第一節3項「嵐に舞う 3」

 土色の龍が、低く唸りながらゆっくりと頭を振り、たった今直撃を喰らった光爆術の余韻を追い出そうとしていた。


 三人が使った術符は所詮、その辺のごろつきが安易に入手できる程度の安物で、十分な効果を発揮したとは到底言えなく、突然の行使で土色龍の意表こそ突いたものの、実際はダメージなど殆どなく、龍は三人が逃げて行った方向を見据えると、天に向けて咆哮し、飛翔の構えを取る。


 龍がその翼を大きく広げると、血管が浮かび上がるように龍の肉体に光が走り、大きく羽撃はばたいた龍の身体が宙に浮く。


 樹上に舞い上がった龍の両翼端から渦の様な術式が現出し、龍は三人が去った方角を睨みつけて一唸りすると、式が展開される光の螺旋の軌跡を描きながら龍は三人を追跡するために飛び去っていった。


 ―――――――――――――


 ミリィは小窓に顔をへばりつけながらその様子を凝視していた。


「何あれ、何アレ!あんなの知らない……!」

「ミリィ!お前もこっち手伝えっつうの!」


 タファールが、小窓に立っているミリィに対してブチキレる。

 二度目の龍の雷撃は防御機構のおかげもあり、直撃は避けられたものの余波の威力は凄まじく、一時的に航行制御の殆どがダウン。機関担当の二人だけではなく、ピアスンもパシズも、システムのエラーチェックリストを潰している最中だった。


 しかしパシズはミリィの言葉が引っ掛かったようで、説明を求める。

「待て、一体何の話だ?」

「あっ…ええと…」

 ミリィがはっとして振り返り、パシズに対して今見たものを伝えようとする。

「飛翔体系が…初めて見るタイプだったんです。両翼から術式を援用した空力推進を得てる感じ」

「……まるで、私達の船みたいだった」


「………」

 パシズがピアスンと顔を見合わせる。長年この龍礁で勤めてきた二人でも、未知の龍種であることを相互共に理解する。

「…そうか、判った」

 ピアスンはただ静かえたに頷いて応えた。


「まーた新種って奴ですかあ?一体ここにはどんだけの龍が居るんだか…」

 三人のやりとりを聞いていたターファが呆れた声を上げようとした瞬間、レッタの大きな叫び声に、今度は何事かと全員が彼女を振り返る。


「できたあ!!」

「全システムを一番霊基に直結してやりました。まだ飛べますよこの娘は…!」


 振り返ったレッタがピアスンを見つめて、にやりと笑い、タファール、パシズ、ミリィもピアスンの方へと顔を向けた。


 ピアスンは思索する。

 この後の判断は船長である自分に掛かっている。被害は深刻だが、人命と龍、双方を護るというこの仕事に誇りを持っていた。しかし、クルー達の命までも秤に掛ける事は難しい。自分はその覚悟があるが、彼等はどうだろうか。


 ピアスンの目線だけが動き、クルーの表情を見比べる。

 皆、船長の考えている事は判ってますよ、といった顔をしていた。ピアスンが俯き、大きく溜息を吐いて自省する。部下達は自分を信頼してくれている。それなら自分は、その信頼に応え、自分も部下を信頼するべきだろう。意を決し、ピアスンは凛とした声で新たな命令を下した。


「…では、追跡を続行する。対龍戦闘は止むを得ない場合に限定とし人命救助を最優先、だが、状況が更に悪化、もしくはその兆候がある、と私が判断した場合は、即撤退……!」


「…それが私達の仕事ですもんね」

 ピアスンの指令に、ミリィが達観したように目を瞑り、くすっと笑う。

「ま、人助けで死ぬなら天国に行けるかもですし」

 タファールは不本意である事を口にしようとしたが、諦めた様な口ぶりだった。


「お前らしい判断だ、ビアーズ」

 パシズが他の者には聴こえない程の声で小さく彼に囁いた。



 ―――――――――――――


 出力の1/4を失ったものの、レッタの即応的な術式修正により、残された一番霊基は悲鳴の様な軋み音を上げつつも、前方を飛ぶF/III/第三種二項/渦翼龍(咄嗟にピアスンが分類した)を追随、後方直近まで追いつく事が出来た。



 全員が今この場で為さなければならないこと、そしてこの後に行うべきことにそれぞれの立場で集中している。二度に渡る龍の雷撃を受け損耗し、不安定な航行を続けるマリウレーダの『ご機嫌』を取ろうと、レッタはリアルタイムでの出力コントロールに取り組み、残された一番霊基に励ましの言葉を掛ける。

