第三節5項「まよいごたち」

 二人残されたティムズとミリィが、背後で半分眠った様に目を閉じ、頭をゆらゆらと揺らしている緑象龍を振り返る。ミリィは再び緑象龍に近づいて、首筋をかるくこそばせてみると「ぐるるる」と低い唸り声を上げて、緑象龍がその丸い瞳を開き、ミリィの方を見つめた。ミリィは優しく微笑んで、龍に言葉を掛ける。


「さ、早くおうちに帰ろう」


「親が……」

「親が居るなら、こいつを探してここまで出てきてしまうかも知れないしね」


 ティムズも同時に同じ事を考えていた様で、ミリィが発言しようとしたまさにそのものの言葉を継ぐ。


「……判ってきたじゃない」


 ミリィがティムズの方を振り返り、龍に対するものとは全く違う、にやり顔をした。


 ――――――――――――――――――――――


「……では、イーストオウルくん。君の初仕事だ。頑張ってくれたまえ」

「出来るかな……」


 ミリィが龍の前に立つティムズの後ろで腕を組み、応援(?)の言葉を掛ける。

 F/ II緑象龍、を本来のコロニー、レベルB近辺まで誘導するのを、ティムズに任せる事にしたのだった。


「……」


 目を瞑り、集中したティムズの掌に光が灯る。前回ミリィがF/II龍を引き付けた際に使用した法術と同じものだ。ティムズには詳しいことまでは判らなかったが、龍族が興味を示す波長の光源を展開する術で、龍の意識を引き付けられるものらしい。この2週間の訓練の中でティムズも習得して扱えるようになっていたのだった。そしてこれを発展応用させたものが攪乱術符、と呼ばれるもので、楊空艇の回避装置としても使われているとも教わっている。


 龍の目の前で、ミリィがやったように左右に振る。龍の頭が左右に振れ、光をじっと見つめ始めた。ミリィが少し笑い、両手の人差し指で「あっち」と指す。

 ティムズが誘導光術を開いたまま、そちらに歩き出すと、龍は彼にゆっくりと着いてきた。ティムズの法術が効果を発揮しているのか、それともこの龍が素直すぎるのか、そこは判断できなかったが。


 歩き出したティムズと、それに従ってゆっくりと歩を進める龍を見て、ミリィが今度は本当にちゃんと応援する。


「いけてるいけてるっ、そのままゆっくりね!」


 ――――――


 農耕地を抜け、林道をのんびりと進むティムズ、龍、ミリィの二人と一頭。

 遭遇までの緊張感は露ほども残っていない。まだ陽も高く、頭上の梢から木漏れ日が差し込み、二人と一頭を柔らかな日差しが撫でている。周囲からは時折鳥が鳴く声が響き、夏の兆しを孕む、暖かい向かい風が吹いてくる。まるで散歩かピクニックと言った風情だった。


 ティムズは、踏まれた足がまだ少し痛むらしく足をひょこひょこさせてついてくるミリィを振り返り、あとどれくらい進めばいいのか、を尋ねる。質問通りの意味もあったし、ミリィの怪我を心配していた。


「うーん」


 ミリィが周辺を見渡し、少し思案してから緑象龍の後右脚に左手を添えて、龍に尋ねる様に答えた。


「レベルBまではあともう少し距離があるけど…あとは自分で帰れるよね?」


 ティムズも辺りを見渡すが、切れ切れと続く林道と辺り一面の雑木林の中に、特定の地点だと判る標は何もない。よくもまあ現在位置が特定できるものだと改めて舌を巻くしかなかった。そして当然の様に緑象龍は何も応えず、そのままの歩調でゆっくりと進んでいくだけだった。


 それでも何かを感じ取ったように、ミリィはティムズに頷き、ティムズは光術を閉じて立ち止まる。龍はそのまま木々の間を歩き続け、そのどっしりとした身体で立木をかき分けながら、奥地へと歩き去って行った。


