第四節『空挺飛翔』

第四節1項「拡流」

 祭祀の翌日の夜。マリウレーダ隊はいつもの談話室に集まっていた。

 先日の『狩龍人』侵入の件の報告書の作成や事後処理について、が主な件だったが、他にも様々な案件に関わる話があり、話し合いは普段よりも長引く。


 並んでソファに座っているティムズとミリィは、テーブルの対面のパシズから先日のラテルホーンが使った『オレンジ色の術』の正体について説明を受けていた。


「……つまり、あの男、ラテルホーンが使ったオレンジの術式は」

 ティムズが暗い顔で呟く。


「うむ、通常の術符の媒介となる霊基でも、自身が持つ霊力でもなく、身体そのものを霊基媒体として術式に変換する事で起きる現象だ」

 パシズが語るのも忌まわしい、と言った表情で応える。



「そんな事が出来るなんて…」

 ミリィも同じように嫌悪を露わにし、眉をしかめた。


 パシズの説明は更に続く。


「それは一度展開してしまうと、もう自分では止める事ができなくなる。ロウソクが自分で火を消せないのと同じようにな」

「なので、その術式は禁術として、殆どの国でも調べようとする事すら禁じられている。これ以上は私も良く知らないし、お前達も興味を持つなよ」



「そんな術まで使って…そこまでして、なんで龍を…俺たちを殺そうとしたんでしょうか」

 ティムズはラテルホーンのあの狂気染みた笑いを思い出し、嫌悪に顔を歪める。

 その背後で各地から提供された、ラテルホーンに関する資料を捲り読んでいたタファールが声を上げた。


「モロッゾとかいう奴の言う通り、イグリム自治兵団の『元』支団長で間違いないすね。すげえ戦果ですよ。殺害した人数は述べさんびゃく…三百二十六!?」


「うへーすげえ。世が世なら『英雄』って言われてたかも知れない……いや、そんな事もないか。悪人ですこいつは、うん。只の殺し好きって奴じゃないすかね」



 『英雄』。その言葉を聞いたパシズ達の雰囲気が一気に重くなったのを見て、タファールが自分の発言を取り消す。


 ミリィは俯いて、悔悟と自責の念を呟く。しかしそれは相手の最期の姿を見た時に心に過った事を打ち消す為のものでもあった。

「……それでも、私たちにはあの男を救う義務があった。それなのに……」


「それはどうだか。こいつ、あちこちで療術士を何人かって、指名手配を受けていたみたいだし」

「何をどうしても捕まったらどの道、極刑だったんじゃないか?多分、龍礁うちで捕まってても、龍礁央部放擲刑だろ」


 タファールが資料に目を通しながら応えるが、ティムズとミリィは初耳の単語に引っ掛かる。「おうぶほうてき…?」


 パシズがタファールの言葉を引き継ぐ。

「龍礁で最も重い刑罰だ。殺人や殺龍を繰り返すなど、あまりの凶行に至る者があれば、龍礁総本部リドリアでの裁判を経ずに、楊空艇で龍礁の中心部に連行され、龍たちの棲む地域に放擲…つまり、投げ落とされる」


 ティムズとミリィが、タファールの方を向く。それって…?


「……ん?ああ、は冗談で言ったんじゃないぞ?本当に刑罰として存在してるから提案してやったの」

「過去に一例だけあったらしいけど、実際にこの目で見てみたくてさあ!」


 タファールが面白そうに笑い、ティムズとミリィは呆れる。

 エフェルト達への『処罰』の提案は本気だったようだ。そしてティムズは以前、誰か…に、聞いた話を思い出す。「ドラゴンの巣に放り込まれる」。馬鹿らしい噂だと思っていたが、この刑罰の話が回り巡った物だったのだと理解した。


「あの男は血に飢えていた。その理由は今となっては知る由も無いが、その行いの報いを受けた。それだけだ」


 パシズの呟きを聞いたミリィが一瞬目を伏せたことにティムズは気付く。しかし、ミリィはすぐに次の話題へと移ろうとした。ラテルホーンの末路に思うところもあるが、この件も重要だった。


「……ところで『ロロ・アロロ』の件なんだけど、あれから何か判った事はある?」


(ろろあろろ…?)ティムズが訝しむ。なにソレ?


