第二章

第1話 準備と用意

 朝、目が覚めると、洞窟の天井についている岩石が目に飛び込んできた。俺は起き上がって、瞼をこする。さすがにこの世界に来て三日目ともなれば、そういった事にも驚かなくなる。


「おや? お目覚めですか」


 あくびをしていると、どこからか低く渋い声が聞こえてきた。完全に油断をしていたので、急に話しかけられて体中にスイッチが入った。


「おはようございます、かけるさま」


 振り向くと、そこには、この村のを務めているウィルソンさんがいた。


「あ……おはようございます」


 彼はニッコリと笑う。外見は三十代後半ほどに見えるが、彼が醸し出している雰囲気はそれ以上に見えた。

 俺は、ウィルソンさんの隣で地面に突き刺さっている杖、シルバに小声で、


「あのさ……ごめん、とりあえず、顔を洗ってきていい?」


「ああ、行っておいで。けど、まあ別にそのままでもいいけど」


 俺は早歩きで洞窟の出口付近まで向かう。初めてこの洞窟に入った時は気づかなかったが、洞窟の出口付近の左側に小さなスペースがある。そこに入ると、壁に水色に輝く石が取り付けてあるのが見える。手をかざすと、勢いよく水が飛び出してきた。俺はその水を利用して、顔を洗って歯を磨く。もちろん牙ブラシで。それからゆっくりと伸びをする。


 昨日も思ったのだが、シルバといいウィルソンさんといい、朝が早い。この世界の正確な時間こそ分からないが、俺もそこそこ早起きをしたつもりだったのだが……。

 シルバ達のいる広間まで戻ると、ウィルソンさんから3,4着ほどの衣類が渡された。


「これは?」


「ああ、旅の際に必要な着替えさ。僕がウィルソンに頼んでおいたんだ」


 疑問に答えたのはシルバだった。


「……こんなに必要なものなのか? 近隣の町って聞いたから、俺はてっきり一日で行って帰ってくるものだと思っていたんだけど」


「一日……?」


 ウィルソンさんが首をかしげる。


「ああ、地球での時の流れを表す言葉さ。秀一もよく多用していた」


「……もしかしてさ、この世界では一日って言葉がないのか?」


「ああ。この世界では、君たち地球の言葉でいう一日を一夜というんだ。それが百夜まであって、それが過ぎると、また一夜に戻る」


 つまり、地球では365日が一年であるように、この世界では100夜が一年となるのだろうか。


 この世界について、まだ知らない事が多すぎる。ここにいるうちに、できる限りそういった疑問を解消したほうがいいな……、そう思っていた矢先、


「かけるさま、これを」


 そういって、ウィルソンさんが差し出してきたのは、一枚の紙きれだった。


「……これは?」


「いわゆる推薦状。君ももう分かっていると思うが、この世界では今、様々な問題を抱えていているため、町に入るのにも正式な身分を証明するものが必要なんだ」


「身分証……、俺が地球から来たってことを証明しなくちゃいけないのか……?」


「いえ、そこは誤魔化しておいた。さすがに地球から来たともなると、少々厄介なことになるからね」


「……大丈夫なのか? なんか……嘘がばれたりとか」


「大丈夫です。信頼のおけるものからの証明書があれば、その時点で身分は保証されているようなもの。そこは私が保証しましょう」


 二人もこう言っていることだし、とりあえずは信じることにしよう。俺は証明書をもう一度目を通すと、そこには確かに俺の事が書かれていた。

 二人が俺の事を考えて書いてくれていたものに何かを言うつもりはないのだが、ただ一つ、俺の人物像についてかなり誇張して書かれていてので、そこはもう少し抑えてほしいのが本音であった。そして最後には、赤い文字でシルバとウィルソンさんの名前が書かれていた。おそらくこれが二人のサインのようなものなのだろう。

 そんな時、ふと頭の中に疑問が浮かぶ。


 ――そういえば、俺はどうしてこの手紙を読むことができるんだ?


