第一節6項「ファスリアから 2」
その日の夕刻、青都の一角にある酒場で催された、皇立アカデミー505期生達の『打ち上げ』は大いに…盛大に、盛り上がった。
十数名程の505期生たちの所属は様々で、ティムズを始めとした学術院生、ジョシュを代表とする仕官院生、そして法術院に籍を置く術士見習いたち。その内五名は女性の院生で、久々に会う友人同士らしい会話を交わしていた。
ジョシュの誘いを最初は合コンだと思っていたらしい。
最初は大人しく思い出話に興じていたが、酔いが回ってくると段々と歯止めが利かなくなり、タロンゾを始めとする教導陣への悪口、悪態大会から巡り巡って男性陣の『誰が一番つえーのか』を競い合う口論を経て、じゃあ腕相撲で決着をつけようという論旨になり、必要もねえのに何故か上半身裸になったジョシュが女性陣とも勝負をしたいと迫りだして本気で嫌がられ、酒で気分が盛り上がりすぎた勢いでテリアルド=パウスが法術院所属のアイリア=トーダに告白し、即答でフられて玉砕して、川に飛び込んで死ぬと大騒ぎを始めたのを全員でなだめ、最終的に何をどうしたのか、店のテーブルが叩き割れるなどの被害が続出し、怒り心頭の店の主人に全員叩き出されたところで、五百語期生達の宴はようやく終わりを告げた。
一同の集まりはその場で解散し、ジョシュとティムズは共に帰路を歩む。
「いてて……あのオヤジ、本気で殴りやがって……」
ジョシュが頬を擦りながらぶつぶつ言っているのを、ティムズはてめーの自業自得だと思ってはいたが、それは呑み込み、一応気に掛けるつもりで諭す。
「まあ、大分やらかしたしさ……通報されなかっただけでも良しとしなきゃ」
「そうだな…それにまあ、思い直すと笑えるし、いいか」
「………」
会話は途切れ、二人は暫く押し黙ったまま歩き続けた。
夜も更け、通りを歩く人影は少しずつ減り、街の灯も次々と消えていく。
一日の終わりを告げ、街全体がゆっくりと眠りについていくような光景だった。
一般的には、学院生達は青都の各地に定められた学院生寮に暮らす者が多い。
皇立アカデミーの敷地だけではなく、青都全体が学術都市として、学院生達の暮らしに利する様に都市計画を立てられていた。
だが、若者が集う学院、特に危険な法術を扱う法術院では様々な事件事故が多発し、以前には実験の為に捕獲されて調査の為に法術院に送られてきた魔法生物が脱走、街に逃げ込んできて大騒ぎ、騎士団が鎮圧に乗り出してくる、という事件も起き、学院に関与していない普通の青都住民は学院に対してあまり良い心象を持っていないようだった。
しかしながら、度々頻発すればそういった事もすぐに慣れてしまう、というのが人の常というもので、学院で法術実験が失敗して巨大な爆発が起き、キノコ雲が立ち昇っているのを目撃しても、住民たちは「また何かやってんな」程度の感想しか湧いてこない様になってきている。
ただ、今夜入店した酒場の主人の様に、直接店にやってきて迷惑を直に被る事になれば話は別だが。
冷めた目で見られる事の多い学院出身者たちだが、やっている本人達は青春の謳歌を満喫するのを楽しんでいる。若者特有の無軌道且つ無秩序な行動力が、学院独自の雰囲気を作っていたし、そんな中だからこそ、時に、類稀な能力を持つ人材が世に出る切っ掛けを作ることもあった。それはまた別のお話。
そんな青春の集大成である今夜の宴も、終わりが近づいていた。
ティムズとジョシュはお互いに何も口にしないまま、青都の外れの街路が別れた地点に着くと、道の真ん中で立ち止まり、お互いの顔を見る。
短くはないが、一瞬というには長すぎる間をおいて、ジョシュが静かに呟く。
「…それじゃあ…またな」
