第19話 心を届けて
「アヤメの……声を……聞いてくれ!!」
だめなのか……。やっぱり俺達の声は届かないのか。そう思っていた矢先、
「……ア……ヤ……メ……」
聞こえた――。ほんの僅かであったが、それは確かにティミー本人の声だった。顔を上げて、彼女を見つめる。すると、その瞳に微かな光が宿っていた。俺はもう一度、彼女に呼びかけようとしたその時、激しい暴風が襲ってきた。
「うぅぅぅ……」
俺は何とか吹き飛ばされないようにと、足腰に力を入れる。
「うぅぅううう………」
しかし、いつまで経っても風の勢いが衰えない。徐々に足腰にも力が入らなくなる。そして、とうとう片足が地面から離れ始めた、その時、
「かける、大丈夫!?」
吹き飛ばされそうなところを、アヤメが左腕を掴んで引き止めてくれた。
「ア、ヤメ……?」
「よかった、間に合って。ここは一旦、引きましょう」
そういって、俺の腕を引いたまま、風の流れに乗って飛び退った。
強風が及ばない場所まで避難した俺達は、ゆっくりと息を整える。ふと右手を握りしめると、先ほどまで手にしていた木の棒がない事に気が付いた。さっき吹き飛ばされたときに、手放してしまったのだろう。
俺は、アヤメに向き直り、
「ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして。それに、かけるにはどうしても確認したいことがあったの」
「確認?」
アヤメの確認したい事……。なんとなく予想はついていた。
「さっき、かけるがティミーに呼びかけたとき、あの子、一瞬正気に戻らなかった?」
「……うん、戻った気がする。確かにティミーの声が聞こえたんだ」
「やっぱり……」
アヤメは顎に手をあてて、考える。
「もしかしたら、俺たちの声が届いたのかも……」
「それもあるとは思うんだけど……」
アヤメは未だに腑に落ちない様子だった。何か引っかかる事でもあるのだろうか。考え事をしているアヤメの額には汗がにじんでいた。そして、数秒後、彼女はゆっくりと口を開いて、
「……かける、時間が無いから単刀直入にいうね。あの時ティミーが正気に戻ったのは、あなたの魔法の影響があったんじゃないかって思うの」
「魔法? でもそれって」
俺の魔法はあくまでも対象の声や感情を聞き取る魔法であって、ティミーのような子をもとに戻す力では無いはずだ……。
「あくまでも私の考えになるんだけど、かけるの魔法には、相手の心の声や感情を聞き取るだけじゃなくて、かける自身の声や想いを相手に届ける、ていう使い方もできるんじゃない?」
「……まさか、そんな」
「あくまでも、私の推測。でも、私とかけるが声を掛けた時とでは、明らかに反応が違かってたから」
「……」
「だから、今度からは、かけるが声を掛けてほしいの。私は彼女の角を狙って、動きを止めるから」
「……いや、ティミーに声を掛けるのは、アヤメの役目だよ」
彼女は目を見開いて、固まった。
「確かに、アヤメの推測通りなら、この魔法を使えば彼女を正気に戻すこともできるかもしれない。でもやっぱり、最後にティミーを救うのはアヤメの言葉だと思うんだ」
「……」
「だから、アヤメはティミーにどんどん声を掛け続けてほしいんだ。もちろん、俺も協力するからさ」
「……でも……」
アヤメは泣き顔になった。
アヤメだって悔しかったのだろう。ティミーを助けたい一心で、必死に声を掛け続けても、ティミーの心には届かない。だからその役目を俺に託したんだ。自分の言葉や想いよりも、俺の魔法の力に縋る事にしたのだろう。
けれど、ダメなんだ。それだと本当の意味でティミーを助けてあげることができない気がするんだ。
「大丈夫。アヤメの言葉なら、きっと届くよ」
根拠があるわけでもない。奇跡が起こるからとか、そういった不確実なものに頼るわけでもない。ただ、信じている。アヤメなら、絶対にティミーを救い出せると。
アヤメは、俺から視線をそらして、ティミーのいる方角に顔を向けた。そして、こちらを振り返ることもなく、
「……うん。分かった」
彼女は頷いた。
俺達は雪の中を一歩一歩ゆっくりと歩いた。本当ならもっと急ぎたかったのだが、雪泥のせいで、うまく走ることができない。しかも、足元からひざ下まで凍えるほど冷たかった。さきほど洞窟で靴を脱ぎ棄ててしまった事が原因だろう。
