第二節5項「定例会合 1」

「はあ!?追加の人員ってお前なの!?どう見てもド素人じゃねーか!!」


 タファールが飲み掛けの葡萄酒を噴きそうになり、咳込んだあと、ティムズを指差して大声で叫ぶ。


「それはもう私が言ったー」


 同じくソファに深く座り、葡萄酒の入ったコップに口を付けながら、ミリィが目を瞑って言う。


 夕食を兼ね、マリウレーダのクルー達は定期会合の為、本部内にある談話室の片隅で集まっていた。談話室は豪華な屋敷の居間、と言われても違和感がない様な感じで、様々な調度品、絵画、暖炉などが目を引き、テーブルもソファも、何組かの椅子も、値が張るものの様にティムズには思えた。


 クルーは総勢六名居る、とミリィは言うが、現在談話室に居る隊員はミリィ、レッタ、そしてタファール、の3名のみだった。あとはこの後来るであろう、上官に当たる2名と、もう1名、船には直接乗らず、ミリィもまだ数回しか逢った事のない、隊を監督する上級管理官が居る、とミリィは語っていた。


 前述したように、チームは結成時から既にもう人員不足に悩まされていた。

 それぞれの専門担当に専念するだけでは楊空艇の運用はままならず、担当職務に当たる傍ら、各々が様々な雑事を分担しており、そしてそれは船(隊)長と副隊長……ピアスンとパシズも例外ではなかった。


 ――――


 かねてより喉から手が出る程の要望を出していた身として、やっとやってきたのが、学院を卒業したての貧弱な坊や、という事を知ったタファールは、失望と怒りを隠すことなく大いに憤慨していた。


「……なんかすいません、ほんと」


 別にティムズは彼等を騙そうとやってきたのではないが、こうも立て続けにがっかりされる顔を見ていると申し訳ない気持ちで一杯になる。


「文句言っても仕方ないわよ、それにまだ正式に決まった訳じゃないし」


 昼間の作業着のままのレッタもまた、猫背気味にソファに座っていて、先程からずっと手元のメモに何かを走り書きし、そして首を振ってそれを消す、ということを繰り返しながら、タファールの言葉を受けた。ティムズの事にはあまり興味が無いらしい。と言うよりも基本的に他人…人そのもの、に興味がないのだろう。髪型の無頓着さもその表れなんだろうなととティムズは感じていた。


 一方でタファール=ネルハッドは初対面からティムズに興味を持ったらしく(と言うよりも一目見るなり『お、新入りだな』と気付いた。龍礁局員三百余名の顔と名を全て覚えているのが自慢らしい)、色々と質問責めしていたが、ティムズが『増員』だと知るとあっと言う間に態度を翻し、冒頭の台詞を吐いたのである。


 タファールは今年で二十七歳になる。

 元々はロパニオール侯国の隣、トルデアルシカというアラウスベリアで最も面積も人口も少ない国の生まれで、そこそこ裕福な家で育ち、学業で優秀な成績を修めると、デトラニア共和国の私立の法術院へと留学し、法術を学び…そして何故かその後大陸中の国々を回り職を転々としたあと、この龍礁へとやってきたと言う。

 法術院ではあらゆる情報の解析を目的とした術式を専門としていて、その能力を買われて龍礁でも情報管理官としての職務についていたが、やがてピアスンにスカウトされてマリウレーダのクルーとして配属された…という話を初対面から2分の間で終えてきた。


 生粋の話好きで、同じく人の話を聞くのも好きだ、という彼は龍礁内でも幅広い人脈を持ち、様々な『情報』を得ているらしく、龍礁内の人間の性格や人間関係などは全て頭に叩き込んでいるらしい。


『単なるゴシップ好き』と言えばそれまでだが、時にピアスンですらまだ知らない重要な情報を持ち込んでくる事もあり、その点においてはクルーの中でも一目置かれていた。

 


 彼はティムズより背が高く、面長で、垂れ気味の目と同じ色の黒髪は若干刈り上げ気味で、頭頂部は膨らんだ感じになっており、ティムズはどことなくキノコっぽいな、と感じていた。顔も口元も常ににやついており、大抵の場合は皮肉と愚痴、そして文句を垂れる為の装置として機能させている。


