第二節10項「容される価値」
「ティムズ!?お前…何故…何が…」
パシズがティムズを見て言葉を詰まらせる。ティムズが現れた事、ではなく、目の前に現れ、両膝に手をつき、息を切らしながらパシズに顔を向けるティムズの雰囲気が、余りにも違って見え、一瞬別人にすら見えた事に驚いてしまったからだ。
「あ…あそこで待っておけと言っただろう、一体なぜ」
「…ミリィは何処に?」
問いを繰り返えすパシズに、呼吸を整えたティムズが問答無用で問い返した。
「………っ」
パシズはティムズの黒前髪の狭間に垣間見えた眼に、強く灯る光を見る。
パシズはこの眼光を知っている。幾度となく、見てきた。
そしてその光を宿す者が抱く、紫色の強い意志も。
彼の『云う通り』だ。問答している時間は、無い。
「…この先に村落の跡がある筈、あそこなら跳躍符機動戦に適した地形になっている、ミリィならそこに」
早口に手早くミリィが向かったと思われる…いや、ミリィなら絶対にそこで龍を待ち構え、対峙する、と『知っている』場所を告げるパシズ。長年の経験から、龍礁各地に点在する都市や村落など遺跡はほぼ頭に入っている。そして何よりも、ミリィの判断力もだ。
ティムズはそれを訊くなり、パシズが指し示した方向へと走り出そうとしたが、ふと振り返る。
「…パシズ、怪我をしたんですか」
「いいや大丈夫だ、それよりも…これを持っていけ」
パシズがポーチから板状の物を取り出して放り投げ、ティムズがそれを空で受ける。
「お前の跳躍術はまだ不安定だ。補う手札がなければ心許ない…。それと……」
そして更に、背後の革鞘袋を探って、何かを取り出そうとするが、一瞬何かが脳裏を掠めた様に動が止まり、言葉を留める。
「…いや、これはお前たちには扱えない。忘れろ。さあ、行け!」
「はいッ!」
パシズの激に間を置かずティムズは振り返り、示された道…
例え、そこに道、という名のものがなかったとしても、それは道、と言わなければならないものへと駆け出していった。
「………」
「くっ…」
ティムズが去り、パシズが痛みに耐えるように呻いた…ように見えたが。
「くくくっ…くっ…はははははは!」
堪えようとしても笑わずには居られなかった。
背後の木に背をもたらせ、ひとしきり笑ったあと、左足の痛み止めを再開しようと屈みこむ。術式を痛部に走らせつつ、パシズはその後もずっと笑みを浮かべていた。
――しまったな、もう少し、あの場に留まっていたら面白いものが見れたのに。
見逃してしまうとは実に勿体ないことをした。ビアードも聞いたら惜しがるだろう。
ただの凡弱な青年だった者が、自らの意思で、生き先を決めてゆく、男、へと変わっていった、まさにその瞬間など、滅多に見れるものではないからな。
―――――――――――
ミリィは微動だにせず、姿を現さないF/II龍への警戒を続けていたが、その目はいつからかずっと閉じられていた。
支援術符の無い単独の接近戦では勝ち目は無いだろう。
術符を通さずに展開する法術の幾つかは使えるが、どれもこれも決め手となる破壊力は期待できない。思索をいくら重ねても、いずれこちらは力尽き、追い詰められて餌食と成り果てる。そうなるビジョンしか見えなかった。
しかし、それでもティムズ=イーストオウルは救えた。その筈だ。それでいい。
最後に見た彼の姿を思い出す。恐怖に怯え、身動き一つさえ出来ていなかった。
始めての『接近遭遇』に、あいつは何も出来なかった。でも。
――それが、普通なんだろうな。私は…やっぱり私がおかしいのかも。
だって、初めて龍に逢った時、私は笑ったもの。
びっくりさせちゃった龍に追い駆け回されたけど、それでも笑っていた。
普通の女の子じゃないよね。それでも、ずっと逢いたかったものに逢えたから。
――さっきの龍は、怖かったなあ。あの時の私だったら、どうなっていただろう。
きっと泣いちゃったかもね。そして、きっと、さっきのあいつみたいになったんだ。
さっきの…彼の様になって、座り込んだまま、食べられちゃってたんだろう。
――それなのに、さっき、私は彼に酷いことを言ってしまった。謝まりたいな。
彼は辞めちゃうかもしれない…いや多分、そうなるだろう。私を嫌いになったまま。
ごめんね。でも許して欲しい。こんな私が、今の私なの。今の私であることを止めてしまったら、もう二度と今の私、には戻れなくなるから。今の私は……