 手紙を見る限り、この世界の文字は日本語のそれとはまったく違う……。だとしたら、俺が読める事じたい、おかしなことだ。俺はそんな疑問に対して首をひねっていると、後方から「ただいま!」と元気な声が響いた。アヤメが帰ってきたのだ。

 俺は、この疑問を口にしようとしたが、アヤメが、「これ、もらってきた朝食にしよう!」とクルミを二つ見せてきた。結局、話題はそのまま朝食の内容に移ってしまい、言い出すタイミングを完全に失ってしまった。



 ウィルソンさんの持ってきた衣類のサイズを確認した。サイズ的には少しばかり大きかったが、試着をしたら特に問題はなかった。それからウィルソンさんは用事のため一旦洞窟から出て行った。一方の俺とアヤメは朝食をとっていたのだが、


「ねえ、かける……もしかして……味付けが合わなかったりした?」


 さすがに、すぐに食事に手を付ける気にはならなかった。そんな様子に、アヤメが首をかしげながら訪ねてくる。


「あ……えっと、そういうわけじゃないんだけど……この世界って……こういう食べ物が主流なの・・・・・・?」


 俺はクルミのスープを少し口に流し込んだ。うん、やっぱり甘い。


「え? うん……そうだけど、口に合わない?」


 アヤメが心配そうな表情となった。こんな顔をされると、なんだかに良心が痛む。俺はすぐさま、首を横に振って、


「いや、ぜんぜん。めちゃくちゃおいしいよ、これ」


 そういって勢いよく、クルミのスープを飲み干す。甘い。昨日も今日も、とにかく甘い……。



 それから、食事を終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせたアヤメは、シルバの方を向いて、


「村長、かけるたちがこれから向かう町って……」


「あ……」


 そうだ。そういえば、俺がこれからどんな町に行くのか、一番大切な事を聞いていなかったじゃないか。


「ああ、君たちがこれから向かう先は、トルフルフという町だ。このマドリアの村から、南西にしばらく進んだ先にある。だいたい五、六夜すれば着くはずだ」


「五、六夜……」


 先ほど、この世界では一日を一夜と数えると言っていた。となると、だいたい5、6日かかることになるのか……。

 シルバはそんな俺の心を読み取ったかのように、


「一夜って言葉の事もそうだけど、君たち地球人からしたら馴染みのない文化や言葉ばかりで混乱することも多いだろうけど、少しずつ慣れて行ってほしい」


 本当にその通りだ。この世界では、俺の元居た世界での常識は通用しない。それは、この三日間で十分に痛感した。今まではアヤメやシルバがいたから何とかなったけど、これから一人で行動する時があるかもしれない。そういった場合に備えて、できるかぎり学んでおかなければいけないだろう。


「トルフルフ……」


 どんな町なのだろう。頭の中で想像を膨らませえても、イメージできたのは高層ビルが立ち並ぶ日本の町の景色そのものだった。そんな時……、


「かける……あんまり一人でどっかに言っちゃだめだからね。ブレイン達の指示をよく聞くこと」


「わかってるよ。さすがにそんなことはしないって」


「……本当に? はしゃいで迷子になって、迷子になって泣いたりとかは……」


「子供か!? 俺19だよ!? さすがに迷子になって泣きもしないし、はしゃいでどっかいったりもしないから!」


 この子は今まで俺をどんな目で見ていたのか。そんな俺の抗議にアヤメは目を丸くして……、


「え……、かけるって19歳なの!? あ……そっか、地球人だから私たちとは年の取り方が少し違うんだ」


 いまのアヤメの言葉に引っかかりを覚える。年の取り方が違う……ということは、今のアヤメは少女のような見た目をしていても、年齢は……。俺は恐る恐る口を開く。


「あ、あのさ、もしかしてアヤメの年齢って……」


 そこで口をつぐんだ。女性に年齢を聞いてはいけない。俺の世界でのマナーの一つだ。けれど、アヤメは勢いよく、


「え……と……今度の65夜で……186歳になります!」


 飲んだでミルクを吹き出しそうになった。



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