第一節5項「ファスリアから 1」

「イーストオウル!まぁたお前寝てやがんのか!!」

「はっ、はいっ!?」


 ファスリア皇立アカデミー、学術院教導の怒号が講堂に響き、ティムズ=イーストオウルが口から涎を垂らしながらがばっと頭を上げた。


 ぼんやりとした意識が、今自分が置かれている状況を理解しようとして、周囲の学院生達が中央部窓側に座っていた自分の方を向いてる事に先ず気付く。驚きと気恥ずかしさで、ティムズは暫くそのまま固まっていた。


 体格の良い男性の教導が呆れた口調で、身動きも反応もしないティムズに呆れる。

「最近になって居眠りがまた酷くなってきたぞ、お前……まあいい。あとで俺の部屋に来い。良いな?」

「はい……」

「返事が小さい!良いなッ!?」

「はいっ!」


 体育会系の風貌の教導の圧力に、ティムズにはいやですと言えるはずもなく、大人しく同意する。


「……お尻ペンペンかな?」


 三列ほど後ろから今のやりとりを茶化す小声がして、周囲の学生の間で忍び笑いが起こる。


「それで済むならそうして欲しいよ」

 ティムズは苦笑して、黒髪をぐしゃぐしゃと掻く。


 年齢は十九、身長は一エルタ七十五セルツ(一メートル七十五センチ)。若干細身で特に鍛えてもいない平均的な体つき。適当に切った黒髪は眉や目や首筋にそれぞれ少しずつ掛かる程の長さ。


 人をして「これといった特徴のないヤツ」と言われるのが常で、自分自身でも鏡を見る度に自覚するティムズであったが、顔はそこまで悪くないとも思えてはいる。

 少し垂れ気味の目。瞳は髪色と同じく黒色で、鼻も口も頬もごくありふれた造り。ただ、それだけに人に強烈な印象を与える力がないと言うだけだ。


 しかし本当のところ、この凡百の青年の印象が虚ろになるのは見た目の凡庸さではなく、声や話ぶり、意思の疎通の全てにおいて、徹底して一定の距離を保とうとする性格に起因している。彼にとって他者は、誰よりも他者だった。


 人生はその場限りの薄弱な受け答えでなんとかなる。そうしてなんとかしてきたし、そうしなければなんとかならなかったし、これからも、そうやってなんとかしていくつもりだった。



 ――――――――――――


 ティムズ=イーストオウルが在籍するファスリア皇立アカデミー、通称『学院』の五百五期生達は卒業を間近に控え、就職活動の話で持ち切りだった。ある者はギルド、ある者は法皇庁配下の公的機関、ある者は騎士団での軍役……そしてごく少数の『フリーの冒険者』など、各々の将来を語り合う姿が学院のそこかしこで見られていた。



 アラウスベリア大陸の最南端、大きく突き出した半島を含む広大な沃野に在る、ファスリア皇国の東に位置する青都の一部分を、四代前の皇王が直々の勅命で租借。国内有数の学府として建立したのがこの学院だった。


 騎士団の士官、又は兵卒としての教育を行う仕官院、一般的な学問を広く修めるための学術院、そして法術理論を極めようと日夜研究を重ねる法術院、の3つに大きく区分され、最盛期には二千人を超える学院生が所属していたが、昨今の景気の悪化と、政治情勢の不安により現在は四百名程が在籍するに留まっている。


 学院の間口は広く、貴族階級から一般市民、果ては生まれた土地も日にちも知らねえよ、といった流れ者、荒くれ者、更に少数民族から亜人と呼ばれる半獣半人の異人種まで、幅広い身分の人間が在籍出来る環境は、国の基盤は教育、を持論とした、時のファスリア皇王の理念の方策によるものが大きい。


 但し、それは現在においては建前と化していて、学院運営の為に掛かる膨大な予算を少しでも賄う為、出来るだけ大勢の人間から学費を納めて貰わなければ回らない、という事情も含む様だ。


 学術院に属していたティムズは、学院卒業後の進路、についてずっと悩んでいた。

 学院に入学する前からも、今も、将来の展望、といったものを持てずにいた彼は、取り敢えず講義と修学に打ち込む日々を続けていたが、そうこうしている間に、あっという間に卒業を目前に控えていたのだった。何かに集中すると周りが見えなくなる癖は、時として目を見張る成果を上げる事があっても、大抵においては何かをやらかしてしまう、という事の方が多い。


