第三節6項「龍礁法―密漁禁則」
「―—般にレベルCには多くのF/ I……通常の生物が【龍化】したものが……」
「レベルBから中心部に掛けて、火山性地震による断層破壊で地形が大幅に……」
ティムズが第四龍礁にやってきてから三ヶ月が経ったある日の夜。
龍礁にもクルー達にもすっかり慣れてきたティムズが、『定例会合』が始まる前に『勉強』をしておこうと、資料室から持ち出してきた書物を『読』んでいる。
談話室の暖炉の前でティムズが行ったり来たり歩きながら革表紙の茶色い書物をめくりめくり読んでいて、そしてその後ろから、ミリィが行ったり来たりついて行きながら彼に何やら喚いていた。
「無視したって駄目よ!聞いてるんでしょう!ねえ!こら!イーストオウル!」
ティムズが書をぱたんと閉じて、もういい加減にしてくれといった感じで溜息を吐いて、機嫌悪く睨んでいるミリィに振り返る。
「だから何だよ!こっちは真面目に勉強してるんだから、邪魔しないでほしいんだけど!」
「その口のきき方の事を言ってるの!敬語で話せって何度言えばわかんの!」
「まだ言ってんのかしっつこいなあ!ていうかさあ、きみがそれを言うのはおかしくない?」
「だからそれは私を先輩とし――」と口を開きかけたミリィを遮るように、パシズの「ん。」というわざとらしい咳払いが聞こえ、ミリィが一瞬固まって、そしてクルー達が座っている方を振り返った。
レッタは足を組みながらまたメモに目を落としていたし、タファールはソファに寝そべり、テーブルに足を投げ出して、目を瞑っていた。そしてミリィを遮った当のパシズも座りながら書類に目を通している。もうすっかり見慣れた『いつもの光景』であり、誰もこちらを向いていないが、その全員が「ティムズの言う通りだよね」みたいな顔をしていることにミリィが気付いて顔を真っ赤にした。
「……もうっ!いいもん!じゃあもうそれでいいですー、もう言わないっ!」
そう言ってぷりぷりと怒り、すたすたと暖炉の前の小椅子に向かい、どかっと座ったミリィが低く小声で「……(イーストオウル…覚えてなさい……)」と呟いたので、ティムズは「ああ次の訓練(鬼ごっこ)は更に厳しくなるな」と覚悟を決めた。
――――――――――――――
ピアスンが到着し、皆が起立で迎えて、そして座る。続いて各自の近況報告を……というのが、いつもの流れなのだが、今日は違った。
入室してきたピアスンは、ティムズが初見の人物を伴ってきていた。ティムズは歩いてくる人物の容姿に目を留める。
……ティムズの視界が、スローモーションになった。
顔に血が昇り、熱くなった。ティムズ自身は気付いていなかったが、彼の頬がほんのりと紅く染まる。ティムズが考えうる限りの、理想の女性…おねえさん、が物憂げな表情で、ゆっくりとこちらに向かって来ていた。
まっすぐ伸びた紫のストレート・ロングヘアが一歩ごとに儚げに揺れている。
背はティムズと全く同じか少し低いくらい。線の全てが完璧なラインを描く端正な顔立ち…整った細い眉、切れ長の
龍礁職員の制服ではなく、黒と青のゆったりとしたローブの様な上下衣を着用している。これもまた一歩を踏むごとに優雅に揺れ、しとやかさを際立たせていた。
ティムズに理想の女のひとを描け、と言ったら、絵柄のクオリティはともかく、この人物を描こうとするだろう。
そんなひとに、こんな場所で出逢えるなんて…ティムズは運命的なものを感じずにはいられなかった。
その人物の喉から、細く、高いけれどもしっかりとした芯のある男性の声が響くまでは。
「……久しぶりだな、諸君」
ガン!!と音が響き、クルー達はぎょっとして、音源のティムズの方を見る。
ティムズはテーブルに思いきり頭をぶつけていた。ずっこけた訳ではなく、今自分の頭に浮かんでいたものを文字通り打ち消そうとしたからだ。
頬の代わりに額を赤くしたティムズが皆に謝る。
「すいませんなんでもありません」
「……お前、頭大丈夫か?」
タファールが、頭を痛めたのではと心配するフリをして、ティムズの正気を疑った。
――――――――――――
その人物が、いつもはピアスンが座る暖炉前の青いソファに腰かけて、その隣に座ったピアスンと何か言葉を交わしている。
気を取り直して、ずきずきする額を抑えながら、ティムズは改めてその男性、を見る。痛みのおかげで今度は冷静かつ客観的に見ることが出来た。うん、間違いなく男性だ。
気になったのは年齢だった。ティムズよりは少し年上なようだが、それが不思議だ。「あんた、いくつ?」と面と向かって聞いてしまわないように、あらかじめ隣のタファールに囁き尋ねてみる。すると「23だよ」と即答が帰って来たのでティムズはまた困惑する。その年齢で「上級管理官」でピアスンの直属の『上司』?
