第22話 強くなりたい

 洞窟から出ると、外は夜になっていた。辺り一面が暗闇となっている点は洞窟内と同じであったが、こちらの方がほんの少しだけ明るい感じがした。ふと上空を見上げても、空には月も星も出ていない。


 あの後、アヤメが戻ってきた事で、シルバの提案に関しては保留となった。俺は正直、心の中でホットしていた。この村に居続けるか出るか、そもそも自分はこれからどうしたいのか、何度心の中に問いかけても答えを出せそうになかったからだ。アヤメと会話をしている時でも、そのことが頭にちらついていて、話の内容がまったく頭に入ってこなかった。


 そして、気が付くと彼女は再び洞窟から出て行ってしまった。シルバに聞くと、彼女は少し外の風にあたりにいったらしい。

 おれも同じように外に出たいと頼んだら、案の定断られた。当然だ。そもそも俺はアヤメと比べて非力で、この村の地理にだって詳しくはない。何か問題が起きても一人では対処できないであろう。 

 それでも……と何度か懇願したら、シルバの方も折れてくれた。ただし、歩き回るにしてもこの洞窟の周辺であることと、何かあったらすぐに洞窟内に逃げ込むことを条件に。


 洞窟を出て歩き出すと、心地よい風が頬を撫でた。俺は冷たい空気を吸いながら、もう一度、心の中で自問自答を繰り返す。今、自分が何をしたいか、何をするべきか……。夜風に当たれば、少しは考えがまとまるのでは、と期待はしていたが、今のところ何の考えも思い浮かばないのが現状だった。

 洞窟の周りを歩いて半周程したとき、前方の岩に誰かが座っているのが見えた。最初は見知らぬ人物だと警戒をして、立ち去ろうとしたが、


「そこに、誰かいるの?」


 聞き慣れた声が聞こえてきた。目を凝らすと、黒い髪を靡かせた、小柄な少女が岩に腰掛けていた。


「……アヤメ?」


「かける?」


 ちょうど、声がかぶった。アヤメはクスクスと笑って、


「やっぱりかけるだったのね」


「うん。アヤメを探すって理由で、ちょっと散歩をね……。アヤメは?」


 アヤメは風で煽られる髪を、右手で手で押さえながら、


「私は少し考え事があって、風に辺りに来たの。それより、かけるも座ったら?」


 自身の隣の空いているスペースを左手でポンポンと叩いた。


「……うん」


 俺は、彼女と少し間をあけて座った。


「もうケガは大丈夫なの?」


「全然平気、アヤメこそ、だいじょうぶなのか?」


「私も大丈夫。魔族は肉体の損傷をしても時間を掛ければ、元通りに回復するの」


「……そうなんだ。すごいな、魔族って……」


 今更ながら、魔族の身体機能には恐れ入る。彼らの体ってどうなっているのだろうか。疑問に思う俺の隣で、彼女は空をぼんやりと見上げていた。俺もアヤメと同じように夜空を見上げたが、上空には果てしない暗闇が広がっているだけで月も星も出ていなかったので、いささか残念に感じられた。


 その時、アヤメがぽつりと、


「今日は赤夜じゃなくてよかったね」


「赤夜?」


「うん、たまにね、夜が赤くなる時があるの。でも、そうなると、私たち魔族の感情が高ぶったりするんだ」


「それって大丈夫なのか? その赤夜の日は魔族が暴れたりとか……」


「……まあ、そういう子たちもいるけど、大丈夫といえば大丈夫。その赤夜の日は、前日に予兆がでるから、その夜は外出は禁止になるの」


「へぇ……やっぱりちゃんと対策はしてるんだな。でも、なんだかそれって狼男と少し似てる」


「狼男?」


 アヤメがこちらに顔を向けて、不思議そうに首をかしげる。


「うん、赤夜とはちがうんだけど、満月の夜に……えっと満月ってこの世界にある?」


「ううん、でも知ってる。お父さんが昔話してくれた。地球には夜に真ん丸のお月様が見えるときがあるって。それのことでしょ?」


「そう。それで、その満月を見ると、ある特定の人間がオオカミになって、たくさんの人に迷惑をかける」


 それを聞いた瞬間、彼女が凍り付いたように、


「それって大丈夫なの? 確か、地球って魔法とかそういうものはないんでしょ? もしそんな狂暴そうな人が暴れたりしたら……」


「そうなんだよ。俺の住んでた世界では、もう大問題になってて……。その狼男のせいで、食糧不足にはなるは、多くの人たちはさらわれるは、もう、尋常じゃない被害がでているんだ」