 彼女らに残された、文字通りの生命線だ。


「一番ちゃん頑張って…!愛してるから……!」


 タファールは管制システムに異常がない事を確かめると、やおらピアスンを

 振り返って彼の判断について改めて苦言する。

「船長、F/IIIとの交戦規定はたった一つですよ。『どうせ死ぬ。とにかく逃げろ』」

「判っている、しかし目の前で犠牲が出るのを黙って見過ごす訳にもいかんだろう」

 ピアスンは手元の航法図に目を落としたまま、冷静に応えた。


「そりゃそうすけど……」

 ピアスンの返答にそれ以上言葉を継げないタファール。


「けど、F/IIIクラスの龍がどうしてレベルCの外縁部まで?」

 レッタの隣で共に霊基出力に関する計器モニターを確認していたミリィが疑問を口にした。それをパシズが受ける。


「体躯から察するにまだ若い龍なんだろう。密猟者達の敵意…いや、殺意かもな。恐らくはそういった物を感知して飛んできたのだと思う」

「そして彼らが使った――先刻地上で起きた閃光は対龍光爆閃術符のはずだ。まあ、出来は悪かったようだが……とにかく、連中を『敵』と龍は判断した。外敵の排除はあらゆる生物の本能だ」


「部屋にゴキブリが出たら始末するまで落ち着いて寝られませんしねえ」

 レッタが一番霊基の出力コントロールを行いながらも口を挟んだ。

「そういう事だな」

 強引だが割と適格なレッタの例えにパシズがふっと笑う。


 ミリィは物珍しそうにパシズの笑顔に目を見張った。


「けど、俺たちまで襲ったのは何でなんすか、死ぬとこでしたよ。これから死ぬかもしれないけど」


 タファールの愚痴兼疑問に答えるピアスン。

「それも若い龍、だと判断できる材料だよ。経験を積んだ高位の龍ほど無暗に人を襲ったりしないものだ」

「推察するに、あの龍は最初から密猟者どもを狙って飛んできたんだろう」

「その進路上に我々が偶然居た…のかもしれない。目障りだったのかもな。もし、全力の攻撃を受けていたら我々は今頃涅槃の淵だ」

「こちらから手を出そうとしなければ、龍達も人間を好んで攻撃する事はない。我々はそれを知っているし、龍達も理解している…と私は信じている」


「そういうもんすか?でも…」

 納得しかねる、と不服を唱えようとしたタファールだったが、探索システムが件の

 密猟者の存在を捉え、一同に告げる。

「…っと、見つけました!F/III龍の前方二ルム、本船より三、十二時方向!」


 マリウレーダが密猟者達を再度補足したのと同時に、龍も彼等を捉えた様だ。龍の両翼の術式が収束を始め、降下態勢に入った事が判る。


 その様子を捉えたパシズがミリィを振り返り、鋭い声を上げる。

「よし、俺達は降下の準備だ、下部格納デッキに向かう!」

「は、はいっ!」


 慌ててゴーグルを降ろし、パシズとミリィがブリッジ後方の扉を弾く様に開き、飛び出して行った。


 一方で、ピアスンがレッタとタファールに指令を出す。

「全フラップ格納、後部補助翼角度最大!一番番霊基出力を一時的に三十五%に!パシズ達が降下可能な高度まで方位二〇四で滑り込め!」

「りょうか…って、本気ですか船長!?」


 ピアスンの指令に従おうとしたレッタが耳を疑い、思わず振り返る。タファールはまるで目の前の人物が爆発したかように唖然としていた。


「いいからやれ!」

「ああもう!了解!いくよタファール!」

「勘弁してくれよ…!」


 レッタの、もうどうにでもなれという叫びで、タファールも操舵術式に手を掛け、機体の急制動を開始した。


 ―――――――――――――――――――


 マリウレーダは高度を急激に落とし、自由落下を利用した機動で速度を増す。同じく降下中の龍の斜め後ろから滑り込む様にスライドしながら龍より速く、地表に到達しようとしていた。


 損傷を受けた機体は保護機構の機能の大半を失い、物理的な空力抵抗により、機体各部…と言うよりも機体全体そのものに膨大な負荷が掛かっていた。このままでは空中分解すら起こりかねない。


 船内は降下により、固定していないあらゆる物が浮き、飛び回っていた。

 状況を知らない者がこの一場面だけを目にした場合、墜落と見紛うだろう程の混乱の様相を呈している。


 下部貨物格納デッキに続く通路を走っていたパシズとミリィも、その影響をもろに受けていた。ブリッジの面子とは違い、安全具で身体を固定していない二人の身体は容易く宙に浮き、通路の上下左右に打ち付けられる。


「えっ、えっ!?ちょっと!ちょっとおお!!」


 しこたま身体を打ち付けたミリィが痛みに呻き、ピアスンの操船に憤慨する。

「あのおっちゃん何考えてんのよ!?」


 対照的にパシズは廊下に寝ころびながら高笑いしていた。

「は、はは…はははは!本当にあいつは無茶するなあ!」


 ミリィは床に手をつき、半身を起こしながら、大笑いしているパシズを珍しいやら信じられないやらで言葉も掛けられず、茫然と見下ろす。ピアスンもだが、目の前で笑っているこのおっさんもどういう神経しているんだ…みたいな表情かおで。