「じゃあね、食いしんぼさん!もう迷子になっちゃだめよお」


 ミリィが、木々の間にその姿を消す直前の龍の背に声をかけるが、龍は反応しない…かに見えたが、それに応えるように尻尾を振った…と、ティムズには思えた。


 がさがさと緑象龍が進む音が遠ざかり、やがて消える。


「……」


 よし、と満足気に鼻息も強く、ミリィが意気揚々と、この行程の終わりを告げる。

 彼女の言葉に、ティムズは先程から抱いていた感想を我慢できずに漏らしてしまう。


「……任務完了!さー帰ろう、私もお腹空いちゃった」


「……(どっちが食いしん坊なんだか)」


 じとっとした目付きでミリィが振り向く。


「何か言いまして?」

「いいえ何も?」


 ティムズは見事に胡麻化したつもりだったが、「しらんぷり」の顔と仕草をしているのはバレバレだった。そっぽを向いて目線は斜め上、という表情だ。


「……ま、いいけど。ほら帰ろう、あんまり遅くなると私たちも迷子になったと思われちゃう」


 そう言って、ミリィはひょこひょこと右足をかばいながら歩き出した。その姿に、ティムズはまた『あの時』と同じ様に肩を貸そうと申し出ようとしたが、止めた。


 ――彼女はきっと、俺の申し出なんて受けないだろうと思ったから。


 ――――――――――――――


 龍礁管理局本部施設へ戻る間、二人は先程の緑象龍りょくぞうりゅうについて会話を交わしていた。半分は『アレ超可愛かったねー』みたいなー、話題だったが、もう半分は真面目な生態についての話だった。そして、パシズの龍の対処の件になるとティムズは怒り半分呆れ半分で語気を強める。


「…それにしてもパシズにはびっくりだよ。規定だなんだって…あんな龍まで傷つけようとするなんてさ、どうやったらあそこまで硬い性格になれるんだか」


「……」


 それまでは笑顔で会話を交わしていたミリィの表情が翳り、ふと立ち止まる。

 ティムズはそれを振り返り、不思議そうな顔をして尋ねた。


「……何?」


 ミリィがあまり言いたくなさそうに、小さく呟いて、目を伏せる。


「それは…ね」


 ――ティムズにこの話をすべきがどうか、ミリィは迷っていた。

 しかし、パシズがどういう人間かは、ティムズも、もう充分知っていると思った。だから話したい。自分と同じ事を思ってくれるはずだ。そう信じたい、と想う。


 真剣に耳を傾けているティムズに対して、ミリィは一息を吸うと、俯いたまま話し始めた。


「……」

「……以前、嫌な噂を聞いたの」

「パシズには昔、奥さんが居て…その奥さんを、龍に殺されてしまった。だからその仇を取るためにレンジャーで居続けてるんだ、って」


「………本当に?」


 ゴーグルを外し、眉を顰めてミリィを見るティムズ。にわかには信じ難い…というよりも、それを彼女が…そんな馬鹿げた話を。


「その奥さんは龍礁で出逢ったひと、だったんだって。詳しいことまでは判らない。でも奥さんが亡くなってから、それから…奥さんを殺した龍をずっと探しているけど、見付けられない…だからその代わりに、殺してもいい龍を探して、そして…殺してるんだ、っていう…噂」


「…そんな馬鹿げた話、信じてるのか!!」


 ミリィの語りが終わるや否や、ティムズが声を荒げて否定する。

 確かにパシズの龍に対する姿勢は、強硬的かもしれない。しかしそれはあくまで、人の暮らしを脅かす可能性があるものだけに対してだけ…だと信じている。そして、パシズは、ティムズがこれまでに出会った人物たちの中でも、最も強く、優しいと思える人の内の一人だと思っていた。そう信じさせてくれるだけの人物のはずだ。


 そしてそれはミリィにとっても同じだった。単身龍礁に飛び込み、出会った日から——出会った瞬間は泣きそうになったけど——ミリィにとって、父親の代わりに色々な事を教えてくれた、正に師父と呼べる存在だった。


 ティムズの答えが自分と同じだという事を知ったミリィが、ふっと笑いを漏らす。

 ティムズもミリィが、その噂を信じている訳ではないと悟るが、彼女に問いたい事もあった。


「そんなの信じる訳ないじゃない。きみの言う通り、馬鹿げてるもん」


「…その話、直接パシズから聞いた事はあるのか」


「…………」

「……昔、奥さんが亡くなった、という事だけは聞いてる。でもそこから先は…聞いてない。だって信じてるから…疑うことすらしたくない、考えたくもない」


「だから聞けない。聞かない。それがもし本当だとしても、私には…何もできない」

「本当だとしたら…、もし、本当だったら…?もし、パシズが、そんな……っ」


 ミリィの声が震え始め、彼女にとって一番恐ろしい可能性、が頭を侵していく。

 パシズに対する自分の信頼が揺らぐことこそが、一番怖かったし、今まさにそれを思っている事に慄いているようだった。しかしすぐに呼吸を落ち着かせ、最後は淡々と語り終えた。