ミリィが、ゴーグルの中の眼を開ける。
それを軽く覆う金色の髪先が、少し揺れた。
―――――――
ティムズは前を見据え、走り、駆け続ける。
しかし、道から外れた樹林の地面には、下草や若木、倒木が多く、足を取られ、思う様に駆けられない。こういった不整地でも機動力を落とさずに走破できるのも跳躍術の利点だった。…やはり、通常の走行では。このままでは。
そして、ティムズは無意識に『跳ね』ていた。以前の様に、ただ羅列された手順の様な言葉など露ほども浮かべずに。跳ぶ為に跳ぶのではなく、行くべき場所へ、行くべき時に行く、という、そもそもの根源に在るイメージこそが、ティムズの跳躍術を確かなものとして現出させ始めていた。
ティムズは自分がいつの間にか跳躍機動に移っていたことに気付いたが、それで少し驚いてしまった事によって集中が霧散してしまい、バランスを崩して跳ねる方向を誤り、思い切り顔を樹木にぶつけてしまう。そのまま転倒して二度、三度と転がるも、素早く立ち上がり、口内に滲んだ苦い血を吐き捨てると、再び跳び始めた。
何度も跳ねる方向を、幾度も跳ねる力を、何度も幾度もしくじり、その度に少しずつ修正し、やり直し、対応して、応用し、この短時間で『コツを掴んでいく』。
人は、転ぶことを恐れるのではなく、立ち上がる事を止めてしまうのを恐れるべきなのだ、とティムズは理解したのだ。
―――――――――――――――――
木立の狭間から
ミリィの身体を品定める、視線
木々の影が
彼を上手く隠してくれている
隠れている者は
彼女の身体を舐め回すように
味わうように
見つめつくしていた
(ああ、なんて美味しそう)
(今すぐ飛び出して、かぶりついてしまいたいものだ)
(あれは、動かない)
(腹が減った。もういいだろう?)
(あれは、どんな味がするんだろう?)
(腹が、減った。いただきます)
広場で立ち止まり、こちらを向いたミリィを警戒して、その様子をずっと木立の影から見ていた『彼』が、本能を満たす為の獲物を得る為に動き出した。
――――――――――――
(……そろそろ、かな)
思索を断ち切り眼を開いたミリィの腕が振られ、アームガードの内側から柄の様な物を出して握る。先程パシズがティムズに投げ寄越した物と同じ物だった。
木製で型作られたそれは全体に隙間なく、霊葉による術式が刻まれている。ミリィが小声で何かを呟くと、その刀身からすうっと光が伸び、通常の剣程度の長さの、弱々しい淡い青の光の筋が現れた。
幻剣術。
強力な媒介と強い術式を用いれば、通常の剣並みの強度に達するが、ミリィ達が通常の巡回、及び警備任務に当たる際に用いるのは、『当たれば結構痺れる』程度の効果しかない。それでも現在ミリィが持つ装備の中で、最も有効に使えるものだった。
ミリィが、それをひゅっ、と振りなおす。術式の光が散り、軌跡になる。
それと同時に、前方の木立の奥から何者かが接近してくる印が聞こえ始めていた。
(ほうらやっぱり……!我慢できなくなっちゃったのね……!)
……ザザ。
ザザザ。
……ぱき。
ばきっ。
ザザザッ!
(……来た!)
ミリィの全身に冷たいものが走る。
恐怖による拒否反応ではなく、戦闘に入る直前に度々起こることだった。
ミリィ自身には理屈は説明できないが、脳に流れる血の温度が下がり、頭が冷えて思考が鮮明になっていく感覚…。きっとレッタなら上手く説明してくれるだろう。
――レッタ、今頃何を…きっと計算してるんだろうな……
いや、忘れるんだ。考えるべき刻はもう既に過ぎている。目の前の敵だけに集中を――。
ミリィが腰を低く落とし、脚を大きく広げる。幻剣を構え、接近してくる者へと
闘志を向ける。
そして。
ガサッ!!
「……!ミリィ!!」
飛び出してきたのは、龍ではなく、ティムズだった。
「……へっ!?」
「良かった!無事だった…」
ティムズが安堵した声を上げる。
完全に予想外のティムズの登場にミリィは戸惑い、動揺してしまっていた。
困惑が思考を分断し、切れ切れの情報がミリィの反応を鈍らせた。
――何故?彼が?どうして?龍は?彼は?…あれ、彼じゃない?
いえ、彼だ。龍は?まずい。彼は。龍が。後ろに。
彼は、龍を!後ろに!振り返って。隙を!作ってはいけない!
龍を、背後に、している。隙だらけで!!!
