備なんだから仕方ないじゃない」

 ミリィが、『本日のおすすめ』の鹿肉のシチューにスプーンをくぐらせながら応える。その対面、タファールの隣に座ったティムズが同じくシチューをかき混ぜながら何気なさを装って言う。


「レッタは今何してるんだろ、昨夜はなんか…いきなり…変になってたけど」


「多分、また部屋に籠ってやべえ事考えてる」

「以前も何度か同じ事があってさ。ある日なんか、制服を改造するんだって突然言い出して、そりゃもう酷い目に……」

 タファールが身を乗り出して半笑いを浮かべながら、過去にレッタが起こしたらしい事件について語り出そうとするが、それは何者かに遮れられた。



「おお、これこれは。我らが親愛なる友、マリウレーダ隊の諸君じゃないか」


「……ああ?あー……なんだ、あんたか」


 振り返ったタファールが面倒臭そうな声を上げた。

 褐色の肌の、かなり背の高い男性がティムズ達のテーブルの傍に立っていた。

 流れる様な黒髪を大きく後ろに流し、長く尖った耳が突き出ている。

 ティムズは出会った事がない亜人種の男だった。


 そして、その男の陰から、もう一人の人物が歩み出た。

 丁度シチューを口にしていたティムズの目がその人物を捉えた瞬間。


 ……ティムズの視界が、スローモーションになった。


 顔が熱くなった。頬が染まる。ティムズの好みのタイプのおんなのこ、が凛とした表情で、ゆっくりとこちらを向いていた。

 短く切り揃えられた紺色のショートヘア。顔の横にかかった部分は少し長く、一歩ごとに緩やかに揺れている。

 背はティムズより低い。線の全てが清らかなラインを描く清廉な顔立ち…すっと流れる様な細い眉、大きめの二重の釣り目は。瞳も濃い藍色だ。目上を縁取る睫毛、小さく可愛らしい鼻。輪郭は綺麗な形で、肌は雪の様に白い。

 彼女もティムズと同じく龍礁監視隊レンジャーの制服を着ているが、その彩色は灰色と黒を基調とするものだ。


 そんな子が目の前に……ティムズは運命的なものを感じたが、なんかこんな事が最近あったなとすぐに思い直し、その人物の喉から、男性の声が響くのではと警戒して、スプーンを口に突っ込んだまま固まっていた。


 ミリィは現れた二人に笑い掛ける。

「こんにちは、ゼェフさん。アルハも元気だった?」


「やあ、ミリィ。勿論さ。君も相変わらず元気そうで何より」

「…………」

 男性はテーブルの上の大量の『ごはん』を見下ろして、笑顔で返したが、女性はどこか冷たい目でそれを…と言うよりは、ミリィを見ていた。


「あっ……はい。ええ、相変わらずです」

 ミリィは少し気恥ずかしそうに応え、誤魔化す様にティムズに二人が何者なのかを教える。


「あ、初めて会うのかな?この二人はアダーカ隊の船外活動員フロントタスクなの」


「……っ、失礼しました、自分はティムズ=イーストオウルです」

「ファスリア出身、マリウレーダ隊に3か月前に配属されました」


 ティムズは慌ててシチューを呑み込んでがたっ、と立ち上がり、名を名乗った。


 褐色の肌の男が微笑んで応える。

「君の話は聞いているよ。『F/ II龍を蹴っ飛ばした新人』だって」

「いい度胸をしている。マリウレーダ隊ではそんな事まで教えているんだね」


 少し嫌味を含んだ言い回しに、タファールはむっとしたようだった。


 しかし構わずに褐色の男は続ける。

「私はゼェフ=ヒルズリッジ。で、彼女はアルハ=ベルスリンガーだ」


「何度も言わせないでほしい。ぼくの正式な名はアルハルウェトです」

 紺色のショートカットの『女性』が静かに、きっぱりとした口調で口を挟む。

 低い響きも含むが、声は確かに女性らしい高い音域だった。

 ゼェフは可笑しそうに笑って応える。


「アルハの方が可愛い響きだって何度言ったら判ってくれるのかなあ」


「そうそう」

 ミリィもゼェフに同調して頷くが、アルハが横目でじっと睨んできたので、気後れしたように肩を小さくした。


 ティムズは改めてアダーカ隊の二人を見比べる。

 褐色の肌の男、ゼェフはティムズよりずっと背が高く、パシズと同じくらいだったが、その体躯は細く引き締まっていて手も足もすらりと長い。

 ロングコートのポケットに手を突っ込んだ、力を抜いた立ち姿で、どことなく優雅さも感じるような、率直に言って「ハンサム」としか言い様がない男だった。


 一方のアルハは何処からどう見ても女性だったのでティムズはとりあえず一安心していた。率直に言って…可愛い。制服の丈が切り詰められていて、佩楯の様になっているズボンのせいもあり、少年っぽさを感じさせる雰囲気と口調だったが、ティムズは実はこういう子もけっこう好きなのだ。


