第二節4項「邂って逅する 4」

「うーん……もう大体のことは説明しちゃったし…これからどうしよっかな」


 楊空艇の整備に戻るレッタに別れを告げた後も、ティムズとレッタは暫く楊空艇の修理に取り掛かる工廠の技師たちを観察していた。そうこうしている内に午後も深まり、既に陽は傾き始めており、これから更に外縁部へと足を運ぶには時間が足りない、とミリィは言う。


 とりあえず本部施設へは戻っておこう、と、色付き始めた陽差しの中を、二人は歩き始める。ミリィはその道すがら、頭をぽりぽりと搔きながらずっと思案していた。


「この時間から外に出たら夜の集まりに遅れちゃいそうだし、それに…そろそろ夜行性のF/IIが出る時間になっちゃうしなあ…うーんうーん」


「今は馬たちも皆出払っちゃってるし…ああもう、マリウレーダさえ使えればなあ」


 先程まではどんどん先に進み、ティムズを引っ張ってさっさと歩いていた彼女だったが、思索にふけるあまり、今はティムズの半分程度の速度で歩いていたので、ティムズは今は逆に彼女に合わせ、ゆっくりと歩き、彼女の横顔を見ていた。


 考え事をしている人に何かを尋ねるのは気が引けるが、彼女が口にした楊空艇の名を聞くと、どうしてもまた気になった事がある事を思い出し、遠慮がちに尋ねてみる。


「そう言えば、そのマリウレーダ…だけど、なんであんなに壊れちゃってんです?」

「うん?ああ、あれはねー………」


 ティムズの質問に応えようと顔を向け、件の嵐の晩の事をかいつまんで語り出すミリィ。時に大袈裟に…自分の活躍(?)の事は若干(?)盛って。


「……と、言う訳で、すっごい強い新種の龍に出くわしちゃったの!そりゃもう盛大にやられちゃって…あぁ、大丈夫。死人は出てないから!」


 マリウレーダの損壊の有様を目の当たりにしたティムズが、その様子から相当の人的被害にも想像が及んだらしく、顔が引きつったのを見て、ミリィが付け加えた。


 しかし、その甲斐もなく、ティムズの表情は怪訝なままだった。

 じゃあ怪我人は出たんですね……と言いたげに。そして、ミリィが先程警戒していたのはそれだったのだろうか、と改めて気になり、訊いてみる。


「それが……さっき言ってたF/ IIって奴ですか」

「ううん、違う…あの時の龍はF/III…」



―――――



 最後の被弾を受けるも、無理な体勢から射出されたF/III龍の雷撃は威力不十分で、まだかろうじて撃墜を免れたマリウレーダは奇跡的に航行可能な状態をなんとか維持していたが、いよいよ命運も尽き、龍礁まであと若干3ルム(1ルム=約2km)のところで遂に墜落。


 追いついてきた龍に、文字通りの踏んだり蹴ったり、かじられたり爪を立てられたりで、ピアスン以下五名のクルー、そして三名の"乗客"は死を覚悟し、アカムは母親に遺書を書くからペンを持ってこい、ペンを持ってこい、と取り乱し大騒ぎするも、誰もそれを咎めることもなく、むしろ他にも書きたい者が居るだろう、と、ピアスンがタファールに皆のぶんのペンを用意してやれ、と命令したところで、襲撃時と同様に唐突にF/III龍は襲撃を止めると、そのまま踵を返し、その場を去っていった。


 龍礁管理局本部ではF/III龍出現、接近中の報を受け大混乱に陥っていた。過去の事例ではF/IIの大群の襲撃を受け職員の95%が死亡した事件もあり、それに比する被害を受けることが懸念されたのである。

 一般職員の避難、本部施設の守護を司る結界法術の全域展開、戦闘技能を持つ警護兵、及びレンジャーの招集、ありとあらゆる迎撃措置が講じられ、緊張が走った。


 しかしF/III龍は去り、クルーと密猟者は命からがら大破したマリウレーダから脱出し、帰還命令を受け戻ってきていた他の監視隊…アダーカ隊に回収され、全員の生存が確認されたのである。



