第16話 ドンさんとマリー
「マドリアの村の使者の方々ですね。ようこそお待ちしておりました」
「君は……マリーちゃんだね! いやー数年ぶりだけど、ますます綺麗になって」
そういってブレインはマリーに近寄った。彼女もニコリと笑って、
「ありがとうございます。ブレイン様もジャスミン様もお元気そうで何よりです。それと」
彼女は、視線をこちらに向けて、
「かけるさまですね。お話は伺っています。はじめまして。私、ドン・トルフルフの娘、マリーと申します。不束者ですが、よろしくお願いします」
そういって、可憐に一礼する。その一連の動作はあまりに優雅で、彼女の性格や育ちの良さをそのまま表しているいかのようだった。
そんな彼女に対して若干気後れしてしまったが、俺はすぐに姿勢を正して、
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アヤメと同じくらいの年齢……かどうかは分からないが、少なくとも見た目は同じくらいだ。けれど何かが違う。いうなれば、アヤメは仲のいい友人や妹のような存在なのに対して、彼女は上流階級の、いわば雲の上の人という感じだった。
「どうだ、かわいいだろ? 彼女、ドンさんの娘なんだよ」
そう小声で言うブレイン。確かに可憐で育ちの良さそうな少女である。例えば歩き方一つにしても、凡人の俺とは違う雰囲気を醸し出しているかのようだった。
そんなことを考えていると、洞窟の中にポツンと佇んでいる丸いドーム式の小さな家の前に着いた。
「こちらです」
俺達は彼女に案内されるがままその家に入った。そこでまず目に飛び込んできたのは家の内装ではなく、日本ではまず見かけることのないような大男の姿だった。
「おお、きたな! いやはや、よく参られた!」
かなりの長身だ。ブレインが百八十センチ以上あるとしたら、この男はまず間違いなく二メートルを超えているのかもしれない。
そんな大柄な体格に圧倒されていると、ジャスミンが一歩前に出て、
「お久しぶりです。ドンさん。先ほどはマリーさんに案内をしてもらいまして……」
「ははは、そんな固い挨拶いい。いつも通りの口調で話してくれ。でないと調子が狂ってしまう」
体格に豪快に笑う。マリーもジャスミンに対して、
「私もマリーでかまいません。皆さまには気軽に接していただけると嬉しいです」
そういって、同じように笑うマリー。しかし、その笑い方はドンさんとは逆に上品さにあふれていた。失礼ながらドンさんとは本当に親子なのか、と疑いたくなるほどなった。
そんな風に、二人を見比べていると、ブレインがマリーに近づいて、
「じゃあ遠慮なく。マリーちゃん、今夜暇? よかったら一緒に……」
その瞬間、ブレインはジャスミンには靴を踏まれドンさんには拳骨をくらわされた。
「まったく、相変わらずお前は油断も隙も無い。と……君は……」
ドンさんの視線がブレインからこちらに移るのを見て、俺もジャスミンと同じように前に出た。
「斎藤かけるといいます。えっと、俺は地球という星……じゃなくて別の世界から来まして……」
「うむ、君の事は聞いているよ。かける君だったね。よろしく。しかし元気があるのはいいことだが、君もそんなにかしこまらなくていいぞ? なんなら普段の友人と話すような口調でかまわん」
「普段の口調って……」
「なんだ? まさか普段からそんな上品な言葉で話しているのか? ブレインやジャスミンと話しているような感じでかまわないのだぞ?」
地球では、目上の人に対してため口で話すことはまずない。けれどここは異世界。地球での常識が通用しないのは学習済みだ。それで一度アヤメに泣かれているうわけだし。
「あ……うん、えっと、よろしく……お願いします」
やっぱり無理だ。今までこの世界で出会っきたのはウィルソンさん以外、みんな見た目が同じか年下のような感じだったから砕けた口調で話すことはできたが、こう明らかに年上の外見をしている人にため口で話すなんて、日本人の自分としてはできない。
そんな葛藤をしている俺に対してブレインが、
「まあかけるの気持ちもわかるけど、俺はドンさんと同意見だな。あんまり遠慮することなんてないんだからさ」
「そうだ。ここは君の住んでいる世界とは違うのだぞ? 礼儀を重んじるのは良い事だが、多少はブレインの図々しさを見習ってみても……いや、それも困るな……」
「いやいや、どんどん俺を見習ってくれよ」
そんなコントのような会話に俺は苦笑いで応じた。ふとジャスミンの顔を見ると、彼女も呆れた顔でため息をついていた。
「さてと、改めてよくぞ参られた。長旅で疲れただろう。かける君、俺達はこれから話し合いがあるのだが、君はどうする? 一応部屋は用意したが、少し休まれるか?」
……どうしようか。本当なら話し合いというのにも参加してみたいが、マドリアの村とトルフルフの代表者たちの話し合いともなると、部外者の俺が聞き入っていいのかどうか迷ってしまう。
悩んだ末に、俺が出した結論は……、
「じゃあ、すいません、少し休ませてもらってもいいですか?」
お言葉に甘えることにした。正直にいうと、今の自分は心身ともにクタクタだ。慣れない環境に飛ばされて、未だに心と体がついていけてないのだろうか。
「うむ、わかった。それとあとで使いの者に飲み物を持ってこさせるが、何がいい?」
「飲み物? えっと、すいません。俺、この世界ではどんな飲み物があるのか分からなくて……」
「ああ、すまんすまん、そうだったな。飲み物は数多くあるが……そうだな。俺のおすすめはゴキブリアンの汁だ。その名の通り、ゴキブリアンから搾り取った体液で生成されている。甘さの中にかすかな苦みもある、この都市一番の人気商品だ。よかったらぜひ……」
「……すいません、水を一杯もらえませんか」
申し訳ないが名前だけでどんな飲み物が出てくるのか想像できてしまった。ゴキブリアン、ってなんだよ……。名前だけでどういう生物かわかっちゃったよ……。あれでしょ……。間違いなく黒光りするあれでしょ。
それから、使用人の人に部屋まで案内してもらった。部屋の中を一言で表すなら真っ白な空間だった。白い壁に白い床。そんな白一色で統一されているような部屋にはベッドがポツンと置いてあった。
そもそも、この世界にベッドがある事にも驚きだ。
俺は荷物を床に降ろすと、
「では、すぐに飲み物をお持ちいたしますので」
そういって、使用人は部屋の外に出て行ってしまった。
俺は何をするもなく、ぼんやりと部屋の壁を見つめていた。どうしたものだろうか。休むといっても、このベットで寝っ転がって休むのも気が引けた。
いやいや、この部屋で休んでいいの言ったのだから、ベッドに寝っ転がったっていいはずだ。そのためにベッドのある部屋を用意してくれたのだろうし……。
けれど一向にそこで休む気にはなれなかった。
ドンさんやブレインの言う通り、遠慮のしすぎ……なのかもしれない。そもそもこの世界の常識が分からない以上、何が良くて何が失礼に当たる事なのか、その定義も分からない。
そんなことを考えていると、部屋のドアからコンコンとノックされる音が聞こえた。俺はドアを開けると、そこに居たのは先ほどの使用人さんではなく、ドンさんの娘さんの……
「お飲み物をお持ちしました、かけるさま」
マリーだった。
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