「イーストオウル!!!!」
ミリィが叫ぶ。
ミリィの本来の読み通り、焦れた龍がミリィをいよいよ襲おうと動き始めた丁度その時、ティムズもまた、時を同じくして近づいてきていた。その為に再び木々の間で様子を伺っていたF/II龍だったが、ティムズが自分に背を向けたこと…そして、ミリィの無事を知った故の『安心という名の隙』を作ったことで、ティムズに再び飛び掛かったのだった。
――――――――――――――――――――――
「……ッ!!」
息を吞んだミリィの足が、思わず前に一歩踏み出る。
しかしミリィの眼には、跳躍術特有の青い術光を、その足に輝かせたティムズが、鋭く反応して回転し、背後からの龍の急襲を回避した姿、が映っていた。
完璧な回避機動とは言えない、どこか不安定で、おぼつかないものではあったが、それでも、彼は確かに、自らの意思で術式を操ってみせていた。
立ち上がったティムズが腕を振り、ミリィが持つ物と同種の幻剣を現出させる。
パシズのものは何処か黒みがかった光を放つ。それはミリィにもすぐに判った。
つまり彼はパシズからそれを受け取り、ここに来た…。
しかしそれは良い。一体全体、何が起きたらこうなる?
素早い体術と思考には自信のあるミリィだったが、この状況を把握する事は流石の彼女にも不可能だった。ただ呆然と彼と……そうだ、龍は?
この数舜、ティムズの、蒼白だが決然とした表情に意識が行っていたミリィの視界が、倒れているF/II龍に向き直る。
ティムズへの口撃、に失敗した龍は、頭から地面に突っ込んで一時的な行動不能に陥っていたが、ティムズが立ち上がるのと同時に体勢を持ち直し、頭を上げて、たった今逃した獲物を見定める。F/II龍にとってもティムズの回避は意外だった。警戒するように両前後脚に体重を込める。
ティムズもそれを睨み返すように対峙するが、その身体は再び震え始めていた。
それを見たミリィが思わず叫んだ。交戦中の味方の気を逸らす事など言語道断、という戦闘の心構えなど吹っ飛び、声に出さずにはいられなかった。
「なっ……に、してるの!逃げてって言ったのに!!ばか!!」
「うるさい!!!話はあとだ!!」
「っ……!」
ティムズが叫び返し、その震える声が孕んだ凛気に
ミリィ…と、更にF/IIも一瞬たじろぐ。
再び間近で龍と相まみえたティムズは、またも恐怖に震えていた。
しかし、今はその意味を判りかけてきた。
人は、何故恐怖するのだろうか。
恐怖を感じ、心臓が早鐘を打つのは何故なのだろうか。
それは、恐怖を感じるほどの事態、敵、に相対した時、それを打ち破る為に、血液だけではない何か…ちから、を身体中に巡らそうとする、こころ、の機能なんだ、と。
だから、ティムズは恐怖に打ち勝つ、ということは止めた。
だからこそ、こころが、からだを、ちからで満たしてくれる。
だから、もう、俺は、闘える。
―――――――――――――――――
そう、「話はあと」だ。
ティムズの叫びに我に返ったミリィが、彼女の存在が一時的に意識の外になったF/II龍の背後へ素早く跳躍する。
それを横目で捉えたティムズが、左方向へ短く跳ぶ。
跳躍してくるミリィが、F/II龍の死角になるように。
ティムズの動きに釣られたF/II龍の背後へ飛び込み、体勢を低くしたミリィが、F/II龍の後脚へ幻剣を振りぬく。
切断の効果がある式ではないので、直接肉体に損傷を与えられるものではないが、攻撃を与えた部位に術式光が走り、電撃が散った様な瞬きが起きる。痛みと衝撃に吠えたF/II龍が尾を振り、ミリィを打ち付けようとする。
ミリィは既に飛び込む様に前転し、尾の攻撃範囲から離脱していた。
尾撃に手応えを感じなかったF/IIが、回避した先で、幻剣を再展開したミリィを見る。ミリィはわざと大きく、振りかぶって、それをF/IIに見せつけた。その理由は。
痛みを嫌がったF/IIがミリィを睨むように凝視する。今度はティムズがF/IIの死角へと滑り込んだ。ティムズの幻剣が、F/IIの首元へと向かう。ミリィが作った隙、を確実に捉えたのだ。
更なる衝撃に、苦悶の声を上げるF/II。怒り狂った様に、ティムズの方を振り返る。ティムズは既に後方に、ととっ、と、軽く下がっていた。
相変わらず顔面蒼白で、怯えた子供の様なぎこちない跳躍だったが、その黒い瞳
だけは爛々と輝いているティムズの顔を、ミリィはちらりと見る。
――何だろう、これは。今、私が抱いているこの気持ちは。
ミリィの頭ではなく、胸に一閃、何かが走ったが、その正体を探っている時ではない。しかし、それは彼女の口元に薄っすらと浮かべた笑みに現れていた。
(……やるじゃない……!あとで、いっぱい謝らせてね……!)
『あとがあれば』と言う言葉を、ミリィは使わない。
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