語るべき事はもうない、と、二人とも同じ考えだった。ティムズも簡潔に応える。
「ああ、また」
二人は判れの挨拶を交わし、ジョシュが背を向けて自分の寮へと去っていく後ろ姿を、ティムズは暫く見つめていた。
気乗り無く加わった乱痴気騒ぎ……もとい、"打ち上げ”だったが、やはり大勢で他愛の無い話に興じ、馬鹿騒ぎで盛り上がるのはティムズにとっても楽しいと思えるものだった。確かに彼の言う通り、仲間同士で羽目を外せる機会は今夜が最期なのだろう。
その時初めてティムズは学院を卒業する、ということだけではなく、なんとなく別のものも失ったような気分にもなり、少し感傷に浸る。
しかし、思い返してみると青春の頁を締め括る情景としては惨憺たるものだった。
店外退去を命じられたジョシュが店の主人に食ってかかり、逆に殴られた瞬間は生涯忘れないだろう。
元騎士団で逞しい体躯をした店の主人の渾身の右ストレートがジョシュの右頬にクリティカルヒットし、ジョシュの身体が宙を舞った瞬間。
周囲では両腕を上げ歓声を上げる一般男性客たちと、対照的に手で目を覆う女性客たち。テーブルは男性達の快哉の衝撃で飛び上がり、宙を舞ったカップから酒の飛沫が飛び散って、店内の照明を受けキラキラと輝いていた。
シーンの片隅では飲みすぎと失恋のショックでうずくまってゲロを吐いているテリアルドと、その原因のアイリアがその背中を擦っている。
ティムズにもし画才さえあれば絵画として残しておいたかもしれない。
くっくっと思い出し笑いをし、ティムズは程よい酩酊感で笑みを浮かべながら、自分も自宅へと戻るためにその場を後にした。
―――――――――――
青都の市街地郊外、辺りに田園が広がるうら寂しい区画にティムズが暮らす家は建っていた。先祖代々継いできた家で、様式は大分古く、こじんまりとしておりお世辞にも進んで住みたいと言える様相ではなかった。
「ただいま~……」
ティムズが扉を開け、すっかり歩き疲れたという様子で力ない声を上げる。
「…………?」
静まり返った宅内に、ティムズは何らかの異変を感じ取り、本来あるべきはずの声の主を呼び始めた。
「ばあちゃん…?ばあちゃん!」
慌てて、共に暮らしている祖母の寝室へ駆け込むティムズ。
小さな室内の隅にベッドがあり、その傍らには小物入れ着きの棚、そして簡易便器が置いてある。その便器によりかかるようにして、彼の祖母…イーケ=イーストオウルが倒れ、弱々しく呻いていた。
「ばあちゃん!!」
状況を理解したティムズが素早く駆け寄り、イーケを抱き起す。
ティムズはここ数年、病を患い足腰を弱くしたイーケの介護を続けていた。
普段は早く帰り、夕食や排泄など、身の回りの世話をすることを日課としていたが、今夜は例の打ち上げに参加したせいで、いつもより帰宅が遅くなってしまった。
だが、四六時中つきっきりでなければイーケは生活できないという訳ではない。補助器具や簡易的な支援法術を援用すれば、よほどの無理をしなければティムズの介護無しに日常生活を送ることはできた…はずだった。
しかし、齢を重ねて確実にイーケの状態は悪い方向へと進んでいる。
これまで出来たことが出来なくなり、しかしそれでもそれを認められず、多少の無理をしてでも、ティムズに手を煩わせる事なく生活する…そういった動機が、今夜のようなことを度々起こしていた。それがたまたまティムズの帰宅が遅くなった日と重なったのだった。
「大丈夫?怪我はしてない?」
イーケの身体を支え、ベッドに寝かせなおし、倒れた衝撃で身体を痛めていないかと心配するティムズに、イーケは謝り始める。
「ごめんね、ごめんねぇ……」
涙声で謝るイーケに、ティムズは罪悪感を感じて謝り返す。