「……っあ~レッタ先生、マリウレーダちゃんはいつになったら修理が終わるんでしょうか。忙いのは勘弁だけど、地上したでの仕事はもう退屈で退屈で」

 欠伸をする為だけに口を開いただけでは勿体ないから、という理由で、ついでにレッタに話しかけるタファール。その理由を知っていたらレッタはきっとこいつを殴っただろう。


「判らないわよそんなの、あんたも法術技師の端くれなら、ちったあ私を手伝いなさいっての…こっちは退屈なんて言葉、生まれてこの方使ったことないわ」

 術式を書いては消し、書いては消し。ティムズは彼女が一体何をしているのか気になりだしていた。しかしタファールのせいで今は機嫌が悪そうで、尋ねる機ではなさそうだった。


 ひと月前の嵐の晩に起きた密猟者侵入事件の折、F/III龍に事実上の撃墜を喰らって大破したマリウレーダの修復作業は遅々として進んでいなかった。

 修理に必要な物資が不足していたのが最も大きい。

 レッタと言えど、物が無ければどうしようもない、との弁だったが、物資の輸送が再開され始めた今、その部分はなんとかなっていくだろう。

 

 ただ、楊空艇という他にあまり類を見ない特殊な船においては、部品の整合性…統一規格などというものは無きに等しく、修理をするに当たっても寸法から重量から部品同士の相性、何から何まで再計算をせねばならず、レッタはその計算に朝は早くから夜遅くまで取り込んでいるという。


 タファールは先のレッタの言葉に引っ掛かったものがあるらしく、身を起こして更にからかおうと言葉を掛ける。


「ほほう?"天才"レッタ=バレナリー大先生でもわからない事があるんですねえ?」

「判らない事は判らないと知り、認めるのも天才の条件の一つなの」


 レッタの素早い返しにタファールは次の言葉を返せず、納得した様子であっさりと退散する。


「……うん、それはまあ、そういうもんだな」

「判ればよろしい」


「……」



 会話が途切れ、暖炉の薪が爆ぜる音だけがパチパチと響く。

 ミリィはその前に置かれた揺椅子に座り、片手に持ったグラスにまだ半分も葡萄酒を飲み残していることも忘れたように、憂い表情でぼうっとその炎を見つめ、何やら思いに耽っていて、昼間の多少姦しさすらもあった彼女とはまるで別人の様な印象も受ける。ティムズは多分それは、揺らめく炎の灯りが穏やかに彼女の表情を照り撫でているから、そう見えるのだろうと思った。炎が放つ光は時に、人物の持つ別の一面をも浮かび上がらせる…そんな力を持っている。


 その時、カツカツという革靴と、また別のゴトゴトという音が交じり合い、廊下から響いてきた。


「あ、船長かな」

 それまでグラスを片手にぼんやりしてたミリィは物音に気付くと、そう言いってグラスを近くのテーブルに置き、ぱっと立ち上がる。

 レッタもそれに続き、タファールも同じように起立した。


 何事かと思ったティムズもとりあえずそれに倣い、ミリィが言う『船長』をクルーと同じ様に待ち構える。


 開いたままだったドアから男性が二人入って来た。

 背が高く、剛健な体格を持つ方の男は左足を骨折しているのだろうか、膝から下に包帯を何重にも巻いており、松葉杖をついている。

 その男の前を、髭を蓄えた少し痩せ型の、壮年の男性が、男性の歩き方の見本、と言ってもいいような足取り、きっちりとした歩調でこちらに歩いてくる。


 男性二人が、それを待ち構えていたクルー一同の前に立つと、クルー達は両手を後ろで組み、背筋をぴんと伸ばして立った。先程まで休日のおっさん宜しくだらけていたタファールも、普段は若干猫背気味のレッタも、姿勢正しく『船長』を迎える。

 軍属ではないので、敬礼の様な所作こそなかったが、船長は厳しく、隊はきっちりとした規律の元で動いているだ……と思ったが。

 

「……休め」


 『船長』がクルー達の表情を一人ずつ確認し(ティムズに一瞬を目を留めるが、ひとまずそれを無視した)、威厳のある低い声で言うと、クルー達は着席し、また先程までのだらっとした緩やかな様子に戻っていた。やる時はきちんとやる、しかしそれ以外は各々が自分らしく振る舞う、という隊風なのだろう。そしてそれは実際に船長(正確な肩書は隊長なのだが、経歴と容貌と性格に敬意を込めて船長と皆が呼ぶ)であるピアスンが隊を指揮する上での指針だった。


 ピアスンが暖炉を背後にした一番大きなソファに座り、松葉杖の男がその左後方に立つ。彼は入室してから一言も喋っていなかったが、その体躯の大きさと見るからに厳しそうな表情と風体で、ティムズは初見で『怖そうなおっさん』という印象を受けていた。