――――



「……すいません、さっきから、なんか質問ばかりで」


 嵐の晩の顛末を思い出し、表情を曇らせたミリィにティムズが申し訳なさそうに言う。質問責めにしたことで彼女の機嫌を損ねてしまったのかと思った。


 しかし、ティムズの言葉ではっとしたミリィは、再び笑顔でティムズに応えた。


「いいのいいの!来たばっかりだし、聞きたい事は一杯あるよね!」

「私も初めて来た時は似たようなものだったし」


 そして、当日のことをティムズに話した事により、レンジャーとして最も必要であり重要な資質を思い出したミリィが、ようやく今後の予定を思い付く。


「そうだ。軽ーく、どれくらい動けるか、見せておいて貰おうかな。実力が判ってれば今後の事も決めやすいし、チームから死人を出したくないし」


 不穏な語句を含むミリィの朗らかな笑顔。

 しかし事実であり、真っ当な理由もある。

 生半可な実力の者が足を引っ張れば、隊全員にも危険が及ぶし、そして何より、他ならぬティムズ自身に生命の危険があるからだ。

 最後の語句を言う時にはもう、ミリィは笑っていなかった。


 真剣な眼差しでティムズを見つめていた。



 ――――—――――


「はッ、はあっ……!はぁ……」

 内着のシャツ姿で息を切らしたティムズが、時間経過を確認する法術式を手元に浮かべたミリィの前を通り過ぎ、ミリィが「はーいお疲れ~」と声を掛ける。


 龍礁本部施設が取り囲む形で中庭が設けられていて、公園の様に整備されており、その一角に、木材で作られた様々な器具(ミリィによると、レンジャーの訓練用の器具らしい、が、実際に使っている所は見た事がないらしい)が設置された区画があった。そして先ずは本当に基礎の基礎、の体力を計るために、基本的な運動でティムズは試されていた。


「…うう~ん…?」


「短距離走も中距離走も筋力テストも何もかも平均値…?」

「これってもしかして逆にすごい才能なんじゃないかな…」


 龍礁管理局の資料保管庫から適当に持ち出してきた、龍礁職員の体力テストの結果を記した表と、手元のメモのティムズの結果を見比べながら、ミリィは困惑する。


「はあっ(長旅でっ)はぁッ、(疲れ)はっ…てんだよ…!」


 後半は思い切り言葉に出ちゃうティムズ。

 こちとら今朝着いたばっかりで、昼飯も満足に食べてない身なのだ。

 ミリィの勧めに従って、無理にでも食べておくべきだったのかもしれない。

 それに、まだ旅行用のブーツを履いていた。長く遠く歩くには良いが、こうして走り回るには致命的に向いていないと思った。


「如何なる状況でも自らの力を信じ、その全てを発揮できるように努めよ」


 ミリィが取り澄ました顔でパシズの日頃の物言いを真似してみせる。

 しかしティムズには伝わらない。知らないもん。


「んじゃ、お次は……アレ!」


 まだ肩で息をしているティムズが、もう勘弁してと懇願する様な表情を浮かべた。

 しかしミリィはいつまでもあっけらかんとした表情で、指差した先にある人の背丈の倍はある、木組みの天辺からロープが吊り下がっている器具の上を顎で指し、ティムズに言う。


「さ、あそこまで登ってみて」


「………くっ、いくぞ!!」


 もうここまで来たらやれるだけやってしまえ、と自棄になったティムズが気合の掛け声と共にロープと格闘し始める。体力的にもう限界であり、ロープの上残り1/4を上る時には最早悪態にも近い叫びを上げていた。


「くっそお!うおお!ちくしょおお!」


 腕がパンッパンになりつつ、なんとか必死に上まで登りきるティムズ。

 力を使い果たして、降りた、というよりは落下した、したという感じで地上へ落ち、へたり込んでしまった。


「情けないなあ、普段運動してないでしょー」


 くすくすと笑うミリィに、体力測定を種に馬鹿にされているだけのような気がして、流石にティムズも気分を害し、ミリィを見上げて睨み、彼女の細い身体と腕を見咎める。

 彼女だってそんなに体力がある様には到底見えないし、ましてや今ティムズがやった様な力業は不得手に決まってる。安っぽい復讐心を晴らす為、挑発を仕掛けてみる。


「じゃあ……きみもやってみせてよ……俺より早いんだろ?当然」


「いいよお」


 あっさりと返事を返し、軽い準備体操で身体をほぐしながら、ミリィが平然と台に向かい立つ。ティムズは、座り込んだままぽかんと彼女の様子を見守っていた。


「よっと!」


 ミリィは軽めの掛け声と共に、台を構成する木枠に飛びつき、その上によじ登ると、次々と木枠を器用に飛び跳ねるようにして、あっと言う間に上まで登り切ってしまった。口に出す気は全くないが、まるで猿そのものだ、とティムズは思わずにはいられない。


