第一節4項「嵐に舞う 4」

「……まだ走れる足は付いてるわね、ついて来て!」


 エフェルトは、突如として現れた小柄な女性の有無を言わさない態度と、その命令とも言える指示、に反射的に声を荒げる。

「もう跳躍符がねえんだよ!」


 死にたくないのは山々だが、その為の手札を付きている事を間髪入れず即答するエフェルトに、ミリィは無言でウェストポーチから術符を三つ引き抜くと、それぞれを三人に放り渡す。


 エフェルトとモロッゾは空中でそれを受けたが、アカムはぼうっとしたまま、胸に当たった術符がぽとりと落ちた。


「アカム!!」

 エフェルトが大声を上げ、アカムは慌ててその術符を拾う。

 

 水飛沫が、雷撃で発生した熱で水蒸気となり、辺りは霧に包まれた様に白く染まっていたが、それも晴れてくると、ミリィの目に、龍が再び雷撃を放つ体勢に入っていた姿が飛び込んでくる。明らかに先程までより強力な術式が展開されていた。


「ああ、まずい……!」


 第二撃を防御しようとミリィが再び結界術符を取り出すと、今度は術符の効果を最大限高める為の補助言語を口にし始めた。術符にかざした指印とともに、彼女の周囲に高位法術の力場が発生し始め、髪や服がゆらゆらと揺れる。


「全て風と等しく、全て雨と等しく、流転の理に統べられし、故に万物は全て――」

「……ッ!」しかし。


「……駄目ぇ!おっさん!!フォローしてえ!」


 完全な言語高位化を終えることは叶わず、ミリィは慌てて同時に降下したはずのパシズに助けを求める。その言葉が発せられるか否やの刹那、攻撃の体勢に入った龍の足元から光点が吹き上げるように舞い上がり、龍の周辺を包むと、眩い光を放ちながら回転しながら激しく瞬き、雷撃を放とうとしていた龍が怯み、吠えた。


 一撃目の龍の雷撃の隙に、この龍と初遭遇した時に使用された攪乱術符と同様のものをパシズが配置しており、このタイミングで行使していた。光を背後に受けながらパシズが四人のもとへ跳躍してきて、ひとまず安堵した様子のミリィに声を掛けた。


「どんな時でも冷静さを失うな。お前の悪い癖だぞ」

「あと、年上にはきちんと敬意を払え、おっさんとは何だ」


 アドバイスと説教を同時に喰らい、ミリィは頬を膨らませるが今はそんな話をしている場合ではない。ついさっき自分で話はあとで、と言ったばかりだ。


「……!あとにしましょう、ほら!行くわよ!」


 ミリィは叫ぶと、パシズと共に先頭を切って船が先回りしているはずの回収座標へ向けて跳び始める。河の対面の森の先に少し高くなっている台地が見えていた。

 正確な座標こそ聞きそびれたが、前半分の数値と、これまでの活動の経験則で大体の当たりは付けられた。

 濁流でうねる流れの上を跳ぶ五名の跳躍の跡が弾け、飛沫を上げる。


「一体何だあの龍は!あんなん居るなんて聞いてねえぞ!」


 先頭ををひた走るミリィに隣にエフェルトが追いつき、助けられた礼ではなく、この状況に陥った不運に対する不満をぶつけるが、ミリィにとっては知ったこっちゃない話なので一息にあしらう。


「聞いてないのは知らないけど実際に居るんだからしかたない!」


 背後で龍の咆哮が轟き、攪乱光術の効果が失われた事を全員が理解した。


「くそッ、やはり同じ手は効きが悪いか…」


 パシズが呟き、次の手を打つため、殿を務める為に最後尾へと移動し、罠の作用を果たす行動阻害系の術符を各所にばら撒きながら前方の四名を追う。


 ミリィは走りながら天を仰ぎ、楊空艇マリウレーダの姿を探した。回収座標上空で旋回しているはずのマリウレーダの姿は、背の高い木々に阻まれミリィ達からは視認できない。手首に巻かれたバンドに仕込んである伝信術符を起動し、マリウレーダと通信を試みるが、龍の雷撃の余波を受け、一時的に通信不能の状態になっているようだった。