ふと、前を歩いているアヤメの背中を見つめていると、自然と口が開いた。
「アヤメはさ、どうしてティミーを助けようとするの?」
この質問自体に、別に何か意図があったわけではない。それでも、どうしても聞いておきたかった。
「そんなの決まってる。友達だから……とは言っても、向こうは私の事、友達だとは思ってくれてないだろうけど」
アヤメは顔をこちらに向け、ペロッと舌を出す。
「アヤメ……」
「でも大丈夫。かけるが教えてくれたでしょ? これから、ゆっくりと仲直りをしていけばいいって。そしていつか、ティミーとは本当の友達になるの」
アヤメは力強く言い切った。
「それより、かける……大丈夫? 足が……震えてる」
彼女は心配そうに尋ねてきた。
「……うん、正直怖くて……」
もはや隠す必要もないので、正直に言った。そんな返答にアヤメは、
「…うん、わかる。私だって……とっても怖い」
そうだ。本当は怖くて、恐ろしくて、今すぐにでも逃げ出したい。……それでも逃げるわけにはいかない。逃げたくなかった。
「……いや、もしかしたら、寒さのせいで震えているのかも。それとも武者震いってやつかな?」
俺は、そんなつまらない冗談を言って笑いとばした。それを聞いてアヤメも、「何それ」と笑みをこぼした。
ティミーとの距離が間近にまで迫ったところで、また一段と風が激しくなった。それでも、足腰に力を込めて、一歩、また一歩と進んでいく。
そして……
「ティ……ミィ……。俺たちの声は届いているんだろ……」
もはや雪に覆われて、その姿がはっきりと確認できない彼女に向かって、俺は呼びかけた。
「こんな、魔法で俺達を突き放しても……アヤメは……諦めないぞ」
聞こえているだろうか。いや、聞こえていないのなら、何十回でも何百回でも繰り返す。俺たちの声が届くまで。
風が徐々に激しさを増し、辺りの視界も白一辺倒へと変わっていく。しかしアヤメも、そんな強風に負けずに進んでいった。
「ティミー……。私……あなたがな……んで……苦しんでいるのか分からない……。怒っている……理由も悲しんでいる理由も……何一……つ……わからないよ」
アヤメは一言一言、ゆっくりとティミーに語りかけた。
「だから教えて……もっと知りたいの、あなたの事を……」
「な、ん、で……」
激しい強風の中で、微かにティミーの声が聞こえた。そんな中、アヤメは笑顔で……、
「ティミー……、私はね、もう一度、あなたと友達になりたいの」
それが、アヤメの本心から出た言葉だった。
「だから、絶対に諦めない。何度だって、何度だって……」
そして、アヤメがティミーに向かって手を伸ばす。その瞬間、アヤメの指先から腕にかけて徐々に凍り付いていった。それでも彼女は、手を差し伸べるのをやめようとしない。
「ティミー、私の手を掴んで!」
ティミーは茫然と目の前を見つめている。やはり瞳の焦点が合っていない。そんな彼女に向かって、
「どこを見てるの、私の目をしっかり見て!」
それは、初めて見せたアヤメの叱責だった。
「あ……や……め……」
ティミーがゆっくりと口を開いた、その時……、
「うっ……」
アヤメがふらついて、その場に倒れかける。
「あ……アヤメ!?」
何とか倒れそうになる彼女を支える。しかし、俺も一杯一杯な状態だった。
寒風があまりに激しく、凍えるように冷たい。手足の震えだって止まらない……。再び吹き飛ばされないように足腰を踏ん張っても、すぐに力が抜けてしまう。
……それでも、
「アヤ……メ、がんばろう……あともう一息だ!」
「……うん!」
それでも……アヤメが諦めない限り、俺も絶対に諦めない。
足腰だけでなく、全身に力を込める。
そうして俺はアヤメの背中を支え、アヤメは再び手を伸ばす。
「ティミー、私の手を掴んで!!」
それを見て、ティミーも恐る恐る、手を前に突き出す。
「ティミー!」
アヤメは思いを込めて、もう一度ティミーに呼びかける。それが、最後の一押しとなったのか……、
ティミーは……アヤメの手をしっかりと握り返した。
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