第20話 交渉

 アヤメの思いが伝わったのか、ティミーは彼女の手をしっかりと握り返した。



 その瞬間、それまで吹き荒れていた風がぴたりと止んでーー


 ティミーの手を引っ張っていたアヤメと、それを支えていた俺は、勢い余って後ろに倒れこんでしまった。背中越しから、雪のフワフワとした感触とヒンヤリとした冷たさが伝わってくる。


 俺は起き上がって、


「だ、大丈夫か、アヤメ、ティミー」


 二人に呼びかけるが、何の反応も返ってこなかった。怪訝に思い、彼女たちの方へ顔を向けると、アヤメは苦しそう表情で、


「ごめん……私……もう、限界で……あとは……お願い……かける」


 彼女は力のない表情で、たどたどしく口を開く。


「アヤメ? アヤメ、しっかり!」


 倒れているアヤメを抱き起こして呼びかけるが、彼女は力尽きたように眠っている。それを見て、一瞬不安に駆られはしたが、苦し気ながらも呼吸をしているのが確認出来たので、少しばかり安堵した。


「そうだ、ティミー! 君は!?」


 ティミーを方を見ると、彼女もハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら倒れていた。


 このままだと二人が危険だ。一刻も早くこの結界から脱出しないと……、そう思っていた矢先……、



「すごい、すごいわ」


 背後から、かわいらしい声と手をぱちぱちと叩く音が聞こえてきて、俺は思わず振り返る。


「驚いちゃった。まさか、あんな状況から、ティミーちゃんを救い出すなんて」


 そこに立っていたのは、赤い髪をした少女、ロベリアだった。


「ロ、ロベリア……」


「かけるお兄ちゃんもすごかったわ。ただの頼りないお兄さんかと思ったのに、こんなにがんばれちゃうなんて」


 彼女は相変わらず、ニコニコと微笑んでいる。しかし、今の俺の目には、その笑顔が、奇妙で、不気味で、薄気味の悪いものにしか映らなかった。

 俺は、そんなロベリアに向かって……、


「ロべリア……ティミーを狂わせた原因はお前だな?」


「正解――」


 彼女は再び、パチパチと拍手をする。


「でも、ほんとビックリ。当初の予定では、あなたたちが力尽きた後に、私がティミーちゃんを始末するつもりだったのよ? それがまさか、こんな結末になるなんて」


 ロベリアが目を輝かせる。


「……」


「やーね、そんな怖い顔で睨まないで。私はただ、素直に感心してるだけじゃない」


 今更ながら、彼女の言動の一つ一つが、ひどく薄っぺらなものに感じる。この子は一体何を考えているんだ……。


「うーん、さすがに冗談に付き合ってくれそうな雰囲気じゃないから、話を進めるわね。私は、お兄さんと交渉がしたいの」


「交渉?」


「そう! お兄さんたちの持っている、グリードの魔石を渡してくれない? そうすれば、お礼としてあなた達三人を安全な形でこの結界から出してあげるわ」


「……」


 何が交渉だ……、冗談じゃない。そもそも、ティミーがこの森に入る原因を作ったのだってお前じゃないか……。そんな子と交渉なんてできるはずがない。俺は、そんな心の声を表情に変えて、彼女を睨みつける。


「うーん、信じてもらえないか。そっかぁ……」


 ロベリアは悲しそうな表情で、ゆっくりと近づいてきた。


「でも……それならそれでいいのよ?」


 次の瞬間、ロベリアの表情は邪悪な笑みへと変わっていた。そして、俺の首を締め上げる。


「う……あ……がぁ」


「何か勘違いをしているようだけど、私は別にこんな交渉をする必要はないんだからね? 今、この場であなたたち三人をを始末して、石を奪えばいいだけなんだから」


 苦しい、息が……。なんとか体を暴れさせて抜け出そうとするも、びくともしない。徐々に目の前の視界が歪んでくる。


 まずい、まずい……。


 そのとき、ロベリアが急に手を放す。そのまま俺は、バランスを崩して尻餅をついて転んでしまう。


「ゲホっゲホ……がぁは!?」


 息を整えていたら、突如、顔面に衝撃が走る。俺はそのまま吹っ飛ばされ、木に背中を叩きつけられる。一瞬何が起こったのか分からなかった。

 彼女は俺の顔を蹴り飛ばしたのだ。


「ねえ、かけるお兄ちゃん。もう少し冷静になって、今の自分が置かれている状況について考えてみて? そうすれば、自ずと答えが出ると思うから」


 そしてロベリアは、今度は倒れているアヤメとティミーに近づいて、彼女たちに手を向けた。


「さてと……これが最後。私に魔石を渡して生き延びるか、ここで三人とも消え去るか、好きな方を選んでね」


 次の瞬間、彼女の手から、光のエネルギーのようなものが集まってきた。


 ――どうする、どうすればいい……。万が一、彼女の要求を呑んで魔石を渡したとしても、その後、俺達を助けてくれるという保証はない。かといって、今の俺の力じゃ、この状況を打破できるとは到底思えない……。


 頭を巡らして、考える。しかし、いくら考えても、何一つ打開策が思い浮かばない。

 ロベリアは、そんな俺の顔をジッと見つめながら……、


「そう、黙っているってことはそれが答えなのね。残念だわ」


 露骨にガッカリしたように、ため息をつく。そして、次の瞬間彼女の手に集められた光がまた一段と強くなっていった。


 まずい……、このままじゃ……、


「分かった! 石はお前に渡す! だからやめてくれ!!」


 何か考えや勝算があるわでも無いのに、言葉が勝手に口から出てしまった。

 本当は心のどこかで期待していたんだ。少しでも時間を稼げば、誰かが助けに来てくれるのではないかと。けれど、そんなものは都合のいい妄想や願望でしかなかった。

 ロベリアは俺の言葉を受けて、ぱあと表情を輝かせた。


「そう、それでいいのよ! もう、早く決めてくれれば、こんな目に合わずに済んだのに」


 そういって、彼女は手を下げた。


 本当にこれでよかったのか……。不安が次から次へと心の中で湧き上がってくる。ロベリアはそんな俺の心を見透かすように、ニッコリと笑いながら、


「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。私達は、交わした約束や契約はまず破らないから」


 まず、その二文字が俺の頭の中で何度も反芻される。


「ふふ。それで、石は?」


「アヤメが持ってるはずだけど……」


 ロベリアは、傍らで倒れている彼女の服を調べ始める。それからしばらくして、


「あった。無くしちゃってたらどうしようかと思った」


 嬉しそうに魔石を天に掲げる。そして、こちらに振り返り、


「ありがとう、お兄さん。魔石は確かに受け取ったから」


 ロベリアはゆっくりとこちらに近づいてくる。俺は思わず立ち上がると、


「だから、そんなに身構えなくても大丈夫だって。約束はちゃんと守るわ」


 ロベリアは俺の目の前で立ち止まって、そっと耳元で囁くように、


「それじゃあ、本当にありがとね? それと……また会いましょう、かけるお兄ちゃん」



 その言葉を最後に、俺の意識は途絶えたのだった。












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