「いや、特に何事も起きていない。本当にお前が見たのは……いや、お前が見間違うはずもないな。とにかく、今のところ監視網に引っ掛かってはいないようだ」


 パシズが答え、ミリィが安心したようにほっとする。

「そっか」


「ラテルホーンの強力な殺意、に反応して誘き寄せられたのだろう。少数だったから良かったものの、群れが出現していたら大変な事態になっていたな」


 パシズとミリィだけが判っているらしいやりとりに、ティムズが割り込む。

「あの!ロロ・アロロって何です?」


「え?」「うん?」ミリィとパシズがティムズを見る。

 パシズがミリィに説明しろと目で促し、ミリィは頷いた。


「あー、F/ II、群体性蝙蝠蛇龍って言えば判るかな?それの名前」


「ああ……あれなのか」

「……ん?でも確かF/ IIの中でもあまり力は強くない種で、それに固有名が付くのって…」


 ティムズが資料室で読み漁った学術書にあった名前だった。それにF/IIIクラスより上の高位の龍には固有の名前が付けられるという事も判っていたが、F/ IIクラスで名がつけてられているという記述は見たことがなかった。ミリィの解説が続く。


「そうなんだけど、ロロ・アロロは……ちょっと厄介でさ」

「あんまり使いたくない言葉だけど、いわゆる『邪龍』って人が呼ぶものに属する龍で、普通の龍よりはどちらかと言えば魔物に近い性質を持っててね」

「大群で行動して、人も襲うし、他の龍を襲うことすらある。だからこの龍に関してだけは特別に無条件での討伐が許されていて、だからF/ IIクラスでも、名前で呼んでるってわけ」


「へえ……それにしても妙な名前だね」


「鳴き声が特徴的でね。『ロロアロロー』って鳴くからその名前がついたのよ」


「違う違う、もっとこう『Rolo-A-Rolo!』って感じだよ」

 タファールがまだ書類を見ながら口を挟む。巻き舌で、舌を震わせて。


「ええー?そんなんじゃないわよ。『ろろあろろ!』って感じでしょ」

 ミリィも鳴き真似をするが、舌足らずの幼女みたいな発音だった。


「だから『ルォルォアルォルォ!』だって」「ろろあろろ!」と

 タファールとミリィがお互いに真似をし始めたのを見て、パシズが裁定を下す。

 さっさと止めようと思ったらしい。


「発音の模倣はタファールの方が正確だ。特徴を捉えている」真顔のパシズ。


「うっ…」ミリィが言葉を詰まらせる。負けたのがくやしいらしい。


「……とにかく」

 