「そんなこと、ぼくにとっては意味の無い話だ」


 素っ気なく返したアルハの表情に気を取られていたティムズは、背後にゼェフが何時の間にか忍び寄って、身を寄せていた事に気付いていなかった。


「……うん、良い身体をしている。正しい訓練を受けているようだね」


 ふうっ……と耳元に生暖かい吐息を感じ、更にゼェフの手が肩から上腕を撫でるように滑り落ち、ティムズの身体がぞぞぞっと震えた。


「……ッ!?……??、!!」


「君の様な有望な新人が空で活躍できないとは嘆かわしいなあ。マリウレーダが早く復旧すると良いね。君達が早く空に戻って来てくれないと、忙しくてなかなかこの様にゆっくり食事を楽しむ暇もないから」


 ゼェフがにこやかにマリウレーダの3人を見渡す。

 その手はまだティムズの身体……腰に添えられていた。固まったまま身動きが取れないティムズが、目だけでミリィとタファールに助けを求めるが、二人はゼェフの『嫌味』に気を悪くしたように、目を逸らしたまま黙っていた。


「さて、それでは私達も久々にちゃんとした食事をとることにしよう。楊空艇のキッチンでは満足いく食事はできなかったものでね」


 ゼェフがティムズを『解放』して、ミリィとタファールに朗らかに別れを告げる。

 ティムズはへなへなと崩れ落ち、椅子に座って呆然としていた。


「近日中に顔を合わせる事になるだろうから、積る話はその時に」

「ではまた、マリウレーダの諸君」


「おいで、アルハ。今日は美味しいケーキが焼いてあるらしいよ」

 ゼェフがアルハに笑い掛けながら手招きし、アルハはむっとした表情で返す。


「子供みたいに扱わないでください」

 

 そう応えつつも、ゼェフについていくアルハの足取りはどこか軽かった。


 ――――――――――――



「今のっ……今のはっ!今のは一体どういう事なの」


 ゼェフ達が去ったあと、動揺を隠せないティムズが顔を青くし、少し震えながらミリィたちに説明を求める。


 ミリィとタファールは顔を見合わせ、二人で溜息をついた。

「まあ……」「うん……」

「悪気がある訳じゃないと思うんだけど、いつもあんな感じなのよねー……」


 ミリィが食事を再開しながら、達観した様に呟いた。

 タファールはテーブルに肘をついて、ゼェフ達が給仕の女性に注文する様子を見ながら、険悪な口調でぼやく。


「いーや悪意たっぷりだろアレは。悪気がなくてアレだと余計タチが悪いぞ」



「そういう事じゃなくて!あれ…あの、その、身体を……触ってきたのって」

 聞きたい事は山の様にあったが、ティムズの口から出たのは先ずそれだった。


「ん?ああ…なんだっけ、確か、エレなんとかっていう部族の出身で、同性同士の……その…なんつうの?付き合い?も認めるっていう文化があるんだってよ。気に入られたんじゃね?」

「えええ……?」ティムズ君は困惑しました。

「私も最初触られてびっくりしちゃった。文化の違いよねえ」


 ミリィが最期の皿をやっつけて、あっさりと言葉を継いだ。

 ティムズの質問はまだ続く。


「じゃあ、もう一人の子?は?」

「アルハ……ルウェト、って男の名前じゃないっけ」


「詳しくは教えてくれないから、そこは良く判らないけど……」

「折角あんなに可愛いのに、堅い名前で呼ぶのは勿体ないと思うんだけどなあ」


 ミリィも離れたテーブルに着いて食事を始めたアルハとゼェフの姿に目線を投げて呟いた。そして少し寂しそうに呟く。


「……それに同い年だから、友達として仲良くしたいのに」



 ――――――――――――――



 ゼェフとアルハはテーブルを挟んだ対面の席でそれぞれ食事を摂っている。

 マリウレーダ隊が長らく任務に穴を開けていたせいもあり、龍礁本部と北部基地を常に往復する形で飛び回っていた彼等にとって、本部での贅沢な食事は本当に久しぶりのことだった。

 