「……私、多分、どうしたら良いのか判らなくなってしまうの。きっとパシズを嫌いになっちゃう。それが怖いから、聞けないだけなのかもしれない」


「………」


 ティムズはどう答えていいか判らないまま、彼女が振り返り「帰ろう」と呟く背姿を見つめるしかなかった。ミリィの話した「噂」は、あの時F/II龍の頭に対龍槍を突き立てたパシズの姿に合致する。そして今先刻も、緑象龍を見逃した訳ではなく、ミリィに対してその責任を課したあの顔が浮かぶ。


 ティムズは本部施設への帰途の中でずっと、ある事を考えていたが、それをやるべきかどうか、を迷っていた。しかし、目の前のミリィの小さな、普段よりずっと頼りなさげに見えた背中に、それをするのは自分の役目だ、と決める。

 

 そして想う。パシズは確かに厳しく、恐れるに値する上司だ。でも…それ以前に、同僚で、仲間であると。だから、聞いておくべきなのだと。


 ―――――――――――――――――


 夜。


 久しぶりの雨が龍礁地方に降った。

 自室に戻る廊下を、パシズは書類を捲り読みながら歩いていた。

 幹部級の会議に出席したパシズは、各部署から上がる直近の報告に頭を痛めていた。

 件のF/III龍出現の日から、何かがおかしい。しかし何がおかしいのか判らない。


 ……しかし、あらゆる事が変わっていく。変わり始めていく。

 その事だけが漠然とした焦りとして現れている。でも一体何が?

 自分は柔軟に考える事は苦手だ、という事は自覚していた。

 だからこそ、言い回しは硬くなるし、勿体ぶった話になる。


 ――元々はそういう性質たちではなかった。俺は、あの日から変わったんだ。

 そして、俺は何よりも、誰よりも。自分を許せないままなんだ。


「……?」


 パシズが書類から目を上げると、自室に続く廊下で、ティムズが壁に寄りかかって立っていた事に気付く。すぐに、自分を待っていたのだな、と直感した。そしてその要件も大体察しがついていた。


「……ティムズ、どうした?」

「……遅かったですね」


 ティムズが溜息を付き、そしてパシズの『予測外』の言を放った。


「………」

「ほら、パシズのおじちゃんが来たよー」


「!?」


「おそいよー!さがしたのー!」


 ティムズの足元の影から、パシズ風に言うと

『龍礁の中で婚姻関係を結んでいる男女の間で設けられた幼児期の女性』、つまり5歳くらいの幼女が、待ちくたびれて眠気にまどろんでいたらしく、目を擦りながらよろよろと立ち上がった。綺麗な青色の髪が背中まで流れている。

 この年代の女子らしい可愛らしいピンクのワンピースを着ており、その柄は、今日の昼間ティムズ達が出会った緑象龍、がたっくさん居る、ような柄だった。何かを食べてたり、眠ったり、立ち上がったり、踊ったり……。


「な……ど、どうした?」


 パシズが、ててて、とパシズの足元に駆け寄ってくる少女と、ティムズを見比べながら愕然とする。幼女が駆け寄ってきた際、パシズは思わず怯んで一歩を下げた。ティムズは幼女と、愕然とするパシズの顔を見比べて、半笑いで事のあらましを語った。油断すると爆笑してしまいそうだった。


「いや、俺もあなたに『用事』があって、ここで待ってたんですけど…いきなりこの娘がやってきて、何だろうって思って聞いてみたら……」

「あなたを探してる、って言い出すんですよ。そして迷ったって。その娘の用件は…それです」ティムズが目でそれ、を差す。


 パシズが幼女を見降ろすと、彼女は小さな両手で大事そうに絵本を抱えていた。

 パシズがそれに気づいた、と察した幼女が、怒ったように絵本を掲げ、声を上げる。


「このご本、よんでくれるっていった!でもいなくなっちゃった!」

「あ…ああ…うむ、すまない、骨折の治療が終わり、退院したから…だ」


 ティムズは笑いを堪え切れないように肩を震わせていた。

 パシズが入院中に子守…を仰せつかった時、絵本を読んであげていた子供が、またそれをねだりに来た、という事らしい。それが偶然にも、『噂についての質問』をするためにパシズを待っていたティムズの元に迷い込んできたのだ。