「いや……こっちこそごめん、ちょっと、友達と飲む最期の機会だったから」
言い訳がましく聞こえないかと思ったが、イーケは頷きながら応えた。
「そうかい、それは大事なことだからね…友だちは大切にしなきゃ」
「うん……」
「すまないね、どうしても用を足したくなったものだから…まだ一人で出来ると思ったんだけどね……もうすっかり弱っちゃって……」
喋りながら再び声が震えだし、顔をくしゃくしゃにしてイーケが涙を流す。
「ごめんね、こんな老いぼれ、早く死んじゃえば良いのにね」
情けなさで嗚咽交じりのイーケの言葉に、ティムズは顔を伏せて彼女の目を見ないようにし、自身も痛みに耐えるように言う。
「…そんなこと…言わないでよ。俺は平気だから…」
ベッドに横たわったイーケが、傍らの椅子に座り様子を伺っているティムズに語る。
「お前にもう面倒をかけたくないんだよ、さっさと死んでしまえれば、お前も自分の人生を生きられるのに…。でも…立派になったお前の姿も見たいんだ。それまではまだ生きていたいと思わずにはいられない。…我儘なんだ、わたしは」
イーケの口癖だった。こういう事態が起こる度に何度も耳にしていたティムズが低く静かな口調で応える。
「…判ってる、判ってるから」
やがて、落ち着いて眠りについたイーケの姿を確認すると、ティムズも自分の寝室へと戻る。荷物と外衣をベッドに放り投げ、文机の前に座ると、頭を抱えて大きく長い溜息を吐いた。
普段学院で寝不足を理由にぼうっとしている理由だった。
この事は学院にも友人にも話した事はない。
話したところで何もかもさっぱり解決するような事でもないし、この環境を言い訳にして他人に甘く接して貰おうと思っている訳でもなかった。
ただ、イーケの言う通り、自分の人生の中で様々な選択をする上で、心の何処かでこの状況を理由にして、妥協しているという事も自覚していた。
だからこそ、遠くで働きたい、という気持ちが強くなっていたのだった。自分で決めて、自分が目指す場所へ行きたい。タロンゾ教導に提出した進路希望にそう書いたのは紛れもない本心からだった。
その上で、高い収入さえ手に入れば、イーケの介助に費用を出して、ティムズ自身もイーケも、もっと楽ができるはずだった。
文机に灯りを灯し、鞄から取り出した龍礁に関する書類を広げ、ティムズは暫く思索を巡らす。
……龍礁。漁礁の様なものなのだろうか。
ティムズにとっては何もかも未知の世界であることは間違いない。
龍?御伽噺や寓話の中のイメージだけが彼の頭にはあった。
冒険者、と呼ばれる存在も居ない訳ではないが、彼等の専らの仕事は古い遺跡や鉱山などで、現在広く使われている法術の触媒として利用する基礎資源の収集すること、が主なものだった。
その過程で、霊的資源の影響を受けて狂暴化した魔物、と交戦し、駆逐を行うことを生業とする人間も居ることは知っているが、龍と呼ばれるような高位の存在と戦った、という話は、現代においては聞いた事がない。
そういったものを相手にする仕事とはどんなものだろうか。少し興味は湧いてきたが、何処かうさんくさいと思ってしまうの部分もある。
だが、魔資菅の様なれっきとした国の公的機関が書類を出しているなら、きっと問題はないのだろう。
深夜遅くに至るまで、ティムズは今の生活と、目の前の紙の中に浮かぶ光景を秤に掛けて、思案を重ねていた。そして、やがて顔を上げると、その眼には選択の決意に満ちた光が宿っていた。
こうして、ティムズ=イーストオウルは第四龍礁への配属を決め、ファスリアを後にすることになったのだった。
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