その理由はその後のやりとりですぐに判った。
初対面のティムズに「イーストオウル、君もファスリアなのだな。宜しく頼む」とあっさりした挨拶を投げると、すぐにクルー達それぞれに言葉をかけ始めた。
「先ず……バルア氏、先日のF/II科莫多龍の討伐は見事だった。良質な皮を得られたので、すぐに買い手がついたようだ」
「私は褒めて貰う立場にありません。部下二名の働きによるものです」
軽く会釈をするパシズ。
「バレナリー女史、君のレポートを読んだ。転写術式の再現性に言及していたが…立体霊葉の併用はどうだろうか、推進機関の制御に扱われている式の影から幾らかの数値を算出できるのでは、と私も考えてみたのだが…」
「えっ、あっ、ああ……確かにそうかも。やってみる」
立ったまま手元のメモに付記し始めるレッタ。慌てて顔を下げたので眼鏡がずれたのにも気づいていないようだ。
「……ネルハッド……君の書類には不備が多すぎる。多すぎて私の仕事を増やしている。善処してくれ」
「あーはいはい。すいません次からはしっかりと」
「……(わざとだよ。あいつの仕事を増やして差し上げたてくてな)」
タファールがティムズに小声で囁いた。
「シュハル、負傷したと聞いていたが、今の君を見る限りは傷は浅かった様で何より。しかし単独行動は極力避けろと言ってあるはずだ。注意したまえ」
「はい、すいません……」
ミリィが敬語で謝る。敬っている風ではなかった。彼女は彼が苦手らしい。
ティムズは彼とクルーが交わすやりとりに目を見張っていた。多少高慢さを感じるところもあるが、一同の役割と個性と任務の内容を、確かに上司、としてしっかりと把握しているようで、特にレッタに楊空艇に関する話題を振って、彼女をはっとさせるとは相当のものだと思えた。
この男性は、ジャフレアム=イアレースと云う。
ティムズと同じくファスリア皇都の出身で、齢二十三にして魔資菅(魔導資源管理局)の重要なポストに就いた才人であり、将来更に『上』へと行くために、この龍礁での管理職を経験せよと送られてきた人物、という話を、クルー達の報告の間にタファールが小声でしてくれた。勿論パシズの長い報告の間にだ。
「こいつの親父さんは魔資菅とやらのお偉いさんだぞお、今仲良くしておいたら将来コネで美味しい思いができるんじゃね?」とタファールがティムズに耳打ちするが、明らかにジャフレアムにも聞かせようとする音量だった。それを聞き咎めたジャフレアムがタファールの方を見もせずに、静かに言う。
「それは概ね事実でも、父がどんな立場にあろうが私には関係ない。君達にもな」
―――――――――――
その後はピアスンとジャフレアムの会話が暫く続き、クルー達はそれを聞いているだけの時間が続いていた。
「
ピアスンが丁寧に尋ねる。遥かに年下とは言え、上司が相手ならば当然の事、と彼は考えているからだ。
「デトラニアが動いて以来、まずい状況が続いている。特に法執行関係が機能不全を起こしている。通商輸送部門はまだ生きているが、それもいつまでもつか怪しい」
「各龍礁の状況も不明だ……。第三龍礁でまた何かトラブルが起きたとは聞いたが、他所を気にしているどころではないな。我々は我々でするべきことが山の様にある」
ジャフレアムが額に指を当て、頭痛を抑える仕草をして溜息をついた。
彼は龍礁条約調印の地、カレッドレイト山脈中央部の国リドリア公国に在る龍礁管理局総本部――大陸各地に在る各龍礁の情報の統括と、そこで得られた龍族素材の各国への配分、販売、輸送などを一手に引き受ける国際機関――へと暫く赴いていたらしい。そこでの激務と、2週間に渡る長旅の疲れ、そしてこちらに戻ってきてからも激務。激務。激務。頭が痛いことばかりだった。