「やくそくしたよね?ねー、ぱしずー、よんでー!」

「……すまない、今は読み聞かせている時間が無いんだ。多忙で……」


 無垢なお願い、を断る為には、それ相応の理由を理解してもらい、納得させなければならない、というパシズの倫理が発揮される瞬間だ。

 パシズの腰にも身長が満たない幼女と目線が同じ高さになるように…まあ図体がでかいので、屈みこんでもそれは叶わないのだが、とにかくパシズが可能な限り、彼女に対して頭を下げて、語りだす。


「なんで!」


「それは、つまり、絵本、と言えども、物語であることは違いない。そして物語というのは、内包する主題テーマを理解することこそが本当に大切なものなのだ、その為にはしっかりと冒頭から完結まで、じっくりと文章を読み、会話を再現し、挿絵が表す印象を捉え、そこに隠されたイメージを…」


「つまりね、おじちゃんはちょっと忙しいから、今はちょっと読んであげられないんだ、ってこと」


 ティムズも身を屈め、少し笑いながらパシズの語りを遮る。ミリィの様に。

 パシズが語れば語るほど、幼女の顔が泣きそうになっていたからだった。


「……!」


 パシズが仰天した顔でティムズを見る。

 幼女もティムズを振り返り見上げて、少し悲しそうな顔をする。更にティムズはフォローを試みる。


「読むときは、最初から最後までゆっくり読んであげたいから、たっぷり時間がある時まで待ってほしいな、ってことだよ」


「んー……」


 幼女がむー、と首を捻り、ティムズの言葉の意味を考える。正直ティムズもこの説明で納得してくれるかは分からなかった。自分もこうした幼児の相手が得意とは言えない。しかしパシズよりはマシだろうと思った。ひどいもん。


「……わかった……」


 しゅん、と俯き、幼女がしぶしぶ返事をする。と、その時、恐らく彼女の父親らしき男性が、彼女のものであろう名前を叫ぶ声が廊下に響いた。


「エリテア!!」


「ぱぱ!」


 男性が駆け寄り、エリテアと呼ばれ返事をした幼女を抱き上げる。

 エリテアは男性が少し怒ったように窘めるも、それを聞いていないように父親の首にちいちゃな腕を回し、抱きついている。父親はパシズに対してびくびくと、次々と謝罪の言葉を投げていた。彼はパシズに殴られるんじゃねーかと思っているらしい。


「こんな時間に出歩いちゃ駄目じゃないか!ああ…パシズ、ごめんな、絵本を読んでくれ、って言われて読んであげてたんだけど、突然『つまらない!』って叫んで飛び出して行っちゃって…本当にごめんパシズ。でもほら子供がすることだし!」


「だってパシズの方がおもしろいんだもん!わるいおうさまのまねがじょうずなんだよ!ぱぱは"ぼーよみ"なの!」


 エリテアは、父親の演技に文句をつけ、突然パシズの事を思い出して飛び出してきたようだ。パシズが『れんじゃー』だという事は理解していたらしく、それなら『れんじゃーのひとたち』が居るところだ!と探してここまでやってきたようだった。


 呆気に取られて先刻から何も口にできないパシズの呆然とした表情を、ティムズは見つめていた。そして、もう『質問』する事なんて無駄だ、これが答えだろう。と思い、謝る父、喚く娘、固まるパシズ、をその場に残し、自身は後ずさりして、振り返って自分の居室へと戻って行く。その口元にはずっと笑みを浮かべていた。


 背後からは、パシズがエリテアにちゃんと自分から説明をしようとしている声が聞こえて来ていた。

 

 切れ切れの口調で。だけどその感情は、怒りとは違う何かだ。


「すまん、約束する…ちゃんと、ぜんぶ、読んであげるから。きっとだ」



 ―――――――――――


 ティムズは外の夜雨の音が小さく響く、居室に至る廊下を歩いていく。

 そして先程のパシズと父娘のやりとりを何度も回想した。

 

 廊下の窓から覗く暗い外は雨が降っている。

 しかしそれと比べて、なんて晴れ晴れしい気持ちだろう。


 例え噂が本当だったとしても、このパシズこそが、自分達が信じているパシズ、だと思えた。過去に何があったかなんて関係ない。人々に恐れられ、怖がられ、頼られ、そして好かれているパシズを、ティムズは心の底から羨ましい、と思った。


 その人を信じられる、と思える瞬間など滅多に見られるものではない。


 —そして、明日、ミリィに今夜の出来事を話してやろう。

 彼女もこの話を聞いたらきっと大笑いする。そして喜ぶだろう。そうしたら、

 今の自分の様に、迷いなんて溶けて無くなって、消えていってしまうはずだ。

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