 脱線した話を元に戻すべく、パシズが咳払いをして続ける。


「通常はロロ・アロロもレベルBに潜む龍だが、それがレベルCに現れた……」

「科莫多龍や緑象龍の件もある。恐らくレベルCとレベルBの境界は大幅に変更される事になるだろう。まあ、そもそもそれも人間われわれが勝手に決めたものだがな」


「私達もまだ今しばらくは、地上でのに任務に集中しなければならない」



 タファールが書類を見続けながらまた口を挟む。

「それもですけど、このラテルホーンっつーのはどうやって外縁結界の探知に引っ掛からずに入って来れたんですかね」

密猟者三人組エフェルトたちの時はちゃんと監視線は機能したのに、今回は素通りされてる。またどっかに穴が出来たって事なのか」


「それは我々では対応できないことだ。結界術士たちに任せるしかないな」


 パシズの答えに、タファールが頭を掻きながら溜息を付く。

「色々問題が山積みでイヤんなりますよ。マリウレーダが早く直ってくれないと」


 そして談話室の床に何やら図面を広げてうんうんと唸っているレッタの方を見た。


 ―――――――――――――


 それまでの一同の会話に参加してなかったレッタが、談話室の片隅で座り込んで、マリウレーダの素体基部に関する術式を記した図面を見てずっと考え込んでいた。


 ぼさぼさの赤茶髪を時折掻きむしり、いつも以上にぼさぼさの頭になっている。

 そして図面を睨む目に浮かぶ隈も更に酷さを増している。



「……レッタ。進捗はどうだ?」


「あ”あ”!?」


 パシズが少し気が引けた様にレッタに声を掛けると、思索を邪魔されたレッタがぐるり、と振り向き、威嚇するように牙を剥く。難問にぶつかって思考の闇に飲まれると彼女レッタはこうなってしまうのだ。しかしすぐに声の主がパシズだという事に気付き、気恥ずかしそうに眼鏡を指で上げて誤魔化す。


「あっ、はい、ええと……あともう少しなんですけどね」

「あと一つのコードさえ判明すれば後は一気に進められるはずです」



「そこまで来たのならもう適当に色んな式ぶちこんで試してみればいいんじゃね?」

 振り返ったタファールがソファの上に組んだ腕に頭を乗せながらやる気なく言う。


 レッタは溜息をついてタファールに応える。

「馬鹿言わないでよ。そんな事したらロックが掛かって二度と立ち上がらなくなるっての」


「具体的にどういうものか、っていうのは仮定できてるんです?」


 ティムズも興味を持ち、話に参加しようと尋ねてみた。

 レッタは振り返って、また説明を返そうと口を開きかけたが、思い留まった様にぴたりと動きを止め、手元のメモを広げて、右手の指先に術式光を灯した。


「……論より証拠、ね。まあこれを見てご覧」


 そう言うとレッタはメモに指を走らせる。ジッ…と音がして、指先に灯った光が一気に広がり、床一面に霊葉で構成された式や図形が光を放ち、表示された。更にレッタがパチン!とその指を鳴らすと、それが『立ち上がり』、空中に立体的な図形を描き始めて、部屋中を埋め尽くした。


 驚いたティムズがソファから転げ落ち、床に尻もちをつく。「ふぁっ!?」

 浮かんで光を放つ式の中で、腰に手を当てて見回したレッタが苦笑する。


「この中の何処かに、何かを入れなきゃいけません。それは何処で、何かとは何の事でしょうか?」


「いや…判る訳ないって」立ち上がるティムズ。

「私もさっぱりだ」首を振るパシズ。

「これは流石に俺もムリ」にやつくタファール。

「でもこれ、綺麗で私は好き」嬉しそうに光を見回すミリィ。


 再びレッタが指を鳴らすと、空中の式の光が全て収束して消えた。

 強い光源を失い、普段の明るさでも談話室は暗く見える。レッタは目を慣らそうと目を細めた。


「今のがマリウレーダの素体基部を構成するコードの『影』。ここから起動に必要な『鍵』を見つけたいんだけど、それはつまり、こないだも言った『ドーナツの影の穴』」

「味までは判らなくても良いから、せめて形と色だけでも判ればいいんだけどね」


「影だから判らないんじゃないですか、なんか鏡みたいので映しちゃえば」


 ティムズは深く考えずに、思いついた事をそのまま口にした。

 レッタはそんな事できる訳ない、と笑い、床に広げた図面に再び目を通そうと、答えながら屈み込もうとする。



「何言ってんの、そんな次元を超えたものを映せる物質なんてないし、あったとしても一瞬しか映らない。それを何処から見れば良いのかもわから……」

 レッタの動きがぴたっと止まった。そしてぶつぶつ呪詛の様に呟き始める。


「……鏡。そうか、鏡。鏡自体が映ったものを覚えていられるとしたら?」

「生きてる鏡が反射したものの姿を記憶できたとしたら!」

「ああでも一つだと穴までは捉えられないから複数の座標から同時に素体基部のコードを観測して誤差を取り除いた上で穴と形を特定してそれから周囲の術式との整合性がある霊葉を算出して導き出してそして」


 レッタの口調が加速し、考える仕草をしながらその場で大きく行ったり来たりを繰り返す。その行ったり来たりするレッタを他の一同は目で追い、同じ様に顔が左右に揺れていた。