 ――――――――――――――――


 教導に呼び出しを喰らったティムズは大きな窓から差し込む日差しが紅い絨毯を柔らかに照らす廊下を歩いていく。厳かな景色とは裏腹に彼の足取りは重かった。


 ねちねちと説教を貰うであろう事は大体予想もでき、気乗りはしない。考え事をしている間に何時の間にか教導室の前を通り過ぎていた事に気付くと、小走りで戻り、扉を軽く叩いてから、静かに入室する。


「おう、来たか。まあ座れ」


 部屋の奥の事務机にどっかと足を乗せ、頭の後ろで腕を組んでいたリック=タロンゾ教導が相変わらずの横柄な態度でティムズの着席を促した。


「はい」


「で、どうするんだ?進路は…決めてないのはあとはお前だけだぞ」

 タロンゾが、ティムズが来客用の青いソファに座るなり、唐突に問い掛ける。

 ティムズはタロンゾの質問よりも、テーブルには既に紅茶が置かれていた事が気にかかった。恐らくタロンゾが淹れたものではないだろう。そんな気配りをするタイプではない。


 そんな事を考えていると、再びタロンゾが口を開く。


「おいっ!聞こえてんのか!」

「あ、はい!すいません、ええ…まあ、そうですね」


 曖昧なティムズの返事に、自他共に気の短さを認めるタロンゾは声を低くして、脅すような口調になる。しかし、言葉自体には教育者の端くれらしい優しみはある。

「てめえなあ……本当に最近どうかしてんぞ、何をやってても上の空じゃねえか。何かあったのか?相談があるなら聞いてやらんこともない」


 タロンゾの言葉に、ティムズは目を伏せ、暫く黙っていたが、

 やがて静かに口を開く。

「……いえ、大丈夫です」


「まったく、最近の若い男は自分の意志をはっきりと表しやがらねえ。沈黙は金と言うが、本当に大事な事は口ではっきり喋らないと伝わらねえんだぞ。喋らないのか、喋れないのか、どっちか知らんが、言うべきことは言え」


「………」


 それでもなお応じないティムズに対し、諦めた様に溜息をつき、タロンゾが言葉を継ぐ。


「…話を戻すか。お前が提出した進路要望書だが…『遠い場所』『給金が高い』の二項だけ。俺も色んな奴の面倒を見てきたが、こんな雑な就職希望は見たことがない」

「しかし、俺にも意地ってもんがある。お前の要望に応える為に条件に合う職をどうにか見つけた。……第四龍礁での一般業務に当たる職員だ」

 

「龍礁……?ですか」


「そうだ。俺にも良く判らんが、龍族の素材を安定的に得る為に各国が共同運営している施設…そこを管理するための多国籍機関の職員の求人があった」

「経歴不問とあるし、遠地な上、高給だ。お前の言う条件に当てはまっているな」


 初耳の単語が次々と出たことで困惑しているティムズにタロンゾがファイルに挟まれた書類の束を放り投げた。


「ここに関連資料がある。ファスリアも出資に嚙んでいるらしく魔資菅が上げたレポート類が出ていた。参考になるだろう」

「ありがとうございます」

「とにかく、早めに決めないと手続きがどんどん複雑になっていくんだ。学長にも絞られるし…まあ、やるならやるで今週中に決めてくれ。以上だ」

「はい、では…失礼します」


 ―――――――――――――――


 ティムズは教導室を後にし、学院の建物が並ぶ路道の脇のベンチに座ると、タロンゾから受け取った龍礁に関する資料群に目を通していた。


「ええと、これは、1202年度年次報告書……」


 魔法資源管理局が発行したレポートの記述は興味深いものだった。

 龍礁の成り立ちと存在理由を記したそれは、龍礁という存在を初めて知る為には格好の材料と思えた。暫し読み耽るが、唐突に自分の名を呼ぶ声がして、ティムズは、はっと顔を上げる。今日二回目である。


「おっ……いたいた!探してたんだ。何してんだよ?」

「え?ああ、ジョシュ…いや、特に何もしてないよ」


 背が高く、流れるような明るい髪をバキバキにセットした男がティムズの眼前に立っている。そしてティムズが手元にしていた書類の題に目を止めると、不思議そうに問い掛ける。法皇庁の正式な文書である事を示す認章が目に入ったかららしい。