ピアスンがそれを何とか和らげてみようとするが、彼を安心させる材料を彼も持ち得ていなかった。
「一時的なものであれば良いのですが」
「そうであってほしいが、楽観的材料はないな。ともかく通常の活動を続け、現状維持に努めるしかないだろう」「…ええ」
少し口調を柔らかくして、今度はジャフレムから語り掛ける。
「君はどうしていた、ピアスン船長。ここまで長い期間『船』に乗らずにいるのは初めてでの経験ではないか?」
「南部の港湾施設で輸送船の運用指導に当たっていたので、そこはまあ」
ピアスンが苦笑する。
「なるほど、
ジャフレムが微かに笑った。羨ましそうに。
―――――――――――
クルー達全員と会話し、現状を把握できたと思ったらしいジャフレムが、今日何故自身がここにやってきたか、という目的の本題をクルー達に告げる。
「さて、今日は君達に伝えなければならない事があって来た。先日君達が逮捕し、法務部で拘禁中の密漁者たち…密漁未遂、を企図した罪人の処遇についてだ」
クルー達が顔を見合わせた。ピンと来ていない様子だった。もう大分前の話を今更?
「本来ならば捕縛後、拘禁3か月以内に
「そんな…そうなんですか?そんな法があるなんて聞いたことがないです」
ミリィが戸惑っている。その理由をジャフレムが答える。
「そうだな、君がここに来てからは適用された事例はない」
「話を続ける。リドリアの法務機構が機能せぬまま拘禁期限を過ぎると、各龍礁の管理局に権限が移行して独自に処遇を決める事ができる。しかし同時に、それすらも叶わなかった場合は、彼等を捕縛した君達マリウレーダ隊にその権限が帰属する」
この言葉にクルー達はどよめく。流石に龍礁法などという堅苦しいものを全て熟知している者は居ないかと思われたが、ただ一名は違った。
「龍礁法密漁禁則条項34-2『とっ捕まえた連中をリドリアが捌ききれなかったら、現場でどうするか決めてちょうだい。とっ捕まえた人が決めてもいーよ!』ってヤツっすね」
タファールが声を上げる。相変わらず気怠そうにソファにだらりと座っていて、口調もふざけたものだったが、ジャフレアムがそれに頷く。
「……そういうことだ」
「何もせずにお咎めなし、無罪放免という訳にはいかない。君達もそれは看過し難いことだろう。だからこれからする話はきちんと君達の理解を得た上で進めたい」
「対象者氏名、モロッゾ=ブリアネンス、アカム=タム…そして、エフェルト=ハイン……」
「この三名に対し、刑罰として、龍礁の臨時職員として強制的に雇用…徴用を科してはどうかと、私は考えている」
「……」
「……は?」
数舜の間が開く。
クルー全員が困惑した表情を浮かべていた。タファールも片眉を上げて、ジャフレアムの意図を探っている様子だ。
「み……」「あ……」「わ……」
「認められん!馬鹿な、彼等は…罪人だぞ!密漁を企てた!」
「あのバカ達のせいでマリウレーダは壊れちゃったんですよ!?」
「私たち死ぬところだったんです!パシズは怪我しちゃったし!」
ピアスンとレッタとミリィが同時に立ち上がり、口々に叫ぶ。
ティムズはピアスンがこうして声を荒げる姿を初めて目にした。こめかみに青筋が浮かび、今にも拳を振り上げんとする気迫を感じて、身体が勝手に彼から離れようとする程の迫力があった。…パシズ並に。
それでもジャフレアムは冷静に、その理由を語り続ける。