 ピアスンはソファに深くゆったりと座り、感触を少し楽しむように目を瞑って、長く息を吐き、そして再び目を開いて、クルー達に言葉をかける。


「では、今週の定例会合を始めよう。先ずは乾杯を以て各々の一週間を労わせてくれ……と言いたいところが、もう既に皆飲んでいるようだな」


 柔らかな口調でピアスンがふっと笑い、それならすぐに、といった感じで顔つきと口調を厳格な調子に戻して、短く言う。


「各員、経過報告」


「はっ」


「情報要員、タファール=ネルハッド。現在は各施設の物資目録の作成と管理で死にそうになっております。本日に至ってはデユーズ氏が突然『1時間以内にリストを上げろ』と言い出しやがったので更にひでえ1日になりました」


「機関要員、レッタ=バレナリー。現在は楊空艇整備格納庫でマリウレーダの復旧に務めています。ようやく物資が届き始めましたので本日から、主要駆動機構の交換を開始しました。但し……」


 すらすらと状況を報告を上げていたレッタの言葉が切れ、ピアスンが尋ねる。


「どうした?」

「いえ、ちょっと……あー、長くなるんでこの件はまたあとで」


 レッタは先程から弄っていたメモにちらりと目を落とし、ピアスンに応えた。

 ピアスンは短く頷いて、ミリィの方へ向き、彼女にも報告を促す。


「判った。では……ミルエルトヴェーン」


 名前を呼ばれた瞬間にぴくっ、と彼女が反応したことにティムズは気付く。

 いつだかの自分の様に、ぼうっとしていて突然呼びかけられた、という事ではないだろう。それまでも真剣な顔でタファール、レッタの報告を聞いていたからだ。


 ミリィという愛称ではなく、(例え緩い雰囲気でも)こうした公式な場での中で本名を呼ぶのはごく普通のことだ。しかし彼女はどうもそれを苦手…というよりも何かを恐れる様な反応を見せた。それはミリィが自分の名を語ることですら苦痛だという次の報告の言葉からでも判った。


「船外活動員、ミ……ミルエルトヴェーン=Y=シュハル。現在は本部施設の情報集積室で、主地図の情報術式の更新を主としています」


「そして本日は、ファスリアからここへの配属を命じられたトーマス=イーストオウル君に、本部施設の主要部署、並びに楊空艇マリウレーダの修復作業の見学の為、同行していました……が」


 名前以外は、他の者と同様に淀みなく報告を上げていたミリィが言葉に詰まる。

 ミリィは横目でティムズをちらっと見る。言いにくそうだった。

 ティムズは初めから彼女を見ていた。但しこちらは眉をしかめて。聞き逃す所だったがそうはいかない。名前間違えてるし。今日一日近くずっと二人で居たのに。


 ピアスンはミリィの言葉を聞き、クルーに交じって座っていた若者の正体を知ると、納得したような顔をした。そして更にミリィはティムズの落胆を増やしていく。


「……ですが、彼はまだファスリアの皇立アカデミーを卒業した直後であり、我々の職務に要求される資格、技能に相応するを持ち得ていないという事で、そこで、彼の基礎体力、法術行使力の測定を私の判断で行ったところ、えーと、そのお……彼はごくごく普通の青年であり、術式の取り扱いについても、えー、ああ、非常にありますが、現時点では多少不得手とするようでありまして……」


 彼女なりに気を使い……というか気遣いではなく、なんとか彼を雑用として編入させようとするミリィの思惑だと思われる言い回しでティムズについて語るミリィ。少なくとも今日一日彼女と接して、ミリィの性格を多少は知ったティムズにはそう思えていた。

 しかし、それらは全て事実である事は確かだ。

 確かに今日の会話の中で交わされた情報を、全て包み隠さず話している。

 自分に利するように嘘をつく、という事は、彼女はしていない。

 

 それにしても我が言われごと、ながら、その能力が通常より劣っている…ということを『伸び代がある』、と言い換えるのはのは上手いな、とティムズは思った、

 だけどそれどころじゃない。

 一応は覚悟を決めて、下っ端だろうが雑用だろうがどんとこい、何でもやります!という気になっていたティムズだったが、彼女がつっかえながら次々と自分の不安材料を上げていくのを聞いて、厳格そうな『船長』と、その隣でティムズを怪訝そのものの表情で見ている屈強な男の、そのどちらかが『そんな奴使えるかぁ!』と声を荒げてティムズを叩き出すのではないかと恐れ、諦め始めていた。