 ちょっとした、からかいのつもりだった。しかし、彼女の方は、


「……ねえかける、よかったら、私もいつか地球に行ってもいい? 私、魔法を使えるし、被害にあっている人たちを救う力になれるかも……」


 彼女は真顔でそんな言葉を返してきた。素直すぎるというか、何というか……。なんだか彼女の将来が心配になってきた。俺自身としても、これ以上うそを重ねるのは忍びなくなってきたので、


「……ごめん、アヤメ。それ嘘なんだ。実は狼男は日本どころか地球にも存在しなと思う」


 ――俺はぽかん頭を叩かれた。


 ぽかんといっても、魔族であるアヤメの一発は、正直けっこう痛かった。


「もう……もう!」


「だから、ごめんって。ちょっとからかうつもりが、思いの他、アヤメが信じ込んじゃって……」


「だからって、嘘はないでしょ! 嘘は!」


 アヤメがまたも、ポカポケと叩いてくる。痛い。それからアヤメは一息ついて、再び笑みを浮かべた。


「でも……地球にもそういう言い伝えってあるんだ」


「まあね。アヤメはそういう話は聞いたりとかは?」


 彼女は少しばかり間を開けてから、


「……あんまり。お父さんは基本的にこっちから質問しないと、答えてはくれなかったから」


「寡黙なひとだったりとか?」


「うん、冷たい人ではないんだけど、あんまり口数が多い人ではなかったかも」


「そうなんだ……」


 アヤメは目を薄めるて、空を見上げた。その表情は、まるで昔の事を思い出して、懐かしんでいるかのようだった。


「でも、地球に行ってみたいのはほんとかな。とっても素敵な場所だって聞いてるし……」


 自分の故郷をそんな風にいってもらえるのは、嬉しい反面、どこか気恥ずかしい、くすぐったい気持ちになった。でも……


「確かに、いい場所だけど、いやところもたくさんあるよ」


「例えば?」


「多すぎて、ここでは言えない」


 彼女は顔をしかめるて、頬を膨らませる。


「……そんなわけないでしょ? かける、また私にうそをついてる?」


「ついてない、ついてない。本当だよ。それも日本だけじゃない。地球上の多くの国が、いい面と悪い面を持っているんだ。例えばだけどさ……俺が初めてこの世界にやってきて、魔獣に襲われてた時に、アヤメは助けてくれただろ?」


「うん」


「でも、もし地球上で同じように困っている人がいたら助けるかっていうと、皆が皆、そうじゃない。当然助ける人もいるだろうけど、見て見ぬふりをするひと、困っている人を嘲る人だっているんだ」


「……」


 彼女は黙ったまま話を聞いている。俺は、そんな彼女を横目に話をつづけた。


「俺だって、見て見ぬふりタイプの人間なんだ」


 我ながら情けない話だった。特にアヤメのような正義感の強い子からは、まず共感はしてもらえないだろう。


「いままでだって、周りで何か問題が起きても、知らんふりをしてきた」


「……どうして? かけるはそんなひどい人じゃないでしょ?」


「ひどい人かどうかは分からないけど、ただ……怖かったんだ」


「怖い?」


「もし倒れている人を助けようとして助けられなけえれば、後からいろんな人から責められるんじゃないか……とか、もし誰かに酷い事をされている人がいるとして、その人を庇えば、今度は自分がその標的になるんじゃないって考えちゃって……」