 二人は暫く無言で食事を進めていたが、やがて先に食べ終えたゼェフがアルハの顔をじっと見つめ、唐突に語り掛ける。


「アルハ、君はもう少し愛想良くしなきゃ駄目だよ」


「………ゼェフ先輩には言われたくないです」


 アルハは手元に目を落とし、芋のソテーを切り分けながら無表情に応える。

 ゼェフは自嘲気味に笑った。


「私は私なりに礼儀を尽くしているつもりなんだけどね」

「でも、君はわざと冷たくしているから」

「……ミリィは同い年なんだし、彼女も仲良くしたがってるじゃあないか」


「……」

 アルハは応えない。何かを考え続けているように、フォークとナイフを動かし続けている。皿の上の芋はもう細切れになっていた。

 ゼェフが目を瞑り、軽いため息交じりに呟く。

 

「全く……そうやって意地を張る所はそっくりなのにな」


「……彼女とぼくとは、価値観が違う」


 手を止めたアルハが、目線を落としたままきっぱりと答える。

 ゼェフは目を開け、ふっと笑う。


「……だからこそ友人になるべきだと思うよ。考えが違うからこそ、お互いに成長できる事もある」

「今は助言のままにしておくけど、次は命令として言っちゃうぞ」


「………」

「……考慮します」


 暫く間を置いて、アルハが静かに応えた。

 取り敢えずその答えで良しとしたゼェフの口調が突然変わり、彼女の方にあったケーキの皿に手を伸ばした。


「ところで、このケーキ、一切れくれない?」

「あっ!だめです!これはだめっ!!やめてください!」


 ゼェフがケーキの皿を引っ張ろうとするので、アルハは慌ててその反対を掴み、阻止しようとした。


「良いだろ。私はまだ全然足りないんだ。君はもう充分だろうそれで。一切れで良いから。ほら」

「だめですって!やだ!ぜんぶ食べるんです!」


「命令だ。ちょうだい?」「だめです!!」


 がたがたっ、と椅子が倒れる勢いで立ち上がって、必死に抵抗するアルハの様子を見て、ゼェフは笑った。


「あははは!冗談だよ、いつも引っ掛かるんだから……くくくく……あはは」

「……っ!」


 顔を真っ赤にしたアルハがゼェフを睨んで、無言の抗議を示した。



 ――――――――――――――――


 ――<龍礁管理局本部北棟1F 資料室 >――――



「んー……F/ I……通常の生物が龍脈の影響を受け、龍化と呼ばれる現象を経て、何らかの特性を得たもの。そしてF/ II…その中でも、龍脈と強く結びつき、龍化が進行したもの……んだよ、ややこしいなこれ」



 エフェルトが資料室の隅に置かれたテーブルで、立ち並ぶ棚の中から幾つか適当に引っ張り出してきた書物を、文句を挟みつつ読んでいた。マルコの要請きょうはくがなければ絶対に出入りしないような場所だっただろう。


「……F/III、それらの中でも、数十、数百年とも言われる時を経た個体が、独特の性質を持って、真の龍と呼ばれるようになったもの……非常に強力な力を持ち、各地の神話や伝説に名を残しているものも居る」


「成る程ねえ。俺らが出くわしたのはこれか」


 エフェルトは三か月前の嵐の夜に襲われた龍の事を思い出す。

 あんな強力な龍がそこら中に居るとは考えられなかった。腑に落ちる事もあったが、また新たな疑問が浮かぶ。


 ――じゃあそもそも龍、ってなんだ?


 何故神話や御伽噺、寓話の中で描かれる龍の姿は、多かれ少なかれ似た様なものになるのか。この記述に則するならば、最初からそういう生物として生まれて来た訳ではなさそうだ。龍脈。……地脈、霊脈と言われるものとはまた別なのだろうか。

 

「……駄目だ、もう頭痛くなってきた……ん?」


 深く考える事が生来苦手なエフェルトは、さっさと諦めてもっと読みやすい物を探そうと手にもった書を閉じようとする。

 しかしその頁に違和感を感じ、不自然な点を見つけた。

 

 且つて紙幣の偽造も経験した事もあるエフェルトには気付く事のできるものだった。頁の表面ではなく、髪の毛程の薄さの側面に『封述』された領域があった。


 興味を掻き立てられ、それを開く。


「……なんだこれ」

「……『F/ IV真龍「ダリアルベーツとアルガンリージ」』」

「『第四龍礁、レベルA』……」

「『長らく神話の中の産物とされてきたが、現存が確認され』……」

「『そして、彼等が存在するということは、F……』」

「…………」



 この日、エフェルト=ハインは、ただの偶然から、余りにもあっさりと、

 ひょんなことで、不意に、出し抜けに、期せずして、呆気なく、ゆくりなく。

 第四龍礁の真実に最も近い者たちの中の一人となったのだった。

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