18. 亡失

 「処刑人」達との戦いは沈静化し、生き残った住民達の避難も無事に終わった。

 避難民の誘導を終え、リチャードは場の空気が確かに緩んだのを感じる。


「ケリー」


 そう声をかけたのは、一息ついた雰囲気に流されてのことだろうか。

 リチャードは額の汗を拭い、ケリーに向けて手を差し出した。


「やっぱり俺ら、協力できると思う」


 その言葉に、ケリーは赤い瞳をわずかに見開いたものの、すぐにいつもの不遜ふそんな表情を取り戻した。

 アイリスは声をかけようかと悩みつつも、リチャードの弁舌を信じて成り行きを見守る。


「わしの話を忘れたか?」

「忘れてねぇよ。『傲慢』の欲望は他人がいないと満たされないって話だろ?」

「そうじゃ。わしは、わしとして存在するために他者の犠牲を必要とする。他者を弄ばねば、わしは満たされぬ」


 細められた赤い瞳には、悲哀や憐憫れんびんの色が隠しきれていなかった。

 生を奪われ死を奪われ、ヒトならざる「悪魔」と成り果てたものの、彼らはかつて人間だった。

 その残滓ざんしは、記憶を失ったケリーの中にも存在しているのかもしれない。


「だけど……ケリーの存在が救いになってる人もいるよな」

「下僕の話か? ……まさかお主、あれが、『救い』だとでも思っておるのか?」

「いやぁ、さすがに今の関係性はあんまり良くないと思うよ」


 リチャードは苦笑しつつ、ケリーの言葉に頷く。


「でもさ、可能性は見えたんだ」

「……可能性じゃと?」

「そうそう。ケリーってさ、頭良いだろ? それなら、上手いこと調整したらもっといい関係になれるんじゃないかなーって」


 その話しぶりに、ケリーのみならず近くにいたアイリスも大きく目を見開く。


「今までみたいに、崇められる存在でいていいと思うよ。俺は。……ただ、下僕さんのことをもう少しだけでも見てあげられたら、もっと良くなるんじゃねぇかなぁって。ホラ、健康とかさ」