 もちろん、そんなものはくだならない想像でしかない。けれど、そんな想像に振り回されて、いままで結局一歩も踏み出せなかった。


「でもアヤメは違う。困っている人がいたら迷わずに助けようとする。でもさ、それって実はとってもすごい事なんじゃないかなって、俺は思っているんだ」


「……かけるだって、私がティミーを助けようとしたときについてきてくれたじゃない。その時に、何度も私たちを助けてくれた」


「あれは……、アヤメの真似っていうのはおかしいけど……、アヤメみたいになりたいって思ったんだよ」


「私に?」


「さっきも言ったけど、アヤメは俺を助けてくれただろ? アヤメだって怖かったはずなのに、魔獣から俺を守ってくれた」


「……怖くなんかないわ。私、魔族だから魔獣なんて……」


「……足が震えていたのに?」


 彼女の表情が固まった。


「俺、見たんだ。魔獣と退治していた時にアヤメの足が震えてたのを。 本当は怖くて仕方がなかったんじゃなのか?」


「それは……」


「それでも、俺を助けてくれた。こんな初めて会った、友人でも知人でもない俺の事を……。だから、俺もそんな風になりたいって思ったんだ」


 それを聞いたアヤメは、空を見上げながらポツリ言った。


「……かける、それ、間違い」


「え?」


「だって私は強くなんかないもの。今回の事件だって、もっと勇気を出してティミーと話ができていれば、こんなに仲を拗らせることもなく、防げたかもしれなかったのに……。いいえ、それだけじゃない。私は今まで差別や迫害を恐れて、村の皆の輪に入るどころか満足に会話もできていなかった。そんな私が……強いなんてあるはずない」


 アヤメは視線を上空に向けている。そんな彼女の表情はどこか清々しく、晴れやかに見えた。


「……でもね。強くなりたいとは思っているの」


 その声は透き通るように綺麗で、そして力強かった。


「強くなりたい。差別や迫害なんて関係なく、立ち向かっていけるようになりたい。困っている子がいたら、何度だって手を差し伸べられるようになりたい」


 彼女の言葉が強く心に響いてきて、思わず胸がうずく。彼女を見ていると、今の自分がひどくちっぽけな存在に感じられてしまう。

 アヤメは顔をこちらに向けた。そして、俺の顔をしっかりと見据えながら、


「かけるだってそれでいいと思う……」


「……」


「もしかけるが、変わりたい、強くなりたいって思っているなら、これからそうなっていけばいいじゃない。なりたかった理想の自分に」


 アヤメの瞳を見つめる。その瞳はまっすぐと確かなものだった。まるで、彼女の決意の固さがその瞳に宿っているかのように。


 それに、とアヤメは笑いながら指をぴんと立てる。


「焦る必要なんかない。ゆっくりと少しずつ、強くなっていけばいいのよ」


 俺は、彼女から視線をそらして、空を見上げた。これ以上は、彼女を見ていられなかったからだ。


 それでも……俺も強くなれるのかな。もしなれるのなら、少しずつでも……ちょっとずつでもいい。強くなりたい。


 この世界に来て自分がどうしたいかは、まだ分からなかった。でも、どうなりたいかは、その時はっきりと分かった気がした。


 俺は小さな声で、「ありがとう」と彼女に言った。アヤメも短く「うん」と返してきた。

 お互いにそれ以上の言葉はなかった。俺もアヤメも空を見上げる。月も星も出ていない夜空なのに、先ほどよりも綺麗で、輝いて見えた。



 どれくらい時間がたっただろうか、横にいたアヤメが、


「かける、洞窟に戻ろっか。村長も待ってるし」  


「あ、待ってアヤメ」


 歩き出したアヤメを呼び止める。彼女は振り返って、こちらをジッと見つめていた。


 最後にどうしても伝えたい事があった。あの時、伝えられなかった言葉が。


 俺はゆっくりと息を吐き、彼女の瞳を見据えて言った。


「あの時、助けてくれてありがとう、アヤメ!」


 アヤメはその言葉を聞いて最初きょとんとしていたが、しだいに嬉しそうな表情へと変わっていった。


 そして今度は、彼女がこちらの瞳を見据えるようにして言った。


「ううん、私の方こそ助けてくれてありがとう、かける!」


 その言葉が、今の俺にはとても暖かく感じられた。そして彼女も、同じように感じてくれていたらいいな、と思う。

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