「えっ……それアリなの!?それって……ズル……」


「誰もロープを上って登れ、とは言ってませんことよ?」


 頂上の木枠に危なっかしくもすっくと立ちあがり、腕を組んで得意げな姿で、眼下のティムズを気取った物言いをするミリィ。


「目に見えるものに囚われてはいけない、という一例ね!お忘れなく!」



――――――




「最後は跳躍術だけ見せて貰って、終わりにしよう。時間も丁度良さそうだし」


 日が暮れようとしていた。


 辺りはすっかり夕暮れに染まり、中庭から見える本部施設の窓にも、次々と明かりが灯り始めている。


 ミリィが腰元のポーチから、ティムズも良く知っているはずの術符、を取り出す。

 しかし、今ミリィが手にしているのはティムズは初めて見る形式の物だった。


 通常、法術を行使する為に使う媒体としての術符、と言えば、一般的には薄い紙に、それ自体が力を持った言語…霊葉れいようを以て術式を記したものを指していた。しかし、法術理論が発達している昨今では様々な素材、形状、形式のものが考案、開発されており、ファスリアで広く普及しているのは、形こそ若干の違いこそあれど、大抵は人差し指程度の棒状の板型のものだった。

 

 ミリィの手のしているのは小さめのカード、という感じの形状をしていた。

 恐らくはこの龍礁…と言うよりもこの地方ではこれが基本形状なのだろう。

 術符は作成方法さえ知っていれば、誰でも造れる物だったが、作成者自身、そして作成者の住む地方、国の文化によってそれぞれまた違う特性や見た目を持つらしいという事をティムズは思い出していた。


 跳躍術はこの世界において、殆どの人間が一度は使うものであり、こと戦闘においては絶対的な基礎技能と考えられている。如何に有能な法術使いであっても、距離を詰められ術を発動する前に白兵されては真価を発揮できない。そして逆に、如何に屈強な剣士であっても、距離を詰められなければ、剣を振るえない。

 この関係性がこの世界独特の戦闘様式を生み、白兵戦を主とする剣士も、術戦を主とする術士も、そして魔物を相手にするような冒険者であっても、基本的には同じ機動力を持つ様になっていった。


 一般に広く普及し、殆どの誰もが一度は経験し、使いこなせるが、中にはたまに不得手なものがいる…

 この世界では存在しないものなのでこの文体で例えるのが非常に難しいが、もう思い切って例えてしまうと、つまりは自転車みたいな感じである。もう諦めた。ごめん。


 ティムズは術符を受け取って、ブーツの踝辺りに設けられた隙間に術符を『仕込んで』いく。衣類によっては専用の術符スロットが存在し、術符の効果を高められるように設計された戦衣、が存在するが、大体の場合は、ただこういった隙間に差し込むだけでもある程度の効果を発揮することもできた。


 ティムズ自身も跳躍符を使った事が無い訳でもないが、久しぶりだ。

 かつてはジョシュと共に青都郊外の野山を跳ねまわったものだったが、それも大分昔の話だ。当時は何も気にしていなかったが、今でも同じように動けるかどうかはやってみなければ分からなかった。


「それじゃあ、いつでもどうぞ」


 ブーツへの仕込みが終わり、ティムズが立ち上がって軽くブーツ同士を蹴り合わせていると、ミリィが声を掛ける。


「……」


 ふう、と軽く息を吐き、集中するティムズ。


「…っ!」


 そして左足を軸として、右足先に意識を集中し、一歩を踏み出した。

 踏み出した右足先が痺れ、収縮するような感覚が包む。

 ブーツの隙間から光が漏れ、術符が起動したことを示す。

 右足首の周囲に法術の現出を表す術式光が走る。

 その右足先に全体重をかけ、収縮されたものを一気に解放するイメージ。

  

 パシッ!!と水面で何かが跳ねるような音が響き、ティムズの身体が

 一気に前へと『跳ぶ』。


 左足が接地する瞬間、再びその一点に全てを収縮させる。

 慣性が掛かり、体重が一気に左足に流れ込むのを、術式に変換し、

 その光が散る事に依って防ぐ。

 そして今度は左足先で再び前方へと跳躍し、そしてまた―――


「…ッ!しまっ……」


 左足で地を蹴り、更に前方へと跳ぼうとした瞬間、解放するべき力のベクトルを誤ってしまったティムズの身体が明後日の方向へ吹き飛び、訓練区域の脇に無造作に置かれていた樽と木箱の山に飛び込んでいった。


 ガラガラドッシャボコーンというド派手な破壊音と、ティムズの末路に肩をすくめ、ぎゅっと目を瞑ってしまうミリィ。そして薄目を開け、ティムズの成れの果てを恐る恐る見ると、「あちゃあ……」と額に手を当てる。


 樽と木箱の残骸の間から、ティムズの両足だけが飛び出していた。


「うん…まあ…最初は皆そう…かな?うん、慣れたらきっと平気だから。慣れたら…慣れてくれるわよね……?」


 今日一番失望したであろうミリィの悲しそうなフォローと、切なる願いの声に


 「が ん ば り ま す ……」


 と、木くずに埋もれたティムズの籠った声が応えた。

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