 タファールはにやにやしながら事の成り行き……特にティムズの顔を見守っている。彼の脳内では今「可哀想だけど明日の朝には馬車に乗って実家に帰る子なのね」という台詞でいつ横槍を入れてやろうかという事が巡っている。


 レッタは自分の報告を上げた時以外は、相変わらずメモを取り続けていたが、ミリィの企み、魂胆は知っていたので、この時は少し面白そうな顔をしてミリィの顔を見ていた。一応の前置きをしておいて、これからティムズを採用することでどんなに隊について好影響があるのか、という事をつらつらと挙げ始めようとするミリィ。


「ですが、しかし、チームは慢性的な人材不足に悩ませられており、様々な雑務を補助する人員が一人増えるだけでも、我々の任務には好影響があると考えられ…」

 

 


 しかし、ピアスン。

「うむ、そうか。宜しくな、イーストオウルくん」



「……はっ?」

「え?」

「んん?」


 ミリィ、レッタ、タファールが同時に声を上げ、そして一瞬遅れてティムズも

「えっ」と言い、更にそれまで一声も上げていなかったピアスンの隣の男も「なっ……」と声を漏らす。


 ピアスンもまた、クルー達の反応を見て「ん?」と若干の動揺を見せた。まるで任務中に稀に下す、無茶な命令を聞いた時のクルーの反応そのものだったからだ。


「何か問題か?パシズ」


 傍らの男を見やり、ピアスンがパシズに尋ねる。

 パシズは怪訝な顔をして、ピアスンの疑問に答えた。


「いや……船長、ミリィの話を聞いていたか?彼は……その」

 パシズがティムズをちらと見、彼の立場を表す言葉を探そうと……


「ド素人のガキ」タファールが口を挟む。


「そう、素人のガ……少年だぞ。危険ではないか?」

 もう少し柔らかな表現に努めようとしたパシズだったが、タファールが差し込んだ表現からは逃れられず、結局少し言い換えただけの、同じ意味の言葉で言う。

 

 異議を唱えるパシズに対して、ふむ、と思案するピアスン。

 パシズだけではなく、その場の全員に向けて諭すように語り掛け、最後にまたパシズへと言葉を投げる。


「この場に、自分はそうじゃなかった時期がある、と言い切れる者は居るか?居るのなら彼の採用は取り下げよう」


「誰でも始めは何も知らないものだ。真っ白な画紙の様にな。しかし、だからこそどんな絵も描ける。最初から完成された絵画を観るのも良いものだが、そこにどんな絵が描かれていくかを見届けていくのも面白くあるし、それが…我々の様に歳を重ねたものが、彼のような若者たちに対して負うべき義務と責任だ、と私は思っているんだがね」


「………」


 パシズは何も返さず、ただ静かに一度だけ頷いた。


 レッタも、タファールも神妙な顔で今の言葉を聞いていたが、ピアスンが

「まあ、お前達は少し雑過ぎるが」と付け加えると、苦笑をこぼす。


 ティムズはこの一連の状況にずっと戸惑っていたが、それ以上に戸惑っていたのは当のミリィの方で、同じく口を開けて聞いていたが、やっと「あ…じゃあ…」と呟くと、正式なピアスンの命令、を促そうとした。


「うむ、認可する。ここに…私、マリウレーダ隊隊長、ビアード=ピアスンは=イーストオウルを正式にマリウレーダの二級隊員として認める」


「……」

 ピアスンの儀式めいた訓示が終わったのを見計らった様に、タファールが

「おお、やった!宜しくな!!」

 と笑いながら肩を組みに来るタファール。こいつはわざとだ。


 タファールの大声に「あの……ティムズです……」と言うティムズの声は搔き消され、レッタは再びメモに目を落としたが、口元には笑みが浮かんでおり、ミリィは安堵した様子で胸を撫でおろして、パシズはピアスンに「まあ、船長命令は絶対だからな」と諦めたような納得したような声を掛け、そしてピアスンがパシズに、


「私ももう良い歳だからな。人員不足のせいと諦めていたが、そろそろいい加減、私を掃除と食事担当の順番から外して貰いたいと思っていたんだ」


 と言い、パシズはピアスンの冗談とも本音とも取れる言葉に、また大笑いしそうになるのを必死に堪えたのだった。

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