第23話 一日の終わり

 洞窟に戻った俺とアヤメは、二人で軽い夕食をとっていた。最初は俺もアヤメも、何もしゃべることなくモクモクと食べ続けていたのだが、その食事の途中でブレインがやってきたおかげで、場は賑やかとなった。ただ一つ問題があって……、


「……ねえ、アヤメ、これってさ、ほんの少し変わった味だよね」


 とにかく甘かった。目の前に置かれている食事は、大きな木の皿に入った、シチューのようなスープだった。中には肉のようなものがふんだんに入っている。外見は、地球でもよく食べていた、普通のシチューであるのだが、とにかく甘さがすごかった。


「そう? んー、私はあんまり分からない、かな。地球の食事と違ったりする?」


「ああ、まあ少し変わってるけど、まあ美味しいかな……」


 せっかく出してくれた料理に、率直な感想を度胸もなかった。

 最初はおいしいと感じたのだが、だんだんと口の中が甘ったるくなってきた。なんだろう、この甘さ。今朝の朝食のクルミもそうだったが、こうも甘いものが続くと、なんだか胸焼けがしてくる。

 そもそも、この世界の食事事情はどうなっているのだろうか。魔族は基本的に食事をとらないとは聞いていたが、他の種族も生存している以上、食事の文化もそれなりに発展はしているのだろう。ただ、このスープのような甘い食べ物が主流であるのなら、これから、この世界で生活をしていくのに、少々不安も感じてしまう。その時、俺やアヤメの食事をとっているのを見ていたブレインがこちらに向けて、


「かける、少しいいかな?」


「俺?」


「ああ。いや別に大したことはないんだけ、かけるはこの村に居ても、特に何かすることもないんだろう? よかったら明日から近隣の町まで行ってみないかい?」


「近隣の町に?」


「そ。実は明日、俺はちょっとした用事で、その町まで行かなければいけないんだ。それに同行するという形で、一緒に行ってみないかい?」


「まあ、確かに他の町には興味はあるけど……」


 俺はちらりとシルバの方を見る。さきほどの話が脳裏によぎった。


 ――この村を出て行った方がいい


 それに対する返答はまだ出せていない。


「かける、僕に遠慮はする必要はないよ。確かにこの村に居続けるのは危険ではあるけど、今すぐに答えを出す必要はないんだ。とりあえず明日、ブレインと一緒に他の町まで行ってきて、何かあったら、すぐに帰って来ればいいさ」


 シルバは柔らかな口調でそういった。そんな彼の言葉に、ブレインはうんうんと頷きながら、


「そうそう。それに、その町でなら地球に帰れる情報だって何か手に入るかもしれないし。どうだい、悪くはないだろう?」


 近隣の町、外の世界か……、考えたこともなかった。けれど、この世界に来た以上、他の村や町も見て回りたいという思いもあった。


「うん。行ってみようかな」


 ブレインが指をパチンと鳴らす


「決まりだね。今日は君たちのピンチに力になれなかったんだ。お詫びといってはなんだけど、何でも頼ってくれ。女性を口説く方法から、エスコートのコツまでありとあゆることまで答えてあげよう」