「そうだ、君達に多大な災難を招いた者達だ」
「しかし実際には彼等は龍1匹傷つけられもせず、罪としては軽微な扱いに留まる。動機は金欲しさ。それはマフィアに命を狙われているから、と聞いている。彼等の身の安全の為にもここに留めた方が良いかも知れない。そして何より現在の龍礁は深刻な人手不足。色々と鑑みて出した結論だ。しかし君達の心情も理解している。だから君達にもこれを承諾してもらいたく、直接通達にきたのだ」
「……ぐっ……」
ピアスンが歯噛みしてジャフレアムを睨む。
他のクルーも多少の違いはあれど、同じ心境でジャフレアムを見ていた。
しかし、ジャフレアムが次の言葉を放つと、その表情に再び困惑が浮かぶ。
「その代わり、と言ってはなんだが、君達にも彼等へ科す独自の処罰を決めて貰おうとも考えている」
「……?」
「……??」
クルー達はジャフレアムの言っている意味を捉えらず、暫くの沈黙が談話室を満たした。しかしやがて彼の言っていることの意味を把握したタファールが笑い出す。
「……はッ、はははは!」
「つまりこういう事か。『龍礁としての処罰は下す。しかしその処罰の内容に現場でも罰を与えることを含めてしまう』か!そうか、そうだよ、どっちか片方だけしかやっちゃ駄目、なんて書いてねーんだ!あははは、はははは!」
当惑し続けるクルー達を尻目に、タファールが爆笑し続け、ジャフレアムは真顔で更に言葉を継ぐ。
「それで君達の気が済むのなら、だが」
「なんなら君達全員で袋叩きにする程度のことまでは認めるつもりでいる」
冗談なのか本気なのか判らないジャフレムの言葉に、ミリィがぷっと噴き出して笑い出す。「私は、それでいいかも…!」と。レッタも同様にやれやれ、と笑い「マリウレーダの修理を手伝って貰うのが筋だった思うけど、もうそれは殆ど終わっちゃったしな」と残念そうに呟いた。
パシズは少しむっとしていた。法律とはそんな風に扱っていいものではないと。しかし一方で、ピアスンは先程までの怒りは何処かに行き、目の前の不敵な若者にも確かに在る才覚を感じ、面白い考えを持つ男だな、と感じていた。
ピアスンが傍らのパシズを振り返る。パシズは目と口をぎゅっと閉じ、考え込んでいるようだったが、目を開けてピアスンが自分を見ていることに気付くと、小さく頷いた。船長の決定なら異議を立てるつもりもない。ピアスンがジャフレアムに向き直り、納得した様に頷く。
「判りました。だが、内容まではこの場ですぐには決められない。隊内で話し合い、クルー達が皆納得できる…罰、を決める時間は頂けますか」
「勿論だ」
このやりとりを聞いたクルー達は、わっとテーブルに顔を寄せ合い、どんな目に遭わせてやろうか、という冗談交じりの談義で盛り上がり始めた。
その様子を見ながら、ピアスンは『まるで子供だ』と少し肩を竦めてみるが、ジャフレアムの言葉を聞き、彼も結局似たようなものか、と笑ってしまった。
「私の専門は法律だ。法というものは厄介だし、そこが面白いものでね。記されてないものは存在しないのと同義なんだ。勿論恣意的に悪用するのは倫理に悖るし、いずれは私自身が明文化して禁じるつもりだけど、今回だけは……大目に見てもらおう」
法術士。通常使われる名称の意味合いとは異なる『法を司り、操る者』。
その意を込めての法術士、と呼ばれる、ジャフレアム=イアレースも含めた
『マリウレーダの馬鹿ども』が、ある意味で、全員揃った最初の夜だった。
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