「何読んでるんだ、それ」

「んー……龍礁、に関するレポートだよ」

「へえ……なんだお前、龍礁で働くつもりなのかよ」

「知ってるんだ?」

「噂くらいはな。良く言うじゃん。『借金のカタにドラゴンの巣を掃除させられる』ってさ」

「そんなんじゃないよ、ちゃんとした仕事さ。それに……まだ決めた訳じゃない」

「やめとけよ、腕や脚を龍に餌にされるのがオチだって」


「その書類避けてくれるか?座りたい」

「ああ」


 ジョシュと呼んだ男の言葉に応えたティムズは脇の書類を鞄にしまい込み、男が座れるようにする。


「久しぶり。また痩せたな、ジョシュ」

「お前は変わってないな、ティムズ」


 どっか、と座ったジョシュ=パウルがにやりと笑い、ティムズの肩を小突いた。


 ジョシュとは少年時代からの付き合いで、昔はよく共に遊んでいたが、学院への入学して以降は、あまり会う機会がなかった。ティムズが学術院でガリ勉生活を送る一方、ジョシュは将来、ファスリア皇国騎士団への入団を目指すために仕官院への道を選び、日々の修学と演習に明け暮れる毎日を送っていた。


 ティムズの記憶ではもうちょっとぽっちゃりしていたはずのジョシュのスタイルは再会する度にスマートになっていき、現在は見事な細マッチョ体系と変貌を遂げていた。それに比例して女性にモテる様になっていったらしく、女のコ受けが良いと気付いた彼は、本来の目的とは全く別の理由でも身体を鍛える様になっている。


「お前の方は調子はどうなんだ?……色々と」

 鍛えた肉体で女性を惹き付けられると気付いてからの彼は、様々な相手に手を出し始めたらしく、色んなトラブルに巻き込まれている、いう噂だけは聞こえてきていたティムズもその事も含んだつもりで問い掛けてみる。

 しかし、ジョシュはいたってごく普通に、今後の進路や展望について真っ当な返事を寄越してきた。


「ぼちぼちかな、一応一兵卒として騎士団には入れそうだけど。まあ最初は、雑用、下働きってなもんだろ」

「勿体無いよな。お前、剣の腕はそこそこ立つのに」

「所詮はロークラスだしなあ」


 ジョシュが所属する仕官院では、貴族階級やそれに連なる名家の子息令嬢のみが入ることのできるハイクラスと、一般皇民が騎士団に入団するために必要な教練を受けられるロークラスに区分されている。


 ファスリアでは、一応表向きには家柄や血筋で身分の貴賤を判断してはならない、という取り決めはあったが、法律的な根拠は未だ制定されておらず、一部の公的機関であっても、こういった差別を公然化する風潮は色濃く残っていた。


「あーあ……いっそデトラニアとでけえ戦争でもやらねーかなあ…。そしたら目一杯活躍して名を馳せてやれるのに」


 ジョシュの発言を冗談だと思ったティムズは笑いながら応えた。

「物騒な事言うなって」


 真に受け取っていないティムズの顔を見て、ジョシュの口調が少し真面目になる。

「……知らねーの?デトラニア共和国がロパニオール侯国に侵攻したって」

「……知らない」


 日々の暮らしで精一杯。大陸内に割拠する国々の情勢までは気にしている余裕がなかったティムズが困惑する。だが、例え時間があっても気にしていたかどうかは怪しい。通常この年代の若者が国際情勢に関心を持つことは少ないだろう。


「お前、デトラニアの事くらいは知ってるよな?」

「流石に、それくらいは判ってるよ、一般教養レベルだし」

「…まあいいや、新聞の見出しくらいは読めよな」


 ジョシュが呆れた顔と仕草で、この話題を打ち切った。一応軍属としての教育を受ける身のジョシュは、各国の軍事事情には多少明るい。そして、そもそも何故ティムズを探していたのかという理由を思い出し、次の話題を振る。


「ああ、そうだ、それで……」

「今夜は旧友で集まって卒業記念の打ち上げだ!お前も誘おうと探してたんだよ」


「あー…いや、俺は遠慮しようかな」


「またかよ!ったく…何度も誘ってるのに毎回それじゃんか」

「けど今日はもう皆で集まれる最期の機会かもしれない、こういう集まりも大事にしないと今後の社会生活に支障をきたすぞ、良いな!このコミュ障!」


 酷い言われようだが、ジョシュの言葉も最もだとも思ったティムズは、渋々了承し、今夜の『打ち上げ』に参加する約束をする。


「よし、んじゃあ場所は例の酒場。六時からな!遅れんなよ」


 ジョシュはそう告げると、さっさと立ち上がり、ポケットに手を口笛を吹きながら

 その場を去っていった。


「……はあ…」


 その姿を見送り、ティムズは溜息をつく。

 旧友とは言え、こうも強引と言うか、押しが強いと言うか。

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