「ああ!いけるかも、いやいける!生体を観測点として利用すればいい!」


 大声を上げて、丁度ティムズの前で立ち止まったレッタが、その両肩をがっしと掴み、ティムズを激しく揺さぶる。「あのあのちょっとちょっと一体何がが」


「よくやったティムズ!偉い!ナイス!良いヒントだ!これで行けそう!」


 そう叫んでレッタは突然ティムズをぎゅうっと抱きしめた。

 ティムズは身を強張らせて顔がぼっと赤くなる。お互いに生地の丈夫な制服を着ており、ティムズと同じくらいの身長で、女性としてはしっかりとした体躯のレッタだったが、密着すると充分に、その、やわらかさ、がティムズの胸に伝わってきた。


 それに良い匂いがした。基本的に鉄と油と錆の匂いなのだが、その中にも年上のお姉さんの香りもする。なんか色々ごっちゃになったティムズは、なんかそう思った。


 一瞬の間に色んな事を考えたティムズだったが、レッタは次の瞬間には、ぱっと身体を離し、身を翻して談話室を飛び出していっていた。


 多少どきどきしながら呆然と、開け放たれたまま揺れているドアを見つめているティムズの背後で、同じくレッタの後ろ姿を見送っていたクルー達が呟く。


「あれは」パシズ。

「たぶん……」ミリィ。


「またなんか無茶な事を始めるつもりだな」

 タファールが面白い事になってきた、と口角を緩めた。



 ―――――――――――――――――――――――――



 レッタが部屋を飛び出して行った後も、様々な雑事についての話し合いは続いていた。残された4人はテーブルに龍礁の地図を広げて覗き込み、その各所に術式光を灯して地理と状況の符合を照らし合わせている。


「F/III渦翼龍『エクリヴーズ』の出現、飛翔ルートはこれ」

「エフェルト以下3名の侵入、会敵、逃走ルートはこうすね」

「F/ II科莫多龍との遭遇地点はここで、交戦したのはここ」

「F/ II緑象龍の幼体はこの畑で見ました」

「ラテルホーンはここへ北西から徒歩で移動してきていた」

「そして緑象龍と交戦した地点はここ」

「ロロ・アロロの屍体はこことここで発見したわ」


 地図上で交錯する光の線と、事件が起きた地点に浮かぶ光点を見比べながら、タファールが真面目な顔で呟く。

「やっぱりこれは、またレベルBが拡大している、って事すかね」


 パシズが目を瞑り、頭を振る。

「信じたくはないが、あらゆる状況証拠がそれを示している。その可能性は高い」

「決定するのは上層部だが、恐らく近日中に公表されるだろう」


「………」

 暫く考え込んでいたパシズが、やがて目を開けた。

「ミリィ、ティムズ」


「はい」「ええ」


「……本来ならもっと時間を使ってやるべき事なのだが、状況は既に変動している」

「そして、またあの男の様な対人戦闘術を有する者が現れないとも限らない」


「訓練レベルを三つ引き上げよう。ミリィもまだ訓練の途中のものだ」

「対人、及び対F/ II以上の龍種の制圧戦術の演習を始める。早めの方が良い」


 ティムズはミリィの横顔を見る。

 青褪めてはいるが、どこか決然とした表情だった。

 ティムズ自身はまだ困惑していた。しかし、ラテルホーンの事を考えると、今の自分のままでは、まだまだ力も経験も足りないと実感する。


 パシズの言う通りだ。


 状況は常に変わっていく。

 ティムズも自分を更に変えていかなければ、と思ったのだった。



 ―――――――――――――――――――――――――



 —―パシズの予測は概ね正しかった。

 ただ、一つだけは間違ってもいた。


 近日中ではなく、その日の夜の内に、第四龍礁管理局から龍礁全域での警戒レベルの引き上げが行われ、レベルCとレベルBの領域変動が発表された。


 そして、拡大したレベルBの領域には、龍礁本部施設も含まれていた。

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