「全く、何もかもおんぼろなんだから…どこに居るのよ」


 移動する一行の左側面から、木々の梢が揺れる音と、飛翔音が聞こえてきた。

 龍がパシズが設置した罠符の存在を察知し、回避する為に大きく迂回して前方に回り込もうとしていた。龍の動向を理解したパシズが舌打ちする。


「ちっ…学習しやがったな、頭のいいヤツだ…!」


 木々の合間から地表すれすれの低空を飛翔する龍の影が垣間見えた。

 その効果は覿面だった。パシズ達からは龍の動向が殆ど予測できない。


 このままでは遅かれ早かれ退路を封じられる…。そうなれば打つ手はない。

 そうパシズが思った時、更に上空からバキン!バキンと重ねたガラスが砕かる様な音が鳴り、ピィンッ…と細い弦が震える様な音が続くと、側面を飛んでいた龍に一筋の光筋が伸びて、大きな爆発が起きた。衝撃波が一行に届き、全員が軽く吹き飛んで地面へと転がり倒れる。



 楊空艇に搭載された対龍用の光術連装砲からの砲撃が龍に直撃し、地面に叩き落としていた。地上を走る一行の移動をカバーし、回収地点での接敵を回避する為に、ピアスンが止むを得ない判断として、直接攻撃に打って出たのだった。


 対龍装備の中でも最も強力な部類に入る砲撃に、流石のF/III龍も堪らずに倒れる。痛みと怒りで吠え、上空の「敵」を睨みつけるように首をもたげた。


「着弾確認!敵性行動により本船も龍の優先目標になります!」

 マリウレーダのブリッジでは、レッタが制御盤上で目まぐるしく変化を続ける式を目で追いながら、ピアスンに考えうる限り最悪の状況になった事を告げる。


 地上の一行は爆発の衝撃から立ち直ろうともがいていた。

 ミリィは雨でぬかるんだ泥地に頭から突っ込み、口に入った泥をぺっぺと吐き、口を拭いながら立ち上がろうとしてしている。エフェルトもモロッゾも似たような被害を受け、ふらふらと立ち上がり、頭を振る。

 アカムは地面に転がったまま身体を丸め、ぶるぶると震えていた。


「ごめんなさいごめんなさいママ助けてママママ助けて助けて」


 パシズがマリウレーダが作ったこの機会を逃すまいと一行に檄を飛ばす。

「…今のうちだ!走れ!!」


「おい、アカム、立て…行くぞ…立て!このマザコン!もっかい会いたいんだろ!」


 エフェルトが丸まって母親を呼び続けるアカムの首根っこを掴み、強引に立ち上がらせながら叫ぶ。モロッゾもそれを手伝う。

「もうちょっと、だろ!ほら言え!」

「え、ええ…もうちょっと…っす…」


 口癖でなんとか持ち直したアカムを認め、先行したパシズを追い、最後の逃走に運命を掛ける三人組。更にミリィがその後に続く。


 台地の麓に到達し、回収に適した上部の開けた地点へと駆け上がっていく一同。

 エフェルトがすぐ後ろを跳ぶミリィに声を掛ける。

「なあ!あんたらテイマーズだろ!?いつもこんな感じなのか!?」


 話しかけられたミリィが憮然とした態度で応える。

「そのテイマーズ、て呼ぶの止めてくんない?蔑称なのよねそれ!」

「私たちはレンジャーなの!」


「そりゃあ悪かったな!で、どうなんだよ、仕事は!」

「あんたたちみたいな馬鹿が居なきゃもっと楽できるかもね!!」

「そりゃそうか!ははは!」


 エフェルトが参った、といった感じで笑い、それ以降は跳躍に集中する。


 先行したパシズが台地の上に到達し、周囲の空を見回す。

 直近にはマリウレーダの姿はまだ見えなかった。恐らく龍の追撃を警戒、牽制するために、旋回航行をまだ続けているのだろう。それに嵐による暴風雨はこれまで以上に激しくなってきている。直進するのでなく風の影響を加味した軌道の再計算も行わなければならない。風を読んで大きく回り込んでくるだろう。