 リチャードはちらりと避難したフリー達の方に視線を向け、ダメ押しのように続けた。


でいいんだよ。当然、ケリーならできるよな?」

「……む、無論じゃ!! できぬわけがなかろう!」


 リチャードの問いに対し、「傲慢」の悪魔はそう答える他ない。


「うんうん、下僕のために戦うのが上に立つ者だって言うなら、より長く崇めてもらうこともできるはずだもんなー」

「そのようなこと……できるに決まっておろう! わしは完璧かつ究極の美少女じゃ。更なる境地を目指すことなど、造作もないわ!」


 ケリーは胸を張り、「ふははははっ」と高笑いをする。

 そしてニヤリとほくそ笑むと、リチャードの方へ視線を向けた。


「当然、お主も手伝うのじゃろう?」


 願ってもない申し出だった。

 それこそ、雛乃がリチャードに見出した役割に他ならない。


「ああ、勿論。出来る限り協力する」

「はっきり言いおったな。途中で投げ出させたりはせんぞ!」


 ケリーはリチャードの手を握り、赤い視線と翠の視線が重なる。

 それが「幻影」かどうか、リチャードには判別がつかない。ただ、リチャードの手のひらにはしっかりと握手の感触が残された。


「アイリス。これでわしを友と認めやすくなったじゃろう?」


 ケリーはくるりとアイリスの方を振り返り、にししと歯を見せる。

 悪戯っ子のような微笑みを向けられ、アイリスもぎこちなくはにかんだ。


「ええ……嬉しいわ。これで気兼ねなく、仲間として過ごせるのね」


 ……本人は破顔したつもりかもしれないが、彼女もアンドロイドである以上、表情筋に限界がある可能性は否めない。


「……と、言うわけで、じゃ! これからは『仲間』として、わしに遊ばれる権利を与えてやろう! 存分にわしの役に立つが良い!」

「……なんだよ。『仲間』として遊ばれる権利って……」

「ふふふ、それは今後のお楽しみじゃ」


 苦笑するリチャード、微笑ましそうなアイリスに見守られるようにして、ケリーはくるくると楽しげに舞い踊る。


「……む?」


 回る景色の中、ケリーの視線が、ロビンの「身体」の一つと一瞬だけかち合った。

 無言の視線に語りかけられたような錯覚が、ケリーを過去に引き戻す。


 ──我々の記憶は、奪われてなどいませんよ


 失ったはずの……いいや、蓋をしたはずの記憶の断片が、わずかに蘇る。

 頬に落ちる涙の感触。


 ──起きろよ


 なぁ、返事してくれよ

 ××……


 声も出せず、身体も動かせない自分を、「彼」は何と呼んだのか……


「……必要ないものじゃ」


 ぽつりと、少女の姿をした「悪魔」は、その断片を再び記憶の奥底へと仕舞う。


「名を忘れた時点で、わしは自分が何者かを保てなくなった」


 その呟きは、リチャードやアイリスには届かない。


現在いまが幻だとして、それの何が悪い」


 哀しみも苦しみも、幻想に酔っていれば忘れてしまえる。


「……過去なんか、必要ない……」


 自らに言い聞かせるよう、少女の姿をした悪魔は、綻びを見なかったことにした。




 ***




「……?」


 バリ、とガラスの破片を噛み砕き、少年は外の様子を伺う。

 大勢の人だかりが視界に入り、少年は慌てて近くの瓦礫がれきに身を隠した。

「処刑人」から隠れて移動しているうち、いつの間にか人が多い場所に来てしまったらしい。


「……いつもは……」


 コンクリートの破片をガリガリと噛み砕き、少年はブツブツとぼやく。

 狼狽うろたえているのか、口に物を運ぶペースが次第に早くなっていく。


「誰も、いなかった……」


 どうやら、フリーの避難先と、少年の避難先がたまたま噛み合ってしまったらしい。

 少年は次々に口に物を放り込みつつも、やがて、咀嚼音そしゃくおんを聞かれる可能性に思い至る。


 しかし、止めようと思って簡単に止められるほど、「暴食」の欲求は甘くなかった。


「あ」


 無意識に持っていた鉄くずを口に運ぼうとし、直前でブレーキをかける。結果、鉄くずは少年の手から零れ落ちることとなった。


 鉄くずとコンクリート製の瓦礫がぶつかり、軽い音を立てる。


「……ん?」


 その音に、避難誘導中の青年が反応した。

 茶色の頭をガシガシとかきつつ、青年は音の方へと歩み寄る。


「セドリック、どういたしましたか?」

「いや、あっちに誰かいるみたいッス」


 しまった、と思ったがもう遅い。

 少年は身を縮こまらせ、息を潜める。……が、食べることはやめられない。


「こっちから音がするッスね」


 少年は一人で戦ったことがない。

 数ヶ月前までは「処刑人」と戦うこともあったが、その際は必ず「兄」がそばにいた。

 ……いや、まだだ。彼らが自分をただの人間だと思ってさえくれれば、どうにかやり過ごせる。少年は自分にそう言い聞かせ、乱れた心を落ち着かせようとする。


「おや、『暴食』ではありませんか」


 金髪の男が、にこやかに話しかけてくる。

 その風貌に見覚えがあるような、ないような……。ともかく、正体をあっさりと見破られ、少年は混乱を隠せない。


「え。……ってことは……この子も『悪魔』ッスか?」


 茶髪の青年に見下ろされ、少年は弾けるように立ち上がった。

 黒い白目の中に浮かんだ赤い瞳が、カッと光る。


「く……来る、な……ッ!」


「暴食の悪魔」は、威嚇いかくするように叫び、力を解放した。

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