 なんだかな。一気に不安になってきたぞ。


「村長、本当にブレインについていって安心できる?」


「……まあ、性格はあれだけど、その他では信頼できるよ」


 若干、シルバの声のボリュームが下がる。もう少し自信をもって言ってほしい。


「そうだ、出発する前に、君の好みのタイプだけは聞いておこうか」


「なぜ」


「おすすめの女性を紹介しようと思ってさ」


「結構です」


 やっぱり、この魔族だめかもしれない。そんなやり取りをしていると、今までだまっていたアヤメが、


「ねえ、私も行っちゃダメかな……」


 恐る恐るシルバに向けて、そう尋ねた。


「いや、だめだよ」


 そんなシルバの返答に、アヤメは小さなため息をつく。彼女がこんなに簡単に引き下がるのを見ると、最初から反対されるのを分かっていたのかもしれない。


「村長、アヤメちゃんも連れて行っていいんじゃないか。さすがにかわいそうだし。それに、ほら、ティミーちゃんを助けに森に入った時は、許してくれたじゃないか」


 ブレインがアヤメに助け船を出したが、


「……もう一度言うけど、だめだ。この村が管理をしている森に入るのと、外の世界に出るのとでは事情が違うんだ。それは二人だって分かっているだろう」


 二人は口を閉じる。洞窟内に重い沈黙が流れる。

 村の外に出てはいけない理由……。知りたいけど、部外者の俺が口を挟める空気ではなかった



 その後、ブレインが何とかシルバを説得しよとしたが、頑なにそれを拒まれ、最後にはアヤメ自身がそれを諦める形で話は終わった。そんな三人のやり取りを聞いていても、アヤメがこの村から出てはいけない理由は分からなかった。

 あれから随分時間がたってしまった。しかし、時計というものが存在しないこの世界では、正確な時間を確認する術はない。頼みの綱のスマホの電源ボタンを長押ししてみたが、起動しない。もともと電池も少なかったし、バッテリーが切れてしまったのだろう。そんな時、絨毯のようなものを敷いていたアヤメが、


「ねえ、かける。帰ってきたら、旅の様子を聞かせてね」


 アヤメの声が、どこか寂しそうに聞こえた。


「……アヤメ、もう一回だけさ、アヤメも一緒に行けるように、村長に頼んでみないか?」


 シルバだって、ある程度物腰が柔らかい人、もとい杖だ。何度か頼めば折れてくれるかもしれない。そう思ってアヤメに提案したのだが……、


「ううん、いいの。村長も私のためを思って言ってくれているんだもの」


 俺としても、気心のしれたアヤメが付いてきてくれると安心だったのだが……。


「……アヤメ、村長はどうして、君を頑なにこの村から出そうとしないんだ?」


 さすがに話してはくれないかもしれないが、ダメもとで聞いてみた。


「……」


 案の定アヤメはだまったままだった。


「話したくない?」


「うん、ごめん。なんだか言いにくいというか、なんというか」


 アヤメが口ごもる。やはり、彼女自身も言いずらい事なのだろう。そんなアヤメの様子を見ていると、言いたくもない彼女の過去を聞き出そうとした自分に内省した。


「……ごめん。もし言いにくかったら、大丈夫だから」


「……」


 それでも、アヤメは必死に言葉を探している。俺はそんな彼女に対して、


「……もし言いにくかったら、無理には聞かないよ。いつかアヤメが話したくなったら、その時でいいから。っていっても、今の俺じゃ力になれないかもしれないけど」


 そういって笑う。それにつられるように、アヤメも天井を見上げながら、


「……ありがとう、かける」


 そういってほほ笑んだ。



 こうして、俺達は寝床につく。長い一日だった.異世界、たくさんの種族、魔法、魔石……思えば、俺はこの一日だけで一生分の経験をしたのかもしれない。

 俺はこの先どうなるのだろうか。この世界で生き延びて、そして無事に地球に帰ることができるのだろうか。もし地球に帰れる手段が見つかったら、アヤメ達とは別れなければいけないのだろうか……。そう考えるとなんだか胸が苦しくなった。

 その時、横で寝ていた、アヤメが、


「おやすみなさい」


 それは、日本に住んでいた時に何度も聞いてきた言葉だった。あまりに当たり前で聞き慣れた言葉。けれど、そのたった一言の言葉を聞いただけで、不思議と心が軽くなった。俺もそんなアヤメに向けて、「おやすみ」と返した。



 彼女との別れがあるかは分からない。そんな時、ふと頭に浮かんだ。この世界と地球を自由に行き来するビジョンが。アヤメ達といつでも会えるような未来像が。そんな空想にふけっていると、ふと心の中で笑みがこぼれた。それはあまりに、都合が良すぎるのではないかと。

 けれど、それが夢幻のような話だとしても、そうなって欲しいと心から願う。アヤメ達と別れたくはなかったから。

 俺は、そんなかけなしの希望と願いを胸に抱いて、ゆっくりと目を閉じた。

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