 つまり、いつ、何処からやってくるか地上からでは判らない。そして続けざまに斜面を駆け上がり切ってきた密猟者の三人と、直後にミリィが飛び込んでくる。


 ミリィは手元の伝信術符に向かって怒鳴り声を上げた。


「ポイントに到着う!回収まだあ!?」


 今度は通信に成功した様だ。リストバンドの向こうで雑音交じりの焦燥したタファールの応答が聞こえた。


『今向かってる!』


 ブリッジの席でタファールが心底嫌気が差したという面持ちで独り言ちる。

「やっかましい女だよマジで……!」


 思わず飛び出た言葉だったが、通信はまだ生きていた。恐らく今の言葉もミリィに届いており、何やら通信先で彼女が喚いている気配があったが、レッタが次に発した言葉の方が重要だった。


「F/IIIが立ち上がろうとしています!攻撃態勢!」

「防御機構の稼働率が13%です、もう一度食らったらおしまいですよ!」


 度重なる無理が祟り、機体のあらゆる性能が限界を迎えようとしていた。

 ピアスンはそれでも冷静に、可能な手を打とうと指令を続ける。

「止むを得ん、再度攻撃!時間を稼げ!のち、彼等を回収して全速離脱!」


 レッタもそれを受け、即座に反応し、実行する。

「…再度攻撃了解!術砲解放!衝撃出ます!三!二!……今!」


 龍が再び両翼の飛翔式を展開し、今まさに飛び立たんとしているところだった。

 直上を旋回していたマリウレーダ前側方の光術砲の砲身にリング状の術式が幾重にも重なり、それが収束して光の線となり、高速で移動するマリウレーダから幾つもの光の筋となって龍に降り注いだ。その中の数発が龍を直撃し、再び龍が咆哮しつつ地響きを上げて倒れる。


 この攻撃で、地上の一行はマリウレーダの現在位置を特定できた。

 だが、光柱と爆炎が辺りを照らす光景に、ミリィが心配そうに声を上げる。


「うーわ…やりすぎじゃない…!?あれは怒るわよ…?」


 マリウレーダが急旋回しながら高度を落としてミリィ達の頭上に到達する。開きっぱなしだった下部格納庫にタフィが降りてきており、回収用のワイヤーを地上の面子に放り投げる。ミリィが吊り下げられたワイヤーを確保し、エフェルト達に装着を促した。


「ほら!あんた達の分!」

「エフェルト…!」


 このままおめおめとこの連中に同行するのか、という意を含み、名を呼ぶモロッゾと目が合い、エフェルトは無言で頷く。

 アカムは率先してワイヤを受け取り、既に先端の装具を一早く装着していた。


 全 員の回収準備が整った事を確認したパシズが、頭上のタファールに叫ぶ。


「良いぞ!巻き上げろ!」


 ワイヤーがピンと張り、一人ずつの身体が浮く。暴風で激しく揺さぶられながらもなんとか格納デッキに全員が上がり切り、タファールが通信プレートに駆け寄って、ピアスンにそのことを伝える。

「全員収容!もういいっすよ!」


「よし、脱出だ!」

 通信を受けたピアスンがレッタに告げ、船を発進させようとする。


 しかし、龍が半分倒れたまま、首だけを持ち上げると、そのままの態勢で雷撃を発動させた。夜空を斜めに切り裂いた光が、高空に退避を始めようとしていたマリウレーダの後部に直撃し、ブリッジの二名と、下部格納デッキに居た五名を眩い光が包んで、機体がこれまで以上に激しく大きく揺れる。


 ブリッジに配置されていた制御盤は全て致命的な損傷を受けたという表示で埋まり、レッタは為す術なく茫然とピアスンの顔を見るしかなかった。


 ピアスンは前方を鋭く見据え、静かに呟いた。

「……ここまでか…!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る