 仮にも『師匠』として尊敬し、敬愛しているパシズであっても、思わず小突きたいという衝動が湧いてくる。


 そこにタファールのアナウンスが響いた。

「お二人さん!あと三十秒で降下地点だ、準備はどうよ!?」


 パシズの笑いがぴたっと止み、ミリィと顔を見合わせると、共に否も応も無く、その場から走りだす。


 二十秒。


 格納デッキの扉を半ば蹴破る形で突入。


 十五秒。


 デッキ内に設置された降下ワイヤーを自身が装着した補助金具へ連結。


 十秒。

 効果の為に急激に速度を落とすマレウレーダ。下部後方の貨物扉が開かれる。

 五。

 眼下を木々の突端が流れる。


 と、ここでミリィが確認しておくべき事があったのを、唐突に思い出す。貨物デッキの壁に設置された船内通信用の術符プレートに飛びつき、タファールに問い質した。


「そういえば回収地点の座標は!?」


 三。


 通信先でも一瞬息を飲んだと判るタファールが、早口で伝えようと努力する。事前に伝えるのを忘れていたらしい。


「…!53-3!あと、えーと確か、ええとええと…!」


 通信プレートからあわあわと応えようとするタファールの声が響くが、最早一刻の猶予もなく、パシズの叫びがそれ以上の応答を打ち切った。

「駄目だ!今行くぞ!」


 叫ぶと同時に、パシズが貨物扉から飛び降り、ワイヤーを伝って降下を開始する。


「戻ったらぶん殴ってやるからね!!」


 ミリィも、最期になるかもしれない悪態を全力で付き、パシズに続いた。


 ――――――――――――――


 河川に飛び出したあと、エルフェルト、モロッゾ、アカムは河川上流部の渓谷を目指していたが、逃走に利用していた跳躍術符が稼働限界に達し、現在は息を切らしながら走り、駆け、岩が散在する川岸を上っていた。もう少し上流へ行けばもっと大きな岩があり身を隠すには好条件との判断だったが、時間も体力も足りなかった。


「はあっ…はっ…はッ…、だめ、だ、もう走れねえ…!」

 エフェルトが両膝に手を置き、肩を落として息も絶え絶えに呟き、

「……お、俺もだ……」モロッゾが応えた。

「二人とも頑張ってくださいよ、もうちょっとっす!」

 アカムの通算四十四回目の『もうちょっとっす』が飛び出たが、最早誰もそれに気付く余裕などない。


 嵐は相変わらず吹き荒れていた。それに加えて、増水した川が轟く音も加わり、大声で話さなければお互いの会話が聞き取り辛い程だった。


 アカムに何か言おうと振り返ったエフェルトの顔が強張り、口をぱくぱくと動かしている。

「なんすか?え?何て…?」

 エフェルトの様子を訝しく思い、問い返すアカム。しかしエフェルトは、アカムの背後…上空を見上げているようだった。アカムが振り返ると、追ってきていた龍が河原に着地する瞬間が目に入る。暴風雨と、増水した濁流の音で全く気付けなかった。


「あ~~…」

 アカムの喉から不可思議な音が鳴る。

 エフェルトは彼の脱力した背姿を見て、断末魔としてはあまりにもお粗末だが、こいつらしくてそれも良いか、と不思議な気分になった。


 龍の首筋に雷撃の前兆たる術式が走るのを見て、エフェルトは覚悟を決める。ふと隣に居るモロッゾに顔を向けると、彼は前方を向いたまま、まだ肩で息をしている最中で、後方で鎌を振り上げている死神に気付いていないようだった。


 気付かずに死ねるならそれもまた良し。


 そして、龍が口を開き、雷撃が迸ろうとする瞬間。


 雷撃の発動音とは別の高い風切り音を唸らせながら、低空を巨大な影が横切った。


 その巨大な影の中から線を引きながら二つの小さな影が飛び出し、密漁三人組に

 近い川岸の草地に接地すると、そのままの速度でこちらに突っ込んでくる。


「!?」

 マリウレーダが低空を疾走する音に気付いたモロッゾが振り返り、そして後方で

 今、まさに雷撃を吐こうとしている龍に気付いて、そしてエフェルトの横顔を見る。

 エフェルトは新たに表れた正体不明の影に気を取られていた。


 龍が発した術式が収束し、遂に雷撃の光が放たれて、辺りを閃光が照らす。


「伏せてッ!」

 そこにスライディングで突っ込んできた影、ミリィが叫び、大きく振りかぶって

 個人携帯式の結界術符を地面に叩きつける。一瞬でミリィと三人の周辺に結界の術式が現出し、エフェルト達を直撃するはずだった光を弾くと、それが周辺の川、森に散り、着弾地点で次々と爆発が起きた。


 爆散の衝撃で膨大な量の河の水が舞い上がり、降り続ける雨以上の水飛沫が周辺にドザザザザ、と音を立てて落ちてくる。

 ミリィはゴーグルの奥から覗く紫の瞳で、鋭く周囲の状況を見回すと、その視線をエフェルト達に向けた。


「おまえらは!」

 状況を理解したエフェルトが叫ぶ。彼女が着ている制服は確かに第四龍礁管理執行局のものである事は判った。


 モロッゾとアカムは未だ今起きた事を呑み込みきれておらず、エフェルトとミリィの顔を見比べている。ミリィは余計な会話などする余裕が無い、という意思を簡潔に、しかし強い口調で告げた。


「話はあと!死にたくはないでしょう!?」

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